暴走老人の旅№45御巣鷹の尾根

暴走老人の旅№45御巣鷹の尾根

[音楽] え、おはようございます。え、今私はです ね、慰霊の園っていうところに来てます。 え、この慰例の園はですね、え、 あの日光ジャンボが、え、墜落した群馬県 上野村にあります。その慰例の園に来てい ます。え、もう今年はですね、あの日光 ジャンボが、え、羽田から立って、え、 出発してこの上野村のですね、二山にです ね、墜落したあの事件から40年になる そうです。え、今年の8月はですね、そう いう関係で色々と、え、テレビや、ええ、 新聞で、え、色々報道されましたけども、 え、 もうすでにあの、あれから40年という ことで、1度私も来てですね、え、お高山 に登ってうん、手を合わせなきゃいけない なと、え、思ってましたけども、ちょうど ま、今年が40年ということなので、え、 これを木にですね、ちょっと、え、この上 の村に来て、え、これから、ま、慰例登山 というか、お山に登ってですね、え、手を 合わしていきたいという風に思います。で 、今来ているのはですね、その上の村の山 の麓元にあるですね、慰例の園っていう ところです。え、ここにですね、えー、 この、え、 慰例費がですね、上の村によって立てられ ているということですので、それをですね 、見てここで1度、え、手を合わせた上で 吉高山に登りたいという風に思います。 おはようございます。 はい。左側に、え、 遺伝費が見えてきました。 この形はですね、えー、 この慰例費の形は何かこうさっき説明分を 読んでいるとですね、えー、この両手を 合わせたような形で、えー、その方向を ですね、え、オス高山の方向に、え、向け ているということらしいです。ですから、 お高山はですね、このお 慰例費の 反対側になるんでしょうか。ちょっと後で 地図を見て確認します。 はい。 では私もここで撮影をやめて お参りしたいという風に思います。 はい。今私はですね、え、お高山の、え、 登山口に着きました。え、駐車場を降りて これから、え、登山が始まります。 え、さっき言った、え、上の村のですね、 慰例の園から大体20kmま、山を登って 、え、舗装した道路上がってきました。 大体1時間弱ですね。これから、え、 バイクを降りて、え、オスタの峰まで、え 、登っていくという風になります。え、 見ると、え、ここは開発1359m だそうです。え、 山の頂上が1700 何というな、17何ですから、え、だいぶ こっから上がっていくということになり ます。それではこっから上がっていきたい という風に思います。 はい。え、鷹高峰登山口から、え、登り 始めました。え、今日は天気がいい成いか 、え、山の緑も 新鮮ですね。川の流れも 爽やか。昨日の夜というか今朝までですね 。東京もそれからこの、え、埼玉長野、 それから群馬の辺りも、え、朝まで雨が 降ってたせいか、え、路面は濡れています 。 今日は え 、 21日ですかね。 日曜日でちょっと朝早く出て、え、混雑し ないうちに 、あ、熊避けの金鳴らしてくださいと書い てありますね。 じゃあ はい。 真けの金を鳴らしました。 え、竿沿を歩いて おたのオまで 向かっています。 あ、ここに何か お地蔵様ですか?鼻が 添えてありますね。 山森地蔵って書いてありますね。 はい。登場付近というか、え、星高の根 付近にやってきました。ここはあの小屋は 休憩以上ですね。おそらく あの遺族とか関係者が来られた時にあそこ で休憩するような場所なんじゃない でしょうか。 分かりますかね? あそこにトイレがあります。 要するにこの辺一体がその 残下 が起こった現場ですね。はい。 スタのお案内ってのが出てますね。 今私たちはここにいるんで、 こっから ここの案内まで行って、 そしてこの証婚の日まで行きたいと思い ます。 はい。それでは向かってきます。 はい。今私は日光ジャンボ墜落事件の現場 お高の にある証婚の日の前に来ています。 はい。これが証婚の日です。えか。 [音楽] え、この辺一体がですね、ま、生産な現場 であったということがすでに40年前の ことになりました。 40年前と言うと、え、ちょうど私がです ね、 え、33歳ぐらいですか、え、仕事もバリ 、え、バリバリと乗ってきてですね、毎日 、え、スーツを着て電車に乗って、え、 東京都内をカ保していたそんな時です。 え、当時広告の営業やってましたから、 いろんな、あ、企業を訪問しながらですね 、え、 歩き回がっていたその時にですね、 1985年8月12日ですか、え、私は何 も知らずですね、家に帰ってテレビを見る と何か飛行機が長野県の方で落ちたという ようなニュースをですね、テレビで見まし て、ま、正直そん時は何が、ま、飛行機 事故かぐらいのことだったんですけども、 翌日のですね、朝のニュースを見たら何か すごい大勢の人が亡くなってると、それも なんか長野県最初私は長県の方だというに 聞いたんですけども、長野県の方で墜落し たみたいだというんで、ようやく大変な 事故が起きたということに気づかされまし た。 あれからもう40年です。私も1度はです ね、 この、え、お高山に登って手を合わせ なきゃいけないなということは思ってまし たけども、ま、ついつい仕事が忙しいとか ですね、え、なかなか、え、時間が取れ ないとかいうことで、え、ついつい40 年間経ってしまいましで、で、今年の8月 にはですね、40年ということで、え、 かなりテレビが、え、新聞で代々的に、え 、この 日光ジャンバ事件のことが報道されたもの ですから、私もようやと思い越しを上げて ですね、今日のこの 、え 慰例の旅という風になったわけです。 はい、ではですね、おかにある商痕機を後 にして下山していきたいという風に思い ます。 まさにこの日光 ジャンボはこのおかの骨の 真横に墜落したんですね。 ま、 人の話だとですね、ま、この辺は、まあ、 人のですね、体の一部が散乱して非常に 生産な現場だったということらしいです。 最初に出て入ってきた自衛隊やうん、消防 関係者それから警察の方 ま、そういう多くの方々の証言がいっぱい 残ってますけども、 ま、かなり生産な現場だったということは や 皆さん行く同にですね、語って いらっしゃいます。 まあ、こんなですね、事故は本当2度と 起こしてもらいたくないですよね。 でも今日、え、ま、今日は2025年、え 、9月21日の日曜日ですけども、ま、 たまたま 天気が良くなることと、そして、まあ、 長らく暑かったのが少し落ち着いてきたん で、思い切って今日このおカのオに登って きたわけですけども、ま、非常に良かった と思います。 ま、誰しもですね、1度はこのおかのに 登って、ま、証の日にですね、手を合わし てみるのもいいんじゃないかと思います。 まあでも今この 登ってくるにあたってですね、まあ40年 前はもちろん、え、登山道もなければ今の ような舗装された道路もないですから、え 、下の上の村からですね、ま、消防団や 警察、え、そういうあと自衛隊の方々です ね、皆さんうん。まあ、4時間以上かけて ここに登ってきたらしいんですね。今は もうう、すぐ近くまでトンネルと舗装され た道路があるんで、それを経由して登山口 まで来ると、そっから大体30分ぐらいで 、え、このおかの骨の証婚の日まで来る ことができます。でも当時の災害復旧に あたった関係者の方々にはですね、本当に 頭が下がる思いです。 何かこうよく私も、え、最近なって YouTubeを始めたせいか、 YouTubeとかSNSでですね、 いろんな情報を見るわけですけども、中に はですね、悪質な情報がいっぱい出てます 。この日光機事件についてもですね、なん か自衛隊がミサイルで打ち落としたんじゃ ないかとか自衛隊が最初に来てですね、 火炎放射機みたいなガスバーナーみたいな ものでですね、このうん、証拠隠滅のため にですね、こう 全部焼き切ったとかですね、まあ好き放題 、やりたい放題のことを言う人が増えて ます。 まあ、当時のいろんな日本航空のフライト 上の小さなミスとかですね、いろんなこと が重なってるんでしょうけども、 そういうことをですね、つなぎ合わせて これは何か自衛隊の仕業だというような ですね、まあ、嘘でをですね、言ってまた 喜んでる人が いるというのは実に悲しいですね。 ま、一度そういう人ほどですね、こういう ところに来て手を合わしてご遺族の方々を 含めてですね、え、 どういう思いでいらっしゃるのかという ことにですね、少し思いをせていただけれ ばですね、そんな 暴略論みたいな陰謀論みたいなことで、え 、騒いで楽しんで、またそれを商売してる ような人たちをですね、心をですね、少し 入れ替えてもらいたいという風に思います 。 今日は日曜日で、え、もう9月の21日 ですけども、やはり何人かは登ってお参り される方がいらっしゃいます。 ま、駐車場がですね、一応2つあるんです けども、下の駐車場がですね、頂上あの 登山口付近に2つあるんですけども、え、 下と上にあるんですが、下の方にはですね 、トイレも完備してます。で、ただ、ま、 下も上も合わせて駐車場どのぐらいですか ね?30台も止めるといっぱいですかね。 ですから、まあ8月はですね、ま、ご遺族 とか関係者が入れ登山されますので、私の ような部害者はですね、ま、そういう関係 者やご遺族が来るような時期はですね、 避けて、ま、9月、10月とかですね、 あるいは5月6月とかですね、別な時期を 選ば、選んでこないと、え、もう駐車場が 満になります。 今日も下の駐車場は開いてましたけども、 上の方はもう私が来た段階でほぼ満車状態 でした。 [音楽]

日光墜落事故から40年。慰霊の登山をする。群馬県上野村にある慰霊の園から御巣鷹の尾根登山口に向かい、そこから30分かけて昇魂の碑にお参りしました。自分の40年の人生を振り返る良い機会になりました。2025年9月21日日曜日。

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