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歌川廣重の描いた東海道五十三次の浮世絵、それが何処から見た景色なのかを調べて、実際にそこに行ってきました。一緒に描かれた場所に至る道すがらや、その界隈の歴史や地形なども解説しています。
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Ukiyoe of the Fifty-three Stages of the Tokaido drawn by Hiroshige Utagawa, I researched the view from where it was seen and actually went there. The route to the places depicted together with explanations of the history and topography of the area are also included in the book.
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日本語版
Japanese version
https://www.axera.co.jp/edo100/index.html
英語版
English version
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この画はちょうど大磯宿に入ったあたりで、雨が降る家並みと海を描いています。
平塚宿から大磯宿まではわずか3km弱で、当時の旅人の脚力があれば、すぐに到着できる程度の距離でした。
花水橋を過ぎて、進んでいくと化粧坂の信号で、一号線とわかれ、右の小道を上がっていきます。小道に入ってすぐ、虎御前の化粧井戸があり、それが化粧坂の由来になっています。
化粧坂に入るときれいな松並木が続き、坂の頂上で線路をくぐっていくと大磯宿の江戸見附があり、広重は、このあたりの雨の景色を描いたようです。
東海道はその後、一号線と合流して、大磯駅前を過ぎると蒲鉾店のあたりで、大きく右にカーブし、鴫立沢の信号を通過します。この左には鴫立庵があります。さらに坂を登っていった大磯中学校のあたりで道は二股に分かれて、立派な松並木が現れます。ここは、いかにも東海道、というイメージの景色が続いています。
まずここで、広重の画を少しご覧ください。柔らかに降り注ぐ雨の情景は、どこか暗く、哀しい感じがしますが、それには曾我兄弟の逸話が関係しています。広重が、この兄弟の生い立ちを「曽我物語図会」として30枚の画で描いています。その一部と歌川派の浮世絵をご覧ください。
この物語は、伊豆の領地をめぐる、工藤祐経(くどうすけつね)と曽我兄弟の祖父の領土争いに始まります。この争いの中で、曽我兄弟の父が工藤祐経によって殺されてしまいます。その妻は幼い子供2人を連れて相模国の曽我祐信(そがすけのぶ)と再婚します。その4年後の夜、兄は9歳、弟は7歳のときに、仇の工藤祐経をいつか討とうと、かたく誓いあいます。