愛知県の最秘境!到達困難な廃村に残された伝説を追う【大入集落 – 廃村探訪】
これすごいな。こんなでかい石を加工して積んでる。奥のやつも花山って書いてありますね。 あ あ、これも。 はい。 書いてある。 きつい。こんな感じの道なき道を行っております。愛知県北下軍東町。 深い谷を見下ろす標およそ550mの 急斜車面にひっそりとその移行を残す大入 集落。現在では石垣と口田オがわずかに 残るのみとなっていますがここには平安の 昔火山天皇がお手を避けて身を潜めた 隠れ里であったという伝説が残されてい ます。 にも残る花山という名称とこの地に残され たいくつかの痕跡。それらはこの伝説にか な輪郭を与え、今なお訪れる人々の想像を 書き立てています。山切りに包まれたこの 深い谷には何百年という時代を経て 語り継がれた伝承がいくにも退積している のです。 今回の動画ではそんな入集落の伝説と現在の姿に迫ります。 おはようございます。 おはようございます。おはようにもほがれ。 うん。現在ね、 3時52分。 はい。 なんか眠いとかじゃないなんか。 うん。な んだろうこれ。 いや、僕はもう逆に眠くないっすね。 そうなんだよね。 うん。 さっき12時過ぎかな。寝始めて うん。 で、さっき起きてあんま本当寝てなさすぎて うん。寝起きいいんだよね。あ あ、確かに。 うん。 逆にね。 そう、そう、そう。 で、今日はね、ま、ここ愛知県なんすけど うん。 愛知県内でも屈の秘集って言っていいかな? そうだよね。これ元々視聴者さんからの情報。 そう だよね。 そう、そう、そう。 うん。 で、ま、ちょっと行くのがね、めちゃくちゃ大変な場所っていうことで うん。 ガイドさんの力をお借りして今日行くんですけど、これからね、あの 5時に集合して 5時から山に入って現地に向かうと いや、本格的な登山だよね。 いや、本当そう。あのね、 おそらく過去きつい取材になるんじゃないかなって予感はしてます。 そう。前方だと4時間くらいは歩く。片道 4時間ぐらい歩くっていう話だから。 そうだね。これまで4 時間歩いたのって多分 うん。 思い出したないんだよね。 ないね。ここまでのやつは。 うん。 ま、ちょっと実際のところどうなるかはわかんないけど、今からちょっと集合場所に向かうっていう感じですね。 しかもねだよ。その多分道じゃないんだよね。 道じゃないね。 うん。 歩くのがね。 そう。本来のルートがもう完全に崩壊してしまっていけないから。 そう。 もう本当に山からアプローチするみたいな。 怖いよ、正直。 ま、生きて帰れればいいかなぐらいの感じですね。 うん。ちょっと最近ってるのもあるし。 うん。 そこに来て過去最大の そう 試練っていうことで ちょっと油断はできませんで。だから 正直ひんでるよね。 はい。まあそうだね。安全大地で行きましょう。だから今日は ね。でもま、ガイドさんもいるし。 うん。 行きましょうか。 はい。 はい。では集合場所に向かいましょう。 はい。 はい、こんにちは。ヒストリカの岡です。 こんにちは。 先ほどホテル出発しまして はい。 現在、え、5時45分。 はい。 うん。早い。 早いっすね。ヒストリカ基準だと。 で、あの、だいぶ空もね、知らんできて はい。 やっと明るくなったというとこなんですけど。 うん。 で、ま、早速もう歩き始めていて、今日はあの、愛知県の秘入集落と いうところを目指していて、で、そこに今 1番詳しいと いや、一番かどうかわからないけどさんに今日はご案内していただいてます。 そうですね。 はい。今日はよろしくお願いします。 お願いします。えっと、ここに来るの 2年ぶりになりますけど、このルートでも 2回目になりますけど うん。 え、なんとか無事に行けるといいと思いますのでよろしくお願いします。 はい、よろしくお願いします。このルートで 2回目。 このルートで2回目。 基本は表のルートがあったんだけど崖崩れでもう通れませんので基本的に それなんで今日は そうおいお寝にあの道のないとこですけどま行くというとりあえず崩れるとか落ちるっていう心配がないってことでただの中歩荒歩くのでそれは大変ですけどまそれだけですね。 はい。 じゃ完全に道じゃないとこ。 完全道じゃないとこ行きます。 分かりました。 はい。 はい。で、あのもう今んところは安藤が足を引っ張りまくっている体力の低下地です。 僕 そう、もうね、歩き始めてまだ 30分ぐらい ま、そうですね。そうですね。 うん。ですけど、ま、結構登りが そうですね。 そうね。 で、こっからがきついっていうことで僕はもう恐ろしくて そうすよね。こっから道じゃなくなるんです。 道じゃなくね。途中のあの行動も出ますけど、あのメインは道じゃないとこです。 はい。 うん。 そう。 ここより今までより勾配もきついと。あ あ、きついです。 やべい。やばいな、これ。はい。なんとか頑張りましょう。 安全地でよろしくお願いします。お願いします。 お願いします。 はい、途中経過です。 今ちょうど半分ぐらいですか? 半分学ぐらいですね。うん。いや、どうです? いや、僕結構余裕なんですけど。うん。 が、 もう、 もうね、申し訳けない気持ちでね、僕はまれない。 あの、そう、僕だけね、異常に疲れていて、その最近運動不足は感じてたんすけど、もう想像以上。 うん。ちょっと言っといたかよかったですけどね。あの、トレーニングしてから いや、本当に いや、すごいとこ言ってるからさ、あの、ま、こういうとこも悪いかなと思って。 いや、ま、僕は日頃あの、トレーニングをちょっとずつやってるんですけど、 さっき坂道とか あの、結構坂登った時、 あの、坂道でよろよろしてるからめっちゃ怖くて後ろでけてうん。 そう。で、 本当に 僕があの、落ちてかないようにあの 2人で挟んでもらってるんです。 足が全然上がってなくて。 そうなんだよ。なんかね、もうとにかく足がもう上がんないっす。 うん。 だからなんかあの木とか落ちてまたがないといけないのにケ散らしていく。 うん。 そう。もう足が上がらんからね。 こいつやばいなって思いながら後ろから見てるんですけど。 そうだね。僕のせいでめちゃくちゃペースを落としながら今行ってるんで。でももう半分が来たってことなんですけど。 そう。半分 こっからがきついらしいんでちょっと僕の命があるかどうかはわかんないっす。これ までもこっからで多分足が棒になってからが勝負だからね。 確かに。 うん。 ちょっともう進んでいきますか。頑張りましょう。 はい。これ ここ結構るわ。 アンドはもう死にそう。きつい。こんな感じの道なき道を行っております。死にそうです。 大丈夫? 大丈夫ではない。 きつ。めっちゃきつい。 これ ああ、やばい。こっからまた登りか。 安藤のこのざ初公開だね。 これは1息つかんと いや、そんな猶予は与えられないよ。 富さん意外と厳しいから。 そう。 すごいなよ。かんなにする。 もう姿見えなくなっちゃったね。 またお沿いに。 あ、ここいい道だな。もう くれ。 生まれたの小じみたいだね。 生まれたての小じか。 やばい。これあ、この 1歩が1 歩がね、前に出ない。本当にこんな辛い思いしてやってるんでグッドボタンお願いします。 もう冗談抜きでどっかで休んでもう俺と富やさんだけで行った方がいい可能性あるよね。 それ許されん。 そんなそんな低くは許されん。 まあじゃあ引き続き頑張りましょうか。 はい。 安藤を探せだ。 これ止まっちゃダメなんだよな。本当は いいな。今ヒストリカの新しい魅力が出とるかもしれん。これ、 これは神聖。 うん。そう。新境地だよね、これ。 いや、俺運動しちゃだめじゃん。今後、 今後これを楽しみにしてもらんとね。 うん。 そう。と 富さん結構あのファンで言ってくれてんだよ。 ありがてえ。 そんなと富やさんを失望させてしまう。 いや、今日失望させてる。完全に 完全にそうだよ。とさだからね、もう このさ うん。 ハード取材がね、久しぶりなんだよね、本当に。 ああ、ちょっと頑張るか。頑張りましょう。 頑張りましょう。 はい。行きます。 うん。ここで休憩するらしいです。 ああ、もう俺ずっと休憩してたようなもんだけど。 さあ、足を上げてください。 ちょっときつい。俺ここが超えられず無理かもしれんけど。いや、上がってないの? もうこれさ、俺おらんかった。今これついとる。 ついてる、ついてる。 あと1.2kgで全体で4kmのうちの 1点あと1.2kgうんそう 本当になんかさ山でくばった人みたいな俺 本当にここで死ぬかもしれん ちょっとマジで足がもうやばいわ なんか本当このままあれだね に帰っていきそうだね。 そう、これもう木と一体化する。俺帰りどっかの坂を超えられずにそのまま死ぬかもしれない。ま、そしたらあの SDカードだけ持って帰るわ。 全て成果だけは。 うん。 あし、もう早くゴールしたい。 頑張りましょう。 うん。 頑張ろう。 頑張りましょう。 よいしょ。ま、来ててもしょうがない。再び立ち上がった。アンドまたどうせすぐ疲れる。 はい。ということで はい。 歩き出して4時間半ぐらい。 4 時間。4時間当たってるか。 うん。 やばいな。4 時間。 ま、ちょっと遅かった。これ休憩したですね。 ま、まあまあいい。 安藤が足を引っ張りまくった結果 1時間ぐらい遅れた予定より。うん。 え、ここはね、標 地点で 旧入、新入集落と分けてるんですけど はい。 この辺が元々の旧入集落の最初の 3 元があったところの地点らしいんですよね。 で、 うん、 江戸時代にあの 200m ほど下に集落を形成してあの家が増えて最終的に 7件ぐらいになったと。 うん。うん。うん。 で、元々あ、ま、本人たちが言うには、あの、火山天皇の末裔だと言って、その、ま、村の中心的な人物があの火山と書いて音読みで、あ、えっと、読みで花山と言いんですよ。花山県。 へえ。 花山は同じなんですよね。 はい。それで、ま、自分たちはそういう一族だということでこういうとこに、あ、ま、隠れ住んで、何らかの理由があって隠れ住んでたっていうのが、ま、あの、伝わってますね。うん。 え、この辺にはあの花祭りっていうあの大きな祭りが集中落っすけど、元々の 1 番最初の花祭りの村だっていうのはここじゃないかっていうのを地元の研究者が言ってますね。 ああ、 ま、あとこれから行ってもらうんですけどだ 7件でその60人弱の村でこんな奥で あのこんだけの石垣を組むだけのお金をどうして区にしたのかっていうのは非常に謎が残るとこなんですよね。 うん。 そこら辺はあの来てみて一緒に確かめてもらいたいんですけど うん。 じゃ、その花山家っていうのは、 ま、天皇か天皇の松材かどうかは分からないけども結構偉い。うん。うん。あ、で、その、その辺なんですよね。ただもう江戸時代には花山となどってるわけですからね。 はい。なるほど。 当時基本的にまあ本当の下のものは苗字ないですからね。 あ、そっか。そうですよね。 江戸時代から苗字があったってことですか? はい。あ、で、見てもらいますけど、あの、母石側であるんですよ。母石にも花山って掘ってあるんですよね。 はい。へえ。 多分岡崎かどっかで作らして運んでくるにしても 手で運んでくるんですよね。 うん。うん。確かにそうですね。 この時来てもらって分かる。ま、馬も通えないし当然これこの押しも囲運ないしたすら人力ですよね。 はい。 そうですよね。 歩いてみて分かりますよね。 確かに元々ここの辺りに 3件あったってことなんですけども、 実際どこにあったかはもう全くわからないって感じなんですね。 うんとね、この辺だっていうのは分かると思うんですけど、今あの行こうと思うとちょっとそこらちょ下ちょっと大くなってるんじゃないですか。 はい。はい。 あそこもそうだったのかもしれない。あ あ、平場っていうね。 うん。 だ、明確に石垣があるかっていうとちょっとそれは見たことないですね。うん。 地図上ではこの辺って書いてありますけど、昔の明治時代の地図があるんですよ。 はい。うん。 ああ、なるほど。へえ。 探せば分かると思いますけど。うん。 確かに。なんかそうやって聞くとね、話の 節守になんかそういう本当にね、天皇の末裔とかなんかそういうルーツ感じさせる要素がありますね。 そう。そうですね。 ええ、興味深い。 興味深いね、これは。 うん。 ま、こっからちょっと下って集落の本体。落とこから 200mぐらい下がります。 分かりました。じゃあちょっと早速そっちの方行ってみますか。 はい。はい。 お願いします。ます。 大入集落がその名を文献に表すのは江戸 時代初期。当時の顧問所には大あるいは 大とも記され花山家と平家の2子がこの境 に入植し谷のわずかな団地に石垣きを 築づいて暮らしたのが始まりとされてい ます。 こさんちょっとあの打ちやすいで気をつけ てね。はい。落ちやすいらしいです。気を つけましょう。 すごい斜めになっとるで道が これは落ちたらシレにならんかな? うん。シャレにならんよ。 やばい。すごいな。下はもうこんなんです。落ちたら終わり。 だいぶ下ってきましたよね。 あ、もう100m以上楽に下がって。 すごいすか? 集落の1番上の方にあるこれが。 あ、ここが。 あ、じゃあまだ下に、 下に収あ、 ええ、まだ下るんすね、 だいぶ。あ、で、ここが 小学校の後 ここに学校があったんだ。 ま、小学ま文ですけどね。あの先生は泊まり込みだったんです。 へえ。 後方もないな。 あそこにあの河が残ってます。 あ、本当です。 22弱だったんじゃないかな。ちょが ああ、子供で20。 あ、これ、これコンクリートガーラですけど、えっと、建物自体はあの戦後村が、あの、なくなった時に、あの、豊橋市の幼稚園で再利用にされたぞ。 ああ、 解体して持ってと。 はい。 ええ、 持ってくすごいよね。 さすがにこれはあの重さ的に はい。 あの、もっと割りが合わなかったんですよね。 うん。うん。 木材を運んだんすね。 そう、木材運んだと向こうでもう 1回作り直すんでね。最流ま、戦後の昭和 20年物のがない時ですからね。 でも変は持ってかなかったみたい。 あ、考えられんな。 あ、ここにあのなんて言うのかな?あの、ま、これがロの後だそうです。 あ、ロ。 うん。 ここら辺こっちの方にあの先生の宿舎があったんで。 はい。 これがロの後。 うん。 戦後まもなく配です。 あ、昭和20 年にあの配損だと言ってますけどね。 あ、昭和ですか? そう。昭和の戦争終わった時に なんです。終わった時にさすがにここではもういくらも何もなくて はい。 ま、文化的な暮らしができないってことですよね。都会の方では電気ガスもちろんあって水道もあって 今度変わらん要するにネットがないぐらいで今変わらん生活じゃないですか。 うん。はい。 だけどここでは江戸時代と同じ暮らしがしてる。 確かにすごい格差ですね。 すごい格差だよね。日本中で今こんな格差なとこないもんね。 確かにそうですね。 があるもんね。基本的に がねとしたね。 残念だけどま、ずれなるとは思ったけど前に来た時まだそのまま立ってたけどここの未の間に倒れたんだよこれ。 ああ。 へえ。 ま、立っとるものこうなるんだけどね。ちょっとでも寂しいな。 あ、本当つい最近だと思うよ、これ。 あ、そうなんすね。 間に合わずか。 うん。間に合わんかったね。 残念。 ああ、ペシャンコだ。 うん。 ここはもう元から崩れてたんですか? ああ、自分が来た時が崩れちゃってた。ここのね、研究者の人が 20 年弱前に来た時はまだ立ってた。しっかり。 へえ。 うん。だ、2 階に曲がってる映像があるもんね、動画が。 あ、そうなんですね。 あ、こ、これ、え、 ん、 いや、やっぱりな、あると思ったんだよな、このこには。 あれ、これはどうなってる?埋まってるのか?これ 埋まってる か割れてて上だけかもしれないしな。何とも言えない。 なるほど。 うん。落としたら下まであるかもしれんし。 いや、勝率臭いと思ったんだよな、ここ。 うん。やっぱやがいたな。なるほどね。 なんか正一部もなんかよく反応するよね、 2人。 なんか知らんけど、 もうネタみたいになってるんです。 という感じで無事ミッションは達成しました。 ありがとうございます。 1番お金のあったうちだと思う。 ああ、やっぱ夕服ですか? うん。 ここをね、あの、人に言わせるとここ分かるけど、こう、そ、それがついとるじゃん。わざわざ。 はい。はい。 これだけでも手間かかるわけだよ。 ああ、建築の。 そう。本当は別にこんなこと線でもいいわけだけど。 へえ。 それ、ま、そういう意装だよね。凝っとるわけだよね。うん。 お金をかけたわけね。これ余分のお金なもんね、これって。 じゃ、これこう花山さんの家かもしれないですね。 そう、そう、そう。 今写真をね うん。 見たらやっぱこのうちは花山さんの家みたい。うん。 ですね。 ちゃんと資料にも書いてありました。 うん。 ま、初ももあるしね。 やっぱりそうだ。 うん。基準が やっぱ作りが良かったから最後まで残ってたんだね。 うん。あ、そうかもしれない。 うん。ここも ま、それと割とその時代的に 1 番最後の方に立ってたかもしれね。親友だからね。 うん。ああ、確かに。 ま、立ってあのコンクリートガー乗ってるぐらいだから。 はい。 そうですね。 うん。最後に残るのやっぱり河と石垣だけなんで はい。 いずれに今日は腐っちゃうもんね。 でもここもコンなんですね。 そうなんだね。うん。だ、ま、時代的に その時代に、ま、安くて、 あの、両さんが聞いたのコンクラなんでしょうね。 ああ。 集落の期限については各る記録が存在せず 推測の息を出ませんが、花山家の祖先は元 は演州昨を川い、現浜松市天流区川井付近 から馬を伴って山を越え王入へ移り住んだ と語り継がれています。川いは天流川と 大勢川の合流地点にあり、古来より イ田のりや木材攻撃で賑わった加工でした 。 そうした交通の要からあえて人里離れた谷 へ移転した背景には進行上の同期や経済的 理由など表には出てこない事情があったの ではないかと推察されます。 その後文家と婚姻を繰り返し個数は ゆっくりと増え1941年には7個約60 人がこの地に生活していたことが記録から 分かります。教育面においては1919年 に東園そ小学校文教が解説されています。 当時の主な成り合いは比麦略の栽培と 木炭端生産で谷底の湿地を小さな水電に 仕立てわずかに米も収穫しました。しかし 、戦後の1960年、最後の一家が山を 降りたことで集落は無人の地となりました 。 険しい地形による生活や交通の不便、林の や木端価格の低明、文教上の平行など複合 的な要因が重なった結果と考えられます。 どうすか?これ オケスがちっぽけだ。まね、高さ的にはね 。うん。 まあ、大したことはないんだけど。 うん。 なんかね、重厚感っていう感じ。 確かに石がでかいね。 うん。 これ今んところ入 1の石垣きっすね。 うん。で、それが立ってる。そのさ、 石垣ロードもすごいね。 そうなんすよ。この石垣の家に続く道がね、こうやってちゃんと組まれてるんすよね。石で。なんかこの辺はしっかり構造が残ってるね。 だいぶ待ちだよね。 こっち見てもほらちゃんとこんな感じでね、なんか集落の中心地って感じがする。 うん。すごいな。 うん。珍しいな。確かにちゃんとこうやって 加工してあるんだが。これいい職人がいたんだな。 確かにそこはすごいお金かかってるよね。 うん。 そううっすね。 地面削ってこの大にするのもそうだけどさ。 はい。 うん。7 個しかない楽さ仕事じゃないよね。 ま、確かに どこにそんだけの金があったね。 あ、やばい。 そび立ってるや。 完全究極体醤油ツボだ。 これ完ピじゃない。 わ、素晴らしい。 これは状態いいですね。 これ僕たちを待ち構えてたらこのお醤油いツ。 もうこれだけでいい集落って分かる。これだけで。 この風合がいいね。 すごいな。今度さ、 昭和20 年に配になってさ、ここにずっといてくれたんだよ、俺たちのために。 そ、確かにね。 感動すら覚える。これは いや、なんかいいな。久々のなんかヒストリカって感じがするわ。これが乳の醤油ツです。天皇が隠れすんだと言われる伝説の集落の醤油ツがこちらすね。火山醤油ツだな、これ。 なかなか見れないよ、これは。これまた 岡安必死骸のある2倍ぐらいあるよ、岡の 。 その辺の石も加工されてるよね。これ すごいな。こんなでかい石を加工して積ん でる。 ここ芸術に高くない?ここ この このさ あ 微妙なくぼみに こう 生命がね 職人のプライドが買い間見えるな。ここ こうやってみるとねもう基本的にやっぱ斜面地にある集落なんでもう石垣きでしっかり長作ってねだんだんになってますね。集落は死抜きになってた会あったなこれ。 素晴らしい。この石垣き。 北あった。 北あった。でも帰りのことは考えたくないけど。 あ、これが花山本のクラウン。 うん。多分。 へえ。 これでこの中にあの今はあの花祭り会館に飾ってある あの花祭りの衣装とか 祭りの道具がこの中に閉まってあったらしくて、その配損する時に、ま、それを持ち出してあって建物だけ残ったけど、ま、崩れちゃったんだけど。 で、このこの石、これをあ、すご 加工好したのこの石だけど地元の地元で釣れる石じゃないっていうもんで どっかで頼んで切り出して持ってきたらしい。な、こういうものを添いつけだったってことは、ま、立派なクラだったんだろうなと。柱見ても太いもんね。 あ、わざわざこれを運んできた。 これを運んでくる。これを 人力で運んでくるだ。これ 昔の人すごいな。 でもすごいなんか効果だよね、きっとこれ。 これは高いと思うよ。 確かにね。 あの自然石も削り出すんだもんね。こんだけ めちゃくちゃ成功に加工してますもんね。 加工してるよね。 じゃ、この平置地が花山本家があった可能性高いよね。ここの平場がね。 うん。 なるほど。 だからやっぱり石垣も本気なんだね。 確かに本気石垣なんだ。 うん。 そういうことか。そうだよね。全部加工してあるもんな、この辺。 うん。 だからそこにその花山県の倉があって うん。 で、てことはおそらくここが花山県の本 うん。 で、ということは うん。 あそこにそび立ってる醤油ツは必ね。 気づいてしまった。だからあんなにフ堂々と うん。 下まいで 攻合しかったんだね。 なるほどね。ガ行くわ。 それは だから改めて見るとねよね。そうだな。あれは確かにもう花山の風格だもんな。どう見てもちゃんと理由があったんだね。 うん。 理由がある。 すごいわ、これは。 あれすごいな。 あれがすごい大きもうなんか思いつきでやってない? あれ元々 あの大きいは多分あったんだよね。あそこに。 そう。あれ中心に作ってた。 あれを動かすの無理だもんな、絶対に。 だ、あの岩からインスピレーションを得てこの周りを作ってたんじゃない?素晴らしい。 うん。 でも株の方の完成度すごいね。 ああ。ここの花山さんがこの村を降りる時にあの豊橋に出たんだけどここら辺のあの金材のお寺にすごい寄付しとるんだね。 おお。 寄付が要するに金を送っとるんだけど はい。 の金ね何箇所に送っとるんだけどすごいま立派な金もあるわけあのすごい金があったわけだ。 はい。あの ま、昔だったその農税額って記録残ってるもんで はい。 僕の天空者調べたらその当時の愛知県の有数な金持ちだ農税学からするとね。 要するに財産家だった。資産化だった。 参加 こんなとこにすんの 何で財をしてた?臨魚とかすかね。 うん。ま、臨しかないだけどそれも 1台でってことはないじゃん。もう N時代からずっと様子に任されとってさ。 てことで、 あの、 それこそその天皇に話が言っちゃうわけだよね。 ああ。 うん。ま、この仕掛け見てもさ、財はあったっての分かるじゃん。 はい。はい。はい。 なんでそんな財があったってことだよね。 そうですね。 うん。 師匠による火山天皇は17歳で即意しまし たが、清掃により財はわずか2年で終わり 、隊員後は出血して火山法鳳凰となり、 京都と熊野を雪きしながら社教と巡礼に 明けくれました。最終的には1008年に 京都でしたとされます。 ところがこの大入集落には火山法王がお手 を避けてこの谷に入ったという伝承が残さ れています。 この伝説がどこから生まれたのかは定かで はありませんが、花山神社の車、そして 花山家のせはこの伝説にいくかの心憑性を 感じさせます。 伝説と深い関わりがあると思われる花山 本家の祖先はその村の村朝職を歴任してい たことからもこの辺りでは有力な一族で あったことが伺えます。また村内でも有通 の参輪を所有した資産家でもあり段下寺へ 紋章や小老を寄付するなど巨学の富を有し ていたことが記録からも分かります。 おそらくは電気も通っていなかったこの ような壁地の集落でなぜこれだけの地位と 富を築づくことができたのか。その背景に は火山天皇にまつわる伝説への意見が長い 時を経てもこの地に深く指してなのかも しれません。以来の はい。 年を収納めたらさ、記録があるわけ。 はい。 ここの人念収めてないで。 ああ。 あ、収めてないすね。 うん。収めと記録がない。 それはま、説ありますね。 へえ。すご。 のところは年ごちゃんと収めてちゃんと記録が残ってるじゃん。ここだけない。 なんなら花山家に常能があったかもしれない。 いや、そんだけお金集まってるとなんかそんな気もする。 うん。うん。なんで余計さ、そういう風に あのご視化したらみんな思うわけな。ま、 本人たちはそう言ってるんだけどね。 俺たちはあの花山あの天の松だってさ言ってんだけど周りの人がどう思うか勝ってだけどそういう状況証拠を固めてくと うん ありかもしれるっていうさはい 確かに うん本当に伝わってたっていういいものはもう戦後採出しちゃったもんでかんけど江戸時代にそのやたらに自分がその天皇の強なんて乗れるだろうかと 確かに 確かに それこそんなま言ったって実際の金度がなくた で、天皇時代に白が、白はあるもんでさ、 そんなことをさ、あの、ま、大けのバックがさ、あの、ほっとくだろうか。それ天皇だって言うやつもね、 大体的に言えないっすよね。 うん。俺はあの、大概のこと言っとるじゃないですか。ちょっと怒られそうだよね。 そううっすね。 いや、可能性結構あります。よりある。うん。記録としてその年宮が納てないのは確かだし、金が上がったのは間違いない。その辺だよね。 有力な一族としてこの地を支えた花山家も 後年には集落を離れ豊橋に移り住んだ松江 が有にふけり材を失いその園中で天皇 ゆかりの品ジも山一資料には花山家所初 所属の法物として鎧い2丁銀星の靴千の コ路立鏡などが存在したとされていますが そのいずれも欲方不明となっています。 しかながら、花祭り用の鬼面や一部の顧問所は現東の花祭り会館に起造されています。入の歴史は花山系水の歴史とも言えるのかもしれません。 これなんだ?観音 なんか不思議な感じだね。 うん。 そこの横に丸石があるじゃん。 これ下の皮から持ってくるわけだもんね。 ああ、丸石の丸石進行の。 うん。うん。あ、で山の中にはない石だもん。絶対ない石だもんでね。 はい。確かに ここにも丸石進行あるんだ。 やっぱこれなんか演技がいいものなのなのかな。この丸石って。 うん。あ、信号のあの総本があるじゃん。木の方に。あっちの方に流れていくっていう魂に乗ってね。 あ、 そのためにあの石を持ってくるっていうような話をしとった。それを聞いてああなるほどなと思っ。 へえ。 うん。 で、川は全て海に掃じるわけじゃない。 はい。はい。 海からあの木のとこまで魂がけるようにってのも持ってくる ていう風に聞いてあなるほどなそれはありかなっていう 皮を感じさせるというか近しいものを置くんですね。 そうそうそう へえ。 うん。そのためにわざわざあの持ってくるわけだからね。人々が新で。そう。 うん。 そういう信仰ってもう知らないすもんね、今の人。 ああ、わかんないもんね。 どういうタイミングで失われていくんですかね、そういうのって。 うん。 ということで休憩もうん。 終わって今から神社に向かいます。 いや、なんか花山市のことを聞いてるとなんかどんどん はい。 線の末が結構濃厚になってくるね。 信じを得ない。 猿を得ない。 神社は花山神社っていうみたいですね。もうそのまま あ、そうですね。もう ねえ。 ま、そうかもしれんね。よく考えたらさ、 うん。 花山さんの名前がついてるってすごい。うん。 神社に。 そうだよ。 お安神社があるようなもんだ。そうやった。 おお、高いとこにあるな、やっぱ。 こんな感じです。ああ、結構急な階段ですね。 ちゃんとまだ残ってましたね。 うん。 良かった。 いや、だいぶギリギリだよね。 うん。 そうだね。ちゃんと神社だからさ。 うん。 もうめちゃくちゃ高い丘の上にあったね。 うん。 ここに来るのにそれはもう苦労しました。 ああ、雨がま、これがかなり入るんだろうね。でもなんか祠の後みたいなめっちゃあるね。 うん。 何個も神様がいっぱいまったったんかな。これはお墓ですか? お墓じゃないよね。これは まあ10何年使ってるね。11年か。11 年ない。 高歴 1761年 1761年 相当古いよね。 江戸時代 余裕で江戸時代だよね。 もう300年近く前の うん。そうだよね。 ものですね。 そうだよね。 こっちなんてさらに風火してるんでもっと古るそうすよね。 もっと古もう読めもんね。 はい。あ、でもこれあれすね。 見ざる効か飾りざれすね。これ下に並んでるやつ多分。 からしたのかな? はい。これ聞ざる。 あ、真ん中木カざるだね。 そううっすね。猿る餃。そうか。そうか。その字は読めんな。その女の人っぽいやけど。 6 年だけは読めますもんね。6 だけしか読めんで俺もう 上は何だろうな、これ。 うん。 明らかに女の人っぽいよね、これね。 そうですね。 ねえ。この着物を感じといい。この髪のを感じといね。 あ、これがお墓カですね。 これが1番新しい対象。傾 いてるな。すごい。 これ誰のお墓なんすかね?これ ちょっともう読めなきゃあったのか。 なんか文字っぽいの書いてあるけど。 ああ、花山クロって書いてあるね。 やろ。 はい。花山八ヤクロってあのよく出るな。あの字が。 あ、そうなんすね。 うん。 ま、花山神社っていうぐらいだもんでさ。 うん。 はい。 あ、両方奥のやつも花山って書いてありますね。 ああ。 あ、これも はい。 これ書いてある。読める? 花山って読めます。 あ、これも跳って書いてあるね。 あ、両方ですか? うん。両方そうだね。これ対象 11年じゃん、これ。 はい。 大初15年じゃ大初 15 年。14 年15年。 え、なんだ?定期的に作るのか? 11 年15年。 うん。でもなんかそういう周期があってさ。 うん。何年1回とかやるのか。 あ、これもやっぱ花山って書いてね。 あ、これも花山さんの 残ってるのは花山さんのものばかり。 で、あの花山神社をあのまあなんちゅうのかな。ま、釣っとったのが花山本家であってその関係でここに花山さんのものがあるのかもしれないね。 うん。 なるほど。 で、あとすると普通の一般の人のお墓ってのはどこにあったんだろうと思ね。 この集落から例すぐ周りにさ、お測ってないないと思うじゃね。はい。 見つけてはないもんで。 あるならあの少しはまとまってま、このぐらいでもあってもそれもどこにもないもんで。 うん。あ、 その向こにお荷がってあるじゃん。 そのにあの つ橋がかかっとったって言うんだけど はい。 ツ橋はあの重くてこれがあの持ってこれないから川の川のとこ水量の含めところを背負って持ってきたっていう話がその研究者の人ねここの 親戚がおるってその言ってたね。 はい。 あ、ここまで持ってきたんすか? ここまで背負って持ってき す。 すごい心だよね。これがこれ今なんかお守りじゃん、これ。 うん。 へえ。本当だ。 ご親睦の下に浮いたんですかね。これなんかね、ガ掛かけしたのかな?なんか来て。そんな昔のもんじゃないよね。ま、昔ってもう何十年も経ってるけどさ、ま、し、昭和か 昭和の初期ぐらいか。 これ焼き物。焼き物すよね。これ焼き。 うん。 ま、これはもそんなもんね。ビニールだもんね。 確かに。 うん。 ま、ここにゆかりのある人が来た時にちょっと置いてかもしれんね。 うん。 奥川の冬を彩る下月神楽花祭りは毎年11 月から翌年1月にかけて東映町内11地区 で夜を徹して取り行われる新時です。祭り では中央に据えた湯手川の蒸気が立ち登り 笛太鼓金の林しに独特の掛け声が重なって 数十種の舞が続きます。花祭りには表紙 や式の違いから大川龍域の味噌の東園そ園 の日区からなる系。振り草川龍域のふっ 布川月足米下代中下中間高知の八地区から なる振り草系に対別されますが小林地区に 伝わる花祭りだけはこの2つの系統とは 大きく異なるためこれを王光地形とし3 系統に分類されることもあります。 花祭りの期源については諸説ありますが、 鎌倉期から室町にかけて熊の主元の影響を 受けて成立したとの見方が一般的であり、 その中でも祭りの原流を大入集落に求める 説が存在しています。民族学者柳北国王は 花祭りを大入川流域系と振川流域系に対別 できると指摘し、両線が合流する地点の 近くに花山王入という集落が存在すること 。その名称からこの地が祭り発症の拠点で あった可能性を示唆しています。もしこの 祭りが天流川を遡って奥川へ伝わったと すれば大入はまさに入口にあたり機嫌値と 考える余地があるというのです。 この説を追求していくと王入には主元と 結びつく痕跡が随所に見られることが わかります。例えば花山神社には古くから 天狗が祭祀れていたと伝わり、経天狗が 舞いるとされた戸の巨木が存在していた こと。またみそぎの際には天流川の浜石と 浜水を放斎する風習があり、集落内では 浜石が祭祀様子を今でも見ることができ ます。 このような浜石進行は熊の地域にも広く 分布しており、こうした共通点は熊の系 主源文化の色濃い影響を物語っています。 そもそも大の花山神社は熊の神社とも呼ば れていたとされ、実際に神社に奉された 胸札には熊の大言と書かれたものが存在し ています。また大入が位置する現東映町内 においては花山神社を加えると熊の神社が 最も多く分布しておりある時期に天流側を 遡ってこの地に熊の由来の信仰が伝わった という柳田国の説も一概には否定できない でしょう。 さらに火山天皇についても主元と深い 関わりがあった人物であり、この地が天皇 の隠れ里であったという説との関連性も 見い出すことができます。 大入集落の満衣省には他の地区では見られ ない独自の図柄が刺繍されており、これは 正と呼ばれるものです。 この図柄は三重県島地方の天が身につける 真けとして知られていますが、元をたどれ ばその期源は音妙に行き当たります。火山 天皇の時代において音明は安倍の生命を 排出するなど全盛紀を迎えており、天皇や の指的生活にも大きな影響を与えていまし た。宮子からはるか彼に位置するこの地に なぜ音妙由来の図柄が伝わったのか。 話を飛躍させればクノを経て三川の地に 訪れた火山天皇がこの地に花祭りの原型と なる文化を伝えたという可能性も考え られるかもしれません。 このように地理的条件と進行的痕跡火山 天皇にまつわる伝承を総合すると花祭りが 大入を起点に周辺へ派生したという説にも 一定の説得力が感じられます。ただしこれ らには決定的な資料は存在せずあくまで1 つの可能性にないということに意が必要 ですね。はい 。やばいもん拾ったかも。なんかあった。 古戦いった か。これお金だよね、多分。あ、古だ。 なんか 寒コバみたいな 古線じゃん。これ貴重なものじゃね? オスが発見してる。 寒方。 あ、かあ、聞いたことある? うん。関栄通報。これすごい種類たくさんあるもんでさ。 ああ、 あの、調べてみるといいよ。これ 確かレアなやつ かかもしれんし。 すごいやつが大発見してんじゃん。 うん。これ結構おだよね。多分 これ気造とかした方がいいんかな?博物館みたいな。 そんな貴重なものじゃないかな。 すげえ。ええ、大発見じゃん ね。これすごいよ。 ドレジャーハンター多くやつじゃん。 この中にもあの天龍から減ってきたって丸石があった思うだけど、今もうなくなっとるね。 あの、来た人が持ってたのかどうか知らんけどさ。 ま、そのテレビ、テレビでやった時にはも、あの、持っててさ、その人が、 これが大事なもんだって。え、 ま、神社まで見て これで主要な場所は全て回れたっていう うん。 ことらしいですね。 結構、あの、思ったより範囲が広くて驚きました。あ あ、そうですか。 はい。 うん。特に 確かに 最初のその発症の うん。 場所3元 発症のところから うん。うん。 ま、本当の集落 うん。 で、さらにこの神社まで結構 うん。ああ、そう、そういう広いかもしれない。そう、めちゃくちゃ広いですよね。 うん。 ま、元数もね、7cmかな。 はい。うん。 ということで、もうあ帰るだけっていう感じですが、あの、ちょっと僕はもう無事に帰れる映画全く浮ないですが、もうなんとか張ってでも帰りましょう。 もう心を無にしてね。 いや、もうあんだけ辛かって、今体力失った状態からだからもう不安しかないですが、 ちょっとなるべく皆さんの足を引っ張らないように頑張りたいと思います。 はい。 はい。 はい。 じゃあ帰りましょう。 はい。帰りましょう。 心です。 若かした。 それ何をやってんの?それもこの方法でしか降りれない。もう足に力が全くないから。 立って立って歩こうよ。 いや、ちょっと無理だ。これがいい気づいた。 それさ、怪我しんの? 大丈夫?この上手だから 君は眠くもあるの?それは 眠。なんか体力が使いすぎて。このそうだよね。 そうっすね。いや、 すごいな。本当に 食事してんのに眠くなる。眠くない。 めっちゃ忙しいね。水も飲んでるしね。 ここを乗り越えれば ゴールです。 ああ、だめだ。ちょっと待って。やばい。た、 すごいな。最後に試練を与えてきたね。 これはやばい。 おお、行った。 おおた。 すごい。 最後の力を。 あ、今の0マイナス。 あ、すいません。 おお。 ああ、ざだ。 感動のフィナーレ。 ああ、ここだけ。ここだけ残って。ここだけ。そうすね。 やり切った。 奥川の深い谷に眠る乳集落。人が去り、かつてこの谷を照らしていた明りは消え子供たちの笑い声も風と共に遠くなった現代。 もはや到達すら困難になったこの場所の 歴史と伝説はやがて人々の記憶から忘れ られる運命にあるのかもしれません。 しかしながら現地に残されたわずかな痕跡 はこの地で確かに人々が暮らしてたことを 物語長 語り継がれた伝説を今に伝えているのです 。はい。ということで今回は集落を富さん にご案内していただきました。ました。 ありがとうございました。 ああ、あの、まず僕から はい。 はい。どうぞ。 死ぬかと思いました。 てか死んでたよ。 もう死んでたね。 うん。 いや、もう本当にきつかった。だって今もう 5時ぐらいなんでもうまるっと 12時間ですね。12 時間ですね。 うん。 ああ、確かに 12 時間あの山の中。しかも道じゃなかったですからね。 あ、道じゃないとこは半分。いや、ほぼほぼ道じゃないよ。 はい。 うん。 本当の昔の行動が悪いのはごく一部で あとはお寝で全然道じゃないところ行ったんで時間がかかったってことでじゃないとこ行くんで完全に行ける保証は 100%なかったんだけど ま 崖崩れとかっていけないことも十分考えられたんでそうなったらま引き返すしかないんでもま無事に行って帰ってこれて いやでもこの素人2人を導きながら あの位マップであの確認しながらでしかもピンクリボも巻きながらで 大変だったと思うんですけど、本当にありがとうございました。 でも現地すごかったっすね。 うん。 本当に行った会いがあった。 ああ。 あ、まあね、行かれてね、あの、自分を見て色々感じてもらったと思いますけど、やっぱりあのこの入集落に伝わる伝説みたいなものをやっぱり 何かないとこういう状態にはないないっていうのが十分感じ取れるだと思いますよね。 そうですね。うん。ま、わずか 6、7個しかない集落にしては異様な その石垣のすごさはい。うん。 あとあの墓、お墓の石の作りの良さだったり、ま、神社もしっかりあったりとか、 ちょっと村の規模に合わないものがありますよね。 そうですよね。 うん。そこがやっぱりその 伝説が謎なんだけど、そのかつかその時代の残りがみたいな感じ取れる。 まだあのすごく昔ではないとね。 うん。 カジで存命の方も見えるには見えるんですけども相当恒例ですからね。 の話はなかなか聞けないと思うんですけど。 うん。うん。 まだ昭和の時代に江戸時代と同じような暮らしをしてた人たちがいたという。うん。 それがすごいですよね。 の審議はともかくとして事実としてやっぱり、ま、勢を収納めてないだとか ああ、そうですね。 そういう 事実、ま、あとは資産家だったっていう、そういう事実があって、 そうですね。 うん。 それだけでもすごい謎なんですよね。 はい。 本当にありがとうございました。 ありがとうございました。お疲れ様でした。 ありがとうございました。 はい、ということで今回の動画もいいと思ったらグッドボタンやチャンネル登録をよろしくお願いします。是非、え、メンバーシップもよろしくお願いします。ではまた次の動画でお会いしましょう。 動画のご視聴ありがとうございました。ヒストリカは地域のこれまでの歴史とこれからの歴史を発信する地方創生メディアです。 このチャンネルを気に入っていただけたら 是非グッドボタン、チャンネル登録をお 願いします。
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◎お勧め動画はこちら
【伝説の集落】百夜月 – 陸路からは絶対に到達できない!古い伝承が残る廃村の現在の姿を追う
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チャプター
0:00 オープニング
5:21 過酷すぎる道のり
11:53 旧大入集落があった場所に到着
15:41 いよいよ大入集落に踏み込む
18:15 朽ちて倒壊した家屋の数々
20:55 大入集落の歴史
23:54 やはりヤツもいた
25:38 花山本家跡地
28:02 謎多き花山一族
32:59 熊野由来の文化の痕跡
34:06 花山神社へ
35:45 墓地の跡
39:30 花祭起源説は真実か?
44:23 本日の大発見
45:44 集落を後にする
48:42 エンディング
#大入集落 #花山天皇 #廃村 #廃村探訪 #廃墟
6 Comments
こんにちは😊🌇楽しみにしてました😁👍今回は、愛知県大入集落の秘境の集落ですね😊遠藤さん、岡安さんお疲れ様でした🙋
がんばれ~!
あんどうさん、肥えた❓️
ここ待ってました
お疲れ様でした。富安さんのyoutubeチャンネルとかHPとかありますか?もう少しこのあたりのことを掘り下げてみたいです。
待っていました\(^o^)/
本当にお疲れ様でした😂
アンドウさんとオカヤスさんのトークをもっと視たかったけど、まぁ寝不足と体力の低下であんな山道歩いていたら、そりゃーあーなりますわな💧
考察をしたいけど、また今度ですね😅
本当にお疲れさまでした🎉