遠流の郷に残った『大化改新』や『壬申の乱』の怨念

遠流の郷に残った『大化改新』や『壬申の乱』の怨念

土佐は古代から交通が不便で遠流の地であったが、奈良時代には貴重な木材や鉱物、海産物を産することが近畿の王朝に知られていた。飛鳥時代には、鴨部地区で原条里制が計画されていたと思われる?。北の鴻の森と南の烏帽子山、西の朝倉城(山)と東の高知城(高坂山)を結ぶ2本の直線は直角に交差している。

#壬申の乱#大化の改新#斉明天皇 猛暑で脳軟化症になり、半年以上更新できず、結果、判断力低下で、ついに古代史=誇大史という禁断と独善の分野に迷い込みました。オーマイゴッド!
……高知市内西部にあたる鴨部朝倉地区は、現在は、あまり目立たないエリアです。しかし、ずっと昔は、都左国造などによって開発された、後の土佐郡の中心地でした。初期条理制度などの痕跡もみられ、古代氏族の鴨族や秦氏が、支配下に置いていた毛人(委奴人)や銅鐸民族とともに、活動していました。
また、『記紀』によれば、大化の改新と壬申の乱という大動乱時代に斉明帝と孝徳帝という姉弟の倭国連邦皇帝がいましたが、その両帝の関連神社なども残されているようです。さらに、天智、弘文、天武天皇などに関わる地名や、神社仏閣も残されていそうです。???とギモン満載。暑さゆえ、無謀な難問に挑戦してみました。
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