2022年5月に北海道釧路市(旧阿寒町)の雄別に行ってきました。炭鉱全盛期には1万5千人の人口があった雄別も現在は無住地帯。炭鉱開発と共に鉄道が開通、街が形成されましたが、1970年に炭鉱は閉山。街から人々は去り、現在この地に住む人はいません。今回は雄別鉄道の終着駅であり、雄別地区の中心だった雄別炭山駅跡から炭鉱施設跡、通洞坑口を巡ります。
※投稿主は特殊な訓練を受けております。探索は危険を伴う場合もあり、お勧めいたしません。行かれる方は自己責任でお願いいたします。
動画で使用している過去の航空写真はこちらで閲覧できます。
国土地理院HP:https://www.gsi.go.jp/top.html
49 Comments
「安全生産」
そんなこと言ったって閉山時点で労働安全衛生法もない時代、戦後の労基法施行前は作業員がボコボコ死んでたんでしょうね。
ここの土のどれかは、その作業員の体だったりして。
こういう遺構は後世に伝えるのにいいと思う🤔炭鉱ってものがあったんだよって🤔
こう見ると赤平は1番最後に炭鉱が終わったところだけど比べ物にならないですね
この辺もすっかり自然に還りつつありますね。20年近く前、阿寒町を訪れた際に現地で保存されていた雄別C11はまだ健在かな。当時繋がれていた客車はボロボロになって解体されてしまったと聞きましたが。また訪れてみたい場所です。
(しかし私は主様のような特殊訓練を受けていないので原野に分け入るのは無理す)
いみじくも、諸行無常。
もう少し歳月が経ったら、仮称「産業遺跡」みたいなものに登録されそうですね。掘り返したり保存されたりはしなさそうですが…😅
こういった遺構も、何れは「遺跡」になるんですかねぇ…
これはまた凄い所に行きましたね。
廃線や廃駅もそうですが、こういった炭鉱の跡何か一つでも残して欲しいですね。
この地にも多くの人が暮らしてのが今では想像つきませんですが。
炭鉱の街として栄えていた炭鉱遺跡の多い雄別をユネスコの世界遺産に登録出来ないものだろうか?
ほむほむ…コメント欄を拝見すると、どうやらここは「心霊スポット」扱いのようですね…個人的には、歴史のある素晴らしい跡だと思うのですが…色褪せているところを見ると少し…怖い感じもしますね…流石に行くとなると1人だと心細いなぁ…お疲れ様です!
ひろりんさんへ
11月20日の23時台に、全編を通して拝見しました。冒頭にホームが遺り草木に囲まれた(上茶路駅を彷彿させる)雄別炭山駅の跡に通じる未舗装の道道入り口を撮られた写真にズームインさせるという動と雄別炭鉱を象徴する様々な遺構(煙突、ホッパー、購買の店、コンベアーを支えていたと思われるコンクリート製の脚〔Tの字を横に並べて繋いだかの様な形〕、通洞坑口、病院等)の写真を見せられていくという静のメリハリが今回も利いた構成で終始学べ楽しめて秀樹感激しました。雄別炭鉱の往時(1.5万人居住という街が在った)と閉山後の原野に還った状況を航空写真を活かし比較して見せて下さり私も理解が深まった感慨です。最後に、雄別炭鉱の跡が自然回帰傾向にある事を仏教の言葉たる諸行無常とあなたが喩え代弁されていたのが私にも堪え心で「合掌」と唱えた程でした。🤔😐😑
ひろりんさんも、心身共健康管理に注意し過ごされますようお祈りします。これからも、私達は期待していますよ。
❤💖💗💞😍😊🥰☺🙂😀🤗😻😸😺
釧路市街から30kmも内陸では産業が消滅したらあっという間に無人になるのは
本当に良く分かります。そもそも釧路市自体の寂れ具合が酷いですからねえ、特に
JR駅前は年々酷くなってますし。しかし、夏に行くとクマ注意なエリアですし緑の
地獄になりそうですので行くなら雪が消えた頃か初雪寸前くらいが良さそうですね
一度行ってみたいですが結構遠いんですよね…
真夜中に1人で3時間くらい見て回ってことがあります。もののけより熊の方が心配でした。😂
北海道の栄えた都市が廃墟になるなんてなんとも悲しいですよ。🥲
こんばんは😃52年前迄は産炭地として華やかな時代もあったんですよね。でも何時も残って欲しいですね
お疲れ様でした(*^^*)
旧雄別炭山地区の廃墟群は、地元釧路市博物館が力を入れて調査&保存に力を入れていて、博物館から雄別炭鉱と鉄道だけに特化した詳しい研究書籍も出版されていますので、興味のある方は必携かと。自分は過去4度ほど訪れていますが、ホーム跡は埋もれてわからないほどだったので、最近草木の刈り取りがされたのでしょうか?。旧炭鉱病院内部の壁に輩(ヤカラ)が書いた落書きも、人とお金をかけて消され、防犯カメラも設置。これにより心霊スポットから「炭鉱遺構」として変貌を遂げています。購買部の屋上はオシャレなビヤホールだったそう。
雄別鉄道は鉄道廃止時までSLが現役で走ってました。静態保存されていた蒸気機関車が今年東武鉄道で47年ぶりに復元され復活運転。3重連で走った動画が多くのYouTubeチャンネルでUpされてますね。
あのヤマグチ探検隊が最近行った同じく廃炭鉱にあったトンネル商店街もすごいものがありました。
今回は超絶おっふ!でしたな(泣)
ま、ひろりんさんは、あの程度では躊躇しませんけどねw
しかしスゲー!の一言に尽きますな。
あの廃病院に機械警備?
ま、感知したとて、警備員がわざわざ来るんか?
逆に見てみたいかもw
来るまで何時間要するんかな?
最近、北海道では🐻の被害が多いみたいやし、原野に入る際は、現地のホームセンターとか行って、護身用の刃物等を手に縛り付けてから入った方が良きかもね。
タヒんでまったら元も子もないし。
お気ぉつけ!<(`・ω・´)
最初の映像の近くに住んでました。
最初の映像の辺りは小さな講売があり、坂を登ると職員クラブがありました。
住んでいた家は基礎だけ残ってました。
基礎だけ残ったところは、コンクリートからところどころ鉄筋が十数cm生えたまま残されているので、歩く際は転ばない様に細心の注意が要りますね。もし転んだ先に鉄筋があって、あんなのが体に刺さったらと思うと…、
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
撤去された多くの建造物と撤去されずに放置された建造物との扱いの差は何だったんでしょうね。
撤去費用の多寡とか、用途廃止後の固定資産税評価の扱いの差とかがあるのかなぁ?
お! わしもつい数日前に釧路からバイクで約30年ぶりに行ってきましたよ~♪
クマ除けもなく気のみ気のまま出かけたので道端から眺めただけだったので
動画のアップはとてもうれしいです♪
ここに行く前に布伏内コミュニティセンターで
ここの歴史を見てから行くことをお勧めします(*´ω`)b
とてもかつて1万5千人の人が住んでいたところには思えませんね。浴場跡の湯舟の中から生えている木が、時間の経過を感じさせてくれます。
まず お疲れ様です 遠く僻地まで取材動画制作本当にご苦労様です
あったかい自宅で寒空の北海道が見れて幸せです
遠方の僻地までの調査、お疲れさまでした。
雄別は羽幌や昭和に比類する国の重要な遺産・遺構ですね。地元・釧路市が保存に注力されているのは正しい判断だと思います。
雄別は作家の渡辺淳一氏が若い頃に炭鉱病院に勤務されていたことを、何かしらの動画で知りました。往時はとても賑わっていたようです。いつか一度、現地に行って諸行無常の地を拝みたいと思います。
もし可能であれば…ですが、雄別鉄道についてひろりんさんの動画がアップされることを密かに期待していたりします。
免許取ったら先ず向かうのが夜の雄別
後悔しながら帰るのがお約束(笑)
20年ほど前にバイクで行ったことがありますが、自然に還っていく行く様は兵どもが夢の跡という言葉がマッチします。建物は危険品庫や貴重品庫のようなものが当時残ってましたが今はなくなってしまったかなぁ。
よかったです。これは心霊スポットではなく、遺産ですね。
雄別地区は行ったことがないんですよね~。近くの丹頂の里は,真冬になると必ず丹頂の撮影で訪れていて,雄別鉄道の廃線跡を利用したサイクリングロードは眺めているのですが…。
ここも,「つわものどもが夢の跡」ですね。
釧路市民です。いつも楽しく見てます。
心霊スポットとしてでは無く、産業遺産として取材してくれてるの嬉しいです。
まさか一人で撮影はしてないですよね🤔
Bardzo ciekawy film 😉 Co się mieściło w latach 70-tych w tym miejscu, jakaś kopalnia ? I dlaczego to zostało opuszczone?
凄いです👍よく足元の悪い地に踏み入れること出来ましたね⁉️旧雄別町が昔あったこと分からないですよね?これはなかなか行く勇気がないと無理だと思います。ひろりんさんの行動力が見事ですね⁉️何も知らない私ですけど、歴史として学ぶ事が出来るので面白いです☺️また動画楽しみです。💫
日本の炭鉱事業や林業などの国内産業が衰退した理由
エネルギー政策が石炭から石油に変わった事、日本国内で産出する石炭よりも海外で産出される安価な石炭に価格競争で負けたことにより、国産の石炭産業が衰退(林業も海外から日本へ輸入される安価な木材に価格競争で敗北、衰退の一途を辿る)
石炭産業衰退、炭鉱閉山、鉄道貨物輸送衰退、やがて鉄道廃止、人々は去って辺りは自然に還ると言うのは北海道の鉄道の典型的事例ですね。
今回も取材お疲れ様でした。
動画配信ありがとうございます。
こんな森林の中に昔は賑やかな街があったのか…信じられん…
ここで育ったうちの祖父にいろいろ聞いてみたいな
雄別っちゅうたら雄別鉄道が真っ先に浮かぶ
今、東武で走ってるアホな馬鹿げたナンバーつけられたあのC11や自社発注のC56も在籍してたけど
9040と8700っちゅう明治の古典機が遅くまで残ってたし
DD13やキハ21とキハ22のそっくりさんまで保有してたから閉山までなかなかの利益があったんやろな
本当にここに人口15000人の市街地があったのか?と疑問に思うくらい見事に原野に還っていますね…
炭鉱が閉山するとあっという間に街が消滅していくな、といつも思います。
「安全生産」の看板が何故復刻されたのか謎ですね。誰か分る人とかいますでしょうか?
復刻されたのは確か2005~2008年くらいのようです。
音楽と映像のセンスが素晴らしいですね!!
音楽はなんという音楽ですか?
いつもの探索お疲れ様です😆🎵🎵わが故郷の元炭坑の街もついに総世帯数が20軒を切り、消滅集落へまっしぐらです。街の中は熊や鹿が夜間に我が物顔で闊歩しているようです。春に山菜取りに行った時にこんなことがありました。川の中洲にブッとい蕗を見つけ夢中になっていると、何かの気配…..。顔を挙げるとそこには3頭の鹿が。5m位の至近距離。こちらの気配を伺いながら足音を発てないように、そろりそろりと川の上流へ消えていきました。何か馬鹿にされているような感覚❗以前はこんなことがなかった。でも熊さんじゃなくて良かった❗こうして段々野生動物の領分になっていくのですね。なんか寂しい気持ちになりました。
毎回毎回素晴らしい探索動画で楽しみにしています。
時代の流れとは言え先人の労苦が消え去った跡を見
ると胸が締め付けられる思いですよ。
「行きますけど」が最高に面白い!!ww
雄別炭山駅跡や、炭山施設跡も、自然に、帰ってる感じで、すご過ぎる、動画で、オッフー
最近寒くなってきましたね~。と、言いたいところですが、京成高砂駅構内脱線事故が起きました❗当該車両は京成3700形です。学校の授業が終わって家に帰ってニュースを見たら(は❓)と思いました。
紋別市鴻之舞鉱山跡地も同様の風景でございますね。
名曲「銀色の道」の舞台となった場所で、同地には歌碑もございます。
違うYouTuberさんが、雄別炭鉱の数年後を動画に撮ってます。
購買所や閉山後に住んでた方々を撮ってます。
確か、ハワイセンターってドライブインがあったみたいです。
ここにある、三菱石油の廃給油所(雄別給油所)だけを見に行った今年。草ボーボーで、正に夏草や兵どもが夢の跡だった。
懐かしい。
三十年程前に良く通ってました。
廃墟を巡るのが好きで1人でも何回か行きました。心霊スポットで有名でしたが、そんなおどおどしい感じはありませんでした。
病院内も今は管理されて入れないんですね。確かにかなり荒らされていて酷かった。現場を見て悲しい気持ちになったのを覚えてます。当時は離れの(隔離病棟ではないか?と言われてた)建物、屋上も行けました。螺旋スロープの立派な建物でしたね。
あの頃はまだ映画館や職員クラブも
残っていましたが、流石にもう何も残ってないんですね。
職員クラブの中に1970年のカレンダーや釧路市内の不動産物件のチラシとかありましたね。
動画上げて頂きありがとうございました。
私も30年前20年前になんで観に行ってなかったかな… 雄別に限らないけど、この手の廃墟もとい産業遺跡は当時は書籍や口コミくらいなので、それを知ったり調べてしてまでの行動は出来なかったですね。北海道ツーリングしてた時は、自然美と走ること話すことで満足仕切ってた感じで、ライハやキャンプ場でも、この手の産業遺産でこんな面白いところもあるよと話も出てなかったかなぁ🤔 この様な場所に目を向けなかったのは実にもったいないことでした。あの日に戻りたひ😿
川下にある布伏内コミュニティーセンターに、当時の生活の様子を多数の写真と共に展示してあります。住所氏名を登録して協力金を支払うとかなり立派な写真集を郵送していただけます。おすすめです。
10年以上前か、「安全生産」の看板はだいぶ朽ちていて一部は落ちていたはず。いつの間に綺麗に修繕したんでしょう?