監禁牧師たちは「統一教会に騙されたんだ!」と刷り込む。
しかし、聖書の神は見えるものではなく、その人の「心と想い」を受けとる。
家庭連合の自然脱会者でキリスト教徒になった人たちに、「ボクの神であれば『あなたの捧げた物はわたしがしっかりと受け取ったよ。』と言ってくださる。神は心と想いを見てくださるのだから。」と伝えると、不思議と慰められるのが分かる。
本来、自然脱会者に伝える言葉はこれ。

ところが、監禁牧師たちは棄教者に対して「あなたは騙されたんだ。奪われたんだ!」と刷り込んでいる。
だから、棄教者はその後、家庭連合に牙を剥く。
純粋に捧げた「心と想い」が踏みにじられた格好となる。
私から言わせると、よくそんなことをキリスト教の牧師が言えるなと本当に恐ろしく思う。
純粋な心を踏みにじったのは、誰?
聖書の神だったら「ちゃんと受け取ったよ。」と言ってくださるのだがな。
純粋な想いで捧げたモノを神が受け取ったのに、それを踏みにじっているのは真逆のことを言う監禁牧師連中ではないのか?!

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