夏はやっぱりコレ!山下達郎 サマーメドレー
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[2011年11月8日 / 渋谷区東 ビクターエンタテインメントにて
●まず中村さんご自身のことからお伺い
したいのですが、お生まれはどちらですか?

中村:1964年生まれで、出身は京都です。
高校時代はバンドをやっていて、機械を
いじるのも好きでしたので、デモテープを
録ることが私の役目みたいになっていたんですね。
そんなこともあって、その頃には
「将来はエンジニアになりたい」と
思い始めていました。それから東京の
音響技術専門学校に行って、2年間の
レコーディングのコースだったんですが、
2年目にはほとんど学校へ行かずに、
スタジオでアルバイトをしていました。
それでも卒業させてくれたんですけどね(笑)。
それで、サウンドデザインスタジオに入ったんですね。

●ありましたね、サウンドデザインスタジオ。

中村:ええ。今はもうありませんよね。
そのとき、私を含めて3人のアルバイトが
同時に入ったんですが、私は車の免許を
持っていなかったんです。
サウンドデザインスタジオは楽器のレンタルや、
ライブの出張PAなど色んなことを
やっているスタジオだったので、
車の免許を持っていないと話にならなくて、
私はスタジオに缶詰にされたんですよ。
他の二人は免許を持っていたので外仕事に
出ていたんですけどね。

●免許を持っていなくてよかったかも
しれないですね(笑)。

中村:そうですね(笑)。私はずっとスタジオで
お茶を入れたり掃除をしたり、色々やっていて、
そこでたくさんの方と知り合いになれたんですが、
山下達郎さんや竹内まりやさんの事務所の
スマイルカンパニーと関係のある方とも
知り合いになったんですね。その頃、
スマイルカンパニーが芝浦に「スマイルガレージ」
というスタジオを作るということで人を
募集していて、その方のおかげで
スマイルガレージができたときから入れたんです。
それが’85年ですね。そこが達郎さんとの仕事の
最初の接点なんです。

●スマイルガレージに入られたときは
アシスタントだったんですか?

中村:アシスタントです。ただ、私はスタジオが
できる前から出入りしていました。というのも、
スマイルガレージで勤めることは決まって
いたんですが、オープンするまでの間、
スタジオを作っている施工屋さんで
アルバイトをしていたんですよ。

●スタジオを作るところから関われる
なんて愛着が沸きますよね。

中村:そうですね。ただ、そのときはスキルも
なにもなくて学生に毛が生えたようなものだったので、
早くスタジオが完成してほしいと思っていましたね(笑)。

●達郎さんとはどの作品から直接携わるように
なられたんですか?

中村:’86年に達郎さんが『POCKET MUSIC』
というアルバムを作っていて、ソニーの六本木の
スタジオで途中まで作っていたんですが、
スマイルガレージがオープンしたので、
こちらをメインにしてレコーディング
することになって、そこからですね。

●それ以前にもメジャーアーティストの
レコーディングには参加されていたんですか?

中村:喜多郎さんのレコーディングには
参加しました。あとはサウンドデザイン
スタジオがビクタースタジオに近いという
地の利があったので、ビクターでレコーディング
しているアーティストの歌録りとか、細かい
仕事は色々とありました。

●元々、達郎さんの音楽が好きだったとか、
特別な思いはあったんでしょうか?

中村:それはなかったですね(笑)。
もちろん達郎さんの音楽は好きでしたが、
「すごい人と一緒に仕事ができるんだ!」
というような感覚はなかったです。

●そうだったんですか(笑)。意外です。

中村:どんな仕事でも一所懸命やる時期って
あるじゃないですか? 大きなスタジオに入って、
まだ日も浅かったので、そんなことを考えている
余裕がなかったんですね。無我夢中でした。

●他のレコーディングと達郎さんの
レコーディングで違うことはありましたか?

中村:とにかく達郎さんは時間をかけていましたね。
当時からものすごく細かいところまで作り込んで
いました。噂で聞くような、一日に一音色も
録れないというようなことはありませんが、
割とそれに近いようなことも結構ありましたね(笑)。
今はレコーディングの機材や、パソコン環境が
良くなっているので、シンセを自分で
打ち込んだりしているようです。

●その頃は、すでにプログラマーは付けずに
達郎さんお一人で音色を作っていたんですか?

中村:一人でしたね。自分で作って自分で
歌ってみたいな感じでした。

●中村さんはいつ頃からメインエンジニアの
仕事に移られていったんですか?

中村:『ARTISAN』の後くらいからですね。
その頃からメインエンジニアを少しずつ
やらせていただけるようになりましたが、
まだアシスタントも平行してやっていました。
その後、メインエンジニアとしてやらせて
もらったのは、2000年くらいからですね。

●アルバムで言うと、どの作品になりますか?

中村:『COZY』くらいからですね。あとは
まりやさんの『Bon Appetit!』あたりですね。
まりやさんのアルバムはほとんど達郎さんが
やっているので、レコーディングのやり方
としてはほぼ同じです。歌う曲が違うと
いうくらいで(笑)。それで本当にメインで
ミックスまでやらせてもらえたのが、
まりやさんの『Denim』というアルバムからです

レコーディングエンジニア 中村辰也氏

●中村さんは’85年という今から思えばいい
時代にスタジオに入られていますよね。
その後、90年代までは音楽業界は黄金時代
じゃないですか。そこで成長できたということは
大きいんじゃないですか?

中村:そうですね。めちゃくちゃラッキーだと
思いますね。

●中村さんは、吉田保さんとか歴代エンジニアの
仕事も全て見ているんですよね。そこから
受け継いだものもあるんでしょうか?

中村:一応あると思います(笑)。
私は意識していないんですが、達郎さんや
まりやさんから「流石に似ているね」と
言われることがありますから。

●機材の変遷と共に当然音作りも変わってくると
思いますが、達郎さんのサウンドは今も
アナログの音がしますよね。
そこが凄いなと思うんです。

中村:そう。そういうことなんですよ。
あんなアナログのサウンドを今の機械で
出すのは結構困難ですよね。
エンジニアリング的なところからいくと。

●達郎さんが追求しているのはそこなんでしょうか?

中村:ちょっと前ですが、達郎さんが機械に
翻弄されている時代があって、
「やっぱり自分のサウンドは、あの
アナログの太くどっしりとしたサウンドだ」
という思いがあったみたいなんですが、
いかんせんProToolsとかヨンパチといった
機械ではそうなりにくいということが
明らかになってきたので、「いつまでも
古いものに固執してもいけない」と
考え方を変えて、今はどんどん前を
向いている感じですね。

●それはまだ充分にハードを使いこなせて
いなかったということですか?

中村:思い通りにならないのか、ハードを
使いこなせていないからなのか、そもそも
ハードのポテンシャルがそこまでいって
いないのか、その答えすら分からないですよね。

●達郎さんが本格的にProToolsを導入したのは
前作『SONORITE』(2005年)からですか?

中村:そうですね。『SONORITE』はかなり
苦労しました。私もメインでやっていた作品
なんですが、相当苦労しましたね。
達郎さん自身はもちろん、私自身も思ったような
音がなかなか作れなかったです。

●そこから6年の歳月が流れて、今回の
『Ray of Hope』に至るわけですが、そのご苦労は
だいぶ軽減されたのでしょうか?

中村:全部とは言いませんが、かなりいい線まで
コントロールできるようになってきたというのが
私の印象ですね。『SONORITE』のあとに、
竹内まりやさんの『Denim』で一つ進歩をして、
ProToolsを使いこなせるようになり、そこで
得たノウハウをまた『Ray of Hope』で生かした印象です。

 また、達郎さんはProToolsになってから
「アレンジを変えないと駄目だ」と言っています。
過去と同じようなアレンジとか音の積み方をしても
同じようには響かないから、アレンジも変えて
いかないと、思ったような音にはならないと
言っていて、今回の『Ray of Hope』はそれが
大体見えてきたというところらしいです。

●『Ray of Hope』まで6年間インターバルが
ありますが、その間もかなり達郎さんは
スタジオに入っていたんですか?

中村:はい。『Ray of Hope』に関しては
結構シングルも多いんですけど、そういった
曲も入れると本当に長い期間録音し続けていますね。

●一年365日のうち達郎さんは何日くらい
スタジオで作業をしている計算になるんですか?

中村:一番スタジオに入っているときは、
月—金でスタジオに入っています。エンジニアは
土・日お休みで、また月曜日からスタジオに入る
感じですね。ただ、スタジオに入っている
時間自体は、他のセッションに較べて
長くはないです。だいたい昼の14時〜15時
くらいから始めて、22時とか23時とか。

●十分長いですよ(笑)。

中村:(笑)。途中、一時間くらい食事があって
、という感じですね

●レコーディングにおいて達郎さんが
こだわっているのは具体的にどういった部分なんですか?

中村:特に歌なんですけど、録音されると
自分の思ったように聞こえないみたいなんですよね。
ですからマイクやコンプなんど事細かに
相談しながらやるんですが、なかなか難しいですね。

●やはり「歌」ですか。

中村:歌です。いつも問題になるのは自分が
歌ったようなイメージで聞こえてこないということと、
楽器でも音の強弱が赤裸々に出過ぎるとか、
そんなことが問題になります。

 ぶっちゃけ昔だったら、ツマミが1個ちょっと
ずれていても、そんなに変わらなかったんですが、
今はツマミが本当に同じ位置、そしてマイクの
位置、立ち位置、またマイクから口までの距離に
関しても同じでないと同じ音にはなりませんから。

●ヴォーカルのリバーブが少なくなったことに
関してはいかがですか?

中村:印象として、デジタルだとうまく
混ざらないんですよ。リバーブをかけても、
リバーブと歌、リバーブとオケ、となって、
アナログのときみたいに全体的にフワーっと
かからないんです。『SONORITE』以降の音は、
単にリバーブが多いとか少ないとかいうのではなく、
全体として歌と音楽が一番混ざって聞こえる
バランスだと思います。達郎さんや私がTDで
バランスをとるときにリバーブをかけたり、
歌の大きさを変えたり、色々試す中で一
番良いと思った形なんです。

●長い間、試行錯誤して導き出した答えなんですね。

中村:そうです。「もっとリバーブをかけたら?」
とおっしゃる方はたくさんいるんですが、これが
我々の答えなんですね。達郎さんもアレンジを
やっているときから、リバーブについて色々な
指示を出します。だから、私はダビングのときから
TDしているようなものなんです。
ダビングのときからしっかりバランスを
とってリバーブもその完成形に近づけて作っていきます。
(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦)

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