【将軍吉宗の時代の盗賊】日本左衛門の墓と首塚(磐田市、島田市2025年6月1日)※諸説あり
日本左衛門(にっぽんざえもん)は本名を浜島庄兵衛といい、父は尾張藩の下級武士。将軍徳川吉宗の時代の盗賊で、遠州の豊田郡、貴平村きへいむら、現在の浜松市、中央区貴平町きへいちょうに本拠を構えて東海八か国を荒しまわったと伝えられます。
日本左衛門は、延享4年(1747年)1月7日、自分の手配書を見て逃げ切れないと悟り、京都町奉行所に自首し、江戸に送られ、北町奉行によって小伝馬町の牢に繋がれた。市中引き回しの上、同牢獄にて3月11日(もしくは14日)に処刑され、首は遠江の見附、現在の磐田市見付に晒された。なお、処刑の場所は遠州鈴が森(三本松)刑場とも江戸伝馬町刑場とも言われる。享年29。
見性寺に墓があり、遠州金谷宿、宅円庵には首塚がある。 首塚には斬首の後に晒された首を日本左衛門の愛人が盗み出し、宅円庵で弔ったと言う言い伝えがある。
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