沖縄一周車中泊旅行記25【中城城】シニア夫婦と犬1匹が自作キャンピングシェルで行く
青い空と海に抱かれた沖縄。 ヤッホー、いるかです。 この島には、本土の城とは異なる、 独特の歴史と文化が息づく、 『グスク』と呼ばれる城跡が点在しています。 今回ご紹介するのは、琉球王国の壮大な歴史を今に伝える、 世界遺産『中城城跡』です。 14世紀末頃に築かれた中城城は、 沖縄に300余りある城跡の中で、 築城当時の姿を最も色濃く残していることで知られています。 その優雅な姿から、見る者を魅了し続けています。 城内には『郭』と呼ばれる石垣で囲まれた平地が、 六か所に設けられた、連郭式の山城です。 その堅牢な造りからは、当時の技術の高さが伺えます。 そして、この中城城の堅牢な造りは、 外国からも賞賛された逸話が残っています。 1853年、浦賀に来航する前に、 琉球に立ち寄ったアメリカのペリーは、 この中城城を視察し、 『鉄壁の守りだ』とその完成度の高さに驚き、 感動したと伝えられています。 日本本土との交流が限られていた時代に、 これほど高い築城技術と美しさを併せ持っていたことに、 ペリーも驚きを隠せなかったということです 。 中城城を歩くと、本土の城とは異なる、 ある重要な特徴に気づかされます。 それは、城内に点在する『拝所』や、 『火神(ヒヌカン)』の存在です。 南の郭など、様々な場所に聖域が設けられ、 城が単なる軍事拠点や政治の中心地だけでなく、 地域の安寧や五穀豊穣を祈る信仰の中心でもあったことを、 物語っています。 火神は、家族や地域の守護神として大切にされ、 暮らしと密接に結びついていました。 また、城内には鍛冶屋の跡や、 水源を確保するための井戸の跡も残されており、 武器や農具などが作られ、生活用水が供給されるなど、 城の自給自足の生活を支えていたことも分かります。 琉球のグスクは、人と神々が共に生き、 そして生活の営みも全てを抱え込む空間でした。 この中城城と切っても切り離せない人物、 それが、琉球の歴史にその名を刻む名将、『護佐丸』です。 彼は、築城の天才としても知られ、 すでに北方に築いた堅牢な『座喜味城』の城主でした。 しかし、この頃、東方に位置する『勝連城』の城主、 阿麻和利(あまわり)が急速に勢力を拡大していました。 その武力と財力は、 首里の王府にとって大きな脅威となりつつありました。 この阿麻和利を牽制するため、護佐丸は王命により、 座喜味城からより首里に近いこの中城城へと移り、 増改築を行い、強固な城を築き上げました。 護佐丸の改築により、 中城城は琉球で最も堅牢な城となったと言われています。 その天才的な築城技術は、この美しい曲線の石垣や、 地形を巧みに利用した構造に生かされていて、 今でも目を見張るほど驚かされます。 護佐丸が中城城に移り住んだ頃、 首里の王府では大きな混乱が起こっていました。 当時の国王が急死し、 後継者争いで首里城が炎上するほどの事態にもなりました。 やがて、尚巴志の七男である尚泰久(しょうたいきゅう)が、 新たな王になります。 それでもなお混乱が続く中、護佐丸は尚泰久王を強く支持し、 自分の娘を王に嫁がせることで、その忠誠を誓いました。 これにより護佐丸は、王の義理の父、 つまり最も信頼できる強力な後ろ盾となったのです。 そして、護佐丸の娘と尚泰久王の間には、 後に悲劇の運命を辿る、 百十踏揚(ももとふみあがり)という娘が生まれます。 護佐丸にとっては、可愛らしい孫娘です。 一方、中城城の東に位置する勝連城の城主である阿麻和利は、 その才覚と武力で周囲のリーダーたちを次々と従わせ、 勢力を拡大していました。 貿易で莫大な利益を上げ、 その財力は王府をも凌ぐほどになりました。 地元では賢くリーダーシップのある人物として、 今も語り継がれています。 混乱する王府にとって、 彼の存在は無視できないものとなっていきます。 そしてなんと、 阿麻和利は自らの立場をさらに強固にするため、 護佐丸の孫娘にあたる百十踏揚(ももとふみあがり)を妻として、 迎え入れます。 護佐丸から見れば、阿麻和利は孫婿。 しかし、これは阿麻和利が抱く大きな野心を隠すための、 巧妙な策略だったとも言われています。 そして1458年。歴史は悲劇的な展開を迎えます。 阿麻和利は尚泰久王に対し、 『護佐丸が王様に反抗しようとしている』と、 事実ではないことを告げ口します。 忠実な家臣として王府に仕えてきた護佐丸でしたが、 尚泰久王は阿麻和利の言葉を信じて、 護佐丸討伐の軍を差し向けてしまうのです。 王府軍が中城城に迫る中、護佐丸は、決して王に弓を引かず、 その手に弓を持つことさえ拒みました。 彼は、自らの潔白と王への揺るぎない忠誠を、 命を賭けて示すことを選んだのです。 妻子と共に、この中城城で自らの命を絶ち、 その高潔な魂を貫き通しました。 その悲痛な決断と壮絶な最期は、 琉球の人々の心に深く刻まれ、 今もなお語り継がれる悲劇として、 歴史にその名を留めています。 しかし、物語はこれで終わりではありません。 護佐丸を葬り去った阿麻和利は実は、 尚泰久王を倒す計画を立てていることを、 妻の百度踏揚に悟られてしまいます。 百度踏揚からすれば、夫が祖父を、 そして今また実の父の命まで狙っている。 彼女は王女としてではなく、娘として意を決しました。 密かに勝連城から逃れ、父のいる首里城へ向かいます。 この百十踏揚の逃亡は琉球の歴史を大きく動かしました。 結末は次回の勝連城の動画でお話ししたいと思います。 ここまでの歴史の舞台となった中城城は、 今もその雄大な姿を保ち、 訪れる人々に静かに語りかけています。 信頼と疑い、忠誠と野望、 そして愛情と憎しみが織りなす、人間ドラマ。 激動に翻弄される人々がまさにこの場所に居ました。 そしてその中でも変わらず受け継がれている、 琉球の文化と信仰の形。 私たちは、この石垣一つ一つから、 400年前の人々の波乱に満ちた生涯を、 感じ取ることができます。 「全部番号が打ってあるやん、石垣に」 現在、中城城跡では、この貴重な遺産を守るため、 大規模な修復作業が進められています。 築城当時の人が触れた一つ一つの石に番号が振られ、 丁寧に積み直されるその光景は、 歴史を紡ぐ人々の情熱と、 これを未来に伝えようとする意志を感じます。 歴史の重みと、沖縄の美しい自然が織りなす中城城。 ここを訪れることは、ただ遺跡を見るだけでなく、 琉球王国の深い歴史と文化、 そして護佐丸という一人の武将の、 壮絶な生涯に触れる旅となりました。 ぜひ一度、この『雅なぐすく』を訪れ、 御自身の目で、その魅力を感じてみてください。 今日も最後までご視聴いただき、ありがとうございました。 それでは次の勝連城の動画で またお会いしましょう。
沖縄の青い空と海に抱かれた、世界遺産「中城城跡」。この動画では、単なる史跡としてだけでなく、壮絶な歴史と信仰が深く息づく、この美しい城の魅力に迫ります。
中城城は、14世紀末頃に築かれ、沖縄に数多あるグスクの中でも、築城当時の姿を最も色濃く残す「雅なぐすく」として知られています。見る者を魅了する優美な曲線を描く石垣は、その堅牢な造りから、1853年に琉球を訪れたアメリカのペリー提督が「鉄壁の守りだ」と感嘆した逸話も残されています。
本土の城とは異なり、中城城内には「拝所」や「火神(ヒヌカン)」が点在し、城が単なる軍事拠点や政治の中心地だけでなく、地域の人々の安寧や五穀豊穣を祈る信仰の中心であったことを物語っています。鍛冶屋跡や井戸の跡も残されており、当時の城内で自給自足の生活が営まれていた様子も垣間見ることができます。琉球のグスクは、人と神々が共に生き、そして生活の営みも全てを包み込む、特別な空間だったのです。
この中城城と深い縁を持つのが、琉球史に名を刻む名将、護佐丸(ごさまる)です。築城の天才としても知られる彼は、王命により座喜味城から中城城へと移り、勝連城の阿麻和利(あまわり)を牽制するため、城をさらに堅固に増改築しました。護佐丸の改築によって、中城城は琉球で最も堅牢な城の一つとなったと言われています。
動画では、護佐丸の後半生に焦点を当てます。混乱する首里王府での後継者争い、尚泰久(しょうたいきゅう)王との関係、そして護佐丸の娘と尚泰久王の間に生まれた百十踏揚(ももとふみあがり)を巡る阿麻和利との複雑な関係性。そして、1458年に起こった「護佐丸・阿麻和利の乱」の悲劇へと繋がります。阿麻和利の告げ口により王府軍に攻められた護佐丸は、王への揺るぎない忠誠を貫き、決して弓を引くことなく、妻子と共にこの中城城で自らの命を絶ちました。その悲痛な決断と壮絶な最期は、琉球の人々の心に深く刻まれ、今もなお語り継がれる悲劇として歴史にその名を留めています。
現在、中城城跡では、未来へとこの貴重な遺産を伝えるため、大規模な修復作業が進められています。一つ一つの石に番号が振られ、丁寧に積み直されるその光景は、歴史を紡ぐ人々の情熱と、文化財を大切にする想いを伝えています。
中城城は、ただの城跡ではありません。そこには、琉球の人々の営み、深く根差した信仰、そして壮絶な人間ドラマが息づいています。ぜひ一度、この「雅なぐすく」を訪れ、あなた自身の目で、その魅力を感じてみてください。
★目次(チャプター)
0:00 中城
0:00:39 中城の防御構造
0:01:35 中城の精神的意味
0:02:11 中城における生活の自給自足
0:02:38 護佐丸の物語
0:04:39 護佐丸と阿麻和利の対立
0:05:37 護佐丸の悲劇的な最後
0:07:58 今も続く中城の修復作業
0:08:23 まとめ
#Vlog #シニアライフ #沖縄
8 Comments
こんばんは、中城城行きたいですね!とても、強い🏯なんですね😊
👍
築城の技術だけでなく、その歴史が深く関わっていたのですね
その歴史を知ると益々興味深くなります
知っていると知らないとではその見方がまったく違う
ガイドさんからの話を詳しく聴き入っているようです♬
お疲れ様です。旅行記と言うより、連続歴史ドラマですね。次回が楽しみです。(#^^#)
面白かったです👏
次回が待ち遠しいです♪
こんばんは😃🌃
歴史のお話は毎回1本の大河ドラマで、わかりやすくて面白いです👍
編集大変なのではないですか。台本もあるのかな?
拝見させていただいている私は楽しいのですが😊
続きが早くみたいです❣️
おはようございます。いやー、これ大河にして欲しいですよね😊沖縄に触れてはいけない何かがあってドラマ化出来ないのかな?最近、読んだものは忘れてしまいましたが、都内にいらっしゃる琉球王の末裔の方が式典に参加した際、私たちのDNAは正しく本土と同じ日本人であると力強くスピーチされ、高まる琉球独立と中国寄りの団体に冷水を浴びせたそうです😂沖縄を守りましょう!
何らかの狙いを持って意図的に間違った情報を流し、流された方はそれを信じてしまう。 その手段が現在ではTVやネットになっていると思います。 そしてこの現在においても何が真実か「双方の意見を聞く事はせず」人は一方向からの情報を容易く信じ、、一旦信じてしまうと他方向からの情報には耳を塞ぎますね。