徳島県 小松島市 立江寺(たつえじ)

徳島県 小松島市 立江寺(たつえじ)

恩山寺より車を走らせ、30分弱で立江寺へ。とても立派な本堂でお遍路さんグループでにぎわっておりました。行基菩薩が伽藍建立の地を卜(ぼく)するにあたり、一羽の自鷺が飛んできまして九ツ橋(現在の自鷺橋)の上に止まり、仏天の暗示として霊城を示したと伝えられています。
以来この橋に白鷺が止まっているときに橋を渡ると、仏罰を受けるといわれているらしいです。
焼失した巨大な伽藍はぜひ見てみたかったです。。

Wikipedia抜粋
ご本尊:延命地蔵菩薩
四国八十八箇所第19番札所
「四国の総関所」、また「阿波の関所」として知られる。

聖武天皇の勅願寺として、行基が光明皇后の安産を祈願し一寸八分 (5.5 cm) の金の子安の地蔵菩薩を刻み「延命地蔵菩薩」と名付けて本尊として開基したとされる。空海(弘法大師)が訪れた際、小さい本尊は失われる恐れがあるとして、一刀三礼して等身大の地蔵菩薩を刻み、本尊を胎内に収めたといい、このときに寺名が立江寺と改められたと伝えられている。当時は現在地から400 mほど西の奥谷山清水寺のある場所であったという。

天正年間(1573年 – 1593年)に長宗我部元親の兵火により全焼したが、幸い本尊は難を逃れた。その後徳島藩藩祖蜂須賀家政によって現在の地で復興された。1974年(昭和49年)に火災が発生、本堂が焼けたが本尊は無事で1977年(昭和52年)に再建された。

黒髪堂(立江寺HP)
黒髪お京肉付き鐘の緒伝説
石州浜田(現在の島根県浜田市)城下通町3丁目桜井屋銀兵衛にお京という娘あり、16歳の時大阪新町へ芸妓に売られ勤めるうち、要助という者と契りそめ、22歳の時大阪を脱走し生国浜田へ立ち帰り親に頼みて要助と夫婦になりしが、お京心様最も悪しく馴れるにつれ我儘増長し、鍛冶屋長蔵という密夫をつくり、之れを夫要助に嗅ぎ付けられ、二人とも散々に打ち擲されければ、邪見のお京は長蔵を手引きして、夫要助を打ち殺し、讃岐丸亀(現在の香川県丸亀市)へ渡り自害せんとするも気おくれし、後生のため四国巡拝をなさんものと当山まで来たり。地蔵尊を伏し拝まんとするや忽ちお京の黒髪逆立ち鐘の緒に巻きあげられ苦痛の体に長蔵狼狽し、院主へ救いを請いければ、院主は罪の次第を問いただし、お京懺悔すれば、不思議にも、お京の黒髪もろともに肉はぎて鐘の緒に残り辛じて命はたすかりける。
生国にて自害の時おくれ、当山まで来りて大罪をこうむるは天の然らしむところと両人改悛の心を起し発心出家して、当村田中山(当山より北へ500メートル・現在のお京塚)というところに庵をむすび一心に地蔵尊を念じ生涯を終われり、肉付鐘の緒を当山の堂に納め置くは享和3年(西暦1803年)の春のことなり。

立江寺HP
https://www.tatsueji.com/
四国八十八カ所霊場會HP
https://88shikokuhenro.jp/19tatsueji/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E6%B1%9F%E5%AF%BA_(%E5%B0%8F%E6%9D%BE%E5%B3%B6%E5%B8%82)
とくしま御朱印ナビ
https://tokushimagoshuin.com/tokushima-tatsueji-goshuin

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