【廃墟巡り】浜松の佐久間湖畔にある鉄道でしか行けない廃村を見に行く #廃墟探索 #静岡 #街歩き #浜松
[音楽] はい、どうも天野と申します。浜松市の JR飯田線にやってまいりました。今日は ここから車ではたどり着けない配を見に 行きます。以前見に行った夏集落は通行 止めで電車を使う結果になっただけでした けど、今から見に行く場所は本当に鉄道で しか行けない秘怯です。村の大部分がダム 工事で水没し、道路は寸断され、住民が 全員出ていったのにとある特殊事情から ずっと駅が残されているという不思議な 場所があるんですよ。 ということでやってまいりました。飯田線 小田駅鉄道マニアの方なら知っているかも しれませんね。降りた先に配収落しかない この駅はかつて全国飛境駅ランキングの 3位に輝いたこともありました。駅名看板 の隣にある恋樹駅というのは1993年に ご結婚なされたま子様と現在のなる条陛下 にあかったものですね。当時ま子様の実家 と同じ字を には恋愛成樹を願う多くのカップルが訪れ 大変賑わっていたんですね。まあおわだけ と小田駅で読み方は違うんですけどね。 駅舎は非常に古い骨董のような建物です。 所々最新の現在で補修はされていますが、 基本設計は昔の構造のまま維持されてい ますね。 入口の上に掲げられた花嫁号という ヘッドマークはかつてこの駅で結婚式 を上げる企画が行われた際に使われたもの です。まあ詳しいことは後でじっくり話し ましょう。 ちなみにこの駅はトイレもなければ自販機 もなく1度降りると次の電車は1時間半 から3時間程度待たされるので訪れる際は ある程度準備と覚悟が必要です。という ことで、そろそろ駅の外に出てみましょう 。今時で入り口が引き度の駅って他にある んでしょうか?ほとんど絶滅器具種ですよ ね。 そしてこの扉の横のスーパーカブカモ ハンドルを装備しているので結構古い モデルですね。これは元々今から見に行く 集落内の廃行場の前に放置されていたもの らしいんですけど、雰囲気作りのために この場所に持ってこられたみたいです。 駅舎の崖側は崩れないように鉄骨で補強が されていますね。この駅が改良した当時 から変わらない地90年の建物ですから こうでもしないと危ないのでしょう。 配があるのはこの駅前の道を降りていった 先です。やはり飛境駅としての人気がある からか、割としっかり手入れがされてい ますね。 古びた建物が見えてきました。ここは元々 生茶向場拳住で茶畑を営む一家が暮らして いました。ただ昨魔ダムの建設で車道が 水没すると仕事がある季節だけ電車でここ に来て作業するようになり、やがてそれも 配慮してしまったと。そして先術の通り ま子様の一見でこの地が注目されるとこの 建物は一度即石の結婚式に回収されてい ます。まあ実際に式を上げたカップルは1 組しかなかったそうですが元茶向場で結婚 式の廃墟でもある建物というのはおそらく 他に例がないでしょう。 扉に東海の恐れと書かれていますね。実際 窓から覗いてみるとかなり放落が進んでい ます。 裏側に回ってみました。かなりいい感じに 口ていますね。2階の室内にパイプ椅子が 見えるのは即石の結婚式場を作った名残り でしょうか。 湖の方を見下ろすと木の根元に何か歯医者 のようなものが見えますね。ちょっと見に 行ってみましょうか。 これは第じゃないですか。この3輪車特有 の不思議なノーズなんか好きなんですよね 。工場の上の方にもありました。さっきの よりも原型をとめている個体が2台。正茶 向場が現役の頃はこの2台に茶を満載にし て走ったのでしょうね。こういう普通の車 が入れない山奥なぜか3輪車が放置されて いることが多いんですよね。オート3輪 ならギリギリ走れたなんて表現をたまに 見かけますがバランスが悪くてむしろ アクロに向かない気がするんですけどどう なんでしょう。 ちなみに先ほどから卑怯に似合わない エンジン音がしているのはこのサマで作業 をする船が稼働しているからですね。ダム の貯水量を維持するために固定の土砂を 救い出しているんです。昨魔ダムは今でも 国内トップクラスの発電量を誇っています から、そのメンテナンスも企画外瞬線の 集団は艦隊なんて呼ばれています。 さて、もう少し道を歩いてみましょう。実 はこの先にも何件か廃墟があるんですよね 。名にもなっている小技集落というのは 基本的にはダムに沈んでしまっているん ですけど、先ほどの工場を筆頭に一部沈ま なかった家があるんです。ということで それらを見に行きます。ちなみに今歩いて いるこの道は登山道で一応歩き続ければ隣 の集落に出ることも可能です。ただ頻繁に 崩れを起こして寸断しているので結局どこ へも行けないことが多いんですよね。小田 駅が卑怯駅だと言われるのはこのためです 。 さて、そろそろ1件目が見えてきましたね 。斜面の木の向こうに木造が立っています 。ちょっと登れそうな場所を探しましょう 。 [音楽] ここしかなさそうですね。不思議なことに あの家に向かう道がないんです。多分 時崩れで消えてしまったのでしょう。と いうことでこのガレバを登っていきます。 これは川でしょうか?床の下が不自然に 掘られています。昔は隣の沢とつげられて いたのでしょう。現在この沢は五が工事が されていますが、かつてはもっと広い流れ があったのではないでしょうか。古い民家 ではトイレを川の上に作って垂れ流してい たと言いますが、実際にこういうものを見 たのは初めてです。まあ、もうちょっと上 を目指しましょうか。 ここですね。手前に散らばる残骸は おそらく納具などを入れる倉庫でしょう。 かなり立派な日バチが落ちていますね。 これ高いと思うんですけどね。もったい ないです。 こっちが重やですね。これもだいぶ口てい ます。タンスが円側に出されているという のは最後に引っ越した時の名残りでしょう か。実は小田集落の水没していないエリア には2014年頃まで1世帯の老夫婦が 居住していたらしいんですよね。彼らが田 駅唯一の定期利用者だったと。ただこの口 具合だとその老夫婦が住んでいたのはここ ではないような気がしますね。 家の脇にはゴミがまとめられていました。 ブラウン感に古い水筒。古くて使えない ものは全部ここに置いていった感じですね 。 さて、もう1件あるか後を見に行き ましょう。多分そっちが最後の住民のもの だと思います。 ありましたね。ここがおそらく小田駅最後 の定期利用者が住んでいた家です。比較的 痛みが少ないように見えますね。 家に向かう通路の先は立ち入り禁止になっ ています。もしかすると住んでいないだけ でまだ管理はしているのかもしれません。 こういう周りに人がいない山の中に住む のってちょっと憧れますよね。不便も多い でしょうけど引居するならこういう場所が いいですね。まあ、ここの人はダムができ て周りから人が去ってしまっただけで自ら 望んでこの環境に身を置いたわけではない でしょうし、もしかすると水没エリアじゃ ないから保証がもらえず引っ越せなかった だけかもしれないので、そうだとしたら むしろかわいそうな話です。 [音楽] ちなみにこの道の先には塩沢集落という 場所があって、昔は車道が通じていなかっ たので、そこの住民たちもこの道を通って 小田駅を使っていたみたいです。ただ現在 その集落には新たな車道が開通し、ここが 使われることはほとんどなくなってしまっ たと。結果この山道は重要度が低い道路と 見なされるようになり、路盤が崩れても 修復が後回しにされがちなんですよね。も 行った先の橋が落ちていて通行不可能と なっています。まあ迂色があるようですが 非常に険しいようなのでこの先は橋が修復 された時に見に行くことにしましょう。と いうことでそろそろここの詳しい歴史を 話しましょう。古来よりこの地域は秋葉 街道における交通の要所として栄えてき ました。山を1つ超えた先にある水保と いう場所が宿ば町でこの集落はその北製側 の玄関口要は石書のような役割を果たして いたんですね。秋葉街道は内陸の土地で ある新州に塩を運ぶ道として知られ敵に死 を送るの元ネタになった場所でもあります 。武田神玄と敵退した今川市がこの道を 封鎖したところ敵であるはずの上杉剣身が 助け舟を出したと。まあ、これは施実では ないというか、実際には街道の封鎖など 実行されておらず、戦に必要な非常の製造 でこれまで以上に大量の使用必要とした 信源に対し、献身が超ぼった価格で死を 売り付けただけらしいので、本来は美では なく、取れる金次第で敵味方関係なく商売 をする上杉家の下高さを語るエピソードな んですけど、何ともあれ、こんな逸話が 生まれるほど秋葉街道は重要な道だった わけです。そして明治になって秋葉街道や 隣の稲街道をなぞるように不折されたのが 飯田線の全身となる三振鉄道。小田駅が できるとこの集落は木材輸送の中継地点と しても賑わうようになりました。というの も昔の輪料の現場では山で切った木材を そのまま川に投げ入れ水に運ばせて左流で 回収していたんですね。この集落の西側を 流れる天流側もこのような木材輸送に使わ れていたのですが、明治以降流に発電所が できたことでこれができなくなってしまい ます。結果ダムの手前で川から木材を 引き上げて鉄道に積みる必要が生じ、その 作業がこの集落で行われるようになったん です。ただ先術の通り戦後の1956年に なるとこれまでの発電所よりさらに大きい サ魔ダムが作られ集落の大部分は湖に沈ん でしまいました。残ったのは駅前の聖家 工場と数の民家だけ。そしてそれもやがて 廃墟か。こうして降りた先に廃墟しかない 不思議な駅が出来上がったんですね。と、 ここで終わればよくある普通の卑怯駅なの ですが、集落の大半がダムに沈んでから実 に37年が経過した1993年再びこの地 に光が当てられるようになります。動画の 冒頭で述べたご婚ブームですね。これまで 唯一の定期利用者である老夫婦のためだけ に細と残されていたこの駅は小田という 駅名にあかろうと訪れた数々のカップルに よりまた琢間に飯田線屈の利用者数を誇る ようになります。特に駅前での結婚式が 行われた日には出席者だけでなく見物客も 殺当し結果として1日1000人もの乗客 が押しかける事態となりました。おそらく 結婚式が1組しか行われなかったのはこの ためですね。こんな狭い駅2000人もの 人が訪れたらその誘導は困難を極めたこと でしょう。もちろんこのブームは一家製の もので過ぎ去ってからは再び寂しい駅に 戻ったのですが2000年代に入ると今度 はこうした周りに何もない駅を愛行する秘 マニアで賑わうようになります。特に牛山 高信というこの分野草的な人物がここを盛 に取り上げた影響が大きいでしょう。本来 ならこの駅は最後の定期利用者である老 夫婦が点出した段階で廃止されても おかしくなかったのですが非教駅マニアに よって1日平均7人から8人の利用者が 存在する状態となったため現在にまで残さ れているんですね。実際私も駅に戻ってき たら待ち合室に人が2人いたため大変驚き ました。私は基本的に撮影しやすいように 人が少ない平日を狙ってこうした場所へ 行くのですがそれでも人がいるのだから もしかしたら土日はもう少し賑やかなのか もしれません。本当に降りてもほぼどこに も行けない駅ですからね。そんな場所に 毎日利用者がいるというのはよく考えたら かなり不思議な光景です。さて、帰りの 電車がやってきましたね。ダイヤの少ない 昼間の時間帯だったからか、探索でかなり の距離を歩いたはずなのに、まだ少し待ち 時間が余っていました。駅の周りしか見 なかったら相当時間をモて余したと思い ます。この駅で降りる時は周囲の山道も 歩くつもりで来た方がいいですね。といっ たところでご視聴ありがとうございました 。チャンネル登録と高評価をよろしくお 願いします。Ja.
#廃墟 #静岡 #街歩き #浜松 #観光 #佐久間ダム #秘境駅 #廃墟探索 #廃墟巡り #廃村 #小和田駅
今回は浜松市天竜区に存在する秘境駅「JR飯田線小和田駅」とその周りの廃集落を見に行きます。
鉄道以外の手段でたどり着くことがほぼ不可能という、典型的な秘境駅である小和田駅。しかしかつては駅前に大きな村があって、木材輸送の中継地点としてにぎわっていました。
この村は佐久間ダムの建設によって水没。その際、駅につながる車道もすべて沈んでしまったため、現在は車でたどり着けない駅となっています。
【Mr.Amano’s channel】
静岡在住の原付ライダー。学生時代は東京で過ごしたため馴染みが深く、神奈川や東京をはじめとした関東方面へツーリングに行く事も多い。愛車はホンダのスーパーカブとタケオカ自動車のアビーキャロット。アビーは四輪車のくせに50ccというイカれた乗り物。
現在は諸事情あって失職中。せっかく暇ができたからこれまでのんびりやっていたYouTubeでの活動に力を入れてみたところ、熱川の廃棄動画が当たってまさかの収益化基準達成(現在審査中)。しかし次に繋げる方法がイマイチ分からなかった為、マーケティング業界で働く友人二人の助けを借りて試行錯誤中。
【廃墟探訪】
基礎体温の低さからくるスタミナ不足に悩まされていたので体力作の一環として山登りを始めた。しかしいつの間にか廃道歩きにシフトしていき、気付いたら廃墟を探す事が目的になっていた。
バイクや車で廃墟や廃道へ向かい、そこか見出せる自然と滅びの美学を発信し、視聴者の皆さんに非日常感をお届けできれば幸いです。たまに変な観光地とか変な地形の場所とかも配信するかもしれません。
【カメラ機材】
GoPro HERO9
GoPro HERO4
【編集ソフト】
ゆっくりムービーメーカー4
26 Comments
かなり有名ですが最近ここの動画を見ない為ありがとうございます!地崩れが多い方はスバルサンバーとダイハツミゼットがありますよ!
四輪で二輪が駆動輪よりも三輪で二輪が駆動輪の方が駆動輪の割合が多くなるので、悪路の走破性能は高いです。
「水窪」→「みさくぼ」ですね。
1:13 勝手に退位させて上皇にすると極右から狙われますぜ。
我が地元駅も木の引き戸です😂
1日の利用者一桁w
無人駅ながら手入れされたツツジが美しく行ってみたくなりました。
地元の紹介嬉しいです!コロナやインフルが流行っているのでお身体に気をつけて下さい!
駅が賑わっていた頃は自販機がありました。
ダイハツミゼットMP型は1959年に発売開始、佐久間ダムの竣工よりも後なんです。どのように運用されていたのか不思議です。
小和田の定期利用者の話は最後はおばあさんがおじいさんとの生活を思い出すのもあって週末だかだけ戻ってきてた…なんて話もありましたね
塩沢集落への道は頻繁に通行止めになります。現在、大嵐駅からの林道西山線は通行止めで水窪からの林道天竜川線も8月に通った時は50cm角の石が落ちていました。(排除しておきました)
林道が通行出来ない時は郵便配達などで小和田駅が使われるそうです。
なんと深い歴史が刻まれているのでしょう。
上杉謙信の塩を贈った話は美談になっていますが、実際はそう云うことなのですね。
秘境と言っても電車が通っているのが素晴らしい。
ミゼットを綺麗に磨いて駅のオブジェにするとミゼットも喜ぶと思うのですが。
佐久間ダムの発電は貴重ですね。電気を供給してくれてありがとうございます。
差し出がましくすみません、今上天皇 徳仁陛下ですかね。意味は分かるので、良いとは思いますが。殿下は男性の皇族の方の敬称で、天皇陛下のみ、陛下の敬称が使われていた気がします。ごめんなさい、動画の趣旨とは違うんですが。小和田駅、駅自体が取り上げられますが、周辺のそれも廃集落が取り上げられる事は少ないので、面白かったです。ご本人を存じ上げませんし、特別なつてがある訳ではありませんが、上皇様、天皇陛下とも人格者で、寛容な方なので、怒られるなんて事は無いので大丈夫だと思いますが、勝手に解釈するなと怒る人もいるのかな…。でも、皇后様との御成婚の話し、小和田駅が出ると必ず言われる話しですね。その伝説が語られ続ける限り、ある意味小和田駅は不滅なのかもしれませんね。(笑)動画、面白かったです。
菊咲一花さんの動画で存じてましたが…当時は廃茶工場のみの探索でしたが、今回の動画により廃集落があるのを知りうれしいです
昔は垂れ流しは事実なんですね。そのため魚のエサになる虫が大量にわき魚が豊漁とか…
今の川には魚がいないとか聞きましたね。
川がきれいなのはいいですね。
以前は塩沢集落など周辺からお茶の葉を工場に集めていた小和田駅。
ここは、定期的にボランティアで清掃と整備をしているユーチューバーがおられます。
仰るように、ちょっと下の方の家に夫婦が住んでおられました。対岸からロープ塔みたいなのでガスボンベなど物資を仕入れていました。
水没によって、ここに居を構えたと聞いた覚えがあります。アマノ氏の視点がいつもとても詳細で興味深いです。ありがとう!です 🤗
なぜかわからないけど、エジプトのツカンカーメンが脳裏に横切った。
定期的に人が来ているせいか、無人駅なのに綺麗な所ですね
古いまま残された駅舎もいいですね、とても好みです
ミゼットの顔がカエルみたいでかわいいですね^^
火鉢がやたらキラキラ光って宝石みたいでした^^
昔は交換設備もあって、もっと賑わってた駅だったんでしょうね。
動画の内容と関係なくて申し訳ないのですが、5:37あたりから流れる曲の詳細を教えていただけないでしょうか…
以前から好きだけど知らないから聴きに行けないんです…
駅前のバイク、メーターが100km/hまでありますね…
本当にそこまで出るのか、もしくは相当なハッピーメーターなのでしょうか(笑)
「崩壊注意」で思い出したのですが、私も近所の尋常小学校跡を見に行った際、ものすごい音を立てて崩壊したことがあるので、廃墟探訪の際はお気を付けください。
本当に前触れなんかありませんでしたから…
昭和50年代に流線形52形などゲタ電を撮影しにいって小和田駅では入場券を買いました。
EF10牽引の貨物列車と交換したり、当時は結構賑やかでした。
今回はとても楽しく拝見しました。 私の大好きな秘境レポートでも、他とは一線を画す視点あり。駅や駅から続く道がきれいな状態で維持されているのに感動しました。林業が衰退していったのにはダム建設等で今までの作業より費用や手間がかかるようになったのも一因あるかも知れないなと思うことでした。
「引き戸の駅」
秘境駅で有名な宗谷本線糠南駅は、駅舎がヨド物置です。当然引き戸です。
駅の周りは牧草地と踏切だけです。車道を3キロ歩けば隣駅で学校、警察、商店、宿もある集落、問寒別ですので、お気軽においでください。12月には糠南クリスマスパーティが開催されます。
かなり荒らされてますね。
以前は最後の住民の家の近くにバイクがありましたが崖下に落とされました。
道に並んでるカブも別の場所にありました。
そのまま行って頑張れば大嵐駅のほうまで行けますよ。
反対の通行止めの先は吊り橋がありましたが床板がすべて無くなっていたし直す意味がないので道もそのままになると思います。
動画のネタにされるのは仕方ないけど荒らすような輩も増えるのが問題ですね。
水窪は「みずくぼ」でなく「みさくぼ」ですね。
読めなくて水窪出身の友人に怒られたことがあります。
面白く拝見しました、やはりここはなんでか浮世離れした雰囲気が好きなんですよね
鉄道的視点でここを廃止しない理由としては、ぶっちゃけ廃止する方が経費掛かるから、なんですよね
有名な秘境駅で北海道の張碓駅って場所があったんですが、目の前の元海水浴場だった海岸に行く為に線路渡る際に事故が多発したので廃止しましたが
駅舎解体する重機入れる為に元々あった人が通れる程度の道を拡張したり等かなり経費掛かったようです
それでも近くに車道通ってる分まだ小和田駅より難易度低いケースでしょう
大体こういう駅って固定資産税も免除かほぼ掛かってないし棒線化してるから維持費も最小限
既に観光地化してるからその分の維持費くらいは良いかな〜って感じですかね
お疲れさまでした。しかも飯田線ではたまにしか来ないし(笑) この辺りは秋葉道もともと秋葉山信仰の行者街道ですね。
ここらは江戸時代の家では無さそうですね。中野学校で有名なみさ窪には夏焼って村もYouTubeで紹介されてます。
身延山周辺には似た名前の夏秋というごく小さな山頂の村が富士川沿いにありましてね30年程前ですがカヤ葺き残っていて
おばあちゃん達が何人かいて昔話を聞くことができました。軽がギリギリの危ない崖道で今はもうきっと無住の村かもです。
隣の差越という部落に金山の遺構を調べに行ったついでに寄りました。道がアウトで遺構は見つからなかったです。
今回も、この駅について色々教えていただけ勉強になりました。
ここは私でも知ってるくらい、かなり有名なスポットになってしまったので荒らされないことを祈っています。
確かに戦国時代の美談の殆どは後世の創作です。
隙あらば●して根絶やしにしてナンボの時代に、こんなことがあるはずはありませんよね。