【地理雑学】国道51号旧街道を追え!成田空港へ続く下道を調査!佐倉街道~成田街道~佐原街道/関東地方/千葉県
国道51号旧道を追え!成田へ続く謎ルート はい、ドラレコ風景を次々に雑学解説する動画、 国道51号佐倉街道には一体何がある? 〇佐倉街道、成田街道、旧街道筋を追ってみた。 〇空港が街を変えた―成田市「人口倍増」の背景 等々をテーマに解説。 最後まで動画を見終わると、旧街道のルートやなぜそのルートになったのかがわかります。 地理調査に徹底的に時間を割いて丁寧に仕上げました。 今回も脚本詳しめ、音声はなつきでお送りいたします。 ではでは、国道51号千葉区間へGO! はい、まず広小路交差点から国道51号はスタートしました! ところで、広小路って、千葉のどこ? ここはどこ? 千葉駅の内陸、東側へおよそ1㎞走った場所です。 国道14号と国道126号の交点、そしてこの国道51号の起点となる、車にとっては、陸側では最も主要な交差点です。 ちなみに広小路を左折、国道126号を北へ曲がっていれば、 「妙見本宮(みょうけんほんぐう) 千葉神社」。 北斗七星の神「妙見(みょうけん)菩薩」を信仰する神社です。 それを千葉市も見逃さず、「北斗の拳」と過去コラボしていますね~ 千葉神社の妙見菩薩は、戦国大名「千葉氏(うじ)」が守護神と慕った神様だったんですね! ちなみに千葉氏(うじ)、あまり聞いたことがありませんでした。 サクッと調べてみると… 平氏の一族だといわれています。 皇族から分かれた由緒正しい御家柄ですね。 戦国時代には、関東一帯で覇を唱えた後北条氏(ほうじょうし)に従い、 秀吉に北条氏が滅ぼされると、北条氏の一味とされ、 領土を没収され浪人となった戦国大名です。 そうか、北条氏の陰に隠れて目立たなかったんですね。 と、今回もこんな感じで、小さな雑学や「へぇ~」をつぶやきながら、 大テーマ、「謎の旧道」を追っていきましょう! 道場坂下? 珍しい交差点名です。 近くに剣術道場でもあったのかな…? 由来は、千葉氏が受け入れた浄土宗、時宗(じしゅう)の寺院があったからなんだそうです。 千葉氏の軍神は北斗七星の「妙見菩薩」 神仏習合であった当時、明確に神道と仏教を分けて考えず、同時に「時宗」も信仰したんですね~ ちなみに、剣道や柔道をやるところも道場といますが、お坊さんが集まる場所も道場っていいます。 なんか国道51号、千葉氏が深くかかわっているようです。 貝塚交差点で、国道16号を越えます。 ちなみに貝塚、縄文時代の貝塚由来の 地名です。 明治時代には、この周辺にあった貝殻を集めて石灰を製造していたこともあったほどなんだとか。 千葉市周辺では、貝塚が集中していて、珍しいものではなかったんですね。 桜木町を左折しましたね~ 国道なのに、突然右左折すると、昔からそうなのかが気になりますよね? 古地図を見てみましょう! 左折は明治36年から変わっていません。 現在の国道と同じ左折ルートは「達路(たつろ)」という大通りで、 直進すると「聯路(れんろ)」と呼ばれる細めの通りになっていますね。 そして、この国道51号大通りが、現在千葉県の道路愛称で「佐倉街道」と呼ばれています。 この佐倉街道、昔から佐倉街道、あるいは佐倉道(さくらみち)と呼ばれていました。 千葉氏(うじ)の拠点、この先の佐倉市にあった「本佐倉城(もとさくらじょう)」と、 千葉市内中心部にある「亥鼻(いのはな)城」付近にあった館を結んでいたことが由来なんですね。 そして、実はほかにも佐倉街道と呼ばれる道があります。 国道6号水戸街道の新宿(にいじゅく)という、柴又付近から別れる道で、 千葉と東京を結ぶ国道14号を経由し、船橋市で国道296号へ入り、佐倉市街へ繋がる道です。 そう、水戸街道と同じく、江戸時代に制定された街道です。 江戸時代も時代が進むと、庶民の旅ブームが起こりました。 神社やお寺にお参りする旅です。 江戸時代に制定されたほうの佐倉街道は、 やがて「成田街道」と呼ばれるようになっていきます。 そう、成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)へお参りする人が増えたんですね~ そして、江戸時代に佐倉街道と付けられた名前は、江戸時代の庶民と、のちの時代の千葉県によって正式に 「成田街道」と道路愛称を付けられるに至ったわけですね~ おお、桜木三差路で広い道路になりました~ 北千葉拡幅と言われる拡幅区間へ入りました~ 今走っているルートも、明治36年の佐倉街道と同じです。 拡幅に拡幅を重ねられたルートだと推測されます。 左折すると、国道16号までバイパスが接続しています。 あれ、車線が減りましたね… ですが、左は道路用地が取得されているようです。 実はこの北千葉拡幅なんですが、この先ずーっと佐倉市まで計画されているんですね~ 国道51号、渋滞がひどいらしいんです。 ちょっとGoogleアースを見てみましょう! この辺り、緑が広がっていますが… 寄ってみると、氾濫原、平地が丘と丘の間にモザイク模様のように広がっていますね。 これは…細かい集落が無数に点在しているように見えますね… 人口は見た目以上にありそうです。 ですが、主要街道は国道51号一本だけです。 朝夕、この無数の集落から、車がこぞって国道51号へ殺到するわけですね? これは混みそうですね~ 特に、この吉岡十字路… 動画撮影時間は朝6時ぐらいだったと思うので、スムースに流れていますが… あと1~2時間遅かったら… 反対車線、やばいらしいです。 北千葉拡幅、完成は急がれているようですが、諸事情が重なってまだまだ進まないようです。 ちなみに吉岡十字路を左折で、本来の旧佐倉街道とも言われています。 現在の佐倉街道より大きく西側を周って進んでいたようです。 ちなみになんですが、国道51号の渋滞情報などなど、 知ってる方がいらっしゃったら教えてくださるとうれしいです。 そのほか、なんでもコメントしていってくださいね~ おお、でっかい物流センターもありますね~ 工業団地もありますか。 これも、渋滞の要因の中の一つになりそうです。 あ、坂戸(さかど)の交差点です。 この辺りまで、北千葉拡幅の計画があります。 佐倉市に入ってすぐ、馬渡(まわたし)という地域です。 あ、千成(せんなり)らーめん! このラーメン交差点を斜め左で佐倉街道旧道です。 はじめて大きく旧街道と別れるルートです。 昭和55年の古地図から、こちらの国道51号本線、バイパスが現れています。 地形図を見ると、旧道のほうがゆるやかに「鹿島川(かしまがわ)」の谷へアクセスしています。 一方のバイパスは…切通がすごいですね~ 昭和の時代にまーっ直ぐ国道を引き直したんですね~ そして、こちらが鹿島川によって運ばれてきた土砂がたまった平野、氾濫原へ下って… 鹿島川を渡って… この交差点の50mほど先で合流します。 神門(ごうど)交差点です。 ここで千葉県が指定する「佐倉街道」は左折します。 ここまでは、明治36年と同じ、旧道・佐倉街道筋の大通りを拡幅した区間でしたが、 ここから旧道と別れ、山谷畑を切り開いたバイパス区間へ入ります。 昭和19年の地図には影も形もないですが、 昭和54年の地図からはっきり描かれている道筋です。 昭3~40(さん よんじゅう)年代、本格的な車社会が到来して、 立派な国道が新規に引かれたものだと思われます。 そして、ちょっとだけ離れていたE51(いー ごじゅういち)、 東関東(ひがしかんとう)道「佐倉IC」への入り口です。 佐倉市街地の南外れに位置します。 国道51号と同じナンバリングで、国道51号に沿う形の高速道路ですね~ 東関東道は、首都高湾岸線に接続する高速道路で、 江戸川を越えた先の「高谷(こうや)JCT」から千葉市内で内陸側へ曲がり、 茨城の潮来(いたこ)ICまで続く道です。 成田空港へアクセスできる高速道路です。 また山から下ってきました。 平地に田んぼ。 さっきもこんな風景見たような…デジャブです! 町になってきましたね~ 酒々井町(しゅしゅいまち)と書いて、「しすいまち」と読む街です。 そして、上本(かみもと)佐倉の交差点の先… ここで、左へ行くと、国道51号の旧道へ行くことができます。 今回走るのが、当時の旧市街を避けるバイパスです。 昭和53年の古い地図にはまだこのルートは書かれていませんが、平成13年から現れてきます。 昭和57年、1982年に2車線で開通し、2006年に4車線化が完了したということです。 小さな町に見えますが、東関東道「酒々井IC」を降りるとすぐに 「酒々井プレミアム・アウトレット」という巨大モールがあります。 そして、酒々井交差点、国道296号左から国道51号へのルートが成田街道です。 ちなみに、先ほどの旧国道51号ルート、正確には千葉県道137号の方が旧成田街道筋だと推測されます。 切通がすごいですね~ 新道のほうは、土木技術の向上で、崖も削り線形のほうを重視しているのがよくわかります。 そして、ここで旧成田街道と合流します。 そして、ここで右が旧道だと思われます。 ここでも再び、新道は切り立った丘を切り開いて、まーっ直ぐ進んでいるのが分かります。 そして、山の上で合流し、再び分かれていきます。 古地図を見ると、若干ぐにゃぐにゃしていた道筋が、まーっ直ぐに直されているのが分かります。 そして、右から…、 左へが旧道です。 そして、左から。 現在の国道は、丘を切り崩してまーっ直ぐ、旧道は小さな小さな丘の崖でも、そこを避けてぐにゃぐにゃと、 勾配がなるべく少なくなるように走らせているのがよくわかりますね。 公津の杜(こうづのもり)、成田ニュータウン付近にあるニュータウンです。 高層マンションも複数立ち並んでいて、すごい迫力です。 こんな森の中に、どでかいニュータウン? なにゆえ?? 1970年代、羽田空港の発着便が増えすぎて、キャパオーバー気味になっていました。 そこで、紆余曲折ありながらも、1978年、成田に羽田第二の国際空港が造られるんです。 成田に国際空港が来る…! 1970年までは人口4万人程度で、ほとんど横ばいでした。 ところが、1975年に、急激に8000人増えています。 そして時代は進み、2005年には2倍以上の10万人となっています。 成田空港は反対運動との歴史なのですが… 国際空港建設で人口爆発の歴史も同時にある街なんですね… そして、こちら右真っすぐが旧道です。 国道409号の終点付近につながっています。 409号は、国道246号の川崎・溝口(みぞのくち)交差点からアクアライン、 そして千葉の山の中を走ってくる国道です。 そして、こちらを横切るのが旧道です。 この交差点が国道409号の終点でもあります。 左へ旧道を進むと、成田山新勝寺(なりたさん しんしょうじ)の参道です。 ここで地形図を見てください。 旧道は、丘の稜線に沿って成田山まで通じています。 一方で、新道のほうは地形無視でまーっ直ぐなルートが通されています。 昔は低い平地のほうは田んぼで、街道はそこを避けていたのか、 あるいは洪水をなるべく避けるルートが街道だったのか。 国道122号もこういった傾向がありました。 興味深いですね~ あ、大都会が見えてきました! 高層マンションが多数建っているあの場所が成田駅周辺地区です。 そういえばさっき、4万人から10万人に、6万人増えたといっていたけど… 成田空港で働いている人はそのうちどれくらいいるの? 成田空港株式会社で調査が行われていました。 総従業員数が3万6千人。 うち、成田市から出勤しておられる方は1万3千人。 現在の平均した家庭の人数は、2人行かないくらい…およそ2人として計算すると…? 2万6千人。6万人の半数行かないぐらいは空港で働かれていますが… なんと、3万4千人の方は空港で働いておられない! 空港で働く方向けのお店やサービスをされておられる方が多数いらっしゃると考えられます。 これが、インフラによる経済効果、ですか~! すごいですね~ 車で成田山へ行く場合は、こちらの成田山入口からアクセスするのがよさそうです。 正面の京成電鉄の高架が目印です。 こちらからであれば、有料駐車場がたくさん用意されています。 ただ、年始の激込み時期に行くのであれば… 電車が無難かも…? 詳しい方、教えてください! おお~、そしてこの橋は… 以前にやった「とびしま海道編」でも出てこなかった形状の橋です! この橋、「単弦ローゼ橋(たんげん ろーぜ きょう)」という橋だそうです。 アーチリブが1本なんですね~ 一般的に「鉛直面外座屈(えんちょくめんがい ざくつ)」のリスクが上がりますが、 逆に施工コストが下げられたり、デザイン性が高まったりします。 …え? 「鉛直面外座屈」のリスク、ですね? 「小学生でもわかるように教えて」 と、ChatGPTに聞いてみました。 「垂直の面が、ぐにゃっとゆがむ」ことなんだとか。 垂直に立っているアーチリブや桁が、風などで歪んで斜めっていくってこと、でしょうか? 寺台インターです。 手前を左折で北千葉道路方面、奥を左折後ループで成田空港です。 千葉県の道路愛称では、この交差点で「成田街道」が終わり、「佐原(さわら)街道へ切り替わります。 成田空港の空港通りまでやってきましたね~ 成田空港のトレンド情報といえば… 最近モンゴルのウランバートル便なんていうマニアックな路線が新規就航するするとか… そして、「+NRT factory」(プラス ナリタ ファクトリー)という、お土産屋さんとかでしょうか? 政府系機関が出資する金融系の株式会社と、 成田空港の広告代理店が出資する、今風なおしゃれなお土産ショップです。 地域の特産品を活用した商品開発を行っており、 成田市のお隣、香取市周辺でとれるサツマイモから、 千葉の南・館山産ジャージー牛乳、 成田市周辺の八街市(やちまた し)・富里市(とみさと し)産の落花生等等 地元産、千葉産の農産物を使って商品開発が行われています。 クッキーやパイ、チップスなどがラインナップされていますね~。 おいしそうです! ここ!こちらの左側、造成中になっていますね。 国道51号・成田拡幅区間です。 そして、交差する形で「北千葉道路」が、松戸の「外環道」から成田空港まで繋がれる予定なんだそうです。 ちなみに「北千葉道路」、現在の供用部分は無料ですが、 全通した時、有料道路になるか、無料道路になるかははっきり決まっていないようです。 どちらにせよ、この北千葉道路が通じれば… 東京と成田をほぼ直線で結ぶ最短区間になります。 そして、成田拡幅は、このJR成田線・空港支線と京成成田空港線の高架下辺りまで整備される予定です。 そしてそして… ここを左…が旧佐原(さわら)街道筋だと思われるのですが… 古地図を見ると、高架下を右へ進む道筋もあったようです。 こちらは軽く山登りルートなので、主要街道ではない…との推測です。 ちなみにこの佐原街道。 江戸時代とかそれ以前、昔から「佐原街道」と呼ばれていたかまでは突き止められませんでした。 国立国会図書館を検索すると、明治27年に「佐原道改修工事」、 明治37年に「佐原街道工事~~~(うんぬんかんぬん)成田鉄道…」 という記述がある書籍がヒットするので… 千葉県道路愛称が制定されるはるか以前に「佐原街道」と呼ばれていたのは確かなようです。 正式名称ではないにせよ、佐原へ続く道で「佐原道」「佐原街道」と言われていたであろうことは想像に難くありません。 明治37年の古地図では、少なくとも国道51号筋の旧街道が描かれていますね~。 山の頂上に上がってきましたね~ ここの地名は野毛平。 丘になっているようです。 そして、恐らくこの辺りで旧街道が左から合流してきます。 今は運送会社の入口になっているようです。 十余三(とよみ)第1橋(だいいちばし)ですね。 ここで東関東(ひがしかんとう)道を越えます。 そして、この切通しのトンネル! 上部には成田空港のB滑走路があります。 こんなところまで空港が伸びているんですね~ そして、このB滑走路はさらに延伸される工事が始まっています。 空港の下を切り通して国道を走らせたんですね~ そして、十余三(とよみ)第2橋で、再び東関東道を越えます。 この辺りから、旧佐原街道筋を拡幅した区間になるようです。 明治37年の地図と殆どルートは変わっていません。 あ、吉岡宿(きちおかじゅく)ですね~ ここで、古地図に妙な記述を見つけてしまいました。 「殿(との)アラク」 殿アラクってなんぞや? 目立った建造物はありません。 検索しても「殿アラク」が何なのか一切ヒットしません。 ただ、殿(との)は、「あらか」とも読み、寺院や邸宅を表す漢字でもあるそうです。 ふりがなを間違えた? 付近に大慈恩寺(だいじおんじ)というお寺があり、明治35年にそのお寺の利生塔(りしょうとう)が崩れたという情報もあります。 利生党とは、南北朝時代の戦死者を弔う塔です。 南北朝時代とは、鎌倉時代から室町時代へ変わる戦乱の時代です。 その塔が「殿アラク」なんでしょうか? 情報や考察、お待ちしております! あ、大栄ICを越えて… ここを真っすぐが「大栄(たいえい)拡幅」です。 現在工事が続いていますね~ 1.5kmと短いながらも、この先にある桜田の集落を避けて、事故を抑制する目的で造られるそうです。 そして、大栄拡幅はこの左から合流するようです。 交差点も広めに土地を取っているようですね。 なんか、雪が積もってます。 香取市へ入ってますね… あれ、今どこ走っているんだっけ? 霞ヶ浦に向かって走ってます。 あれ、霞ヶ浦って雪降るんですか? しかも、標高は低いながらも、先ほどの丘の上には雪の気配はなかったのに… 平野のほうに雪… とか思ってたら、これかな?って情報がありました! 2025年3月20日前後の撮影なのですが、3月18日ごろ、関東地方で雹やアラレが所々で降ったようです。 香取市は、その時強く降ったんでしょうか? と、こんな感じで、国道51号、まずはパート1は終了です。 今回の旧街道編はいかがでしたか? こんな感じで、のんびり、ですがしっかり地理雑学お届けします。 次回も気になる方は、チャンネル登録しておくと、お勧めに表示されやすくなりますよ~ 次回は国道51号パート2です。 〇しぼんでいく霞ヶ浦! 〇地形ミステリー・なぜ「弓なりの海岸」が生まれたのか? 〇昭和の海鮮屋と定食屋、全力で捜索してみた! などなどのテーマとともに実際に国道51号を走っていきます。 小さな地理雑学も、積み重ねると壮大な何かが見えてくる…! 気がします。 ではでは、動画のご視聴ありがとうございました。 なつきがお送りいたしました~。ばいば~い。
今回の動画を見れば、国道51号の旧道と新道の地形による関係や、佐倉街道や成田街道の成り立ちが分かります。
〇佐倉街道、成田街道、旧街道筋を追ってみた。
〇空港が街を変えた―成田市「人口倍増」の背景
をテーマに沿線にある施設などの小粒雑学も織り交ぜて解説!
■■以下雑学、地理案内一覧
【道路地理】ここが国道51号のスタート地点!0:44
【中世史】北斗七星を祀る“軍神の神社”とは?1:12
【旧道】この左折、本当に昔から? 佐倉街道と国道51号の謎ルート3:35
【交通渋滞】この渋滞、どこから人が来てる? Googleアースで“交通の流れ”を追ってみた6:23
【旧道】緩やかな旧道、切り拓かれた新道8:52 12:03
【交通】高速E51が接近してくる10:50
【人口分析】空港が街を変えた―成田市“人口倍増”の背景17:53
【観光】空港に工場?「+NRT factory」(プラス ナリタ ファクトリー)を調査。20:34
【交通】成田がさらに便利に? 国道51号拡幅と“北千葉道路”のいま21:39
【交通】成田空港をくぐるトンネル24:21
【地名】「殿アラク」謎の地名、検索ヒット数”0件”25:31
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5 Comments
読み間違いや言い間違い、変換ミス、表記の揺れなどにはできる限り注意を払っていますが、雑学や画像の情報量が多く、また更新の都合上、デバッグに十分な時間が取れない場合があります。
もし内容を他でご紹介いただく際は、ぜひご自身でもう一度ファクトチェック・ご確認いただけますと安心です。
また、万が一誤りや気づいた点などありましたら、コメント欄で私や皆様と共有していただけるととても助かります。
あと、足あとにコメントも大歓迎ですので、ぜひ残していってくださいね~
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関東でヒョウやアラレ
https://weathernews.jp/s/curation/detail.html?cuid=202503180095
千葉県道路愛称地図
https://www.pref.chiba.lg.jp/doukan/douroiji/shiryou/documents/aisho02.pdf
千葉古道歴史散歩
https://www.ktr.mlit.go.jp/chiba/limit/rekishi/index.htm
29:01 20年ほど前に国道51号に仕事で関わったことがある者ですが、この右折する道も佐原街道の旧道と思われます。現在も京成成田駅から忠敬橋方面に向かう佐原粉名口車庫行きの千葉交通のバスが通っています。まっすぐ行く4車線の道はバイパスですね。水郷大橋の周辺も茨城県道・千葉県道2号など変遷があったと記憶しています。
初めまして!いつも楽しく拝見しております。51号紹介していただきありがとうございます〜😃
今も成田に実家があって20年前まで住んでました。いまもたまに帰省しています。
51号は年始の渋滞が酷く1月いっぱいくらい続いてたと思います。バスも遅延しまくりで、基本的に使わないようにしてました💦
2000年になって巨大なイオンモールもできたので、土日はそれによる408号空港線の渋滞もありますね〜。
これからも楽しみにしています!
51号紹介ありがとうございます。生活道路で通行していてわかりやすかったです。
24:38
滑走路延伸に伴い、現地を通る東関道も地下化への工事が始まったとか。