懐かしい町並  富士川町青柳  山梨県

懐かしい町並  富士川町青柳  山梨県

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青柳は甲府盆地南部、釜無川下流右岸に位置する。近世には鰍沢・黒沢と共に富士川水運の三河岸の一つで青柳河岸と呼ばれていた。
江戸はじめは幕府領、のち甲府藩領、享保9年(1724)からは幕府領(はじめ上飯田代官所、寛政6年(1794)から市川代官所)で明治を向かえる。
慶長年間(1596~1615)に富士川舟運が始まり青柳河岸が設けられた。同河岸から積み出す(川下げ)年貢米は市川代官所管内のものであった。同河岸に入るのは西河内領諸村の舟で、その総数は宝永2年(1705)84、宝暦年間(1751~64)75、文化11年(1814)40、万延元年(1860)28、明治6年77で、この内青柳村の所有する舟は25%程であった。
この年貢米の廻送の代償として雑穀などの商用物資も運び、帰路には塩や海産物などを川上げした。そして物産の流通が盛んになるにつれて商店が軒を連ねるようになり、塩・茶・海産物・木綿・呉服などが商いされ、酒造や味噌・醤油などの製造も盛んに行われた。。
家数・人数は享保18年(1733)218・908・馬40、文化初年(1804~18)277・1,412、嘉永4年(1851)295・1,590とある。
今、古い町並みは駿信往還(駿河・信州)の甲府へ道と信州への道の分かれ目辺りに展開している。漆喰塗込めの土蔵造りの民家が点在する。ナマコ壁を多用した民家や土蔵も多くあり、なかなかの景観を造り出している。

古い町並を歩く  長年の私のホームページです。
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音楽:中北音楽研究所

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