湯河原の万葉歌碑と茶室万葉亭

湯河原の万葉歌碑と茶室万葉亭

はい、こんにちは。え、ここは神奈川県 湯原町、え、湯河原駅からバスで10分 ぐらい来たところにある、え、藤谷旅館の 前ですね。え、ここから今、あの、この、 え、バス通り、あ、これ藤間の看板なん ですけれども、え、ここの手前の道、これ を、えっと、50mぐらい下ったところに ある、え、そういうテラスというところに 向かいます。共有テラスという名前で今で は親しまれているんですけれども、え、 かつてはどっこの湯という名前で足湯が いくつかあった施設だったと思うんです けれども、あのここに、え、毎容州の歌の あの下費があるので、ま、それを見に行く という目的で行ってきました 。で、えっと、ここがその、え、そういう テラスと呼ばれる場所で、今、え、この橋 の下内と瀬川が流れているんですが、ここ の入り口のところ、えっと、今正面の ところにあの満葉動門と書かれた動門が あり、その手前にあの万葉集の下費がある んですね。え、これ立派な下費なんです けれども、あ、今人が出てきましたね。え 、この下費の説明は後に回すことにして、 え、ここ湯河原そういうテラスという名前 で今ではあの地元の人とか多くの環境客に 親しまれています。え、静かで豊かな時間 を過ごすための場所。え、確か満葉湯河原 そう有ックス&リトリートなんていう名前 もついていたかと思いますけれども、え、 木々のざめきとこの川の背ぎに包まれ ながら、え、厳線駆け流しの温泉を堪能 することもできます。え、ここは確か事前 予約性で、え、食事付きプランとか、え、 あと食事なしのその温泉、え、滞在プラン もあったかな。そしてこの万葉公園内には ですね、ま、こうした木歳川とかあとは 気軽に立ち寄れる、え、テラスなどもあっ てここではカフェとか、え、それからあと 高キングスペースとかあとちょっとした本 なんかも置いてあったり、あとえっと足湯 もあったはずですね。え、ま、この公園作 で、え、半日、半日とは言わなくても、ま 、えっと、1時間とか2時間ゆっくりと ここで過ごすこともできますし、え、 そしてこうワーキングスペースなどを利用 すれば、ま、また地元の人とかいろんな人 との、え、も出てくるわけです。まさに 心身リフレッシュできる。え、それがこの 湯河原、そういうテラスです 。で、この時僕はあのカメラのどこか設定 をあのし間違えたのか音声が全部録音でき なかったんですよね。本当だったらこの あの鳥のえ釣りとかえ千歳川の背ぎの音と かが入っている予定だったんですけれども 、え、今回は全てこのアフレコで、え、 1人でベラベラ喋っているとそういう形に なっております。 え、そしてこのテラスの入り口のところに ある、え、万容州の下費なんですけれども 、これ万容州巻の14の、え、 3368番の歌ですね。3368番。え、 足狩りの問の高地にいずる湯の世にもらに 頃が言わなくにという、そういう歌なん ですね。あの、毎容州、えっと、歌によっ ては足柄のことをなっって、えっと、東獄 方言でいいのかな、足狩りなんて言ったり する場合もあるようなのですが、まさに この歌においては、え、足狩りと、え、 なっていたようです。足狩のトイのコーチ に足狩りのそのトイ、ま、この辺にはあの ドイさんていう名前の人が、え、昔からい たわけですけれども、え、この辺りの地名 ですね。の問いの谷間に、え、コンコンと 湧き出てくるお湯のように、そのお湯が 揺れ動くようなことを決してあの子は言わ ないだろうと。ま、そんな歌なわけです。 え、足柄というともう昔からその温泉が コンコと湧き出ており、え、確か鎌倉時代 の、えっと、あれてあれだったかな?あの 、ご家県人たちもあの鎌倉とのその 行き返りの中で、え、ここで温泉当時を 行ったなんていう記録もあったはずです [音楽] 。湯河原町は、え、この有大な箱根火山の 、え、外輪山の南側、そして、え、海側の 方はあの相模に囲まれて、え、地形的には とても贅沢な、え、そんな場所に位置して いるわけです。町の中心部は、え、かつて 激しく活動した湯河原火山が長い年月を かけて進食されてできた地形を有している そんな特徴があります。この湯河原町の 周辺には、え、倉か山、それから大元山 って言ったかな?え、あとは白山、それ から売臨で知られる、え、有名な幕山と いった、え、数々の山がつっているわけ です。特に幕山は、え、箱根火山の外輪山 の一部としてその南頭部に一致する、え、 溶岩ドームがまるで自然が作り出した彫刻 のような非常に美しい中設理を見せてい ます。ま、ちょっと今日そこまで行け なかったのが残念なわけですが、いずれ またそっちの方にも行ってみたいと思い ます。え、そしてこの湯河原町を潤わすの は何と言っても、え、今私がこの横を歩い ている千歳、それから藤木川といった川も あったはずですね。え、この藤木川、え、 ここ、え、非常に背せらぎの音が綺麗だっ たわけなんですけれども、音声が録音され ていないわけなんですが、え、ここは確か あの静岡県と神奈川県との県境を流れる川 であったはずです。まるで自然の教界線の ような、え、そんな川なわけです。湯河原 駅の周辺には、え、これらの川が、え、 運んだ土砂でできた中大地いや中席定地か あれは。そして、え、小さな球や崖のが 広がって、非常に寄伏に飛んだ景観を 作り出している。これがまさに湯河原の 特徴だと思います。え、そして夏には多く の海水浴客局客で賑わうおよそ700mに も及ぶ美しい砂浜海岸があります。町の奥 には湯河原の奥座敷と呼ばれる湯河原の 温泉橋が静かに佇み、箱根にほと近いこの 地域はより一層赴きとしけさを感じさせて くれてる。まさにそんな地域なわけです。 ま、しかしそうした地形を地質的に見て いくと、え、この湯河原の町というのは ですね、数十万年前に活動を終えた湯河原 火山の新食デラの中から湧き出ていると、 そういう風に考えることもできるわけです 。夕河原火山というのは大体44万年前 から28万年前という、え、中期更新生に 活動したと言われる清掃課山です。長い 年月をかけて中央部から深く侵食され、 そして現在は北製から南東へと伸び巨大な 新食デラが形成されているのが特徴であり ます。この湯河原温泉の、え、元となる 地下水は湯河原火山の基盤をなす古い地層 から、え、その割目から湧き出た、え、お 湯。これを各温泉に流しているわけですね 。え、藤木側や千歳側のこの過称で、え、 川どでですね、その川どであの所々で古い 地想なども見ることができるはずです 。そしてその、ま、湯河原の歴史と言うと 非常に古い、ま、歴史があるわけなんです けれども、え、先ほど紹介した通り、え、 古ルクは1300年ほど前に万容州の中に 読まれた歌もあったわけです。え、万容州 に読まれた歌には、え、湯河原という致名 の由来が、え、示唆されている。そんな風 にも思えます。河から自然に湯が湧き出て いる様子がまるで恋人の揺れ動く気持ちに 例えられている。え、イニシエの人々も きっとこの地の温泉に心を、え、癒された のではないでしょうか。そしてですね、 この湯河原と言うと、ま、隣にはマ鶴町も あるわけなんですけれども、え、このあの 鎌倉幕府の将軍ですね。え、源のよ友の ゆかりの地でもあるわけです。え、 1180年石橋山の戦いで破れたの友は 湯河原を両地としていた、え、時の武将ど のの案内でこの地の山中に身を隠し、 そして最復興を図ったと伝えられています 。 えっと、湯河原にご主人社っていう神社が あったと思うんですけれども、え、そこは ですね、より友が原兵河の前に、え、先勝 祈願をした神社としても知られています。 がご主神社の経済ですね。え、経済には フォトスポットとなるべく、え、これ欅き の木の前だったかな。あの、こうした、え 、インスタ用のフレームがあったりとか ですね。あと、え、このご主人者の経済の 中には、あの、七福人の大きな石像があり 、経人 巡りをできるようになっていました。ここ はね、駅から湯原駅から歩いて、え、78 分ぐらいだったかな。そんなに遠くない ところで、え、あの、歩いてでも行ける 距離となっております [音楽] 。ああ。そしてこれもう1度、あの、 あそこ、え、そういうテラスに戻ってきて 、2階のこの通路のところからこの正面の 建物ですね。これか吹きの屋根のここお 茶室になってるんですよ。え、これ確か 昭和30年代に蓄されたものだったと思う んですけれども、え、国文学者の佐々木信 さんとそれから建築家の堀口ステミさんと いう方がですね、共に意見を出し合って、 え、作られたお茶室なんですね。え、この 堀口スて美さんという方、え、明治から 昭和にかけての建築家なようなのですが、 え、日本の伝統的なスキア作りの中に新た な美的価値を見い出してその伝統文化と 近代建築の、え、概念を融合させようとし て、え、いろんな斬新な建物を作った らしい。え、そういう方なんですね。あの 、ここの茶室自由に写真撮ってもビデオ、 カメラ回しても構わないということで、 あの、撮らせてもらったんですけれども、 ちょうど僕が行った時、このフの花が、え 、非常に綺麗に満海に咲いておりました。 え、待合いのところでもお茶が飲めますし 、え、外でもこの屋内でもどこでもお茶を いただくことができます。この満葉艇の 設計にあたりですね、え、この建築家の 堀口さんは、え、縄文時代の原始住居とか それから日本古来の住まの形から着走を得 て、え、それが単なる復元ではなくて、 そうした古代の住まいの概念を踏まえつつ 新しい茶室を作りたいということで、え、 堀口さんならではの試みというのが色々 なされていたそうです。え、万容州のマの 8の1637番天皇の歌はですね、肌すき 、小花坂、黒木持ち、作れる室はよまでに 。え、この歌に歌われたその重向きを表現 するために柱にはあえて皮付きの草拭きが 施されています。今天井映してますけれど もね、え、自然の素材をそのまま活かす ことで昔の暮らしのい吹きが感じられる ようなまさに温かくそして力強い空間が、 え、ここ満からは芽いているわけです。え 、この万用艇、え、スキ作りの名刺として その名を馳はせた、え、この建築家堀口 ステミさんの現存する数少ない貴重な作品 の1つであり、この堀口さんの建築の思想 が凝縮された傑作として今も大切に、え、 守られています。僕がここ行ったのは、 あの、ゴールデンウィークの連休中だった んですけれども、え、ここではですね、裏 選挙の方がお茶を出してくれまして、え、 当時はこの時はですね、あの忙しかった ようでアルバイトの方がお茶を入れて くださいました。非常に美味しく、え、お 菓子もあのとても美味しかったです。え、 そういうわけでここを行くとですね、え、 万葉公園じゃなくて、えー、そういう テラスですね。あの、ま、こういう形で 入り口に、え、万容集の石碑が1つあり、 そしてまたこうした、え、万用ゆかりの 茶室、え、もあるわけなので、ま、 ちょっとした、え、温泉を味わいながら かつ万州の気分にも浸ることができると、 え、そんな場所であります。あ、そして これは最後あの電車を待つ、え、湯河原駅 のホームであります。

2025年の連休に、湯河原の惣湯テラスに行き、万葉歌碑と万葉亭を見てきました。

Write A Comment

Exit mobile version