【廃墟巡り】伊豆長岡温泉の開祖だった老舗旅館が廃墟化した理由 #廃墟探索 #静岡 #街歩き #伊豆

【廃墟巡り】伊豆長岡温泉の開祖だった老舗旅館が廃墟化した理由 #廃墟探索 #静岡 #街歩き #伊豆

[音楽] はい、どうも天野と申します。伊豆の長岡 温泉にやってまいりました。今回は視聴者 の方からリクエストしていただいた企画 です。長岡温泉には南層という非常に 大きな死偽旅館があるんですけど、ここが どうも廃墟になってしまっているらしいん ですよね。すみません。恥ずかしながら これは知りませんでした。南々層は有名 だったので知っていたんですけどまさか 廃墟になってしまっているなんて思いませ んでした。しかも調べてみたらもう10年 以上前から廃墟らしいんですよね。どうし てこんなことになってしまったのか長岡 温泉の歴史と共に見ていきましょう。 ということでやってまいりました。こちら が南層そうですね。あれ確かにコメントで は廃墟になったと聞いたんですけど、 あんまり廃墟っぽく見えないですね。壁や 看板も綺麗ですし、車も止まっていますし 、レンタルサイクルの貸し出し所もあり ます。あ、でもやっぱりこれは栄養してい ませんね。一応中は綺麗にされていますが 、ドアのゴムが剥がれてしまっています。 とりあえず現状旅館としての影響はして なさそうな感じですね。上に掲げられた 温泉を散歩1という看板は後付けのように 見えます。一応管理と部分的な活用はされ ているのでしょう。うん。残念。なんそう 止まってみたかったんですけどね。 それにしても本当にレトロな宿ですよ。 確かここって長岡温泉で1番古い旅館なん ですよね。ま、その辺りの詳しいことは後 でじっくり話しましょう。 あ、これは建物がかなり派手にひび割れて いますね。この感じだと一見すると綺麗で も実は細かい損傷が大量にあってそれらを 全て直すと莫大な手間と費用がかかると いう1番もったいないパターンの廃墟な 感じがしますね。 やっぱり側面に回ってみるとかなり外壁が 傷んでいますね。Da層は元々高級旅館 だったので広い敷地にいくつもの離れを 持っています。それらが見られると思って こっちに来てみたのですが兵に遮えぎられ て見えないですね。とりあえず反対側に 回ってみましょう。 お、こっちからなら見えますね。敷地の奥 の方に何もの離れと渡り廊下が見えます。 ただ動画では分かりにくいですが上の方の 建物の損傷が結構激しいです。最初は正面 の綺麗さから本当に配慮しているのかと ちょっと疑いましたが、やはりこれは孫号 なき廃墟ですね。ということでそろそろ ここの歴史を話しましょう。先術の通り ここは南山草と言って長岡温泉で1番古い 旅館です。長岡は比較的歴史の新しい温泉 街で明治の頃に回答されました。さてこう 言うと本のより友が使った温泉は長岡温泉 じゃなかったのかという人がいるでしょう 。実は鎌倉時代から続くこの地域の古藤は 粉温泉という小さな山を挟んで反対側の 温泉なんですね。ここには自分線があって 、なおかつ放上士の諸料内に存在したため 、古くから当場としての開発がされてい ました。ただ当場が近いことで人が集まっ たこな地区には数多くの民家が立ち並ぶ ようになり、明治の頃にはもう新たな開発 が困難になっていたんですね。そこで山の 反対側にある長岡地区に目をつけたのが ここの創業者である山平。交渉の一族で ある彼はまだ民家もだった上温泉と同じ山 の麓元にあって温泉の有出を期待できる この土地に正気を見い出したわけです。 こうして山肌の骨作を始め実際にお湯が 湧き出たのは明治40年頃。その厳線移戸 を使って建がこの宿でこれが長岡温泉の 始まりとされています。ちなみに南山と いう名前は文学者である北原白州の名名 です。当初は大和間という名前だったの ですが、白州がこの宿をとても気に入り、 新たな名前を考えたのだそう。当時この宿 を訪れたのは文合や在会、正解の大物、 家族や皇族などだったと言われていて、 川端安成りや無者の工事実厚、犬強しなど は実際にこの宿を頻繁に利用したことが 分かっています。いくら人々の往来が活発 になったとはいえ、当時の日本でこの手の 旅館を頻繁に利用できるのはやはり人握り の金持ちだけだったんですね。結果建物の 設計は必然的に上流階級を意識したものと なり、南々層和高級旅館としての道を歩む ことになりました。山の斜面を登る広大な 敷地に月屋作りの離れを散りばめるという 複雑な設計はこうした背景によるものです 。その後周辺の土地にも数の旅館が立ち ましたが、やはりそのどれもが高級旅館 でした。そんな長岡温泉が庶民の手にも 届く存在になったのは戦後のこと。可能 放水路の建設に伴って長岡の市街地に 大きな国道が通るようになると地域一体の 交通の便が大きく改善。南山層を含め 数えるほどの旅館しかなかったこの地に 次々とホテルが建設されることとなります 。当然新しくできたホテルたちはいくつも の新しい移動を掘作し始めるのですが、 元々温泉が湧いていなかった地面に穴を 開けるわけですから、ここで1度問題が 起きました。実は戦前の頃からたった数の 旅館が移動掘っただけで粉温泉の自分線は 自分しない状態になっていたんですね。 戦後はさらに200本移動を開けたことで 油音が低下し、油量も激減していよいよ 枯渇かと騒がれるようになりました。ただ ここからがこの温泉街のすごいところ。 長岡温泉は比較的歴史が新しいと言いまし たが、それはすなわち余計なしがらみが 少ないということでもあります。ここで この温泉街は現在では多くの温泉地で採用 されている厳線の集中管理体制をいち早く 導入することに成功。そしてこの際厳選を 同じくする長岡温泉と粉温泉は合併2つ 合わせてい長岡温泉となりました。より 古いはずの粉温泉の名前が消えてしまって いますが、これは明治以降高級温泉街と なった長岡温泉に対して、粉温泉は一貫し て庶民の当時場だったからというのが 大きいでしょうね。結局地元の方々もより 高級な方に憧れていたんです。何せ当時の 伊豆では非常に珍しかった自動車を何台も 見られる場所として有名だったらしいです からね。とはいえ粉温泉には昔ながらの 古気良き戦闘が残っていますから、レトロ 好きの方にはおすめです。特にあめゆ湯と いう木造の建物と赤賃が美しい戦闘。 ちょっと油音が高めですが雰囲気は抜群 です。さて話を難層に戻しましょう。国道 の海通による温泉街の急激な発展は実は 南山層にとってはあまりよく働きません でした。というのも単にライバルが増えた だけでなく、新しいホテル群のき並安価な 価格を設定したため、周りから取り残され たような状態になってしまったんです。 加えて団体客が押し寄せてあまりに 騒がしくなったため、上流階級の顧客は 離れてしまいます。こうした事態を受け 経営人は1963年にこの宿を手放し、 旅館の再生を数多く手掛けてきた東海観光 へ売却します。しかし結局彼らによる債権 はあまり成果が出ませんでした。さてこう して自理品になった南層はバブル崩壊で とどめを刺されて配慮というのがよくある パターンですが実はそうじゃないんです。 もしそうだったら平成生まれの私が現役の 頃の南層を知っているはずがありません。 実は長岡温泉はバブル崩壊をほぼ無傷で 乗り越えたというかなり珍しい温泉街なん ですね。これは隣接する沼津といった静岡 県東部の工業地帯が自動車部品や紙製品と いった生活必需品を生産する地域だった ためバブル崩壊の影響が小さくて済みそう した地域から峠を超えずに来れる唯一の 温泉街だったためだと言われています。 またこの地域の旅館組み合いは当時として は珍しかったインバウンド需要にも早く から目をつけており積極的な誘致を行って いました。一致の良さと選見の名で見事に 破乱の時代を切り抜けたんですね。しかし この後に本当の苦難が待ち受けていました 。まず1998年に伊豆夕感道の開通区間 が伸びたことで主前時温泉や問温泉への アクセスが改善され有力なライバルとなっ てしまいます。そして2010年代になる と、今度は銃道が透明高速と直結したこと で、東京からの客の多くが宿泊せずに 日帰り温泉で済ませてしまうようになり ました。加えて同じようにインバウンドに 目をつける温泉街がいくつも出てきて競合 し始めた上に2009年以降の民主党政権 は円高政策を行ったため、それらが全て 叩きつされるという浮き目に合います。 バブル崩壊という強烈なストレートを かわしたと思ったらその先でまさかの4連 パンチ。さすがにフーンが続きすぎました ね。結果2010年代から長岡の旅館軍は 廃量が相つぐようになってしまいます。 散々層もこの頃になると東海観光による 債権が完全に行き詰まってしまい結局彼ら は後に合併することとなるアゴーラ ホスピタリティズという会社に事業を委託 アゴーラはこれまでの南層とは売って 変わって徹底した低価格路線とサービスの 感素化を実施。私が知っている現役の頃の 難層というのはこのアゴーラ時代のもの ですね。サービスが観測化されたとはいえ 、その中身は長岡温泉の始まりとなった 高級旅館。そんな場所に高い部屋でも1泊 1万円台、安い部屋では3000円台で 止まれたんです。当然話題沸騰ですよ。 南山層の中の様子って当時でもこんな感じ でしたからね。これとかこれとかとても 数千円台の宿とは思えません。この低下 戦略は一応一定の成果を納めたようで収支 をギリギリ黒字のところまで持っていく ことには成功しました。ただこの状態では 老朽化していく建物のメンテナンス費用を 年出できませんよね。結局2016年4月 1日から回層のためと消して給料そのまま 再開されることなくいつの間にか正式に 平量となってしまいました。多分回層の ための融資をもらえなかったのでしょう。 こうして文や正解の著名人から愛された 長岡温泉で1番古い高級旅館はその76年 に渡る歴史に幕を閉じてしまったわけです 。さてこれで終わると寂しいので一応希望 のある話をしておきます。実はまだこの 旅館を再生しようとしている人たちがいる んですよ。というのも今回の動画の撮影中 偶然にもこの旅館を買うつもりで内犬に来 た人たちと遭遇したんです。なんとも気作 な不動産屋の負債で私の質問に丁寧に答え てくださりました。彼らは建物の崩れた 部分を10億かけて修繕し、栄養を再開さ せるつもりなのだそう。まあ、8000壺 の土地にまたがる地80年の長大木造建築 を本当に10億で修理しきれるのかは ちょっと心配ですが、少なくとも10億 はきがあるわけですから、南層にはまだ 復活の可能性が残されています。といった ところでご視聴ありがとうございました。 チャンネル登録と高評価をよろしくお願い します。

#廃墟 #静岡 #街歩き #伊豆 #観光 #伊豆長岡温泉 #南山荘 #長岡温泉 #廃墟探索 #廃墟巡り #歴史

今回は伊豆長岡温泉にある老舗旅館「南山荘」の廃墟を見に行きます。

命名者は北原白秋。創業者である大和宇平は、長岡温泉の開祖といわれる人物です。明治から昭和にかけて文豪や政財界の著名人に愛される高級旅館でしたが、戦後は大衆向けの開発が行われた長岡温泉の中で取り残されるような形になり、苦戦。経営者が複数回変わった後、2014年に閉業してしまいました。

【Mr.Amano’s channel】
静岡在住の原付ライダー。学生時代は東京で過ごしたため馴染みが深く、神奈川や東京をはじめとした関東方面へツーリングに行く事も多い。愛車はホンダのスーパーカブとタケオカ自動車のアビーキャロット。アビーは四輪車のくせに50ccというイカれた乗り物。
現在は諸事情あって失職中。せっかく暇ができたからこれまでのんびりやっていたYouTubeでの活動に力を入れてみたところ、熱川の廃棄動画が当たってまさかの収益化基準達成(現在審査中)。しかし次に繋げる方法がイマイチ分からなかった為、マーケティング業界で働く友人二人の助けを借りて試行錯誤中。

【廃墟探訪】
基礎体温の低さからくるスタミナ不足に悩まされていたので体力作の一環として山登りを始めた。しかしいつの間にか廃道歩きにシフトしていき、気付いたら廃墟を探す事が目的になっていた。
バイクや車で廃墟や廃道へ向かい、そこか見出せる自然と滅びの美学を発信し、視聴者の皆さんに非日常感をお届けできれば幸いです。たまに変な観光地とか変な地形の場所とかも配信するかもしれません。

【カメラ機材】
GoPro HERO9
GoPro HERO4

【編集ソフト】
ゆっくりムービーメーカー4

20 Comments

  1. 南山荘潰れていたのは知りませんでした。私は南山荘には泊まったことはありませんが、泊まったことがある他の旅館やホテルも数件潰れていて寂しい限りです。
    温泉まんじゅうも黒柳とあずさが有名ですが、あずさは業態を変え会社は存続しているようですが、温泉まんじゅうは販売していないようです。伊豆はなんだか寂れていく一方ですね。

  2. アマノ氏が平成産まれなのが一番の驚き。
    勝手なイメージで恐縮ですが、歴史好きのおっちゃんが運営されていると思っていまいましたw

    10億かあ。100マンでいいのでいただきたいw
    お金てある所にはありますね。

  3. 南山荘 現役みたいな外観ですね。
    資料館みたいに再開発をしてほしいです。
    文豪が愛した旅館
    日帰り温泉ツアーが流行してました。

  4. 2泊3日で伊豆旅行行ってきました!
    熱海→伊豆高原→熱川温泉→下田→沼津に行ってきました!アマノさんが動画内で紹介していた廃墟に何ヶ所か行けたり、車で通れたりアマノさんの聖地巡礼している気分でめっちゃテンション上がりました😂🎉
    夏の伊豆は緑豊かだけど、廃墟があるとより寂れさが増してて雰囲気良かったです🌳
    これからも楽しみにしてます!

  5. 『温泉場お散歩市』についてですが、この伊豆長岡温泉のメイン通りで月一度開催されており、南山荘の一階は陶器やハンドメイド作品の出品者たちのブースとして利用されています
    地元のひとたちでそれなりに賑わっている印象です

  6. 伊豆縦貫道、地元民としては便利ですがこういう弊害もあるとは
    歴史のある立派な旅館だしこのままなくなってしまうのは余りにも勿体無い、本当に再建されたらいいですよね

  7. 南山荘だ!!
    正面の壁の塗装が剥がれてるの、私が小学生の時にたくさん剥がしちゃったからです
    申し訳ございませんでした

  8. 長岡といったら、温泉まんじゅう、地熱発電のイメージでしたが、由緒ある温泉地だったんですね。確か、温泉が流れている?足ツボ公園みたいなのがあった記憶が有ります。(笑)他の方のコメントを見させて頂きましたが、中国の方が購入予定なんですね。私は、外国の全ての方が悪いとは思いませんが、数億の資金で再建や建物の修繕が出来るのかな?と不安に感じました。話しに気さくに答えてくれた良い方なんだと思いますが、歴史的な建物(離れ)は建物博物館などに移築して、公園などに整備した方が良いのかな…と感じました。一概に悪いとは思いませんが、伊豆にもそういった話しがあるんですね。お話し面白かったです。

  9. 懐かしい映像を拝見しました、と申しますのも子供の頃この旅館は遊び場でしてよく出入りしておりました。
    その頃の経営者でした大和ひろよし氏(漢字判らず)にかわいがっていただきまして自由になかで遊んだものです
    その頃今の正面玄関が大和館玄関で横のスロープを登ったところに南山荘玄関がありました、ここは仰るようにVIPをお迎えする
    ところでした、ここから入りますと三笠や高砂などという超高級な部屋があります、これが朽ちていってしまうの寂しい限りです
    半世紀以上前のことですし木造ですから保存も難しいかもしれませんが私の存命中は姿をとどめて欲しいです、
    今でも当時の中の様子は鮮明に残っています。ありがとうございました。

  10. 伊東の東海館のように街のシンボル化させてもいいと思いますけど、最近事業主が変わったあわしまマリンパークなどのことを考えるとちょっと土地柄的に難しいのかもしれませんね。
    フェリーで土肥まで行って伊豆を半周しましたが、西伊豆は東伊豆以上に道がないですから…
    東側は伊豆スカイラインがあったりするだけでだいぶマシだなと

  11. 初コメです!以前からアマノさんの動画を楽しくみてます!以前、真鶴の方に探検に行ったんですが、途中で獣道のような不思議な道があり、そこを下って行ったら、廃線跡がありました。帰って調べてみたら赤沢隧道というトンネルらしいんですが、実際行ってみてトンネルが連なっており、歴史的面でもとても面白かったです。ぜひ、1番好きなアマノさんに行ってもらいたいです✨

  12. 今回も見応えのある動画をありがとうございます。他者の動画は倍速で見ることが多いのですが、アマノ氏の動画は標準速でじっくり視聴してますよ。

  13. 地元民です。私の亡き父親と母親が南山荘の前身である大和館で勤め知り合い結婚しました。当時は今の様にお客さんに宴会の終了制限がなく、働く者は睡眠時間が短かったそうです。南山荘は月に1度、日曜日にお散歩市場と言うマーケットで活用されてます。
    伊豆長岡温泉は源泉を持つ旅館やホテルは数少ないです。サンバレー富士見が地下500mから汲み上げてますね。私が子供の頃に比べ、活気がありませんね。

  14. 要因としては、今どきの日帰り温泉の傾向や宿泊料金高価、お料理イマイチ、見所あまり無しとかが重なると印象に残らずお客は目が肥えた方が多く次回は、別の温泉地に行こうとなる。何か他のホテルには無いインパクトのある内容にしないとリピーター客は無理である。一度来てまた来たいと思わせるような作戦が必須。ライバルは全国ですからね~

  15. 古奈の方が色々揃ってる感がありますね。温泉饅頭も古奈の方に多い気がします。駅から遠いのも残念。古奈地区の居酒屋では鳥栄がお気に入りです。お勧めです。

  16. 日帰り入浴よく利用してた
    あまり宣伝していなかったので利用者が少ないが500円だった
    今だとその値段では難しいかも

  17. リクエストです
    現存する伊豆のトンネルとしては最古のものである、旧三津坂隧道に行ってみてほしいです!
    伊豆の最古の隧道は柏隧道ですが、三津坂隧道は形もしっかり残されています!

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