【武四郎まつり】松阪市

今日は松阪市の「武四郎まつり」へ
行きます!
(撮影日 2026年2月22日)

動画の詳細(お借りしているものも含む)
▼撮影場所
 ・松浦武四郎記念館(三重県松阪市小野江町383)
  https://takeshiro.net/
▼松阪市HP
 https://www.city.matsusaka.mie.jp/
▼東北ずん子公式HP
 https://zunko.jp/ 
▼VOICEVOX
 https://voicevox.hiroshiba.jp/
 VOICEVOX:ずんだもん
▼(立ち絵)ずんだもん(坂本アヒル様)

▼効果音ラボ
 https://soundeffect-lab.info/ 
▼音楽
 ・https://dova-s.jp/フリーBGM
  Welcome_to_our_cafe(のる様)
 ・nc283057_INSECT_[HIPHOP](MCライダー様)

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4 Comments

  1. こんにちは。武四郎まつり、今年も賑わってますね。武四郎翁はアイヌの人に寄り添った調査をしてたそうで、この祭りをきっかけに、北海道との交流もあって、いいですね。

  2. 「北海道」という名称について「松浦武四郎」という人物が 名付け親 だという風に言われていることについてですが、

    それは 明治2年7月17日に 松浦武四郎 が新政府に6つの案を提出し、
    (①日高見 ②北加伊 ③海北 ④海島 ⑤東北 ⑥千島)

    その中から「②北加伊」が選ばれ「加伊」を「海」と変更して「北海道」になったとする説は、

    その40数年後の 大正2年 に「松浦武四郎」の孫である「松浦孫太」が 雑誌【北斗】に掲載した原稿が根拠の様であって、

    そもそも「北海道」の命名過程を示した公の記録は一切無いようです。

    ですので、松浦武四郎 の「北加伊道」が「北海道」になったと あたかも事実の様に語られていることについてですが、それらは 大正2年以降 の後人の推測に過ぎないものと 思われるかも知れません。

    それに 松浦武四郎 は自らの号として「北海道人」というのを 明治2年の 20年以上も前から既に使用しているということもあります。

    その他に 公に残る記録として 初めて蝦夷地 を【北海道】と呼ぶことを提唱したのは【水戸藩9代当主 徳川斉昭】で【北方未来考】という本の中の様です。

    それと 松浦武四郎 の提案の1年前の 明治元年(1868年)には、明治政府の役人である【井上石見 と 三澤揆一郎】が 蝦夷地 を【北海道に改名する意見書】を政府に提出している というのもある様です。

    これらの事を考えれば「北海道」と命名したのは誰なのか?、考えてみる必要があるのではないか?と思われます。
    ーー
    ※「 小野寺まさる氏 (元北海道議会議員) 」の説明によるもの。

  3. 1:16 ~ 北海道には「縄文遺跡」があることから「縄文時代」に「縄文人」がそこで暮らしていた証左になると思います。

    それで 最近の情報を見ていると、我々「和人」が「縄文人の末裔」であるにもかかわらず そのことが何処かに行ってしまって、「アイヌ」が「縄文人の末裔」という説が出回っているのには驚かされます。

    「アイヌ」は ロシア東部の アムール川下流域辺りに住んでいた人達が 樺太を経由して、主に鎌倉時代あたりに 北海道にやってきた と考えている人もいる様です。

    生活様式が「縄文人」というより、ロシア東部の人達に近い という理由もあるみたいです。

    そして「縄文人の末裔」が 疫病で全滅したのでなければ、「アイヌ」が「縄文人の末裔」を取り込んだのか?、ジェノサイドが起こったのか?、というのが想像されるかも知れません。

    そもそも「縄文時代・続縄文時代・擦文時代」は「土器の文化」でもあるのに「アイヌが縄文人の末裔」と主張されるのであれば 、何故「アイヌ」は それを引き継がなかったのでしょうか?

    正直、違和感を感じてしまいます。

  4. こんばんは。記念館の看板だけは23号を通るたびに見ていましたが「武四郎まつり」があるほど人気なんですね。ちょっと意外です
    しかも「たけちゃん」の愛称でマンホールまであるとは…旧嬉野町一番の偉人、凄い

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