(54)【日本一周修学旅行】現存天守と大名庭園のまち 彦根城を歩く《彦根》
今日はまだ時間がありますので、次の目的 地であります。に向かっていきます。 彦コ根は現在僕がいるセ田の空橋から 琵琶湖の東側をずっと北上していった方向 にあります。ということで瀬戸の空橋を後 にしまして高速へと向かっていきます。 これ以上はもう武士道さんと一緒に浄化町 を歩いた動画があるんでどうしようかなと 思っているんですが飛根班の話をするにし てもね桜田門街の編は東京ですから ちょっと場周辺でやるとなると結構動画 構成上難しいですね。ま普通にお城の話し た方がいいか。確か北側に停もありますの で、この前行ってない場所とかを回収し ながら根城も見ていくみたいな感じにし ましょう。それでは高速に乗って向かって いきますのが根城です。なんか車多いな。 連休だからですか?全然高速じゃないぞ。 30kmくらいだ。どうやらパーキング エリアにみんな入りたがっていたようです 。看板にも少しずつ中部地方の地名が乗る ようになってきましたね。おそらく近畿 地方最後の県である滋賀県を抜けるのは 明日になりますが、近畿地方が終わります と中部地方に入っていきます。いや、 やっぱりゴールデンウィークは車が多いっ すね。もう詰まっちゃったよ。ちょっと アイスかなんか食べるために休憩 パーキングだからそんなに大きくはなさ そうですね。 ああ、でも人多いなあ 。パーキングエリアを出て再び出発。 ちょっと休憩した影響で少し頭がすっきり しました。こね出口で高速を降りていき ます。こうやって実際にね、車で走って みると琵琶湖のでかさがちょっと現実とし て分かりますよね。元々この周辺には 沢山城といったお城があって、そこには 石田三成っていう武将がいたんですけども 、え、石田三成はですね、関ヶ原の戦いで 敗北した人物ですので、お城は取り上げ られてしまいます。そこに入ってきたのが 関ヶ原の戦いで勝利した徳川イ康の部下で あるイマ正です。しかしいい直マは関ヶ原 の戦いで鉄砲に打たれてしまっており、 その傷が原因で確か1年か2年かすぐ死ん じゃうんですよね。だからその次を着いだ 直具だったかな?え、いい直つがここにお 城を作ろうという風に沢山城から新しい 移転計画を作っていきます。今向かって いる根城というお城はそうやって気づかれ たお城なんですが、ま、一旦ね、車を今日 宿泊するホテルすぐ近くにあるんで起きに 行きます。その後根城を向かっていき ましょう。ということで到着しましたのが 本日宿泊するABホテルです 。てことでやってきましたのがJR駅です 。駅前にはこのようにさっきお話ししまし た根班の初代半手であるいいの銅像があり ます。さっき話したことが書かれています ね。下の方を見てみるとお城を現在のえ山 へ移そうとしたが死んでしまいましたと。 で子供たちが家直マの意思を受け継いで その後、え、彦根城を完成させました。 こうして引こ35万初代阪種である飯直正 は今日のひこ根市発展の石を築いたので ある。ひこ根班のイ師と言いますと爆末頃 になりますとイ直すという人物が出てき ますよね。彼がその子孫です。つまりイ師 というのはね、なかなか珍しいんですが 江戸時代に1度も場所を映されていない 大名です。DCが任されたこの根という 場所は日本全体から見てみればどういう ことになるかと言いますと頭の中はです ね戸時代にしてください。江戸というのは 現在の東京ですのでここがま武士の中心。 そして、え、当時は京都にね、がいました ので、中心はこっち側だから西日本と 東日本で2つに分れているみたいなね、 ちょっと経済権が違ったっていう感じなん ですが、武資からしますと西日本に、え、 このような根城を置いておくという風に なればですね、西日本の武将たちが ちょっと氾濫を起こした際なんかはね、 こっちの方に攻め込んでくると思うんです よ。そのようなものに対応した場所という のがこの日でした。つまりこの根城の役割 というのは徳川家から信頼されているイ家 に任されており、そのイ家というのは西側 で徳川に氾濫を起こしそうな部将に目を 向けて見張っておくそのような役割を担 です。JR彦根駅の目の前から銅像を見て そしてまっすぐ進んできて現在地はここな んですがそのさらに向こう側見てみますと 根場があります。 まあ、いつもだったらね、僕はあの、 こ地図使って歩くんですが、一応ね、 小地図の道通っていこうと思えば通れるん ですが、1回その動画あげたので、ま、 いいかなと思って普通に歩いています。 そんな駅前の道をずっと進んできますと、 到達するのが こちら国神社です。国神社に入っていく際 はこのような橋を通っていくんですが、 この橋の下を見てみますと、ここがかつて の根城のお掘りです。現在は空堀りになっ ています。昔から空堀りなのか、それとも 水がなくなってしまったのかはどっちだっ たかな?分かりません。どうも調べてみた 感じだとお掘りには水があったっぽいです ね。古国神社に突き当たったところを左に 曲がって進んでいきますと見えてくるのが このような松波です。こちらの松波大体お 城に関連する本で、え、この飛コネ城を 紹介する際には結構乗っているんですが、 ここにね書いてあります。色ハです。多分 現在は本数が減ってしまっているとは思う んですが、かつてこの松は47本あったと いう風に言われています。色ハニー歩兵と チリヌオみたいなね、日本語の、え、文字 数っていうのは47文字ですので、それに 合わせて47本の末、色ハという風になっ ています。ある程度進んでいきますと、 このようにお城っぽい建物が見えてきます 。ここにね、水彫りがあると思うんですが 、水堀りの向こう側が二の丸ですので、 このやのことを二の丸、沢口、多紋という 風に言います。沢口っていうのは、ま、 出口のことで、ま、いろんな出口がある からここの出口のことを沢口っていう風に 呼んでるんですね。やにもいろんな種類が ありますが、今回のタモヤグというのは このように横に長い作りをしています。 戦いがない兵事の際にはここに武器を修造 しておくというような、ま、倉庫みたいな 役割をしている。そういったやのことです 。このやグはね、確か1回焼けてしまった んだと思うんですが、それを再建したもの が現在残ってんのかな。あそこの奥の方に 看板あるんで見に行きましょうか。うーん 、なんか1回燃えて復元みたいな話を聞い たことがあったと思うんですが、ちょっと ここには書いてないですね。ゴールデン ウィークはやっぱどこも気合入ってますね 。こんなん動かしてますよ。さて、割と スルーされてしまいがちなこの建物ですが 、結構ね、これ珍しいんですよ。こちらは 重要文化剤の馬やです。馬屋というのは このような建物でして、ま、要するに阪種 の馬を繋いでおく場所でした。こんな感じ で、この中に馬がいっぱい入っていたん です。馬はね、当然おしっこもうんこもし ますので、そういった場合は、ま、ここら 辺にするわけですよ。じゃ、それがどう なるかと言いますと、この下に入っていく んですね。で、こっちは外されていますが 、このような場所に容器を入れておいて、 それを掃除するみたいな感じで使われてい ました。またこの馬にはついていませんが 、というものがね、ここに付いてるのなん となくイメージあると思いますが、そう いうのここに結ぶわけです。お城の中に 完全な形で残っている馬屋というのは日本 全国でも城だけですので、ものすごく貴重 なものとなっています。屋根を見てみると 岩田武器。やはり武ケ屋屋敷の中でも ちょっとね、別の扱い方をする場所ですの で、違った建築様式が取り入れられている んでしょう。さて、橋を渡って城の本丸の 中に入っていきましょう。本丸の中に入っ てきますと、このような光景が広がってい ます。左側がチケットリバレ、右側が、え 、表店を押した建物で現在は博物館になっ ています。昔はこっちの方でね、え、根班 の反省が行われていたり、あとは阪種に 会いに来た人々の共合を行っていたりし ました。彦根城は多分5回目くらいなん ですけど、僕ね、この博物館は入ったこと なかったんですよ。今日はに止まるし時間 もありますのでちょっと入ってみます。 多分ですが、こちらも撮影はできないと 思われます。 でがなんかお願いしたらそれを聞いてやった。そうです。それここのもない。ほとんど江戸から帰れてこない。 結構良かったですね。やっぱりこれに来ないと見れないようない家電来の宝物なんかが見れるっていうのが 1 番大きな離点でしょう。そして表店が一部復現されていましたので、当時の雰囲気を見て回るということもできます。それでは彦根城を登っていきます。 足元見たら1 歩で向こう側まで行ける段差もあれば1 歩半で向こうに行くみたいな段差もあってちょっとね、 これ歩きづらくなってるんですよね。というのもお城というのは戦いの設備ですから上でね守ってる人と下から攻めてくる人がいますので上で守ってる人の方が、え、有利にこを運べるようにこのようなちょっとね、登りにくい段になっています。 そして進んでいきますと、このように木で 作られた橋が見えてきます。石で作った方 が防御力が高そうに見えるこの木で作った 橋なんですが、これはね、ちゃんと理由が あるんですよ。というのもこの橋はわざと 壊してしまうようにできているんです。僕 がこっちからお城を攻めようという風に 思って進んでいったけど、ここの橋がね、 落ちてたらもう進めないわけですよ。 つまり橋を落として敵が攻めることができ ないようにするという仕掛けでした。壊れ やすい木の橋っていうのはね、ま、もはや 壊れやすいようにわざとしているわけです 。左の方向を向いてみると琵琶が見えてい ます。ちなみに今通ってきたこちらのもん ですが、この根城の北側の方を見てみます と長浜という場所があるんですが、ここに もね、長浜城お城があるんですよ。こちら の門はその長浜城にあった青門を一した ものという伝承が伝わっています。お城に おいて別の城の建造物を移動してくると いうことは結構よくあるんですが、飛根城 はそれが特に多いです。それはこの周辺に 大津、長浜、沢山、そしてあですね、 いろんなお城がたくさんあり、その部材が 使いやすかったということが由来している んだと思います。そして天手に続く最後の 門であるこちらの太鼓門ですが、この 太鼓門も調査の結果一築されたものという ことが分かっています。そして門をくぐっ て見えてくるこちらが飛根城の天手角です 。電証によりますとこの天手角についても 大津頭の一区という伝承が残っています。 つまり根城の建物の多くは他のお城にあっ たものをリサイクルして使われたものです 。割と小さめの天手なんですが、そんな 小さい天手にもね、結構細やかな感じで コンパクトに合成な作りがされています。 中に入ることできるんですが、ちょっとね 、今日はゴールデンウィークっていうこと もありまして、めっちゃ並んでるんですよ 。僕何回も入ったことあるんで、今日は中 に入らずに別の場所に向かっていこうと 思います。さて、この天手の横を抜けて奥 の方へと進んでいきますと、このような 広場に到着します。で、さらに奥の方に 進んでいけばこの先に進んでいくと大きな 掘り切りがあるんで、それ見れるかなと 思いましたが、現在工事中らしいです。 通行止めになっています。じゃあ仕方ない すよね。別の道から降りていきましょう。 登ってきた山を下っていき、階段を降りて 見えてくるのがこのような兵地です。堀に かかっている橋を渡ると見えてくるのが こちらです。こちらの研究は4台半種で あるE直が167年から7年間かけて増し た庭園。京都で庭園の歴史についてぐるっ と回ってきましたが、ま、時代背景的に 言いますと、江戸時代ですから所員作り 庭園に分類されるんだと思います。つまり 家を尋ねて全国からやってきた多くの大名 たちに対していはこんなに力を持っている んだぞという風に孤児するための鬼はこの 松なんかめちゃめちゃでかいし圧倒され ますよね。戦国大名が作った庭園ですから 、もうここに池を作りましたみたいな感じ でドーンとでっかい池ができていたり、 こっちの方なんかね、お城作りました みたいな感じで、ここに根城が見えてい ます。なかなか豪快なお庭です。ああ、で もここから見ると結構繊細に見えますよね 。なんかさっきの入り口とはちょっと違う 雰囲気があります。あ、多分この浮いて いる島が結構存在感があるからこっち見 たらなんかね、この島が映っていない分 結構軽く見えるっていうのかな。そんなに 武将っぽさがなくなって見えますね。反対 から見てみるとまた違った風景が見えて くるというのが実践開有庭園の面白さだと 思います。植物の成長まで見越してこう いうの作ってたんでしょうね。すごいです よ。多分半種の方々も船に乗って池で遊ん でいたんでしょう。それではこれにて本日 の旅行は終了。ホテルに歩いて戻っていき ます。僕は結構お腹が減っていない時とか 普通にね、夜ご飯別にいらないかなって 感じになっちゃうんですが、今日はお腹が 減っています。でもひコネイ物のご飯って なんかあるんですかね?あんまりパッと 思いつかないんですけど。色々と調べて みるとああ、はいはい牛ね。なるほど。 ひコネン聞いたことないな。2011年か 。最近だからか。チャンポンは長崎っぽい し。寿司 美松バーム空ヘ。へえ。今の感じだったら 牛食いたいなあ。駅前に は割とご飯屋さんはあるんすね。え、あ、 これ大牛って書いてある。あ、これも焼肉 屋さんだわ。現在時刻16時でオープンも 16時なんでちょっと聞いてみようかな。 なんかこの4つがおすすめらしいんで、 ちょっとね、僕別にこの握り寿司は必要 ないかなと思うから、他の3つ頼んで みようかな。 [音楽] はい。 [音楽] さて、チェックインをしましてお部屋に 入るところです。いよ 。お、結構新しいホテルなのか。設備が。 なんか時間があんまり経ってなさそうです よね。ベビーホテルって僕止まったこと ない気がするんだけどいっぱいあるのかな ?あ、どうやら東海エイリアに22関東4 関西7北陸1中国1九州1ってことで東海 地方中心なのか。なるほどね。半分以上 東海じゃん。それ知らないわけだわ。
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6 Comments
さすがに、ひこにゃんは登場しませんね
彦根城綺麗ですね。庭園の松の木はまるで能舞台に描かれてる様な見事で美しい松でしたね!橋が木なのは壊せる為。勉強になりました。
近江牛美味しそうです!!
明治政府に寝返った藩は福井藩と尾張藩。
丸竹夷さん、アイスloveですね。
滋賀は、飛び出し坊やのイメージが強いです。
庭園は池が広く島は大きく存在感があり、それにより彦根城はより遠く、風景の一部に見えますね。
雄大な自然の中の一つのお城を表しているのですかね。趣があるなと感じました。