広島県北広島町 天狗石山で登山中に才乙の地名由来と平家伝説を記した碑に遭遇
天狗石山へ通じる登山道付近に建物らしきものが見えたので探索したところ、才乙(サイオト)と阿佐山の地名由来と、平家伝説のことを記した碑と祠がありました。なぜこんな山の中に建立したのかは不明です。この場所は碑に「本峠」となっており、以下のように記してありました。
乳母御前神社由来 才乙地名阿佐山由来
祭神 安徳天皇二位の局
大化改新後、武家勢力隆盛なりし中にて平家の勢力殊に旺盛なりし
当時清盛、経盛、頼盛等が安芸の領主となりたり
奢る平家久しからずの諺の如く
源氏の勢力に追はれ寿永四年 長州壇ノ浦にて滅亡せり
其の間一ノ谷屋島敗戦し、安芸の山間に逃れ
当地にも隠れしは、王渡橋、王泊の地名等に明らかなり
其の節当地に滞在し、地方の未開民に機織りの業を授けられしと云う
其の時初めて梭の音を聞きしにより、(さいおと)と地名を付けたりと云う
平家一族隠棲中当地方民の協力に対し
阿佐山は才乙村、大暮村、米沢村、移原村、高野村の五ヶ村入相として
授けられしと云う
其の後享保十五年十月本地奉行所郡奉行武井又次郎、池谷杢右衛門よりの
申渡書にて五ヶ村入相山として認められたり
大正初期五字に分割し才乙分二百十八丁三反四畝歩は村有林に編入されたり
因の此の峠を本峠と称するのは、往古は大朝地方への往還(道路)なりしと云う
右の如き伝説により山の守護神として古代より部落民の尊敬最も厚く
社殿御神体共に再建せり
昭和二十六年九月三日
7 Comments
いつも楽しく視聴させて頂いてます。元々芸北は大好きで、才乙もよく車で行くんですが、この山は知りませんでした。平家絡みの石碑とかあるなんて胸熱。しかもスキー場の近くかぁ…自分も行ってみようと思います。景色も良い場所ですね。こういう隠れた名所や忘れさられた廃墟に出向いて撮影して下さるのは本当に嬉しいです。
ここは、乳母御前神社といい、ご神体は 乳母御前で、子供を抱いた尼さんの像がご神体です。地区住民が年に一度、お宮を掃除し、しめ縄も新しく作り直して、結界を張ってお祭りの準備をしています。たしか、ユートピアsaiotoも、このお宮で、安全祈願をしていたと思います。いまでも、神官さんも来られて、祝詞をあげられ、お祭りがあると思います。
私も、若いころは、天狗石山への道刈りも、何回かしました。懐かしく、この動画を拝見しました。
サイオトの漢字、初めて知りました。今度行ってみます!
登山道の木が斜めに生えて、尾根は低い笹の原となっています。冬は相当強い北風が吹くのだろうと空撮で見ると、北から南へ筋状の模様が見られます。ねじ曲がった木も、風で倒されも枯れずに成長したのだと思います。
尾根の北側にある建物は、厳しい冬に耐えられないのでしょうね👍
結局達物は祠?ではなく、見つからなかった…Googleの数値地点でも無かったのなら現在は倒壊したのかもですね。頂上はいい眺め😊本当にチンギス・ハンと平家の一族落武者伝説はたくさん有りすぎて検証も難しいし、それ故ロマンがあって楽しいですね。お疲れ様でした
VSさんこんにちは✨なぜこんな所に平家伝説がもしかして、壇ノ浦の戦いで負けた平家が逃げて来たのかもしれないですね😢平家の話しは日本全国あちらこちらにあります、下関赤間神宮が有名です、あの木は違う木が2本絡まったてたんでしょうか🤔変わった木❓VSさん足音ザクザクいいね👍️いつもありがとうございます🙋🎉
突然変異…雷でも落ちたのでしょうか…
山奥までの探索、お疲れ様でした。
コメントを読んでいたら、突風説がありますね。
それの方が正しいかもしれませんね