47 亀山 雪晴
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歌川廣重の描いた東海道五十三次の浮世絵、それが何処から見た景色なのかを調べて、実際にそこに行ってきました。一緒に描かれた場所に至る道すがらや、その界隈の歴史や地形なども解説しています。
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Ukiyoe of the Fifty-three Stages of the Tokaido drawn by Hiroshige Utagawa, I researched the view from where it was seen and actually went there. The route to the places depicted together with explanations of the history and topography of the area are also included in the book.
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日本語版
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東海道五拾三次之内
亀山 雪晴
かめやま ゆきばれ
保永堂版 歌川広重 画
メトロポリタン美術館 蔵
雪が止み、晴れ渡った朝の静寂の中――
ひとつの行列が、ゆっくりと坂を登っていく情景です。
その行く先にあるのは、名高い城門。画面には、大名行列の姿が小さく描かれています。
石薬師からわずか2.9キロで到着した庄野宿。
しかしそこから先、亀山宿までは実に7.8キロ。旅人にとっては、決して短くない道のりです。
庄野宿をでると、ほぼ、鈴鹿川の左岸を高低差なく歩き続けやがて中富田の一里塚に達します。
やがて鈴鹿川の支流、安楽川(あんらくがわ)と椋川(むくがわ)を渡ると、今度は和田一里塚が見えてきます。
右前方の高みに亀山城が見えてきた頃に道が突き当たり、ここが亀山宿の始まり江戸口門です。
江戸口門を道なり右に行き、城下町らしいクランクを越え、急に道が駆け上がるような坂になります。今ではこの手前に、亀山宿の石碑が立てられ、その突き当たりには問屋場がありました。このあたりは視界が大きく開ける高台になっていて、亀山城から眺める景色を想像させます。
さらに進めば、宿場町の面影を残す町並み。その先に、広重が描いたあの場所が現れます。現在は橋が架けられ、道筋は変わっていますが、当時は京口門を過ぎると急な坂が続いていました。地図には、広重の視点であろう場所に赤いグラデーションを入れました。
南側から見た空撮に、大まかな亀山城の区域を青く示してみました。亀山城は16世紀半ばに築かれ、やがて関氏、そして石川氏のもとで城下町として発展します。東海道とともに栄えたこの地は、決して大きな宿場ではないものの、独自の賑わいを持っていました。
江戸時代中期以降、東海道は伊勢詣りによって大いに賑わいます。しかし亀山・庄野・石薬師は、そのルートから外れた場所にありました。それでも亀山宿だけは例外です。城下から南へ抜け、伊勢別街道へと合流する「亀山道」が存在していたのです。それを地図では白い線で表しています。
この道のおかげで、多くの旅人達がワクワクする亀山宿に立ち寄り、遊び、城を眺め、再び伊勢へと向かいました。これは、AIで作成した伊勢詣りの旅人で賑わう亀山宿の様子です。
そんな亀山を描くにあたり、廣重が選んだのは――
西に連なる山々と、壮麗な京口御門。「亀山に過ぎたるものが二つあり伊勢屋蘇鉄に京口御門」と謳われたその門は、石垣と櫓、木柵を備えた威容を誇っていました。
前日まで降っていた雪が止み、朝になって明るく晴れ渡った空が、ずっと先まで見渡せます。物音一つ聞こえてこないこの景色の中に、城門に向かう急な坂道を黙々と登ってゆく行列が小さく描かれ、雪晴れの静寂さをいっそう際だたせています。左には野村の集落、右上には見上げるように描かれた京口御門。画面全体は、緻密に構成された風景として完成されています。
ただし実際の地形は、少し異なります。道は門に向かって平坦で、その先に下り坂、川を渡って再び上り坂となっていました。つまり廣重は、現実の地形をそのまま描いたのではなく、印象的な風景として再構成しているのです。それでも城壁や櫓、木柵といった要素は、当時の記録と一致しています。現実と演出の絶妙な融合――それがこの作品の魅力と言えるでしょう。現在この地を訪れると、門はすでに失われ、案内板が残るのみ。
しかし地形は今も急峻で、当時の道筋を想像することができます。
隷書版は、春の大手門を描いています。
亀山城は、鈴鹿川の左岸、河岸段丘の上に建てられました。この東海道は、亀山城の南側を抜けるので、亀山城から大手門を出ると直ぐ東海道で、旅人はここから亀山城全体を見上げることができました。廣重は実際に微笑ましくお城を見上げる旅人も描いています。
行書版は、亀山宿の先、野村一里塚の松林の前で休む、人足たちを描いています。
狂歌入りは、京都側から見た、京口御門そのものを描いています。こちらも京口御門の脇には、石垣、木柵、冠城門と番所があったという記述があるので、記録と合致しています。
実際この場所に行ってみました。この正面右手に京口御門が見えていました。実際のこの場所は道が平坦で、門を過ぎたあたりから下って行きますが、現在はこの先に京口坂橋ができていて、そのまま川を渡り関方面に抜けることができます。
これは門があった場所を南側から見た写真です。現在では案内板だけが残っています。
これは振り返って、南側をみた写真です。かなりの崖になっていて、当時の東海道はこの坂を右から回り込みながら川まで下りていったことになります。
現地の看板には明治初期に撮った写真がありました。川から京口御門を見上げた写真のようです。これを見ると京口坂橋ができる前は、東海道はくねった坂道を川まで下りていったことがわかりますね。
廣重は、この門前のかけ上がりと方向とを勘違いして、この画を描いたのかも知れません。
ここでもAIに作らせた写真がありますのでご覧ください。
坂ではありませんが、あたらずも遠からず、という写真です。
Googleストリートビューで、この先の景色もご覧ください。廣重の画とくらべると、山並みや住宅がちょっと随分と強調されている、というのがわかりますね。
東海道は壮麗な京口御門をあとに坂を下り、川を渡って野口を抜け、鈴鹿川を遡って関宿に向かいます。いよいよずっと先に鈴鹿の山々が見えてきました。
1 Comment
今回もロマン一杯 ワクワクしながら観ました。Al画像も素晴らしく まさに当時にタイムスリップし垣間見てるようですね 毎回当時の分間延絵図や出来るだけ 当時に近いであろう古写真等も掲載し素晴らしい出来で恐れ入ります。ありがとうございました。いよいよ次回は東海道の姿を一番色濃く現存する 関宿ですね~❗️ 楽しみです。