【城を観る+】《八尾城(河内国)》2025 〜池田丹後守教正の居城!八尾城跡を観る〜

【城を観る+】《八尾城(河内国)》2025 〜池田丹後守教正の居城!八尾城跡を観る〜

《八尾城(河内国)》

[読み方]やおじょう(かわちのくに)

[撮影地]大阪府八尾市

[撮影日]2025/08/01

[撮影者]バイソン

[BGM]Dreamland(written by shimtone)

[YouTube]城を観る
https://youtube.com/@sirowomiru

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2 Comments

  1. 八尾城。大坂夏の陣で、若江・八尾の闘いがあるけど、若江城・八尾城を豊臣は利用したんだね、塀はなくても、堀・土塁くらいは残ってたんだろう。「矢尾城跡」と石碑にあるね。八尾城があったとは知らなかった、凄く勉強になった、大坂の陣の研究が進んだ。

  2. 南北朝時代から八尾の城は文献にぽつぽつ出てくる、城好きの自分も地元だから知ってるが古い山城はともかくその所在や戦国期に大きく手を加えられ再利用とかされてるのも多いですが平城等はやはり古地図等と照らして推測しないと何のこっちゃ分からない。大和川の流れとか大東当たりの大湿地沼とかで街道とか限定されてるわけで…当方南河内在住ですが官営古道に古墳が作られ幾つか城塞にされてますが、八尾や久宝寺や平野の場合も平野にポツンと寺内町が出来たわけではない、必ず河川湿地帯をうねうねとする街道で発展した訳です、大和川は流れを変更されてる訳で。藤井寺や松原の古墳利用の城塞砦は街道沿いです。楠正行が八尾や藤井寺で戦ったのも現在の大和川が有ればかなり厳しいものだと思います、恩智や長瀬。第二寝屋川とかある時代、付近の湿地帯とかイメージすると面白いと思います。東高野街道の西側はどれ程湖沼湿地帯と藪等になっていたのでしょうか。

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