大王崎を望む素朴な漁師町・波切(三重県志摩市)

大王崎を望む素朴な漁師町・波切(三重県志摩市)

はい今日は三重県島市の大王町にやって まいりましたこちらはホ浜かつては島の 江戸と呼ばれたナキの街並が見えます ではここから大陽先の東台に向かって商店 街を歩いてみましょう ご覧のように日差しのようなアーケードが 断的に設置されています ここ島半島は日本有数の新珠の産地ここに も新珠のお店が立ち並んでいます 商店街の渋い雰囲気と売られている商品の 高級感が対象的で面白いですね ただシャッターを下ろしているところも 多いです島半島の観光のピークは昭和の 終わり頃だったようで観光客の数も年々 減少しているようです こちらも新珠のお店のようですねただ新珠 以外にも手頃に買えるようなアクセサリー も置いているようです この辺りは空地が目立ちますが昔はここに もお店が並んでいたのでしょうか いやあなんとも日び雰囲気ですね さ右手の坂道を登ると8万3公園絶景が 望める絶好のビュースポットなんだそう ですちょっと行ってみましょう はいこちらが8万3公園です絵描きの像の 奥に広大な太平洋が見えてきました いやあ絶景ですね 時給が丸いというのが実感できます そして奥には大崎東台この風景は多くの 芸術家形を魅了してきましたここ大王町は 絵きの町と呼ばれているそうです はい先ほどの商店街に戻ってきました左手 の小屋には浜口パールと書かれていますが すでに廃業されているようです この地域では2016年に伊勢島サミット が開催されて盛り上がりを見せましたが 2020年からのコロナ禍で観光業は 大きな打撃を受けたようです 建物岩に挟まれたトンネルのようなアーケードが見えてきました見えてんじゃ 本とか あったよ この辺りのお店は今も頑張って営業されているようですやはり新情を扱うお店が多いようですね こちらのお店は東洋 いやあ昔ながらの雰囲気がたまりません 土産物だけでなくお食事どころもある みたいですね 一方こちらのお店はアクティビティ& シェアキッチンおかバ昨年の秋にオープン したばかりです ガラス張りでおしゃれな雰囲気ですねこういう新しい動きがあるのは嬉しいことです さあアーケードを抜けたところはちょっとした広場になっていますそして右手には大崎東台が見えてきましたこの東台は日本に 16 機しかない登れる東台なんだそうです早速行ってみましょう はい大崎東台です 昭和初期の1927年に立てられたそう ですからもうすぐ100歳になるんですね さあ82弾の狭い螺線階段を登ってきまし たもちろん今も現役の東台です年気を感じ ますね さあ展望台からは一面のマリンブルー 絶景ですね この場所は熊のと演習なを分ける海の南所 でこの東台ができる前は海南事故も多かっ たようです 海の色が鮮やかですね季節や天候によって この色もまた変化する こちらは諏ノ浜晴れた日はなんと富士山も 見えるそうです さあスタート地点の浜に戻ってきました 崖の上にそびえ立つこちらの建物は料理 旅館竜王小津安次郎監督が映画浮草の撮影 の際にここに泊まったそうですが今は廃墟 になってしまっています ここが入り口だったんでしょうか 太平洋を望む丘の上に立ちきっと不勢の ある旅館だったんでしょうね こんな立派な建物なのにもったいない気が しますね さこの辺りは天マと呼ばれる地区で寄伏の 激しい丘に狭い色地が複雑に入り組んでい ます 秋葉さんの祠の角を右に曲がります 太平洋に面しているので頑丈な作りの オタクが多いですね さあここナキの町は昔は島南部の中心都市 として栄え島の江戸とまで呼ばれたそう です 特に石とカオ節の生産で栄えたそうです 現在はとばやに賑いが映ってしまいこの町 はさびれてしまいましたが昔ながらの 美しい風景が人々を魅了しています また小や次郎監督の映画のロケッチになっ たことから映画ファンも多く訪れている そうです 右手奥には巨大なリゾートマンションも ありますが観光のピークを過ぎた今は ひっそりとして寂しそうです さあ不勢ある石畳の階段に出てきました こちらは電座 この坂降りた先は小島町と言ってバス停の 町の玄関口となっています ちなみに昭和40年代のなキりの町は こんな感じだったようです さあ小児島町から西村にかけての路地を 進みますと々に美容院や飲食店が点在して いますが昔は他にもお店がずらりと並んで いたのでしょうか いかにも漁子町といった立体感のある景色 が続きます はいそして小児島町から北に進むと帯坂昔 はこの坂の途中にう屋という建物があり 妊婦さんが出産の前後をそこで過ごしたと いうことでこの名前がついたそうです こんな激しい坂道を妊婦さんが歩くという のもちょっと怖い気がしますけどね 後ろを振り返ると漁行と東台が見えます では引き続き帯坂を登っていきましょう 昔はこの道が港と丘の上を結ぶ唯一の ルートだったそうで多くの人がここを 行きったそうです すりった石を見ると昔の賑いが目に浮かぶ ようです 左手には小安観音後地妊婦さんはここで 安算を祈り出産後にはお礼をしていたそう です 昔も今もおさは命がけですが医療が発達し ていなかった当時はここで命を落とす方も 少なくなかったでしょうね さあ帯坂を登り詰めたところにはまたまた 漁子町ちらしい迷路のような街並が広がっ ています ではここからは西に向かって一直線に 伸びる丘の上のメインストリートを歩いて みることにしましょう はいここが昭和の頃になきりの町のメイン ストリートだったところですただ今では すっかり寂しくなって廃墟が目立ちます こちらのオタクは家の中が丸見えですね昔 はここにどんな暮らしがあったのでしょう か さて先ほどちらっと見えたナキ漁行は元々 陸地だったところを掘り込んで港にした ようです この港の蓄造工事は大正末期から昭和初期 にかけて行われそれで立ちのきになった人 たちが移り住んできたのがちょうどこの 場所なんだそうです 新しく作られたこの町は当時の三重県知事 長野ミに長野町と名付けられました その後昭和の中頃までは長野町商店街と 呼ばれて賑わっていたようですが今では すっかり静かな町になっています 所々に今も営業されているお店もあります また普通のオタクに見えても昔はお店だっ たのだろうという名残りが感じられる建物 が多いですね 観光客はあまり来ないエリアですが昔の 名残りを探しながら引き続き長野町商店街 を歩いてみましょう こちらのピンクの建物は何のお店だったの でしょうか この辺りは伊勢神宮の影響から消門飾りを つけているオタクが多いですね すっかり寂しくなってしまった街ですが昔 の名残りを探しながらのんびり歩いてみる のもいいかもしれません はいということで本日は三重県島市大王町 のからお送りしました最後までご覧 いただきありがとうございます皆さん チャンネル登録高評価そしてお気軽に コメントよろしくお願いいたします

昔から志摩半島の中心都市として栄え、「志摩の江戸」とまで呼ばれた波切の街を散策しました。大王埼灯台に向かう商店街、起伏の激しい天満地区と伝三坂、小路町・西村から産屋坂を経て、最後はかつてのメインストリート・長野町商店街を歩きます。
自然豊かで見どころは多いものの、既に観光のピークは過ぎている様子。今は素朴な漁師町といった雰囲気でした。

撮影日:2025年4月27日(日)
撮影機材:iPhone 15 Pro
http://match345.web.fc2.com/

#三重県 #志摩 #志摩半島 #志摩市 #波切 #大王崎 #大王埼灯台 #昭和レトロ #街歩き

1 Comment

  1. 三重県のリゾート地と言えば最近は、大手交通会社やリゾート会社により人気スポットも時代と共に変わり行きましたがここ大王埼灯台の展望は今も昔も変わりませんね。
     その昔は九鬼水軍の城塞跡地だったそうです、美しい映像のご紹介ありがとう。

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