【地理雑学】大垂水峠と小仏峠、談合坂ルートと南ルート、断崖絶壁など地形とルートの関係を探った!/甲州街道/国道20号/中部地方/山梨県/神奈川県
国道20号/甲州街道山岳部/地形と道編 はい、ドラレコ風景を次々に雑学解説する動画、 今回は国道20号・甲州街道山岳区間、 相模湖や上野原の地形の謎、 猿橋・大月で見られる謎の断崖絶壁、 そして甲府盆地が生まれた驚きのメカニズムまで、 地形を大テーマに、知るとちょっと面白い雑学を散りばめてご紹介します! 今回も地理調査に徹底的に時間を割いて、丁寧に仕上げています。 脚本詳しめ、音声はなつきでお送りいたします。 ではでは、国道20号山岳区間へGO! 今日のスタートは、関東平野の西の端、八王子。 高尾山ICから山梨方面へ向かってスタートです。 都心部を走り終え、いよいよ山岳部へ突入です! いわば武蔵の大地と甲州の台地を結ぶ階段です。 ここからの甲州街道も面白いです! 大月の断崖絶壁を越え、山の中腹を切り出す道路! 昔の人は、そして現在の人はどうやって道を通したのか、探っていきましょう! 大垂水峠です。 関東山地はまだまだ入口、序盤で、多摩丘陵から続く山塊を越えた場所、 多摩川水系から相模川水系へ移ります。 ちなみに、旧甲州街道の小仏峠は「南浅川(みなみあさかわ)」の谷筋に沿って登っていきますが、 国道20号の大垂水峠は「案内川(あんないがわ)」の谷筋に沿って登っていきます。 なぜルートが変わったのか。 その答えは、地形図を見れば一目瞭然です。 旧甲州街道が越えていた小仏峠ルートは、谷筋から一気に標高を上げていく道。 まっすぐではありますが、急激に登らなければならない難所でした。 人は登れますが、車だと厳しい… 一方で、現在の国道20号が通る大垂水峠ルートは違います。 地形に合わせてグネグネと曲がりながら、比較的ゆるやかな勾配で登っていく。 線形をある一定の範囲に収めながら、車でも無理なく越えていける道になっているのです。 もし小仏峠側に「車が登れる勾配の道」を造ろうと思ったら… いろは坂を超えるレベルの急カーブのつづら折りを連続させるしか方法がない! 崖の切り出しや補強、法面の整備など費用がかさむのが想像に難くありません。 おお、相模湖下の川が運んだ土砂の氾濫原、千木良(ちぎら)地域に入ってきました~ 車からは見えませんが、この大地の左側には大きな谷があり、 その谷を登っていくと相模ダムが水をためている相模湖です。 Googleアースを見ていると、地形の成り立ちが手に取るようにわかります。 昔、もっと流れが緩やかだったであろう相模川。 川の流れがゆっくりの時、じっくり上流からの土砂をためていたのが、 関東山地が隆起して流れが速く鋭くなり、せっかく溜めた氾濫原の土砂を、再び削っているのが、よくわかります。 河岸段丘の土地で、その段丘の上段に千木良地域があるんですね~ あ、あの赤い橋が中央道です。 小仏トンネルから出てきたばかりの場所です。 ということは…? ここの右から、旧甲州街道が合流してきます。 この谷が小仏峠から続く谷ってわけですね! ちなみに小仏峠、正月やお盆の高速渋滞の起こる中央道トンネル、小仏トンネルの上の峠です。 あ、ふたたび開けました~ そして… 右側に小原宿(おばらじゅく)本陣です。 甲州街道の宿場の一つです。 確かに甲州街道に戻りました~ そして、おお~! 結構広めの台地です! この台地は、新生代第四紀に溜まった堆積物です。 先ほどの千木良地区と同じ時代のものです。 相模川流域の河岸段丘、2段目辺りになるのかな? その後、隆起が起きて流れが速くなり、今は沈んでいる相模湖の大きな谷ができたわけですね! そして、おお~! 工事です!これは、相模湖周辺のグネグネ道をなるべくまっすぐにするために橋を架ける工事か!? と思ったら、これ、仮橋(かりばし)なんだそうです。 え!? 実はこれ、仮橋をかけて国道20号をショートカットさせ、 残りの部分を通行止めとして、中央道小仏トンネルの改良工事の資材置き場にするための工事なんだそうです。 え~!? ちなみに、仮橋も本橋(ほんばし)も、長期的な費用の面では結局同額な感じになることもあるそうですが、 緊急、短期使用であれば、仮橋のほうが有効的な場面も。 もしかしたら、国道20号の交通量と、橋の維持コストを天秤にかけた結果…という判断の可能性がありますね。 法面が凄いですね! 徐々に改良工事が行われているようです。 そして、旧甲州街道はこの上の段を通っています。 この上、集落が点在しているんですよ~ あ、そしてこの上の橋! あれが旧甲州街道なんですよ~ ってことは、ここは切り通した場所なのかな? そして、右から旧甲州街道です。 あ、右から陣馬(じんば)街道です。 昔は甲州裏街道とか甲州脇街道とか呼ばれていました。 車が走っていなかった頃の上下右左とグネグネしていた甲州街道を思えば… 陣馬街道ルートもありだったんでしょうね! てか、昔の人の関東から甲府…大変だったんですね… 急激に標高を上げていますね! あ、山梨県上野原市へ入りました~ 上野原ですね~ 本当に上の野原です! ここは、相模川…もとい山梨県から相模川は桂川と名前が変わります。 その桂川へ合流する川、鶴川が創った扇状地のようです。 その下流を桂川が削り、段丘状になっているんですね! あ、そして、旧甲州街道はここを右折です。 ここから、正面の御前山(ごぜんやま)南ルートが国道20号、北ルートが旧甲州街道です。 北ルート側は、関東地方へお住まいの方であれば渋滞情報で名前をよく聞く「談合坂」、中央道も並走します。 なんだか、先ほどの小仏ルートを思い出しますね。 もしや、地形か? と思いましたが、御前山北ルートも、南ルートも、造成の難易度は同じくらいかな…といった印象。 むしろ、今国道が走る国道20号側の方が、川の崖を切り出す分、若干費用がかさむかも。という印象です。 しかし、そちらの方向で検索をかけても、なにもヒットしません。 そこで注目したのが鉄道です。 JRも国道20号と同じく、御前山南ルートを走ります。 そこにある駅、四方津(しおつ)駅なんですが、そもそもはその上、 御前山にある大野(おおの)貯水池の資材運搬のために造られたそうです。 もしかしたら… 鉄道が走ることによって沿線が発展し、それに伴って旧甲州街道の新街道として明治時代ごろ整備されたのかもしれません。 そして、昭和の車社会の到来です。 明治時代に整備された新街道を整備しなおし、国道20号へと進化したのかもしれません。 もしご存じの方がいらっしゃれば、コメントで教えていただけると助かります! あ、この辺りが四方津(しおつ)の町です。 あっ!コモアしおつです! 前の陸橋が、あの有名な「団地へ上がる斜行エレベーター」がある、コモアブリッジです。 ユーチューバーさんたちがこすりまくっている施設です。 そして、こちらを右へ上がっていくと、大野貯水池です やっぱり、凄い法面です。 こちらへ国道20号を通したわけ、気になります。 お、そして、大月市へ入りましたね~ あ、この右でやっと旧甲州街道と合流です。 そして、大月市の氾濫原が川に沿って広がってきました。 いよいよ猿橋(さるはし)が近づいてきました。 そして、立派な屋敷がちょくちょく建っています。 江戸時代の問屋場(といやば)の面影が残る建物です。 現在、甲州街道の宿場を走っているんですね~ 上鳥沢宿(かみとりさわしゅく)という宿場町だそうです。 ここを右で猿橋です。 日本三奇橋(さんききょう)に数えられる、刎橋(はねばし)と呼ばれる方式で架けられた橋なんだそうです。 壁に穴をあけ、下から順番に「刎ね木(はねぎ)」を積み重ね、最終的に橋梁を渡す架け方なんだそうです。 おお~、右側、インパクトがある山ですね~ 岩殿山城(いわどのやまじょう)です。 武田家へ帰属する小山田(おやまだ)氏の居城で、東国屈指の堅固なお城だったそうです。 そして、あのへんな形… 溶岩由来です! 富士山ができる前の溶岩や火砕岩(かさいがん)で出来ています。 富士山以前の火山…どんな火山噴火だったんでしょうね~ 大月橋ですね~ 車載動画からは見えませんが、ここはインパクトがある川です。 川の東岸がほぼ垂直になっていて、しかも高い場所にあるんです。 AIで画像を生成してみました。ほぼこんな感じの地形です。 大月橋から見える法面は、古地図を確認しても、当時ももちろん崖らしき地図記号が描かれています。 河岸段丘なのは間違いなさそうですが… そもそも、河岸段丘で90度近い崖はできる? そもそも、河岸段丘のでき方ってどうでしたっけ? まず、谷の底に山から流れてきた土砂が溜まって氾濫原、土砂の平野ができます。 緩やかな流れで、土砂が溜まるわけです。 それが、地殻変動などで、氾濫原や氾濫原上流の水量が増したり、 流れ方が早くなったりして、氾濫原を再び深く削り、谷底が一段下がるわけです。 それを繰り返すことによって、河岸段丘ができていきます。 こう考えると、堆積した氾濫原のさらに下部は、硬い溶岩性の地盤である可能性もあります。 だとすれば、確かに90度の崖も可能です! 地質を調べてみると… 太古の昔、海底からはぎ取られた付加体ですが、確かに溶岩性の岩石のようです。 う~ん、古~い付加体だけど、溶岩性だから90度の崖… う~ん…と思っていたら、思いつくわけです。 あれ、猿橋の崖も90度だった? 調べていくと、実は富士山の溶岩が桂川の谷を埋めながら、猿橋の辺り、30㎞も先まで下っている事が分かったんです! 地質を確認すると、猿橋の北側は「デイサイト質火砕岩類」という地質で、 富士山より古い火山由来の地質。 南側が「玄武岩質溶岩」で、こちらが富士山由来の溶岩だそうです。 富士山由来の溶岩! 新鮮であたらしい溶岩です! 猿橋の南側、富士山の溶岩で埋まった新鮮な部分は削られず、北の古い付加体部分が浸食され削られていった! 富士山の溶岩は崖として残されたんです! だからあんな奇怪な地形が…! そして、そうです! 大月橋は、猿橋の上流です。 ここも富士山の溶岩流が流れた後が、地質図からも読み取れます。 なるほど! この一説は、大月や猿橋に垂直の崖がある理由として、説得力がありますね! あ、上の高架は高速道路? そうなんです。実はあれ、中央道なんです。 ただし今は「支線」という扱いになっています。 路線名はE68、富士吉田線。 けれど、もともとは「支線」ではなく、中央道の本線として造られていた道でした。 その計画は壮大です。 富士山の北をかすめ、天子(てんし)山地を越え、身延町を横断。 さらに身延山地と赤石山脈・南アルプスを貫通し、飯田市を抜けて名古屋へ…。 そう、本線としてすでに建設が始まっていたのです。 ところが、思わぬ展開が訪れます。 東名高速が最短ルートで名古屋へ直結してしまい、「中央道で最短ルートの必然性」が薄れてしまったのです。 そこで中央道は計画を変更。 甲府から諏訪へと大きく回り込み、伊那谷を通って各自治体を結びながら名古屋を目指すルートへと姿を変えました。 では、本線のはずだった富士吉田までの道はどうなったのか? 一旦「行き止まり」の支線として残され、その後「東富士五湖道路」となり、 さらに最近になって御殿場で新東名と接続。 ぐるっと回って有効活用されるに至ったわけです。 へ~! あ、上の高架は、JR中央本線です。 この先、少しだけ並走後、一足先に笹子トンネルをくぐっていきます。 全長は4670m、明治36年に開通し、昭和6年まで日本一長いトンネルだったんだそうです。 どんどん標高を上げていきますね~ ここらへんで標高は600m。 東京スカイツリーと同じくらいの高さです。 と言われると、なんともいえないもやもやした気分になるのはなぜなんでしょうね? 左で、笹子峠です。 旧甲州街道ですね~ そして、この新笹子隧道前で標高700m。 あ、工事が進んでいますね~ 令和8度中に完成予定というニュースが入っています。 1958年に隧道のほうが開通、60年以上経過しているわけですね。 どうりで狭いわけです。 ですが、開通当時は山梨の果物を東京方面へ運び出し、東京方面から観光客を呼び込む、とてつもない経済効果を生み出したといいます。 半世紀以上関東と甲州の交通の要所を担ってきたわけです。 お疲れさまでした~ 国道20号、とうとう甲州へ入りました~ トンネル出口は標高700m。入口と同じくらいです。 この道の駅の辺りに、新笹子トンネルが通じてくるみたいです。 笹子峠入口、こちらで旧甲州街道と合流します。 甲州街道も、甲州までやってきました~ 甲府盆地が見えてきました~ トンネルを抜け、旧甲州街道と合流してここまでの間、けっこうな山道を走ってきました。 明治時代の古地図と照らし合わせてみると、国道20号と旧甲州街道、大体同じルートをたどっています。 山肌を若干切り出した山道より、もう少し整備された道だったのではないかと想像できますね~ あ、ぶどう農園っぽい風格の建物です! 新笹子隧道が開通して、観光客が関東から押し寄せた昭和時代が想像できます。 その客が見込まれて… ぶどう栽培が盛んになったと記録が複数あります。 それが、勝沼へ広がっていったことも記録に残っています。 元は有料だった新笹子隧道。 交通量が多く、予定より早く無償化できたというのも、どれだけ新笹子隧道が待ち望まれていたのかがわかります。 あ、この柏尾(かしお)の交差点で、旧甲州街道とお別れです。 その先、旧甲州街道は国道411号と合流し、甲府中心部まで走っていったようです。 一旦甲州街道筋とはお別れで、国道20号は勝沼バイパスへ接続します。 農園が複数見えます! 1977年に開通したという、現在走っている勝沼バイパスですが、農園がこの沿線を覆っているようです。 おお、農園のあらしです! この甲州盆地…。 そもそも、この日本アルプスに囲まれた山の中に、一体どうやってできたのでしょう? 甲府盆地周辺の山々は、太古の昔、海底に溜まっていた付加体です。 これは海洋プレートが大陸プレートに沈み込むとき、はぎ取られて堆積した泥や土砂のかたまりです。 甲府盆地のみならず、日本列島の大部分は、この付加体が「隆起」してできているんですね。 やがて、伊豆半島の衝突などをきっかけに、激しい隆起と造山運動が始まり、日本アルプスの山々が誕生します。 一説には、フォッサマグナ、日本列島を真っ二つに割る大きな割れ目の運動によって、 甲府盆地の部分が一旦海へ沈み込み、 伊豆諸島の衝突によって再びまわりの山岳が隆起したというものもあります。 そして、隆起した山々、身延山地、赤石山脈、天子山地が天然のダムのように谷をせき止めました。 甲府の谷、ダムができたわけです。 最初は小さなダムでしたが… そこへ、八ヶ岳の山体崩壊等で流れ込んだ、大量の土砂。 ダムにせき止められ、土砂は溜まっていく。 溜まった土砂の重みで、ダムが深くなる。 そこへ再び土砂が溜まっていく。 その繰り返しの結果、甲府盆地は大きな盆地となっていったのです。 へ~! そのため、甲府盆地の一部は、湿地や沼地が広がっていた時期もあったと推測されます。 なるほど、この前国道52号走りましたが… やはり湿地があったとすると、笛吹川と釜無川が合流する地点、あそこらへんが怪しいですね! 甲府盆地は、複数の川が流れ込み、複合扇状地を形成しています。 「甲府盆地は水瓶」ともいわれますね。 地下に浸透した水は、じわじわと笛吹川や釜無川に合流していき、 やがて富士川(ふじかわ)の流れとなって海へ流れていきます。 そして扇状地のもう一つの特徴が、水はけがよすぎること。 作物はあまり育ちませんでした。 しかし、もし水を自在に供給できるようになれば? そう、水やりをコントロールし、水のやりすぎに弱い果物の木などが良く育つんです。 そして近代、甲府盆地はフルーツ王国へ進化したんですね~! おお、なんか風景が変わってきました! 市街地が広がってます! 笛吹川を渡ると、右手が笛吹市の中心部です。 市役所の先に旧甲州街道があり、そのさらに先にはJRが走っていて、石和温泉駅周辺が特に栄えています。 いま走っているのは郊外を回るバイパスですが……それでも街の大きさがしっかり伝わってきますね~。 山梨県は甲府盆地に人口の2/3が集中していて、全体では50万~60万人規模。 なんと宇都宮市に匹敵するほどの都市圏なんです。 山に囲まれた盆地の中に、これだけの人と街が集まっている――。 ちょっと不思議で、でもすごいなぁって思わされます。 おお、広い空き地です! ここ、秘宝館があった場所ですね? あの建物、解体されたんですね…ちょっと残念です。 この跡地にはカインズが出店する予定なんだとか。 にぎわいそうですね~ 疾風橋(はやてばし)? 面白い名前だと思って調べてみても、由来はわかりませんでした。 もしや、信玄の風林火山の「疾如風(はやきことかぜのごとく)」からかな…? 甲府市へ入りました! ではでは、そろそろ国道20号山岳編は終了です。 いかがでしたか? 調べていくと面白い発見ばかりで、ワクワクが止まりません。 溶岩流が桂川を埋めていた事は本当に驚きました。 と、次回予告の前に、もしも地元の方がいらっしゃったら、 「ここの渋滞はヤバイ!」とか「ここのグルメはうますぎる」なんてことを、ぜひコメントで教えてくださいね! こんな感じで、のんびり、ですがしっかり地理雑学お届けします。 次回も気になる方は、チャンネル登録しておくと、お勧めに表示されやすくなりますよ~ 次回は国道20号・フォッサマグナ編を走ります。 ○甲府盆地はどうできた?今現在わかっていることをまとめた! ○諏訪湖の出来方。フォッサマグナと関係していた! などなど、地形をガッツリ追います! 小さな地理雑学も、積み重ねると壮大な何かが見えてくる…! 気がします。 ではでは、動画のご視聴ありがとうございました。 なつきがお送りいたしました~。ばいば~い。
なぜ小仏ではなく大垂水峠ルート?なぜ談合坂ルートではなく四方津ルート?断崖絶壁の意外な生成方法!?などなど、地形を大テーマにルートの変遷を考察します!
〇相模湖や上野原の地形とルートの謎
〇猿橋・大月で見られる謎の断崖絶壁
〇甲府盆地が生まれた驚きのメカニズム
他、「交通・道路・路関連雑学」をテーマにテンポよく解説!
■■以下雑学、地理案内一覧
【道路地理】今日のルート、実はめちゃくちゃ面白い!0:41
【旧道】大垂水峠と小仏峠 明治時代にルートが変わった本当の理由とは?1:48
【地形】相模湖周辺の地形を見ていくと…?3:37
【交通】グネグネ道を直す橋かと思いきや…まさかの「仮橋」だった!?6:04
【交通】なぜ国道20号は、旧甲州街道・談合坂ルートを捨てたのか?9:53
【地形】大月橋から見える謎の絶壁 なぜこんなに垂直なのか?16:13
【交通】中央自動車道に眠る「昔のルート」が今も残っていた!19:23
【交通】新笹子トンネル、引退までの功績と知られざる役割22:43
【地形】甲府盆地はどうやってできた?驚きの地形メカニズム26:23
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10 Comments
こんばんは☺️
偶然にも今日大垂水峠を走って来ました😄
この動画の先の国母のあたりで割と渋滞します😅
読み間違いや言い間違い、変換ミス、表記の揺れなどにはできる限り注意を払っていますが、雑学や画像の情報量が多く、また更新の都合上、デバッグに十分な時間が取れない場合があります。
もし内容を他でご紹介いただく際は、ぜひご自身でもう一度ファクトチェック・ご確認いただけますと安心です。
また、万が一誤りや気づいた点などありましたら、コメント欄で私や皆様と共有していただけるととても助かります。
あと、足あとにコメントも大歓迎ですので、ぜひ残していってくださいね~
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一部、大月市と甲州市の表記に誤りがありました。正確な市境は『新笹子隧道』内となります。ご視聴の際はご注意ください!
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以下、参考リンク
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与瀬第一橋付近では、交差する国道20号を…
https://x.com/c_nexco_hachiko/status/1833400514773500313?lang=ja
新笹子トンネル改修事業の進め方
https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000752746.pdf
甲斐猿橋の地質学的立地条件
https://www.gsj.jp/publications/gcn/gcn12-7.html
桂川を流れ下った溶岩流と火山泥流
https://survey.co.jp/srvy/wp-content/uploads/2019/04/e5bf293a37d44a268c68a8f714132fa8.pdf
旧甲州街道の鶴川宿、野田尻宿、犬目宿は昔ながらの宿場の光景が隠れ観光スポットな感じで良いです。
犬目峠は歩くとキツいけど、談合坂SAはじめ山の上からの景色は最高です。
上野原と言ったら、やっぱり酒まんじゅうです。店によってオリジナルな餡がありますが、自分にとってインパクトがあったのは具が、ほぐした鮭になっている「魚まん」です。味は鮭むすびそのもので程よい塩味が癖になります。酒まんじゅうは2日目には固くなってしまいますが、出来立てでもパンよりはやや生地が硬めなので、かなり満腹感を得られる事が出来ます。
鳥沢駅の北に扇山という山があり、私は小学校高学年だった1983年頃登り、急登でキツかった思い出があります。その麓の御前山北ルート、鳥沢駅が標高315mなのに対し、犬目宿は500mほどあり、中央高速のようにトンネルで傾斜を軽減できない時代、鉄道と明治期改良の甲州街道は桂川沿いを選んだのでしょう。確たる資料は見つかりませんでしたが、1907年頃、猿橋と大月の間の駒橋宿に当時は東京都心部まで電力を供給し、今も山梨東部に供給する駒橋水力発電所 ( 15:28 辺り左手に水管、右の下に発電所と旧甲州街道)が建設されたことも当時の甲州街道には重要だったと思います。
因みに、中央高速の甲府盆地内(勝沼〜甲府昭和)は1982年開通ですが、それまでは高速を一旦降りて甲府バイパスを経由していたので、当時小学生でしたが、八ヶ岳方面にキャンプ等に行く場合は勝沼近辺のぶどう狩りが行程に入ってましたね。
今回も大変興味深い動画でした
古いデイサイトと新鮮な溶岩!
なるほど〜〜と納得しきりです。
地形地学はフィールドに出てナンボですね地形を観れば何故?ココに道や鉄道が引かれたのか?を雄弁に語ってくれる!そう思います。
話は変わりますが「秘宝館跡地」のカインズ関連の話を1つ。
DIY専門店は市街地には「エンチョー」や「カーマ」が有り郊外に「カインズ」や「ケーヨーD2」が有り更に農村に至ると「コメリ」が現れると云う地方の都市伝説???が有ります。
私は静岡県に住んでいますがDIY専門店の所在は、市街地→郊外→農村でお店の分布が違います。
「あっコメリだ、やっぱり田舎だねー」となります。
多くの道を走って来て観てそんな特定の店の分布のアルアルはありましたか?
下り線は勝沼辺りで一気に視界が開ける所好きです
昔よくドライブしてた頃を思い出す笑
現在も神奈川県側は東京都側よりも急勾配ですが、大垂水峠ルート開通時は神奈川県側は峠を越えると現在よりも更に急な坂で相模川左岸に降りていました。途中からは現在の神奈川県道515号で千木良の交差点で合流しています。
9:06 道路の形が元料金所っぽいけど、元有料バイパスだったのかな?
相模湖~大月もかなり過疎化を感じる
まだ中央本線、20号、中央道で交通は微妙レベルではあるはずですが