伊勢擬革紙 第Ⅳ編

伊勢擬革紙 第Ⅳ編

上芝居 伊勢隠し 第4編新時代へのヒントは伊勢隠しにある かも 始まり始まり 遠く離れた江戸に住んでいるみんなが 伊勢のタバコ入れを知っていたことに太郎 ちゃんめ衣ちゃんダンちゃんの3人は びっくり行点 江戸だけじゃなくて日本中にファンがい ました タバコ入れの技術を生かして壁紙を作っ たら ヨーロッパでも大人気となったことに またまた行点 動物の川を使わなくて自然環境にも優しく て デザインもおしゃれで 日本文化の1つでもある遺跡隠し どうしてこの地方から生まれてきたの だろうと考える3人 ヒントは街道にあるらしいと気づきました 三重県の江戸時代の街道はこんな感じ め衣ちゃんはタブレットで三重県のホーム ページを開いて2人に見せました わあたくさんの道が密集しているね ハロちゃんめいちゃんこんなところ他に あるかな うんうんお城があるところはそこを中心に 東に西に南に北にと広がっているところが 多いって聞いたことがあるけど この辺りはちょっと違うねどの道もお勢 さんへと繋がっている ハローちゃんが気づきました どの道もお瀬さんにつがるように作られて いたのです それだけ大さんは全国の人たちにとって 特別な場所でした 一体どれくらいの距離があるのかしら そう言うとめ衣ちゃんは東京からお勢さん までの距離を調べ始めました 東京からお勢さんまで高速道路で 460kmもある飛行機も新幹線も車も ない時代よね 山も川もたくさんある大変な道を歩いて やってきたのね かという人が担ぐ乗り物や馬を使う人もい たって聞いたことがあるけど ほとんどの人は歩いてきたんだろうね 1日に30kmから40km歩いたんだっ て 松市から伊勢市ぐらいまでかな 止まるところは大体この感覚 1時間に4km歩いて8時間から10時間 かかる 街道には所々にお茶を飲んだりする店が あったから休憩しながら歩いたんだね 店の国に入ると茶店には名物の文字が たくさんあったらしいよ それで文字街道とも呼ばれてたんだって さすが太郎ちゃんのこともよく知っている んだね 僕もいろんなの食べ比べをしてみたいな 名前の違う道がたくさんあるけどちょうど 私たちが住んでいるところで重なっている 東から来る人西から来る人みんなが集まっ てきたのよ 街道は人人人だったはずだわ 伊の師を作っていた人たちはいろんな ところからやってきた人が交わる場所に 住んでいたんだ ここならお土産もたくさん売れるよね うんうんこの辺りの三宮街道沿いには タバコ入れを売る店が100件以上もあっ たんだよね ネットもテレビもなかった時代だから情報 は人が歩いて運んできたんだよね 京都ではこんな柄の着物が流行っていると か九州でよく実る米が改良されたとか 美味しい野菜ができたとか 面白いタバコ入れがあるとか ダんちゃんすごいきっとそうだよ口コみで 広がったんだよ 日本中の人がたくさん来るから情報や種 なんかの交換には持ってこいの場所だった んだね 面白いものや情報美味しいと聞いた作物の 種を江戸や東北に持って帰ったら話が聞き たい種が欲しいって大人気になるよね 反対に江戸の話や東北のものがお勢さん 経由で大阪や四国に伝わって全国に広がっ ていったのね うーん街道ってすごい役割があったんだね あんちゃんはそう言うとはっとした顔をし て2人に言いました ねえ太郎ちゃんめ衣ちゃん伊勢の師の大事 ファンだった松坂の松浦竹史郎さんの冒険 も街道から始まったんだよね 竹史郎さんの記念感があるってさっき言っ てたけど僕も言ってみたいな じゃあ今から松浦竹代記念館へ行って 確かめてみようよ め衣ちゃんの提案にダんちゃんは大喜び 3人は松浦竹史郎記念館へ行くことにし ました 竹代おさんの家は伊勢海道沿いにあった 家の前をたくさんの人たちが生きするのを 小さい頃から毎日見ていたんだ あここにおかげりのことが書いてある 確かおかげの年だけいつもよりたくさんの 人たちが来たって言ってたよね ダんちゃんすごいよく覚えてるね のおかげ参りは1830年で 竹史郎さんが13歳の時みたいだね この年はなんと500万人 6人に1人が来たんだって 街道も宿屋も数えきれない人で溢れていた に違いないね その頃の竹史郎さんの愛読書は全国各地の 観光ガイドブックみたいな名所杖だった そうよねえ太郎ちゃんがよく読むのは 太郎ちゃんのことだから名物の持ちを紹介 する本とか 僕はそんなに食し坊じゃないよ漫画なら 読むけどねへけ て笑った後太郎ちゃんは竹史郎さんの 気持ちを考えてみました 自分の家の前を通るたくさんの人たち おさんを目指して遠くから楽しそうにやっ てくるのを見ていたら知らないところへ 行ってみたくなるの分かる気がする 本だけじゃなくて実際に見て確かめたいと 思う気持ちはどんどん強くなっていくよね なるほどた史郎さんを冒険へと借り立てた のは知らないところに向かうことを楽しん で興奮しながら帰っていく 旅の人たちの姿だったのかもしれないね 新しい発見に出会うと本当に嬉しくなるわ よね 私も例えば竹史郎さんが師で作った袋が なぜ好きだったのかとかもっともっと いろんなことを知りたいな 疑問に思っていることがあるんだけど江戸 にお店を出して成功した商人や明治の実業 家や発明家が伊勢の国からたくさん出て いるんだ なんで伊勢の国からこうした人たちが たくさん出たんだろう 情報がたくさん集まるところで育ったから じゃないかな 道を行く人たちが話している不思議な世界 のことを想像する 疑問に思ったことを尋ねてみる こうすればいいかもと考えることが新しい ものを生み出す訓練になっていったんじゃ ないかな 私は学ぶチャンスがたくさんあったからだ と思う 農業だけじゃなくていろんな仕事があって みんなの暮らしが他の地域よりも少しだけ 豊かだったのかも うーん答えは1つじゃなさそうだね どんな情報や知恵をどうやって集めてどう 使えばいいんだろう 成功した人たちのように何が大切かを 見抜く力もいるよね そうだね ふと思った疑問もなぜなぜなぜって難しく ても諦めないで粘り強く考えて 自分で答えを探し出すことも大切だと思う 簡単じゃないよね これからの新しい時代を切り開いていくに は 街道が生み出した伊勢隠しの歴史にヒント があるかもしれないね

この紙芝居は、参宮ブランド擬革紙の会が、公益財団法人岡田文化財団2024年度助成「三重県南勢地域の地場産業学習資料作成提供特別事業」で作成したもので、明和町内での郷土学習の促進を目的として参宮ブランド擬革紙の会の了解を得て公開しました。

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