【大阪・泉佐野市の歴史 前編】今も荘園の姿が息づく場所!村瀬先生のぶらり歴史歩き 大阪・泉佐野市 前編

【大阪・泉佐野市の歴史 前編】今も荘園の姿が息づく場所!村瀬先生のぶらり歴史歩き 大阪・泉佐野市 前編

さあ、始まりました。ふらり歴し歩き。今回は大阪府の主にやってまいりました。ありがとうございます。 はい、今回のアシスタントのあさんです。よろしくお願いします。 です。よろしくお願いします。 なんで今回はアさんなんや。 はい、私は泉佐野市出身です。 ありがとうございます。 泉佐野市といえば はい。 関空があるやんと。 あります。 ま、言うたら関西のね、世界とつながる玄関口にもなってるとこやねんけど、 海外に1番近いですからね。 海沿いじゃないところにも見所いっぱいっていうのは当然あさんご存知。 はい。もう海も山もあるっていうことは知ってるんですが、うん。 あんまり山の方を思ったより知らないかもっと思って。 今どこかわかる? はい。今 泉の市ですか?ここ いいよ。 いつのしやねんけど めちゃめちゃ歴史的には重要なところに我々来てるんです。 いや、実は 泉さの本当にね、 世界に向けての玄関口でありながら めちゃめちゃ歴史が色く残ってるそんな地域になりますんで、今日はね、ここからブらりしていきたいと思います。今回の舞台は大阪府の市。 [音楽] およそ800年前から残る歴史と自然が 生きづくひの そして泉市唯一の国報とは さらに先週地域を代表する和菓視店ムシへ それではブラり歴史歩きの始まり始まり [音楽] やってきたのは 泉佐野市を中心とする地域に広がっていた商演の省。そしてここからは泉佐野市の中岡さんに案内してもらいます。 [音楽] 泉佐野に こんなに自然があることに 戸惑いを隠せていないです。まだここさですよね。 はい。そうなんですよ。 大阪とは思えない景観がに残ってるんですよね。 あ、そう。大阪の通りなんですよ。 ところでね、 秋田さん はい。 学校の授業で演って習ってきたよね。 うん。習いました。 少炎とは何? こう作物を育てている うん。 農地みたいな感じですよね。 それ暴や。僕聞いてんのは少園。 少園。 少炎は貴族や神社などが開して管理した土地でこのひ野省はおよそ 800年前からあったとされています。 そ、こちらがその絵図になるんですけれども、鎌倉時代の エ図ですよね。 はい。 鎌倉時代の絵図で ちょっとこの場所はですね、え、エリアで言うと P ア書いて、ここがあの大の奥義のこの地区のことになりまして、なぜこの地区が重要かと言いますと、こんなはい。はい。 あの、本が残ってるんです。 はい。 九条本が書いた正本旅引きつけていう日記が残っているんです。 へえ。 ということはこの地域がどうしていたん かつてどういうあったのかっていうのがず で残っててなかつそのこの地域の人が どんな暮らしをしてるのかみたいなそう いう暮らしぶりなんかがこの日記からも 分かるもう非常に日本的にこれがすごい 重要なえ にあるんですね 1500年頃の話で戦国に時期に当たるん ですけれども町後半から しかもこれが書かれたのがその九条家というあの泉佐野の演は九条家が持ってた演で京都からわざわざこの泉佐野まで来たんですね。 [音楽] 正本が来て でしかもここの前のこの場所のエリアに寺ってお寺がありまして、その長口寺のお道に え、住んで4年間住まれてたという。 うん。え、じゃあ はい。その時と同じ景色を今私たちは そうですね、ちょっとイメージで重ね合わせてもらったらちょうどその草が生えてるあの辺りがちょうどの辺りなんですけども、 ま、そこでこの人気を5冊書き上げた。 またへ帰っていったという。え、 すごい場所じゃないですか? はい。あの、元々この泉佐野のこの地っていうのがもう京都の言うたらトップクラスの奥さんである九苦九条家が少演として開けていったところなんですね。 はい。そうなんです。 うん。 え、別荘にしたい土地ナンバーワンってことですよね。別荘までもあの全国の中でもこの地区が海から山まで揃ってて脳の魚介類全部あったということでやっぱりこの地を選んだっていう、 ま、証拠になってんかなと思うんですけど。 うん。それぐらいやっぱり宮子の毛さんからしてもこの泉佐野のこの土地っていうのはものすごい魅力があったってことですからね。 そうですよね。 本当に山と海が近い場所っていうので 知ってましたけど、 昔から本当にそうなんですね。しかもね、 これ中岡さんに聞いて、 さっきのこの鎌倉の絵図見てよ。 鎌倉の絵図。こちらですね。 はい。この絵図の中にこうため池であったりとかなもんが描かれてるやないですか。 今でもこのうちのいくつかは現存してるんですよね。 はい。もちろんです。 え、国の重要文化的警官ていうことで一応大阪府で唯一の警官指定されてるうん。え、 [音楽] 場所にも もっと言ってくださいよ。市民に対して 中岡さんめちゃめちゃ言うてんねん。それをいな、あのはい。 あの、是非、あの、皆さんで 市民さんからもPRいただきます。はい。 いや、でもこれ他の地域やったら昔やっぱり水路作ってたそれで農地を開いていった場所っていうのは当選全国他にもあるんでしょうけど後にやっぱり年家が進んで埋め立てられたりとかまた付け替えられたりとかそのままの姿をとめている例ってほっと少ないじゃないですか。 はい。そうですね。 泉佐野はなぜったんですか?そ、 この、ま、奥義地区自体がですね、こう山に囲まれてまして、未もあの、今不動は昔川なんですけれども、やはりね、あの、昔からのものを大切にしようという、あの、古いそのやり方ですね。そういったものを、ま、ずっと継承していこうという、ま、気持ちが非常に強い地域やという風にちょっと捉えております。 [音楽] [音楽] なるほど。はい。 ういうようなもうそういう意識が高い地域ですね。 はい。 これは頼もしいな。 素敵なしですね。 あなたよね。 本当に。 [音楽] さ、続いてやってきたのは し神社 なんですけども、 あ田さん、ここは来られたことは? はい。初詣で毎年来てることがありました。 うん。え、結構泉佐野の人は初詣で行こう言うたらここ選びは 多分日神社だと思います。 へえ。 そして先ほどの鎌倉時代のひ野省の絵にも ここにね、大遺跡大明人って書いてない。 [音楽] 書いてます。 これが はい。 このひ神社なのよ。 へえ。でも今のひ神社と本当に同じような場所に ちょっとこれ歴史あるひ神社今から行ってみたいと思います。 鎌倉時代の得ずにも描かれているひ神神社 600年代には双剣されたとの伝承があり 天皇の両親にあたる彦 宇吹き合えずの玉寄り姫のをご人とした 神社なんです。 そしてこの野という知名とも深い関わりがあるそうで、 人務天皇さんが、ま、その日本の国を、ま、建告されるにあたって、ま、あの、九州高地方出発されて、ま、国々を閉しながら、ま、最後、あの、大和の国をね、ま、今柏原神宮にお祭りされてますけども、ま、そこを目指して進まれるんですけれども、今の大阪からこう奈良に入る時にですね、ま、ちょっと強い敵に当たってしまいまして、 [音楽] [音楽] ジムさん、ま、末えっこのあの 4 人兄弟の末えっこの神さんなんですけど、ま、 1 番上のお兄さんと一緒に、ま、戦っておられて、で、お兄さんが、ま、途中でちょっと手されてしまって [音楽] で、ま、一旦、ま、ちょっと兵を引き上げて うん。 で、ま、自分の、ま、ご先祖様にあたります、あの、ま、天のを納められてます。天照ラスさん、 あの、お瀬さんのね、美さん、天マテラスさんとあと、ま、その、ま、神社の言葉の国と、あの、ま、あの世の国ですね、大られてるのさん。 ま、このお二方に、ま、あの、ごを受けられて、 ま、そうしましたら、あの、ま、向かってる方学がよろしくないと、 ま、そのお様の方を向いて戦っている、ま、これはすなわち自分の親に向かって、 あの、ま、喧嘩をしてるということで、ま、それでは絶対勝てませんよと、ま、そういうご信託を受けられてですか、ま、法学をちょっと書いてですね、こうぐるっと、ま、おひたを、ま、背に受ける形で今度機種の方からですね、あの、攻め込んだら、ま、強い敵を [音楽] [音楽] 倒すことができて、で、ま、無事あの大和の国に入られて、で、ま、初代のさになられて、ま、こういう話があの、ま、乞食とか日本の初期に、ま、出てくるんですけども、 [音楽] ま、その時にあの、ま、ごを受けられたところというのがお様の日の神様と根の国の根の神様をお祭りした野原ということでひ野というような、ま、この辺り、ま、ひ野のというんですけどね。 [音楽] 町面でその日の神様との神様をまった神社ということでひ神社という風にはまなったという風にま、あの言われてます。 [音楽] はい。 てこと我々今ひのひねのってよく言いますけどその由来になったとこであると いうとこなんですよね。 さらにひ神社には珍しい神様がいるそうで こちらのひ神社 はい。ある悩みを抱えておられる方が はい。はい。はい。 たくさんお参りに来るんですよね。 ああ、そうですね。はい。 ピンポン。それは分かりました。これ初めて正解が分かった上で答えるかもしれない。枕が売ってますので [笑い] 眠りに関する悩みをお持ちの方にいいんですよね。 おさんいかがでしょう? はい。そうですね。 元々は小さ付けや安全を祈願して枕を作り 奉能する枕祭りが始まりで近年では睡眠に 悩みを抱える方も多く訪れるようになり枕 の神様と呼ばれるように そして経開発 に欠かせないがあるそうで ここがねあのまゆと言いまして記念の奥義 と 隣にあのさんお寺さんがあるんですけれども このお寺と神社のこの間を通ってそのままあの村の田に水が流れていくようなあのこう考え施設がねられてもうこの鎌倉時代に救られてそれがその当時の形のまま残ってるということで日本遺産認定されてるんですよ。 [音楽] [音楽] 泉サっていうのは、ま、大阪に面してるとはいえ、雨が少ない瀬戸内機構に分類されてんのよ。うん。はい。だからそんなに実は雨が豊富なとこじゃないんですよね。 そうですね。やっぱり昔もやっぱりその、ま、雨声の真であったりとかそういったことはやっぱり盛に行われたみたいですね。あ、だから開拓していく、解婚していくためにはこう農を広げるには様水が絶対必要やったということで、これが重要な仕事を果たしてくれたんですよね。 そう。はい。え。 [音楽] さあ、続きましてはひ神社のお隣にあります員さんにやってまいりました。 住職のみさんです。よろしくお願いいたします。 よろしくお願いお願いいたします。 ここね、あさん とんでもないもんがあるんよ。 とんでもないもん。そんなでもないもんが、 どういうことですか?ほら、日本 3大ほにゃららとかさ はい。 日本3名ほにゃららってあるやん。 はい。その1 個が泉にあるんですよね。そうなんですか。 泉野住んでたやろ。 はい。 やってきたのは673 年に天皇の直願寺として建された先週でも最殺と言われる次元。本道には第日如来座像蔵が暗致されています。 [音楽] そして、ま、今次元という名前でございますけれども、元々は元住寺、願いが成手されるという、え、元事というあの事業でございました。 [音楽] それがですね、あの1665 年、え、ご本山であります、え、京都の寺さんの方からですね、あの次元のインゴを賜ったという形でございます。がたる事件のけを親になるんですね。 [音楽] [音楽] そう。 ここで次元で保管されている貴重な絵巻きを見せていただきました。え、 [音楽] これはすごいな。 あちらの方にこう大関明人あの今のひ神社さんですね。昔はあの新物集合でございましたので仏様と神様が一緒に祭られてるという本当にそれが書かれてございます。 [音楽] はい。いや、でもこれ400 年近く前の絵図があ、そうでございます。 [音楽] 綺麗な形に残ってるんですね。ほでの方に中野、え、次元と紙書かれてございます。こちらは次元でございますですね。現在の次元でございます。 [音楽] そしてこう、え、川のように書かれてるのか。そしてその細いのが湯というこあ 形にございますね。 さっき見た。 そしてですから、あの、ちょうど大宮さんの方のところを通って次元の真ん中を通って 畑に供給されているという本当にそれが書かれてございますですね。 そうか。 うん。 およそ400 年前の得ずにも描かれている湯陽水は現在でも当時とほとんど変わらない姿で経済を流れています。 [音楽] そして野で唯一の国報を見せていただく方にいよいよ [音楽] はい 国報の方とにやってまいりました。こちらでございます。 [音楽] すごい。 これ南さん何回見ても美しもな姿なの本当に。 [音楽] はい。ちなみに南さん できた時期は鎌倉 はい。そうでございますね。え、1271 年いう風に言われております。 いかがですか?日本で 3つに入る方法と 入る入ってくる門から ちょっと泉佐のじゃない感じましたもん。 私が知ってるね。私が知ってる泉佐野じゃない。 泉佐野はね空とかアウトレットだけや。 本当に騎士の方庫なんだから。 そうだったんですね。 もう今日で再発見がありすぎてここもすごいなって。 [音楽] 続いてやってきたのは先週を拠点とする明治 [音楽] 25 年創業の和が司保無心佐野出身のアタさんからするともうこちらのお菓子といえば昔さん [音楽] はい。もう もう私はあるものだと思ってたので全国どこにでも無臣があるものだと思ってました。 [音楽] で、今やっぱりこの泉地域を中心に何テンポあるんですか?今。 そうです。今、あの、20 店舗あるんですけど、ま、和歌山に 3店舗と大阪もま はい。 大和川から南の、ま、坂石から南のエリアで、ま、 17店舗と合計20店舗です。うん。 今の社長で何台目になるんですか? えっと、結構ね、あの、うちはあの早くなくなったりした方とかもあれなんですけども、実際私はその真なんとかっていう直系で言うと 6代目になります。 ふ、 シなんとか、 え、シことは無神さんの由来っていうのはどうするんですか? [音楽] あの、初代、え、が向いシーンを持っていまして はい。 その、ま、昔、ま、昔の野ゴみたいなところから来てるとは聞いてるんですけどはい。 [音楽] 大々あのシがついて、ま、私も慎介っていう名前で へえ。 そういうことか。 お名前なんですね。 そうです。 あ、じゃ、あ、 おしんて呼んでいてこと。 そうです。ま、要呼ばれてちょままお名前やねんけどな。 学生者とかよ。あの、昔のことを知らない人、友達エリアの友達もそう呼ばれてます。 そうか。深い慎から昔。 ちなみに思い入れのあるお菓子とか はい。 もう画さんといえばこれって言うたら何なんですか? 私は子供の時はあの中に 見たらしが入ってる。あれが私の見たらし団子だと思ってたんですよ。 あ、ちょっと待って。え、悪さんはこの串に刺さったお団子ではなくて はい。 三たらし持ちみたいならし持ち。 そうね。泉さの人です。 はい。 でもあと昔からもう正法守ってこられてるお菓子といえば [音楽] そうですね。村しぐれっていうお菓があり ええ私食べたことないです。 ちょっと待ってくれ。ちょっと待ってくれ。ごめん。あ、俺泉さの出身じゃないけど、もう昔さんと今村しぐれやけどな。 そうなんです。見たらしばっかり食べてました。 これぐらい美味しいんや。 ということで先週のメカであるしれをいただきます。 いただきます。 [音楽] 美味しい。 ありがとうございます。もうほろほろ。 うん。 ちょっともちりで うん。 で、ま、あきの風味の味が味わうような感じで。 そうです。言ってくださいました。 あ豆きに砂糖米メ粉ともち子というシンプルな素材で作られている村しぐれ。 かつては村しぐれ本舗との連をかけていた時代も これだけはなかなか機械化もできなくて毎日職人さんこうやっぱ手で [音楽] え 合わせて そうですか もう家でも 2人3 人ぐらいしかこれは扱ってないですね。 へえ。 そんなの限られた職人さんじゃないと作られないという [音楽] ブラシ職人さんがいらっしゃるってことですね。 そう。 続いてはひのともゆかりのある上菓し。 こちらの川がですね、泉佐野で作った持ち米を使っておりまして、ま、泉佐野のような方に協力していただいて はい。 あの、先ほど行かれたと思うんですけど、あの、野省のあの奥義地区のうん。 あの、田の急行を活用して はい。 そこで、ま、我々もあの、何人かのスタッフがタとか犬カリを一緒に やって、ま、農家さんの苦労も一緒に味わいながら育てた持ち米でこのモナの顔を作ってもらって販売するっていうような形を今 [音楽] できるんだった。 ちなみにハグという名前は旧子市街佐の町葉の強飯の毛が気づいた海岸沿に立ち並ぶ暗倉が依由来なんださ。 [音楽] うん。あ、これも美味しい。 [音楽] 皮が香ばしいですね。美味しい。 こうお腹がやっぱりもちを使ってるからな。 噛むほど ああ、 目がします。 うん。口の中で新たな和輪菓しが出来上がりますね。美味しい。 美味しいわ。 うーん。だから 早いです。 早。あ、ごめん。車で言うたらエンジンの排量は違うからさ。びっくりしてよ。 それでもね、びっくりしますね。 さらに無神では我が菓しはもちろんお馴染みの洋菓し、小菓様々な商品を展開。 いや、もう本当にこう昔ながらというかこう泉さの市っていうのをすごい大切にされながらもこうチャレンジもしていってるじゃないですか。 [音楽] こう両方をやるっていうのもなかなか難しいとは思うんですが、こう今後の展望を教えていただけますか? [音楽] ま、でも基本的にはやっぱり地元の方にあの愛されるお店でありたいなっていうところは変わらず、ま、もっともっと地元の方にもの自慢にもなるようなあのお菓子を作って、ま、空港とかも近くにあるっていうのはすごいいい血りというかで商売さう [音楽] いいてるんで、またそういうところから全国全世界にうちのお菓子がいいていってもらえたらなっていう風に、 [音楽] え、思ってます。 今回のグラリー歩きはここまで。 2人が巡った地図はご覧の通り。関西国際 空港で有名な泉佐野ですが、およそ800 年も前から少演があり、その当時からの 神社やジ、電園風景が今も残る歴史深い 場所であることがわかりました。次回も 大阪府泉佐の塩深り。 それではまたお楽しみに。 [音楽]

【村瀬先生のぶらり歴史歩き】#91 大阪・泉佐野市 前編
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今回の舞台は大阪府・泉佐野市
800年前の景観が残る日根荘を中心に泉佐野の歴史をご紹介します。

開墾の歴史!荘園を潤すためにひかれた井川用水とは?
泉佐野市唯一の国宝・慈眼院の多宝塔
時代を超えて愛されるむか新で泉佐野スイーツを堪能!

村瀬先生がわかりやす~くご案内します!

出演:村瀬哲史・芥田愛菜美

00:00 オープニング
01:46 約800年前の景観が残る日根荘
06:54 荘園文化を今に伝える日根神社
10:52 荘園の発展に欠かせなかった井川用水
12:03 泉佐野市唯一の国宝・慈眼寺の多宝塔
15:24 伝統と革新で歴史を紡ぐ むか新

【京都・八幡市 後編】はこちら
【京都・八幡市の歴史 後編】ライト兄弟より先に飛行機の原理を発見した日本人がいた⁉ 村瀬先生のぶらり歴史歩き 京都・八幡市

eo光チャンネル 「村瀬先生のぶらり歴史歩き」
この番組は、大手予備校、東進ハイスクールの人気講師・村瀬先生が古地図片手に、
今と昔の街を見比べながらぶらり歩き様々な歴史スポットをたずねる番組です。
古地図を見れば知らない歴史が見えてくる!

番組公式サイト【全放送回公開中!】
https://eonet.jp/eohikari_ch/program/murase/

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村瀬先生のぶらり歴史歩き

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2 Comments

  1. 子供の頃、 和歌山市に住んでる親戚の家に行くと
    何時もおやつにむか新さんの団子で包んだみたらしを一杯出してくれて
    芥田さんじゃないけどあれをよーく食べた思い出。

  2. 風景から大阪とは思えなかった日根荘、御堂筋を南にドーンといった先をさらにバーッっと進んでチョイチョイチョイって行った所やね!?
    「むらしぐれ」大人の味かな?苦めのお茶とあいそうな感じに見えたけれど、これは実際に食べてみないと分からんな。
    んで、芥田さんは味わうだけ味わって食レポを社長に丸投げ!?(笑)
    今回も楽しめました!

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