熊本城復興への道 唐沢・山口 職人技に大感動!

熊本城復興への道 唐沢・山口 職人技に大感動!

おはようございますサさん 今日は車動くんですか 全然動くよ普通だよ
動くの
うん
なんか 動かなきゃ困っちゃう さっきおかしいって言ってたじゃん [音楽] 今日の一言

今日の一言 の一言頑張りましょう [音楽] で今日見ていち見ていただくのはこの左側の はい これが宇宙や倉っていうところですかっこいい アプローチがかっこいいですねこの でちょうど今縮がされてますさるように今日午前中はこの屋根の中の えヤ倉っていう あの5 階なんですそれを今解体してる途中でえそことあとその はいえ石垣の方のえ解体も進んでますので 石垣の体はい そこをご紹介しながら職人さんたちにあのお話をしていただける はいはいお願いします ちょっと暑いんでじゃあ中
はい 片沢さんよろしく今日 ちょっとヘルメット部隊で私ヘルメットのサイズ調整ができ 日本一頭の小さい男ですけど今日はどうですか?ヘルメット被ぶって いや俺のサイズに待ってるからいいんじゃない?すっごい縮めたもん今 あ本ん当が縮めて熊本城が平成 28年の地震で色々被害を受けております はい でえっと大体え熊本城にはですねえ重要文化剤の矢倉が 13等あってえ復した建物なんかが 20 等ぐらいあってで石垣もえたくさんあったんですけど多くのところで被害を受けておりますで今日ご紹介するのがこのヤグの 5階はい のえ解体保存工事っていうのをえ行ってる んですけれども 元々ですねこういう風に誤解と鈴木って いうのが続いて建物がありましたこれ 国指定の重要文化です 熊本城の中でもこういった多層のや倉あの海層が何回か服装あるや倉っていうのはここでえ 1 番その重要文化剤熊本上の重要文化剤の中でもえ価値が高いとされてるものです うん もうこっちの続きア倉側がですねペシャンコになっちゃったんですよね ああ
うん
で続きっていうのが今 はい 石垣を解体してるこちら側にあでえ五油側はえ残ったんですけれどもえ傾きとかえ歪みとかがひどくてえ解体をして修理するていう方針になりましてそのえ解体から復旧ためにこの大きな鉄骨私たちや根って言ってるんですけど屋根を作ってでこの中でえ体 [音楽] [音楽] から復旧まで1 年の作業をするようにしてますあ はいはここに海があったんですこんな風にです [拍手] ああ こういう風に
うんうん 今ちょうど同じ場所ぐらいから見てる ちょうどここの角がそこの角です はいこういった形で5階が あったんですけれどもえっとちょうどえ [音楽] 23年の12 月ぐらいから解体を始めて今大体 1 年半ぐらいですかね復旧をしていくんですけれども今解体保存工事の途中で復旧するのがえ令和 14年20322032年 を目指してはいを 行いますですね すごい地道な作業ですよねこれだって解体だって全部記録して 分析して1
つ1つの部材を 明確にして あの変なリサーチかかりますね はまだあれなんすけどあの熊本城全体からすると えっと 2052年
うん のえ地震からの復旧を目指してえ動いております うん ですからこの後もずっと他のえ需要文化台のやも復旧を続けていきますし石垣の方もえたくさん被害出てるところあります こっちは今石垣解体してますけど後ろ見ていただくとまだ崩れたまんまの石垣も残ってる状態です あああそこが崩れたまんまのことですか?今ちょうどえ地地下部分のえ [音楽] 地下部分
地下部分で倉はえ三索 5階地下1階の方にます 三の3っていうのは屋根の形が 3つある1層目2層目3層目
はい
3 層でこの中にフロアーが 5 個分かれてますでこの石垣きの中に一層あの近い部分があって三 5階近い1回の構造になってます であのだんだんえ上から崩してって残りはえこのえ地下部分とコンクリート うんコンクリート このコンクリートをえ解体する残すだけってわけです これあのコンクリートが残ってるのがあのなんでかって言うと元々軽長期に立てられたっていう [音楽] 1600 年代前半に立てられたっていう言われてるんですけれども あのずっとそのままで持ってたわけじゃなくてえ過去に何度かあの修理が されてってます
うんうん で修理されていく中でえっと昭和 2 年にですね大規模なえ回収が行われてます うーんうんですねこれ 対象に撮られた写真なんですけど当時陸軍の統地である程度そのメンテナンスとか回収がされてない状態の時にえ寄付を募ってアグを復旧させようっていうのが昭和 [音楽] 2年に行われました で昭和2年の時に1 回全部解体してしまって今回みたいに全部解体してしまってえ復旧させたっていう工事の記録が残ってます へえ
でその昭和2 年の時にこういうコンクリートとか あの鉄骨のプレートとか出てんですよね うん
ああいうのが施工されてます うん やっぱりえっとこうなったのも当時あのやっぱり地震には弱いっていうある程度の認識があったのかもしれません [音楽] ですのでえ耐心性を高めようとしてその当時できることっていうのをえされてます ですのでえまこうやって重要文化剤にコンクリートとか鉄が使われてるのが不思議に思われるかもしんないんですけれどもその時々でこの矢倉を大切に守っていこうとされてた努力の跡が今こうやって見えてる状態 はいしっかりそう やっぱ対震技術って着々としんですか 時代に 当時今見るとああ今だったらこうはしないなっていう方法はあります 例えば今コンクリート割れてますよね これあの石垣面確かに はい はい石垣面がですねやっぱり多少下がったりして割れてるところが多いんですけども鉄筋が入ってないように これが鉄筋が入ってるともうちょっと耐えた可能性があります ああ そのままコンクリートのみでやってるからか コンクリートのみ コンクリートっていうのは圧縮には強いんですけど えっと引っ張ったり曲げたりすると割れやすいです [音楽] それを補強するために中に鉄筋を入れるんです 食は強くて 引っ張るのに弱い
弱いそうですよ
なるほど それを補強するために中に鉄筋をあ 鉄筋コンクリートって技術がなかったんですよねまだね いや
あったんですか あったんですあそこ見てくださったんです あっあそこあのちょうどですね柱がたこう 柱には入ってんだ
フックが入って はいフックが入ってました ああいう風にちょっとあの出っ張ったところには所々入れてあるんです [音楽] え ただあの鉄筋も今使われてるような鉄筋じゃなくて えっとですねまん丸るなんです 今鉄筋ってですね鉄筋がこしててあのコンクリートと食いつきがいいようにわざとデこボコにしてあるんですよあ ただあれはもうそのままいまんまのあの断面のえ丸コってますけどはい [音楽] ま当時えそこまでまだ研究が進んでない中でできる としてはああいう形だったかななんかスポンとけ難しいのがあの元の位置に元の部材をできるだけ残したいんですうん [音楽] ですのでそれがどこにあったかとかどういうついてたっていうのを細かく記録しなきゃいけ それが今大育さんたちがえない作業の 1つです で今日はですね今大さんあっち待機してもらってますけどあのこの 部材にあのバ付けって言ってえ札をつけていくですねこの材料の住所みたいなんです [音楽] うん その札をつけていく作業を今日はされてます ちょっと大工さんを紹介しましょうかいただいた猿さんいいですか ざいます
あおはようございます 猿渡りさん
はい よよろしくお願いしますが出て 実際大変ですか 大変でしたね 大変ですでした今も大変中ですよね全部 まもうあと少しなんで頑張りますっていうとこでね うん何が1番やっぱご苦労って何ですか うーやっぱり古いので材料が古いのでやっぱり割れたり壊れたり うんうん
するのが1番やっぱり 繊細なってこと そうですそうですよ 新しい技術とかもここは入れなきゃなとかこれは使えないなこれをどう使おうとかっていうの考えなきゃいけないですもんね そうですねもう解体するもう時にはもう その最終的にほらあの区なんで うんうん それ組み上げるイメージでここ順番とかもうその組み上げる順番とか もうそれ想像しながらここはこういう風に収めるとかもうもう本当に小さいこんな小さい板でもば番号名前変えて そこに取り付けなきゃいけないんでもうあ そういうイメージでも解体してますよちゅうかバ付けこれこれにあの土台土台で言って [音楽] 1番左側にある あれが土台なんですけど1階の土台 でそれにバ付けがそのこう十字にこうと通っていの色ハ未だに色ハとなんですよそれあいうじゃなくてそうです半数字の [音楽] 1番2番3番4番5番で行ってでロのロの 3番とかのところの 番号をちょっと 今からちょっとけます
そうなんですね 木材だけで1万ある1
万1万ですか1
万 河を合わせると4万近くある すごい
すごいすごいカ ーも全部番号を振りましたね うわあ 何万も すごいな あ若い手が 若が [音楽] こんにちは お世話になります あの見学させてください大変ですね毎日 お願いします若い人たちが皆さんこんにちは になりますよろしくお願いします見学させてください これでビシって止めてく
あれご兄弟 何?違う すっごく似てますすっごい似てらっしゃいませちょ 後ろ向いて
むっちゃむっちゃなんか なんか入ったら容量が一緒みたいな感じ こういう風に
こういう風に1つ1 つ記録にはいそうです 1階の壁の抜きっていう部材ですね うんであの色ハフェトの で1番
で上から何番目 うわあっ
ていうのを書いてます 上から何番目 すごい
うわあ1
つ1つ 1
つ1つ 1つ1つ 1つ1つすごいわ で1個の部材にもやっぱり何箇所か 何箇所かによって はい1箇所だけだと
ここ2 って書いてある根の2 って書いてあるんですけどこっちは1 って書いてあるんですうん
だからここが1 番の通りここが2 番の通りっていうところの向きとか方向も分かるよね [音楽] こっちは ここがちょっと うん やりがあんじゃないこれうん自分たちがこの工人にさ会してるってのは相当なプライドねねえ [音楽] 持てるよ 俺がまたこの先何百年何千年以来に残ってくんだもんね 時間をかけてもさやっぱ未来へ仕事をしてらっしゃる方は すごいよね業界もお持ちだわ うちらの業界そんな未来考えて本当に仕事してんのかってすごい突きつけられるよね 長い目で見た言い物作りっていうのはちょっとテーマだよねエンターテイメントっていうかさ人類においてちら目先のことだけ考えすぎだからね まいい俺らにとっては勉強になるよ 勉強になるね物づりの根本がここにあるよね 2人がやられてる作業は何なんですか ああれはですね文化剤専門の 設計とか工事を管理される方です うん
はい火財専門 そうですどういうことをするかと言うとえ部材の破損状況の調査であったりとか うん え昔の部材がえあったらその部材がなんでか知らないけど加工が うん
残ってたりする
うん
じゃあその加工が 元々コンってどういうこと えっと例えば柱の横に 穴がほげてたりするんですよね 技と穴がほ
技と穴開けて何かを 加工してある後
はい後加工してある じゃあその加工が何のために加工されてたのかとかをえっと場所とかを今記録取って えじゃあ浦姿だったけど元々はちょっと間取りとか壁の位置とか違ったんじゃないか うんうんうん だから過去に何回か修理されていく中で色々改されてたところがあるんじゃないかっていうのも 古い部材からは分かってくる うんへえ そういうのを調べるための文化剤専門のえ工事をされる方だという ねいろんな人に見てもらえるといいですねこういうことやってるんだていうねうん [音楽] 僕らも分からないもん外からいいたらそうですね うん あなんか直してるんだろうなとは思うけど 解体してる途中ってびっくりされる方が結構多いですうん 1回ここを公開してるんです あ公開はされてるん はいこの周りぐるっと回れるようにしてるんです 一般の人がこの方見学には来れる そうです
へえ だからそん時もですねあのフラっと熊本順に来られて状況がわかんない方はこれを見てあ今から作ってんのねて修理してんのねて思われる方も 思われるんですけどまだ解体の途中 うん解体の途中
はいあるさん10代です
え 10代
すごい10何歳19
です19 素晴らしい未来ばっかだよ素晴らしいよ 頼もしいよ
YouTubeで うん流さしてでももうね日本と世界を背負ってお仕事だもんねかっこいいっす本当に期待してますございます うん19
えそうあ一見ご兄弟は何歳 えっとこれは24ですね
あ24 意外に年の差は2人あったね 20代10代
えよろしくね はいお願いします お体気をつけてね頑張ってよ毎日 はいありがとうございます ありがとうございます 本物レプリカじゃなくて本物 本物あの実際に屋根の上 実際のものですか すごい 神社の小犬のあ ああうん
あ運があるんだにも はいはいだからこっちは歯が あああの形 はい
ああ
口が開てる 歯が見えるってことだ
あ本当だ歯が見える こっちは口通し 本当だ前歯は見えないうん運の方あうん これがあの [音楽] 1600年代前半の東の河と思われる へえ こいつとこいつがですねあこれもかな?古い河です でこれがここにですねうん コが売ってあるんですけどこれ原 6って書いてある原って書いてあるです はい
原10年 [音楽] 00年代に入ってからぐらい ですねえっと大体300 年ぐらい前の変わらです数残ってます しっかりしてる見えるけどねどうなんだろう えっとあのですねえ枚数的にはですね あの あんまりま残ってるものは残ってるんですけど今残ってるものはしっかり焼けてるものがやっぱり残ってるとうんうん だから河原も台風が来たりとかえ 結構あの東って言ってあの凍ったりするとあの割れが出てくることがあるんですけど [音楽] そういうのを経てえだんだん変えられてってるんですよね うん だけど残ってるものっていうのはしっかり焼けってるしっかりえ作られてるものが残ってるので [音楽] うんうん あの再利用できるものが結構あります うん これ職人の手型が残ってる 指の跡が残ってるこんにちはうわすごいすごいできたいけだなこれ [音楽] この辺にも柱が並絡んではい うん 古い柱この辺りは古いなどうしてもやっぱりあのちゃってはい これなんかもうスポンジみたいになりますけどと元々ですねえっとこういったところにホで入ってたのが [音楽] 入ってたものが実際こう もう食われちゃってスカスカになっちゃう [音楽] 来るか見てんですか あこれはもう地震であの折れてしまってあ ええ折れてる柱も結構ありました うんうん 折れてるあの死んで折れてる柱その うんうん 白アリが入ってもうスカンさんで折れてる柱 うんうん
はい今回の解体 2万9000枚の河
はい それが天手角があの壊れた時は河結構落ちたんです あれって天子って天勤コンクリートの復現したやつなんで地震揺れた時のあの振度が結構そんま伝わっちゃってるんじゃないかなと思うんですよ だけどこっちの木造っていうのはだいぶしなって えっと河とかってあんまり落ちてない はい ですのでこれだけの方がそういう意味で実は総合的に強いかもしれないってこともあれです そうですね そういうこのあて揺らしてこねこのこのこれもんなんですねこれがですね羊門と言って門 [音楽] えっと
細川
細川さんの元の時代の家紋です だからあの総理大臣でいらっしゃった細川さん は元々熊本の あの収めてた方 が今平成のお父様なんて言われまして熊本場を実際あの収めてでこっちは教門って言ってあの当初え熊をえた加藤清マ正加藤家の門 加藤家は境だったですか はい
ああ へえ ですのでえっとウアグラもえっと何回か修理されていく中でこういうもんが混じってるんですその時代時代でやっぱ手が入れられてると えっと用門入れたり あ最初は卑怯だけど門入れたりする あこれもまた違うこれはあこの 3みたいなと思
そうです 朋の毛はどっちかというと河なんかによく使われてて水をイメージしたマークなんですあ あちょっと真け的な干しみたいな そうですカジ帽しのあのためにこういった水の門をというのはえ友 今からちょっとえっと見ていただくのがえっと矢倉続きの石垣というなります ここはあの崩れてはいないんですけども これがちょっとあの天井が出てるところ色 で分この赤いところが天井が出てる大きく 出て絡んでるっていうとこでえっとこれを えっと今このを解体して積み直すという 工事をやってますこの下の石垣きっていう のが熊本城の中でも1番 あの高さが高い石垣きになります えっとま見えてるとこで 21m 21mぐらいあります
どこがどこが このこの高さですね21m ぐらいありますえっとこの熊本城のこの石垣を含めて熊本城の地形も合わせてえっと警察されるこの覚いのがま国補給のあの価値があるというところになります ですのでまあの え復旧に関してはこの石垣もえっと地震の 前の元の状態に戻すんですけどもあのま元 の状況をそのまま残すというのが非常大切 になってきますので直すにしてもその1回 取り外したりするのも必要最低限にして えっと直す場合もあの伝統ま要はこう元 あった形で積み直そうというのが そ難しいですよね はい必要になってきますそうです 石がこう縦に並んでい はいはい
分かる?はい あれもあの積列っていうあの列でこう埋まってたところあります ああだからあれはああれあのんまで 直しますのであれも1個1個番号をつけて あのあの形で直すっていう 実は列がどういうどういう意図であそこに入ってんですかというのがまだ分かってないんで あのまずはもう直す時はあの形で直すな中の構造的な意味合いなのか何なのかがちょっと分からないうん この角度を出すためにあれだけの石をさ微妙に 微妙に強してるんだよねそれはすごさよ [音楽] ちっちゃい石も加えながらこっちサイドはビジっと出てるね [音楽] 側面は綺麗なラインを描いてるからね 石の谷森さん
はい
よろしくお願いします よろしくお願いします谷森さん よろしくお願いします これどこが1 番大変な感じですか?これ今作業してて [音楽] 解体ですか
はい 解体はね修復すること考えながら あ残しながらね やんなきゃいけないからあそれか 重さや角度が微妙に関わってくる はい 絶妙なバランスの上に成り立ってるものじゃないですか はい そういうものをこう総合的に管理してくっていうかこう読み取ったりしてくってどうやどうやってるんだろうって想像もつかないんですけど 僕らも実際やりながらやりながらです やりながら 解体の時に考えはするんですけど やっぱり実際積んでいくと全然違ったりするんでうん あれ隙間とかにちっちゃい石とかいっぱい入ってるじゃないですか はい あれ石だけじゃなくて当時なんですか?あの土みたいなも入れてたんですか いや基本的に石だけやって あ石だけで 石のみでで接着する気持ちもなくて石だけの重さで成り立ってるってこと はい
重力のバランスで
そっちがいいのか あの小さい石がクッションになってるって考えた ああああじゃ小さい椅石も必要な そうです で石の勾をこういって取っていったり ちゃんと面が出てますもんね はい
のためにあれで よかんない石を探してきたなと思うのは素人見てるとすごいなと思うんだけどめちゃめちゃ入ってるじゃないですかそことかも はい
特に熊本城が多い これもまた組み上げる時にまたそういった部分も あれも
考えながら全部戻せみたいな 山から石を はい
切り出して運んで はいちょうどこに見える山の石を持ってきてる えちょうどあのあの山
あの山はい シンポ座ってトラックもない時代に運ぶだけでも人力 人力のマルタの上に 人力で
転がしみんなで引っ張れたの頃 [音楽] 横手の頃の話どういう話だった すごい力持ちの方がいいて石をこ 1人で運ぶみたいな 石を1人で運ぶ男がいたんですか で伝説の人が
伝説の力持ち ここにあの横手の五郎が担いだと言われる石が一応見てあります 横手横手の五郎さんの 横手の五郎さん 実はすごい活躍してたんだけど うん あのその敵になるその一族のなんかだったかなすいません あ活躍してたのに ていうのが発覚してちょっとそのっていう逸なのでちょっとはい 本当にいたかわからないですか そんなでかいも持ち上げていくら力持ち行ったってそれは無理でしょ あの普通だったら機械を使ってこうバッと 取れるそうだそうじゃなくて全部1個1個 消す これがですね何これ今
これ石垣きの裏側に 詰める石をグリーンしていってるんです けどグリーン石 あります石のはいはいはい その裏側に
うん
表の石が突き石ではい 積げ
その積み上げてる はい裏側にこうグリシっていうま排水だとかあのま水の役目クッションとかそういう役目をするなですね裏ていうそのでなぜかこのグリーシっていう言葉にありますけども グリーシてクのクのクリですもうクリですクリっぽいから はい クリポイかどかちょっとあれなんですけどもでその石がまああいう風に基本的にはもう裏側にほぼ詰まってるんですけども う でどうしてもこう復旧したら今度逆に上の方でちょっとそのしっかり詰めるもんですから今度足りなくなってくる時がありまして そういう時には新しい石をこう運んできて入れると で上の方はなので あの修復の買った石を入れることになるんですけども その時にですねあのイベントで う 皆さんあの応援メッセージを書いていただいて 石に
はい書いてもらってそれを うん
あの入れて実際に現場で使うと そうすると皆の皆さんの気持ちがこう あの復興の一部になってま生涯残るというところでですねそういうのをさせていただいてるんですけどもしよろしければお 2人もなんかこうはい ちょっと あそれで書くこと書いていただければペで書くんです お土産に1つお土産お土産に 1つどうぞって言われた お土産ではないです
あもう書いた方たちの はいこれは
これ一般です終わったと はい一般子供たとがい そうのいいね
うん 子供にあのイベントとかやった時にこうみんなで うん グって 前でも よろ ありがとうございます ありがとうございますございます 皆さん日々ありがとうございます日本とそして世界と地球の未来をよろしく皆さんエイオ頑張ってくださいよろしくお願いします なんか俺の文字がめちゃくちゃ薄いんだけど 存在薄いんじゃない 存在が薄い場からあの河が落ちてあの煙が立ったんですよね今 うんうん でやっぱりみんな気になって熊本見た時に熊本が燃えてるような感じにして みんなやっぱそれで泣いてですね うん でもやっぱ熊本の機質なのかあのみんな被災して大変だったんですがやっぱり熊本場の熊本のシンボル 熊本城の天使角を戻そうていうことでそれを打ち出したらあんまり反対反対がなかったです やっぱりそのシンボルとして まずそれを立て
うんうんうん あお待ちしてました すごいわランチタイムすごい素晴らしい卵さん すごいいいじゃ うわあ嬉しいね あ体って見える一番特が好きてし [音楽] 別にそんなしょっちゅ辛いですね 熱に熱に乗ってんですけど辛いも 乗ってました
すごい
はい じゃこっちが辛いのすごい
すごい なんかすごく辛そうだなこれ こっちが普通の辛さだそう あ色がもう半端じゃない辛さだもんこの ささんどうすか?辛さ辛さの辛い辛い [笑い] せっかく熊なんでこれがですね 南関揚げって言って
うん
あの 揚げ物をに入れた稲です大げの揚げにこうくるっと巻いてから食べる おお
あ包ツむっていうより巻いて食べ そうそうそうそう
へえ これもぜひ食べてもらいたいです
南関揚げ 南関揚げです 南関揚げ うん
うん ちょっとうん お稲りさんぽいかもしれな
うん あの石垣でこうやってあの崩壊した部分っていうのは実はえ明治 22 年に大事震があった時に壊れたところが中心なんですよ [音楽] あの元々 400 年前に加藤正高とかが住んだところっていうのはあんまり壊れてないんです うんへえ で大事震の時に壊れたところをま当時の陸軍が住み直してでそこがまた今回ちょっとうん 壊れたというのが多いみたいですね ということはもう400 年前からの石垣っていうのがやっぱり強度がめちゃくちゃ強かったが今回の地震でもはっきりしてると うんうん でそれを私たちがどう次につなげるかっていうところがですね うん しかもやっぱ強いだけじゃなくて美しいじゃないですか うん この美しさと強さの共存をその成し遂げたイニシエの人々のすごさ そうですよね ねやっぱ美しいから直そうとか守ろうとか追いかけようって思えるけど うん ただ強けりゃいいってただのね味も即もないものばっかり作ってる現代と違いますよね うんそうですよね
うん1 つだけやっぱ個人的にも懸念するのがあの今生まれてきてる子供たちとかあのちっちゃい子供たちっていうのはこの熊本城を見て熊本城と持ってるんですよ うんうんうんうんうん 私たちはやっぱりこの前の うん どでかいと言いますねまものすごいあの熊本場知ってるからこそ 昔に戻そうていう感覚あるんですが うん覚して 本当に戻そうて気になってくれるかい うんうん そこは非常にちょっと懸念してます うん だからこそ私たちが今の子供たちとかに あの本当はこうなんだよっていうのをしっかり教えていく ていうことが必要なのかなと
うんうん あれか藤もさん虎を退治したんだな そうですそうです退治したの?なんで退治?どこでど虎なんかいなかったよね日本 はですね当時日本にいなかったんですけど あの秀吉の時代に うん
朝鮮出平を2回してるんですよね うんうん
その中で虎に遭遇してるうん 朝鮮で遭遇したんだ虎に でそれで退治したんだそん時 それでですねあのまこれも諸説あるんですけど その家を殺された虎に うん
でえ殺されたのであそれに怒って うんうん治っていう
うん であの日本にはいない生物であんだけ強そうだったら 当時の人はこの肉食ったらめっちゃ健康で強くなるんじゃねって思われてたんですよ うんうんうん なのでこぞって全国の大名がトラ退したんですよ うんうん でもそれはあの鉄砲で殺すんですよ やっぱもう近寄ると危ないんで うん だけど清はそれを槍で退したから胸があってすごいねっていう清だけじゃないんですけど実は こん大名がトラジしてるんですけど なんか京校の大名刺みたいになってるんですよね で当時その病気がちだった秀吉にこれで健康になってくださいねて言って大名たちが健するために虎大児が当時はそうやって流行ったっていう うんで虎の肉からのが健 そうですうん でなんかのみが番いいってなんか当の人たちは思ってたみたいで で秀吉もうあんまりにも肉が届きまくるんでいやもうもういらないらないて 体が弱ってんのにね肉食えないじゃないです そうですね
なんかね
はい 噛めねえよみたいな そうですそうです大人のつなんかそういう風に言われてますねなんか子供の名前とかも見てるとなんか虎ラクマとか うんうん
あじゃ動物結構絡んでるん そうですねトラ なんか虎と熊を掛け合わせたら強いだろうみたいなそんな 多分安直な感じなのかなとも思いながら うんうん なんかネーミングセンスが面白いなんかそういうところがこう人間臭くていいですよねなんか ま時代的には意外といいんじゃない そうです
虎とクとかって子供も少し 名前の意味が分かるようになってくると はい 虎とクで強そうでいいなって思ったりするんじゃない?そういう時代だったんじゃないの かもしれないですね にたんですよね

昔はわいのクだった あそうなんですか
そうそうです あの大くしとかのあのクですね あそうなんだね
はい
あれを今の の感じに変えたのは清マ正さんなんですか ええやっぱ動物と共にある方なんですね の強さと大自然の強さを味方に 元々熊本場って呼び方は変わってないんですけども漢字を変えたのは清 元々 壁入れ区切ってあったんですこちらがや倉で 1 番タ部のやグになるんです歪みがですねあるんだ ああね結構 はい で屋根ももうこうのじ板っていう屋根の板が残っている状態ですあの辺はもうのじ板もしてあるんですけれどもこう向こうに少し倒れてるのがありますかね?あっちですね ああ傾斜がちょっと向こうに斜めってるんだ うん 材もですねこういう風な板漬けっていうことであのバ付け札をつけて去すると元にボート通り戻すためのま重症付けみたいな感じですね外す前に必ずいたバをつけて外すうん であのこちらの 5 頭のや倉は先ほどのやグあるよりも比較的そのなんですか白割りの被害とかは少ないかなという 昭和30年代と50 年代に結構大掛かりな修をしてるのでその時にダブ材も使えられたりしてるので割とあの木材の状態自体はくないのかあの熊本当場ですに復旧したやがあるんですね [音楽] あの塗りの体験とかしたらそれをやってこういう仕事に携りたいと言って川さんに入社ての仕事 うわと大変な作業だわ うわあ1つ1 つ大変だすいません見学させてくださいお願いします よし うわあ
説明をどういう はい
これは しっ食い剥がし
しっ
しい剥がし
晴らし ばらしはその食いの下地になる うん あそっか下地として紐が巻いてあるの 縄で
縄が縄で巻いてあるんだ 竹に縄でこう巻 竹なんだ
それをあの木材に うんうんでを でそっちがその仕上がった うん
そのまま でこれを今解体されてんの 1個1個紐してんですか
そうですそうです でもう1度塗るんですか そうですねまたこれ基的にまた同じように巻いてであの釘で打ってでまた同じようにしていく海って言った あの
あハ買海 海の牌 貝そうです会場あのすり会場すりつぶしてであの あ貝ホタみたいなあいう貝ホタのあいう貝をみたい 貝殻をすりつぶしてそしてま焼い焼くんすかね焼いて粉なにして うんうん でそのそういうのは何?まま取り寄せて うんでそれと一緒にのりとか とこういう洗浄のなんかあるんですよねそういうの混ぜて作って自然の素材のやり方みたいな感じ そうですそれはすは 最近のやり方は全く違うんでしょ 最近の
作り方って
もうまそうすね そんなに時間かけないでも作っちゃえる技術はあるわけでしょま最近のそういうなんですホームセンターとか言ってあるやつはもう多分 だからそれで時間かけてそうです こういう文化剤の場合はやるね 時間はかかります
うん ありがとうございましたすいません ありがとうございます 近辺用の壁土も今作り始めてるので はいあ屍用の壁土ね ささっきさこれの土の後方です あこれ自体がそうなんだプールみたいになってるわ らさが入って
ああわとか入れて これは当時の作り方なんですか そうですねで今のえ仕様と言いますかえこのさが繊維になって溶けて でえ繊維になるから壁が強くなるです これが溶けるまでこれです すげえか
このありますこれだけ
これが3 枚じゃない
作りのプール いやこれ多分じゃないですか へえ なるほどねこんな風にして土作ってるの知らなかったです うん
これ今何ヶ月 4 ヶ月です完成するですえまず人夏でさないと線が腐らないんで人はまず寝せます まとにかくほっとけばいいんですか えっと
かき混ぜたりするんですか はい途中でま
確反したりね越したり あの追いだけじゃないけどあの追いわを入れまして あいわ
うん でそれをまたしてまたどんどんを うんうん
設置させてい
う いや手はかかるね だんだん匂いがきつくなってきます え本当に発酵するってこと 発する でそれでそれが強くなる証拠みたいな そうそう匂いにしてもらえない 匂い匂い私 いやん爽やか なになんかいいやさ多少発酵っぱいっていうかこうビリビネシ ビネシ
えわかでも爽やかな匂いす 爽やかな匂い
爽やか自分も変えてごらんよ 爽やかな匂いする思ってた感じと違う爽やかな そんなに変な匂いはしないかないすごいね作るんだ [音楽] ううんこんにちは こんにちは見学させてくださいなります お願いします さになりますよろしくお願いします 今叩いてんの何なんて叩 これですね
河の髭を探してるんですよ ああそれで音で分かるっておっしゃったの まず屋根から下ろした状態がこういう状態です [音楽] はい でこれをこの台の上で掃除して回してでこれで 1枚ずつ掃除終わったを叩いて 音で
音ではい どうやって分かるんです?それやっぱ熟連で経験で分かってくんですか そうですねもう本当音に泣きが出てくる泣きが出てくる音に泣きが出てくる バれていうか
これが割れてる音
ああ あ本当だ割れてる あ本当だなんかどこが割れて 中
ここですねヒが入ってる ああヒが入ってるとそういうことで分からないヒを 叩いて分かるようにうんすご すごいもう使い物なんですもんね そうですそうですはい で今回こうやってこう色々たくさんのカラーをずっとそうしてるんでですね中にこうやって古いがですね出てくるんですよこれ全然製方が違うでですね [音楽] ああそうなん これはもう本当機械で作ったわらせこれ手作りなんですよ [音楽] へえ
これがま年代とかはまだ不明ですけど うん まこれがこのなんですかこの建物がすんだけ古いっていう歴史の照明になるというかうんうん はい
これも割れちゃってんですか いやこれは生きてるんですよ 昔の昔は強いの かったんですよ
ああいいす 自然の力が強かった またあのこれが上の方のなんですけど うん 物によってはこういう風に楽園が落ちてあって うん
これちょっと見にくいですかね あ本当だ
なんかま前に切ったやつもしたん 原力です
うん 原力が見えるんですよねこのちょっと映すとこういう風な感じで出てくるんですけど [音楽] おお
はい
おお

はい原 って書いてあるですね そうですね原のその下がちょっと見えないんですけど はい
うん そういうものが出てくるとこの建物がその時代からあったんではないかとま双剣とかですねあの謎が紐いていかれるていう 回収する時にやっぱこういうことをちょっと 1つ確かみながら
うん はいていうのがすごく面白い 確率的に言ったらあの使える代の方が多いんですか?やっぱり 多いです
はいやっぱり強いですよね 強いですねそしてあの昭和の時代でもえっと 2 回ほど回収してあってまその全面的な回収です的な回収でもありますけどその年代ごとに河があるので その年代ごとに変わられます保の 委員を国員を 33年1回補修しましたよ
本ん当だ の黒いって結構なんてきます はい 57年
これも国印 やりましたよっていう証の え昭和昭和
昭和
昭和 ふーん正方っては変わんないですか えっとそうですねあの基本的には変わらないです ですけどそれが全部機械化されていって 全部屋でこう寿司が流れてきてっていうプレあの機械であの肩でして [音楽] これはもうこういう木の台の上に土を乗せて うん
直さんがこう形を整えて でそれをこの紐を中に置いて気からこうガバって抜いて乾 さのが残っての後なんですよね これへ でこういうのがこう出てくるとちょっとめちゃ交換するんですはい [笑い] これ使えるも戻すんです そうですはいそれがやはりそのなんかそうそれだけ歴史があるものという証拠になるんで うん
証拠を全世代に起こしていく 全国はもう何百年か前変わるやけですねこれ 何百年何百年ね だよね
使えるんですよ
しかも 強いんだよね今のものよりね すごいね 均一な大きさだとかだとかそういうことがいい変わらになるけどこの当時は多分そのなんですかねじれだったりそういったものよりもよく焼けてる長く使える方がやっぱりいいものだったのかなと で結局でもそれだけねじれがあったり焼き物としての性質が特徴が出てしまうと職人さんの手がものすごくかかるんですよね 昔のジジャジジャ馬なんですよ ジャジジャ馬のみたいにね あ金一じゃないこれさんおり子さんじゃないから でもジャ馬だからこそ じジャン馬をいろんなパズルに組み合わせて組み合わせて うん
俺たちが吹き上げるんですよね かっこいいめちゃめちゃ馬ならしいね本当ですよ そう乗りこなせじゃないけどなんかそういうことよね もうその会っていうか マならではの暴れん坊を乗りこなす いやいやでも結構お話ありがとうございました素 しかった ありがとうございますありがとうございますてかやっぱすごい危機としてお仕事されてるから [音楽] お顔に現れてるの適当なんですけどね 職人の パワー
職人魂の
職人魂を感じましたね
ね すごいわが 2 つあってこれが二の石垣って言うんですけども この右側これが加藤が最初に作った石垣です でこの左側は増築した時に 貸したんですよねその部分でこちらの方は 元々細川かって言ってたんですが息子 の広島の時代に作られたんじゃないかと いうことであの角の石垣きの石の積み方の 違こちらの右側の方はあの大て言って 大きい石がどんどんどんどんあの
で この右側左側 は3気長方形の石を交互に変えて
ああ
で 交互に積むことによって角が違うんですよ ああ
ですね これでもやっぱ年代の差というかそのあのそこに 30 年ぐらいなんですがその差であの後方がやっぱり進歩したっていうのは分かると思います 昔はこの 新鮮はこの仁きとこの天子角をバックに写真撮るこが [音楽] 1番

スポットだ
う美しい 登ろうと思ったら大変だ 先ほどあの日本の石垣脇の時も説明しましたが大天こちらの方が加藤京正が立ててそして息子のた広校の時に商店で増築したんです うん ということで石垣もですねのとこ見ていただくと積み方が違います うん
こちらの方はアノ 向こうは3気ですうん ででこれでもこの天使角 1 つ見ても年代が違うっていうのが分かります あとはやっぱり月でって言ってあのうん 石垣よりも出てあの柱が出てますよ要するに登登られないようでこうの方は [音楽] あの釘が出てるんですよ 忍び返しま少し登れないようにていう 要するにどれだけ鉄壁な守りを作ったかという うん
エビバリカモンカモンさあ皆様どうぞ お近くまで来て2時30 分に始めまするのでどんどんお近くに寄ってきていただいて是非お近くで映画をご覧くださいませ会社もっとするよね うわあとんがってるね近くで見るとやっぱり これ以上登れないよな
これ痛いわこれ 私が説明しでもない さんあこういう顔だったんですか?正さんですねで 初めてこんなリアルな 終わりの国ま要はあの豊秀吉らっしゃったところの同じ地区ま終わり中村っていうところ生まれてですね今でもあの豊国神社っていう名古屋にございますけどすぐその近くにお寺さんがあってそこがま加藤駅山が生まれたところ 10代の頃から使えてたんですね はいもう本当い頃からみんなそうじゃん [音楽] 見えるね こんなとこ登ってこうとしたやついないだろうでもいいたのか [音楽] 結構な高さだね あ高いよ上に来ると分かるんだ 超高層見る感覚だよ ゆっくり作って 熊本はあの景官条例っていうのがあってやっぱり熊本場をどっからでも見えるようにということで実はあの高さ制限があるんですよ でそんで街中にはその何十回建てっていう建物がないんですが ちょっと離れたとこまあそこにありますけども あそこまで離れたら30回とか40回 そはないですな んでかっていうとやっぱいろんなところから見えるよういすね [音楽] それはいかない [音楽] 一言

今日の一言 いやいやでもね知らないことばっかりで面白かったね いや勉強になるね
うんあたが裏で 見るのは学びだなしかし職民魂もすごかったし裏 裏であたちが頑張ってるおかげで うん

本当だね こういう [音楽] [拍手] [音楽]

この動画の収益の一部を能登半島地震復興のために寄付させていただきます。
震災復興応援プロジェクト ”GO!GO!ラリーin KUMAMOTO 2025” は、被災した熊本城の復旧・復元を応援します。復旧工事現場を訪れ、究極の職人技と未来を築く熱い思いを密着取材させていただきました。
https://castle.kumamoto-guide.jp/map/
https://www.gogorally-kumamoto.com

チャンネルへのタイアップ・コラボ依頼はこちら
https://forms.gle/GWTEZ6LKd5VYQwoHA

31 Comments

  1. 熊本城完全復旧目標は2037年。復旧に携わる皆さんの日々のご尽力を初めて知り、大感動です。

    GO!GO!ラリー当日編もお楽しみに!

  2. 何だかyoutubeって、記憶のシェアなのかもしれないね。カメラ目線で話すなら案内する方がいて、それを聞いている自分(山口さん)と、頷いている唐沢さんって世界って、当たり前だけどこのご夫妻しか体験しない世界。
    テレビだったらバーンと唐沢さんモードだけど、奥さんといる時のナチュラルな唐沢さんだと、突然カメラ持って「どうですか?」って言われた時照れ臭くって反応に困ってるのも、山口さんしか見ない表情で。

    全てご夫妻にとっては当たり前だけど、僕らとしては知らないどこかのお家の日常。
    でも縁起でもないけど、いつか誰しもその日常がかけがえのない瞬間に変わっていくわけで、こうやってシェアしてもらうと、お二人しか知らない世界が少し拡がっていくように見えて可能性を感じます。

  3. 3年前、当時小2だった息子の夢は大工さんでした。家族で熊本城へ観光に行ったとき、まだ完成されていない熊本城を見て、息子は『僕が熊本城を完成させたい!』と言い、その日から将来の夢は、“宮大工”になりました。宮大工さんを目標に、今は算数を頑張っています。携われる日が来るのか!?今はその夢を応援しています😊
    現場の貴重なお話しも聞けて良かったです✨️🙏ありがとうございます!

  4. 熊本城の復旧にそれだけの時間と人が関わってるんだなぁと思いました。
    復興には凄い皆さんの英智を集結して2050年には素晴らしい熊本城が見れる事を祈ってます🙏
    山口智子さん唐沢寿明さんお二人の表情お言葉からも伝わってきました!

  5. 昨今日本のテレビをほぼ観なくなりましたが、インスタで楽しそうなご夫婦の写真を観て飛んできてしまいました😂
    今も昔もAIやロボットでは決してできないであろう、日本の技術力と地道な作業に驚愕と感謝😯
    知られざる日本の探求、良質な大人のチャンネル素敵ですね✨未来への記録に繋がりますように😊

  6. 私の父親の実家が熊本で、奇しくもあの地震が起きた4月14日は父の誕生日でした。

    あの地震による熊本城の被害はニュースで知ってショックを受けましたが、この動画を拝見して着実に復興へと向かっているんだと改めて実感しました。

  7. 日本の職人さん素晴らしいです🙇😀
    夫婦なかよく素晴らしいです🤩💕
    熊本元気いただいてます🙇🤩
    感謝です🤩💕

  8. 瀬尾さんて、熊本城おもてなし武将隊の(元)加藤清正さんじゃない? 議員さんになられてたのか

  9. やっぱ! 九州の方々は、よかですなん♪ 信頼度を一番に考えて、物事をなすん♪ 関東の方々は、言い方も多いけど、金もうけを優先するん; この違いだなん;

  10. 山口さんの口から部材という言葉が聞けるとは! なかなか咄嗟に出ないと思ってしまうけど、そんなことないのかな

  11. 熊本城再建作業🏯の様子観させて
    頂きありがとうございます
    唐沢さんと、山口さんのお陰です
    職人さんの技術と、知識の賜物。
    熊本城の完成、見たいな

  12. 熊本の天草出身です。昔からお二人のことが大好きです❤熊本に立ち寄って下さって、そして熊本城の覆工現場を撮影して下さって、ありがとうございます。
    天草の動画も拝見しました💖
    海外に移住しているので、故郷をこうして動画で見て、身近に感じられることは、とても有り難い事です。
    お二人の仲の良い姿は、私達の心を癒してくれて、励みになります🥰✨
    これからもお元気で、美しい二人でいて下さい🌟💐🌈

  13. 震災二ヶ月後に訪問して以来実状みたけど、みなさんイキイキしてますね。素晴らしいです。自負とプライド、それぞれの素材から過去から未来にちゃんと繋げるといういろいろなものを背負ったものを感じ、過去を理解したりさらに今だからもっと良くできることを考えたり、こういう文化が日本にあることに嬉しく感じます。

  14. 脈々と受け継がれる技術と歴史の大河を感じる事ができました、ありがとうございます!

  15. 現場の皆様の頑張りが伝わってきます。そんな皆様の手助けになるように国は公チューチューな無駄な男女共同参画事業、補助金、給付金の無駄な手数料を減らして文化財の修理、保全に予算を回して欲しいです。

  16. 本当に大好きなふたり、素敵夫婦🩷
    家でもどこでも仲良しなのが伝わるわかる。ほんとにすてき

  17. 夫婦のYouTubeを見れてホントに嬉しいです‼️仲良しですね‼️

  18. 素晴らしいアーカイブ🎉
    自分はルーツを遡ると加藤清正公に御縁のある血筋でご先祖様の氏が熊本城の石垣に刻まれておりました。
    先の震災ののちにお城がどうなったかと遠く離れた現住地から時折気になっておりましたが、関係者の皆さんのご尽力を見られてとても嬉しいです。
    貴重な取材映像に感謝します✨️🙏

  19. 唐沢さん、山口さんと同年代ですけど、この年齢になるとこういった歴史事に興味を持つのは、わかる気がします😊

  20. どんな親でも、子供は夫婦に成れば、その仲のことは分からないのは当たり前なんよね!😂❤
    それを変に分かろうとするから、喧嘩が、生まれる!お互い干渉しないのが良い距離感?!😅

  21. お二人の熊本地震の復興支援にご尽力されてる姿に毎回涙が出ます。動画に上げて頂く事で、全国の視聴者からも現況が見てわかり応援したい気持ちなります。ありがとうございました。

  22. こんばんは
    宇土櫓大好きです!詳しく動画に上げてもらって嬉しいです。しかも山口さんと唐沢さんが案内役とは贅沢です。ありがとうございます☆

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