過去と向き合い未来を耕すー大熊町に根を下ろすこと #FBIKEJournal
私福島県福島市の出身なんですねで あの日というのは実は私は福島にいなかっ たこのことを12年間13年間 なんかこう 後ろめたさみたいなものをずっと感じてき まして私なんかがと言ったらあれかもしれ ないですけど私なんかが福島のことについ てしかもアナウンサーという立場肩書きが あったのでその立場から何か語る話すこと で誰かを傷つけてしまうじゃないかという 風にずと 葛藤をしてきたそんな思いともしかしたら 重ね合わせていうところがあってメディア を通して発信されるその方の姿と 今日お2人が実際どんな風に思っているの かなっていうところをもしかしたら何か 確かめたいみたいな おはようございます今日よろしくお願いし ますよろしくお願いします 今日お時間ありがとう あすいませんありがとうございました あってそうそうすいません ありがとうございよろしくってください で上前でも行きます 全部で1.7hがありますで あえどこからどこまでがエミリーさんの上になるんですか あドルからはい向こうまで へえうんで下から上ま [音楽] [音楽] は [音楽] [音楽] ます [音楽] [音楽] 去年の3月から業始まりました でここはすごいゴミゴミだらけだったんです洗濯機とか 多分みんなゴミしてて うんだから仲間と片付けて あここですかはい ゴミっていうのは何のゴミが まそういうタイヤーもありましたタイヤとか洗濯機うん なんかパイプの硬いプラとか ええ全然知らないものも結構出てたんです それは災害があってから何か出てきたものなのか元々昔からあったものなの いや元々なかったらしいです あそうかで多分誰かまを捨てたんです うんへえ えここはこれの上まではよだらけだったんです へえだから大の仲間は 3回か4 回ぐらいトラクターで唸ってくれて うんまだたまに出てるから取ってるけど ええもうだいぶ落ち着いてるんです あそうですか落ち着いてるっていうのは よしはまあ少なくなったんです でミ水は少しだけでも戻ってきた ああそうですかそうかミ水がいないってなかなかやっぱり うんきついです うん農業やるには うんとかイコロジック農業やる場合はうん 私は肥料と上素材使わないんです だからま全て飲むが必要ですそのバランス取るために そうか このお花はあのInstagram に乗ってたろんな写真 ああコスモスそう コスモスはうん まあそこでもまだちょっとだけ咲いてますこれはちょっとキックここにもあります どれですか これはまだ咲いてないんです菊くです あ菊くこれも咲いてますああ [音楽] [音楽] [音楽] 最初ここに来た時ってどういう景色だった んですか何もなかったんです も何もなくてどそう本当に土だけでじゃあどこから始まればいいってちょっと思ってたんです [音楽] うんだから最初はりんゴの 1 本植えてそこからローズマリとかそこから始まりました [音楽] [音楽] うん本当に1歩ずつ1歩ずつ そこから色々上始めて で奥の方から声があってもしよければ使わ ない材料あの木材処分するよりもしよけれ ば使っていただけないでしょうかって言わ れてま使いますここからま木材こういう 木材で形作って でここはようやく 形になりましたでどんどん ああブドの棚作りたいよって一緒に作って くれてでその後藤棚も作りたいよって どんどんまアイデアも出てきてでこの 富士棚は4人で作ったんです [音楽] [音楽] よく言われてるのはエミリは頑張ってるから応援したくなるって言われたことがありますそうか その方たちのことをどんな風に感じてらっしゃいます [音楽] まやっぱり感謝しています [音楽] メリ選手はラインファの会はように停しです [音楽] 大選手はもらってきてねとされていましたありがとうございますランチが入りました マスター にとってエミリーさんはどんな いや見てくれ 女ってうん いいこと言ってくださいみだねってから来て うん一生懸命 頑張ってやるとホ応援しないのあるからあり あそうですか 応援し街があ へえ初めて聞いたよ いや聞いたよ簡単に言わないの どういうところ見てあ一生懸命だなと思われるんですか は畑やってさから来たほら日本やっ 日本人だってこの畑やんないのにさ一生懸命なんだよ うん 本当ねすごい2mぐらい 多げてるってところも全部色々取ってうん ねな んで恥かしいの?自信持っていいんだよ それはんですか?やっぱ嬉しいって気持ちなんですか そうだねうん ねへえありがとう [音楽] お客さんとしてはどうですか いやいいと思いますいいどういうところが どういうところがうんまね若いしね なんかいいからいいんじゃない?日本語もできるようですね ここはね賑わってるからお昼はここは なかなかいいんじゃないですかああそうね ええ どういう気持ちでやっぱり応援したいな支えたいなと うん あの個人的にもすごく農業っていうのはこの地域にとって大事だなっていうのがあったので農業をしたいって言って来てくれたエミリーのことはもうみんなで全力で応援しなきゃいけないなって最初からね思ってたよね なんか別にその農業やりたいってなった時に なんか別に何もなくてもいいんだっていう感覚はなんかもらいましたけどねなんか普通だったらばこう農業機会いっぱい持ってなきゃいけないとか うん あの補助金どうやって使っていくかとか色々あるでしょうけどエミリーはなんかとにかくやるんだつって勢いでやり始めてなんか周りの人巻き込んで色々やってるからなんかまやりたいと思ったらやっちゃえばいいんだなっていうそういう勢いはもらえますけど うん うんうんなんかエミリーとさ色々こういつ もさ一緒にいてもこうまいろんな人こに来 てますけどなんかずっとくれるんだろう なっていう安心感がやっぱうんからね ずっとこう一緒に色々やってけるんだろう なっていうだから仲間はすごいあるうん 中途半端に関わんないっていうかね ま私は思い日畑に来てでま1回しか 来ない人はあさボしかないって思うかも しれないけどね1年間半私の背中を見て 一緒に仕事して どのぐらい変わったって理解できるんじゃ ねえかなで一緒に色々作ったんですうん 頑張ってる私だけじゃないから もうここから離れられないんですねとか 離れたくないんです でも毎日景色見て少しずつ苗が伸びて うん5年とか10年15 年後すごい楽しみにしてます本当です今そういう景色は今しか見れないんです 1ヶ月後またかなり変わってくる ま畑は食い眠ってる で来年またもっと伸びるから今しか見えない景色は毎日見てるんですうんそれも好きです しし ここ こから教室っぽいですよ学校っぽいですすごくこんな感じです あ本当だ いわゆる廊下ですよね うんこの101の教室からあっち側 106の教室までが事務所のゾーンになる へえ よいし すごいセキュリティがしっかりしてますね そうなんです [音楽] ちょっと1度に皆さん入っていただいて はいへえこんな感じですあ本当だ こんな感じでパソコンデスクがあったり 打ち合わせができるところがあったり ロッカーがあったりっていうのは オフィスっぽくなってると思うんですけど ここ教室の前方部分を使ってるので見て いただくと放送のあのスピーカーがあっ たりとか時計がかかってた跡があったりと か黒板を潰してたりとかであと床も元々の 教室の時のものを使っているのは分かると 思います 全然全然はいどういう繋がりになるんです そうですねえっと私が元々移住前からあの大学生とか若者をま奥町に連れてくるっていう仕事を補助金の仕事でやらせていただいてたのがそもそもの大町の出会いだったんですよで移住前 2 年間そのえっと企画立案プロジェクトっていう形でプロジェクトをやってたんですけどその [音楽] 3年目のうん 参加者がえっと関君でであの彼自身もその時の参加所と一緒にチームを組んで奥町でのイベントとかを企画してくれて彼も地域での繋がりを作るのが上手なので色々知り合いも増えていって僕うく面白いっていうことであのここで働いかないかっていう風にあの別のスタッフから声かけをして気づいたら旧学して働いてくれてるか はいしてましためちゃくちゃ姿勢よく あそうすか えそれは当時だからな何歳っていうかどういう状況だ 大学1 年生の時でそもそも私出身は東京都ででずっと高校まで東京だったんですけど大学進学の時にその地域地方とか地域活性みたいな興味を持ってたら一方で教育学部もこう行きたいなとかのがあってそれで探した時にその長野にある新州大学っていうのが全ての自分の学びたいことを叶えてくれるてのでえ進学したんですけどこ 1年生の時にとったパン京の授業一般の 授業の時にま大学の先生に夏休みのうちは いろんな地域にいた方がいいぞっていう ことを言われたのでたまたま Instagramの広告であの八取り プロジェクト大くマ8プロジェクトって いうさんがやってらっしゃった プロジェクト見つけて参加したっていうの が始まりですでも大自体私2017年中学 2年生の時に1人旅でまだあのバリケード だらけだったあの全域が期間混乱区だった 時にもちょっと通るはいてその時の記憶も 蘇み返ってきてんこれは運命を感じるなと 思って8に参加してみたらもうドンピシャ に楽しかったっていうところではいを 決めちゃましたはい 時期で色々活動させてもらう中でいろんな 大学生の人とかまそれこそ高校生の方々と かにも会いますけどまどの地域がその子の 今のフェーズになってるかっていうのは 私たちも分かり分からないところも やっぱりあるので人によってまあ今じゃ ないなっていう子もいたりあのやる気を 持ってきたけどちょっとその地域がなくて 離脱するっていう子もいる中でのあのそれ 自体はしょうがないと思いつつあの いろんな人が町に出会ってもらって会う子 が環境を続けてくれたらいいなっていう 気持ちでやっているのでま関君みたいに ドンピシャでねまって あのもう1年学校休んできますみたいなの はやっぱりあ出会いをま作れてよかったな と思いますしあのそのチャンスを本人が 掴むていうこともすごい重要だと思います のであのやっぱりこういう子がいるとやり ではなりますやきてよかったなっていう 気持ちはい [音楽] ここが交流スペースっていうお部屋になり ますでここはねあの一般の人でも9時から 5時まであと土曜日の午前中は自由に あそこで受付をして入ってこられる場所に なってます で元々大野小学校だった時はこの角度なんですけど 図書館図書室ですね であの奥の方窓の形とかありがとうござ 天井の形とか あの同じなのがお分かりいただけるかなと思います小学校時代に使ってたものを 本当だ気惑の窓 そうですそうです同じですね そうなんですでよく見ると実は床も震災前に図書室の床として使われていたものをそのまま綺麗にして使っていますちょっと歴史を感じてもらえるのがこんな辺か これ本がこうやって地震の揺れで落ちてで 3日間くらいだと思ってた避難がま11年 になったわけなんですけどその間ずっと床 に本が落ちたままなので本の形をしてる ところは日焼けしったところでも日が 当たってるそれ以外のところはま日焼けし てるっていうあの少しずつまこれも今全面 に日光が当たるようになったので薄れて いってはいるんですけどあの当時の歴 みたいなものがま刻まれている形で基本的にま OIC はなんだろうなうん昔使ってたものとか小学校時代に子供たちが使っていたようなものをまなるべく残す方向でそのままのあの見た目を残しながら使えるようにアレンジしてるっていうのが 特徴ですね過去と未来がま融合してるような作りになってます それはすなわちその過去 うん また未来ていうものをどういうものとして位置づけてるかこそなんですよね そうですねあのここのインキュベーションセンターも あの正直小学校の外観を見るだけで辛いからやっぱり取り壊して欲しいっていう声もあったと聞いてます 私はその時はあのいなかったですけどでも 同時に街を見ていただいたら分かるように まほとんどの建物が今取り壊しをされてい て後方もなくま残ってしまう残らずにあの 消えていってしまってるっていうのがあっ てそのうんもう手で触れることもでき なければ目で見ることもできない記憶の中 にしか残らないものが多い中で大町があっ いうことだったりまそこのに人の暮らしが あったっていうことをやっぱりつげていき たいっていう思いもあって小学校の校舎は 残そうというあの判断になったようですね それがあった上でのあの何に使うかって いうのは次ででインキュベーション センターじゃないかっていうあのことだっ たのであのどちらも大切にするというかま 未来のために雇用を生み出していかなきゃ いけないし原発に変わるまエネルギーの 使い方であったり作り方っていうのを考え ていかなきゃいけないけれどもそれはま 新しく元々住んでた人たちにとって知ら ないことが知らない場所で行われてると いう形ではなくて繋いでやっていくという ことをま選んだという風に私は理解して いるのでそれが校舎にもま現れてるんじゃ ないかなと思いますねうん 街づりの仕事をしているんですが自分の 根本にあるのは教育なんですねでどういう ことかっていうのをお話しするとうんと 私自身はその うん大学生になる直前くらいまで結構家庭 で問題を抱えていてあんまり家族と仲が 良くなかったりとかあの結構厳しい家庭に 育てられたっていうのもあったのであの すごく自己肯定感が低かったんですねで そんな自分の自信のなさとか自信のなさ から来るま人にとうまくやっていけない 気持ちとかま大学もやめているのでま人と うまく折り合うことができない やりたいと思って始めたことだったけど 大学に行くのがま苦しくなってしまって 行けなくなってしまった苦しいみたいな時 に活動してたのがあの岩手県だったわけな んですよであの自分の本当にこう1番多な 時期に毎休み岩手県に行くみたいな生活が あってそこで次の世代の子供たちに震災を 減っても楽しんでもらえる夏休みを届ける こととかあの今の自分の生活にまその 楽しみを見つけてもらうみたいなことをま 精一杯やってるボランティア団体だったの でそこの姿勢をもう先輩たちから教教えて もらいましたしやっぱり子供たちのために と思って一生懸命やっていると 自分自身の自己認識も少しずつ歪みが強制 されていくような感覚がありました誰かの ために一生懸命頑張ることはすごく心地の いいことだし例え自分がちっぽけだと思っ てても何にもできないことが何にもでき ないわけじゃなくてあの頑張ったら人の役 に立てることもあるとかあとは周りから見 たら自分の悩みがこうちっぽけで子供たち が笑笑い飛ばしてくれることもあるとか なんかすごいそういう人間としての大切な 感覚を思い出せてくれた歴史に東北が 関わってるっていうのはま1大きいかなと いう風に思います福島県に来た時にその なんだろうな 誰かがものすごく悪いとか誰か1人のせい でこうなったとかではないでも確実に 苦しみはあったっていう東日本大人祭の 経験をま胸に生きてる人たちがまたくさん いてでそれこそ自分の故郷に30年帰れ ませんっていう風に突き詰められて何かを 決めなきゃいけなかったり故郷への思いは あるけど自分も介護を受けなきゃいけない 体で他の家族に一緒に来てもらうことは できないからま郡山にいようとかっていう 方がいたりとかあの最近言語化できたこと ですけどあの ここに来て移住してもらうことがゴールと かここ街を楽しんで欲しいとかっていう 気持ちは別にないわけではないですけど 若者がこの町に来ることでその善悪とか あの正解不正解っていうことではなく 変えられない環境と変えられることを吟味 して自分で決めていくのが人生だっていう ことをその感じてもらえる場所なんじゃ ないかと思っているんですよそれが1番今 私が大倉町に若者に来てもらいたい理由だ し私は岩手県で子供たちとの触れ合いの中 で少しずつ自分をま癒すことができた けれども他の子にとってはそれが多くは町 かもしれないとでこの場所でフィールドを 見つけてなんか何かを頑張れるのかもしれ ないしやりたいと思ったことを挑戦して くれてる子もいるそういったその うん自分より若い人たちのその力になれる 仕事がこの場所にはあると思っていてそれ とま多分街づりてのが両輪なんですよねだ から 復興がしたいとかっていういわゆるな言葉 ではま片付けることはなかなかできなくて 私自身も私の人生の中での葛藤をどうやっ て仕事っていうものに消化していこうとか じゃあこういう経験をしてきた自分は誰を 笑顔にしてお金をもらうんだろうっていう 風にキャリアを考えた時にあの自分にも 学びになって自分自身がやってみたいこと があってで多分それが町にとってもそれ から次のま時代になってく子供たちとか 若者にとっても何かのきっかけになりそう だっていういろんな要素が加わってあの 総合的にこう大町に来るっていう道が見え てきたみたいな感じなのかなという風に 思ってます
福島県双葉町に誕生したF8スタジオを拠点に発信する「F-BIKEチャンネル」 。
「F-BIKE Journal」では、福島のさまざまな現場で取材した映像ルポをお届けします。現場の皆さんの声に、ぜひ耳を傾けてください。
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