(41)【日本一周修学旅行】古地図で歩く岡山城《岡山》
おはようございます。本日は4月24日の 木曜日。時刻が9時を回ったところ、現在 は岡山駅の目の前です。本日はこの岡山駅 の目の前、現在から、え、東の方向にあり ます岡山城に向かっていくっていう動画な んですが、僕はね、岡山城は一応行った ことはあるんですが、浄化町を歩くという ことはしたことがありませんので、まずは 情報収集のために多分駅前に インフォメーションかなんかあるでしょう から、そこら辺行ってみましょうか。 こち図ありませんかって聞いたら、どう やらないようで代わりにね、こんな感じの 浄化町見て歩きマップってのもらってき ました。岡山駅からその先の、ま、 ちょっとしたラマークっぽいものが絵に なっているそんな地図っぽいんですが、ま 、こ地図がないならスマホで探せばいい でしょう。こちら岡山駅の目の前にいた 桃太郎は現在工事中のため中です。という ことで検索して見つけました。こちらが 岡山城の地図です。いつも地図だ。東方 元年164年に幕府が命じて作成させた 浄化町の地図ってことは江戸時代が始まっ てすぐあたりの岡山城の光景というのが こんな感じだったんですね。現在僕がいる 岡山駅というのは岡山の西側にあるんです けど、えー、この川が曲がってるところの 目の前にある道をずっと進んでいった先と いう感じなんで、岡山場の北側にある川が 曲がった辺りからずっとこっちの方なんで 、ま、大体この辺りが岡山駅なんでしょう 。ということで駅前にあります大通りを 進んでいきます。ま、駅前が大体この辺り なんだろうなということは分かったんです が、もう日本全国どこ行ってもね、駅前と いうのはこのように整備されておりまして 、昔の道というのはほとんど残っており ません。で、そういう場合にどうすれば いいのかというのですけれど、文字を読ん でみましょうか。ここ見てみたら町屋とか 書いてあるし、こっちは侍屋敷とか書いて あるんですが、この時にね、探すべきは 変わらないものなんですよ。これですね。 お寺です。お寺は基本的に場所が変わり ません。ということで多分お寺はこの辺り じゃないかなと目干をつけてテラという風 に検索するわけですよね。そし たらこんな感じで出てくるんですよ。ま、 さっきの地図から見るに寺らって書いて あった場所はこの辺りでしょうね。一応下 の方見てみると、ま、点々としているのか 。じゃあ、さっき見たこれがおそらく寺な んですが、あ、点々としてそうですね。 ちゃんと伸びてるわ。ということで現在の 特定ができました。お寺の北側の道。ここ 大通りですね。この大道通りをずっと西の 方向に進んだ場所に岡山駅がありますので 、 えー、このお寺をずっと西の方向に行った 場所、もうここら辺だな。道がないけれど 、ま、岡山駅はこの辺り。昔この周辺は侍 さんが住んでたのか。ま、とにかく岡山駅 の目の前の道、大通りを進んでいきまして 、この道の右側にさっきのお寺があるそう なんで、お寺まで歩きましょう。という ことで歩いてきますと、このような交差点 にやってきます。今僕が歩いてきた方向と いうのは向こうの方向、あっちの奥の方向 に岡山駅が見えています。で、この周辺の 地形を見てみるとね、どうやらさっきの僕 の説明が間違っていたっぽいなっていう ことが分かってきたんで、ここで訂正を 入れておきます。というのもこの交差点に ある川ですよね。南北に通っています。 この岡山で南北に通っている川っていうの はね、大体3本あるんですよ。123って 感じで、僕はまだお寺に到達していない ところで出てきた川ということなんで、 この川だと思うんですよね。となりますと 、ここら辺が、ええっと、駅だという風に 言っていましたが、この川のもっと 向こう側が駅ですので、駅は完全にお城の 町の光に作られたということになります。 だからこの川を渡っ た東側の方向 に町や侍屋敷、そしてお寺が広がっていた ということなんで、岡山の浄下町というの はこの川を渡った東側という風に考えて いいでしょう。ということで、現在僕が見 ているこの交差点から東側、ここからが 岡山の浄化町です。そんでね、通っている 道もあまりにも大きすぎて違和感があった んで、ちょっと横を見てみたんですが、 多分あっちの道の方が古い道ですよね。 ここに地図がありましたので、少し説明し てみますと、この岡山駅から目の前の 大通りを通ってきました。しかしこの 大通りはあまりにも大きすぎるんで後から 整備された町だろうという風に思ったん ですよ。で、ここに東西に東西じゃないや 、これ南北ですね。こっちが南です。南北 の方向に通っている、え、川を見つけまし たので、おそらく昔からあった道っていう のはこっちの1本南側の道だろうなと思い ます。実際に見に来てみると、あ、確かに こっちの方が江戸時代の道の跡っぽいなと いうような光景が広がっています。そして ちょっと歩いていきますと右側に コーチン寺かな?お寺が見えてきました。 上に は田秀家母大寺という風に書かれています から、もう昔からあったということがほぼ 確定です。ここにもお寺があるし、こっち を見てもお寺があります。気になるのは この薬員が道の北側にあ るってことなんですよ。今の地図と昔の 地図を比べて、ま、自分の位置は大体 分かってきたんですけれども、やっぱりね 、道がどっちかわかんないんですよね。 これが古い道じゃないかなという風に さっき行った道で、1番最初に駅前から、 え、通ってきました。1番大きい道っての はこっちなんですが、この細い道の北側に アクシンがあるんですよね。だからこの道 の北側にね、寺とか書いてあったら、ま、 そこがヤクシーだろうなって思うんです けど書いてないんですよ。寺の北側に道が あるっていうことなんで、このヤクシーの 北側にある道というとこっちの大きい道な のかなと思ってですね。で、お寺の中に 入ってきて見てみると岡山市北区にある 役員は信号州の名殺であり、16世紀に 生きた直家がこの地に移したと伝わって いるという風に書かれています。16世紀 っていうのは1500年から1600年 くらいですから1644年に幕府が命じて 作った浄化の地図っていう風になりますと ここにはね薬が乗ってないとおかしいん ですよ。ということは現在僕がいる薬員は 多分このお寺って書いてある場所の中に 入っていたんでしょうから、その北側に ある道が昔あった道なのか。てことは ヤクシーンの北側のこの大通りがやっぱり 昔からあった道でそれが拡張されたって ことなんでしょうか。あ、ここ最道書いて あんな。ここに書いてある最道ですが、 こっちの方を見に行ってみますと、えー、 多分ね、ここにも最国街道って書いてある んで、ということ は最国街道自体はこう曲がっていたって ことでしょうね。じゃあ、こっちの大きい 道の方が最国街道っていうことになる でしょうから、多分昔からあったのはこの 太い方なんでしょう。結局どちらの方が 古い道かというのは分かりませんでしたが 、ま、どっちかって言うとこの大きい道の 方が古い道っぽい確率が高そうなんで、 とりあえずこっちを歩いていきます。で、 この大きな交差点にやってきたらね、交差 点の名前が柳川だったんですよ。え、川 ですか?ということで周辺川見てみるん ですが、川がないんですね。すでに1つ目 の南北の川は通ってきて、で、次に見えて くるのが2つ目の南北の川でしょうから、 多分これが柳川っていう川だったんだと 思います。現在僕がいるこの交差点の南北 の道、これですね。これは昔川だったん じゃないかなと思いながらちょっと周辺見 てみましょうか。こういう人通りが多くて ね、川がなくなった場所とかにはなんか あるんじゃないかなと思って探してみると やっぱりなんかありそうです。書いてあり ますね。1600年代現在地にあります 柳川筋。これはですね、城下町の西の相前 として気づいた外堀りがあった場所です。 で、総園が、え、約2.5km。この 外堀りは20日間で完成させたため、20 日堀りと呼ばれるようになったと伝えられ ています。外堀の外には大運寺、連勝寺、 観音寺、薬島といった大きな事員があり ました。さっき言った辺りですね、現在の 北側の道路の一部は最道という京都から 最国まで至る江戸時代の重要な感染道路が ありました。横には現代の地図と当時の 地図を重ね合わせたものがあったので、 ちょっとこれね、写真撮ってこれを見 ながら移動していきましょう。ていうかね 、あの観光案内所はこういうのを置いて おくべきだと僕は勝手に思ってるんです けどね。これを見てみると、ここに駅が あって、駅の目の前の大通り、ここを通っ てきました。で、1つ目の南北の川がこれ ですね。で、この辺りから、あ、ちょっと こっちが昔の道じゃないっぽいぞと思って 、こっち側の一方南の道を通ったんです けど、どうやらね、大通りの方が合ってい たようです。ここ見えますか?ここに 黄色い線が通ってるの分かるでしょうか? この南側にあった小さな道が拡張されて 大きな道に現在なっているようです。 じゃあ、今から行きますのはこの、え、 大通の方を通っていけばいいんだな。で、 さっき最街道だという風に言ってたのは この道だと思うんで、どうやら北側を通っ てるって言ってたからうん。ここで合っ てるんだな。こっち側。そしてこっち側に 行くのが、え、最道、つまりここにあり ます。お堀というのがですね、外堀ですの で、この堀の向こう側というのが浄化町。 こっち側というのがね、もうお城の中です 。普通に歩いていたらね、お城の中に入っ たという感じはないんですが、もうここ 現在僕がいる場所はお城の中になってい ます。現在いるこの場所昔は門があった ようで鍵型になっていたマス型ですね。川 があって門があってマ型があったそういっ た広い場所だったためこのように大きな道 が現在出来上がっているということなん でしょう。それでは岡山城に引き続き 向かっていくんですが、次に出てくるのが 外堀の次、中堀りですね。ここのこの赤い 文字書いてあります。その次が内堀なん ですけど、道はずっと行くことはできない ようで1回曲がるのか。で、曲がって西門 から行ってもいいけどこっちにね大手門 ってあってこっちの大手門の方が正面なん でここまで回り込んでいきましょうかね。 いうことで、え、ぐるっと進んでいき、 中堀りを通った後に南に進んでいきまして 、そして大手門から入って二の丸へという ことで、ここにあった外堀の次はこっちに あります中堀です。この大通りには広告が 離れてますね。浮田秀へ、中木に生きた 五路葬られた永血直井へ。あ、この2人の 大雅をして欲しいっていう風に言ってんの か。宇田の大ガ、直秀。なるほどね。 戦国話に案件出せばいいんじゃないですか 。さて、歩いてやってきました。こちらが 中堀跡です。何も書いてないじゃんって 思うかもしれませんがね、よく目を凝らし てみるとここに中堀という風に書かれてい ます。現在地どこかというのを見てみると この場所ですね、目の前にあります道がお 掘りだったことが分かります。つまりこの 道というのがお掘りだった場所ですね。 中堀は今から向かっていく内堀やさっき見 てきた外堀と比べると幅は細かったらしく 明治14年に埋め立てられました。ま、 確かにこの幅だったとしたらそんなに太く はないですよね。ということで先ほどの こ地図に戻ってみるとこれが外堀。そして 今僕が歩いてきた道がこの道ですね。その 左右は侍屋敷と書かれていますのでここに あります。赤堀よりも左側。この辺りはお 侍さんが住んでいた場所ということになり ます。で、中堀りの右側見てみるとあ、 こっから町屋になるのか。ということは 商店街っぽくなるのかな。この川の 向こう側は商人が住んでいた町です。 先ほどこの道は最国街道だということも 言いましたので、多くの人が通るという ことから商業が発展したんでしょう。 そして進んでいきますと、当時の名古井 でしょうね。ここにアーケードのついた 商店街が見えてきました。こちらが最国 街道です。現在の地図で確認してみると これがさっきいた外りでそして最国街道は その西側に1本あります。で、最国街道は ずっとね、こっから曲がって東の方向に 進んでいくんですが、さっき見ていた中堀 というのはここですね。で、中堀りを さらに進みますと、最国街道はもう1度 折れ曲がります。こっから最国街道は南側 に進んでいきますので、僕もこの大道通り から南側の方向に回っていきます。という ことで、大通道から曲がって、こちら南側 の方向に進んでいきましょう。大体こう いう街道沿いにはね、古い建物があるんで 、それを探しながら歩くと面白いです。で も歩いてみた感じね、建物の建築様式自体 が昭和1以降のものばっかりなんですよ。 で、こういう時ね、まず考えるべきは空が あったかどうかです。こんで調べてみたら 岡山大空襲というページがありました。 やっぱり空州の被害で開けてしまったん でしょうね。主な消室地域という項目も ありまして、現在僕がいます。岡山市北宅 区にはいろんなものがあったそうなんです が、全て焼けてしまっています。先前まで はこの場所に素晴らしい日本奥が立ち並ん でいて活気のある焦点だったと思うんです けれどもそれも戦争の被害によりまして 燃えてしまい現在は戦後の復興の象徴とし てこの商店街は扱われているんだと思い ます。さて商店街をずっと進んでいきます とこのような意味あり有りげな建物の模型 が見えてきます。中には金が釣られてい ますね。横にはこのような解説がありまし て、昔この周辺にはこのような症老があり 、時間を知らせる金をついていたという ことが分かっています。さっき撮影した この地図を見てみてもずっと南の方向に 進んでいけばここにね金付き道って書いて ありますので、かつてはこの商店街の ランドマーク的な建物だったんだと思い ます。現在僕が見ている方角が北の方角 ですので、地図はね、北が上になってい ます。え、山陽道と書いてありますが、 さっき言ってた街道ですね。この道の南の 方向を見てみるとここにね、金付き道が ありまして、現在いる場所はここです。昔 僕がいる場所は橋がかけられていたんです ね。で、右の方に行けばお掘りがありまし て、で、ずっと右の方には大手門がある そんな場所だったようです。ということで 、現在僕がいる場所の右側の方見たら 金付きがあり、ここはお掘りだったようで ここに橋がかかっていました。カレンツ道 があった場所には一応このように解説看板 も置かれています。金付き動があった周辺 はお掘りだったということを話したと思い ますが、やっぱりね、地面を見てみると 未だに自盤が弱いようで少しへこんでいる 部分が多いように見えます。あの辺り なんかは多分ね、自盤が弱くて下の方に 沈んでしまった後だと思うんですよ。この 交差点のこの辺り見てみてもやっぱり地面 の下、アスファルトの下に何かが埋まって そうなそのようなことを感じさせる凹凸を しています。そして大手があったっぽい 場所に到着したんですがいや、悲しいです ね。何も残っていません 。これを北の方向に進んでいきますと一応 岡山城があるんですが仕方ない。何もない けどまっすぐ行くかという風に思ってい たら横にねありましたよ。大手門後の看板 です。大手門というのはお城の玄関みたい な感じという風に思ってもらえばいいと 思います。大手門は岡山城で最も確式の 高い縄文で表口に当たります。門前は 内彫りが東西に伸び橋がかかっていました 。こっちの方向が東の方向でこっちの方向 が西の方向。え、大手門がありまして目の 前に橋がかかっているそんな感じだった ようです。地形を見てみるとこの辺りは 盛り上がってるのが分かるかなと思います 。そして向こう側にかけてちょっとね、 くっと下がってるの分かりますかね?だ から多分ここら辺が東西のお掘りでして 向こう側に入っていきますと2の丸って いう感じだったんでしょう。だから こっち側が3の丸。え、外グルはどっち だったか忘れましたが、ちょっと外側から 入っていって奥の方に登ってるの分かり ますかね?多分ここが大の跡です。ま、 なんとなく予想はしていたんですが本当に 全然お重かけが残っていません。二の丸と いえばね、こ地図を見てみたら本当に侍 屋敷がずらっと並んでいるかっこいい場所 だったはずなんですが、もうコンクリート の家しかないな。さて、こちらが中国銀行 で、現在僕がいる場所を確認してみると、 中国銀行はここですね。この道をずっと東 の方向に向かっていきますと、またお城の 車に入れそうなんで、ここを東の方向に 歩いていきましょう。すると到着しました のが岡山県庁。地図を見てみるとこの岡山 県庁は内彫りをまたぐような形で建設され ているということが分かってきます。それ じゃあ後は、ま、皆さんがよく知っている 岡山城の公園の中に入っていきましょう。 この県立図書館がある場所は二の丸の北東 の隅に位置していたえの木のバ場と呼ばれ た広場があった場所です。つまりここは昔 は大馬さんがパッカパッカやっていた場所 ということですね。ここには少しだけ 石垣きが残っています。そんな石垣を見 ながら歩いていきますと見えてきますのが 岡山城右上公園です。元々この周辺には石 の山があったということが知られており まして、その石山の上に巨上を作っていた のが金光市といった、え、そういった一族 だったんですけれども、その金光市の話は 全然乗っていませんね。金光市を滅ぼした 人物というのがこの浮田。彼が本拠地とし たことにより戦国の表部隊に登場します。 しかし息子の浮田秀は関ヶ原の戦いで成軍 側、つまり負け田側についてしまいます。 こうして秀がルイになりましたのでこの 岡山城は秋屋となりました。そこに入って きましたのが小早川秀明そして池崎が入っ てきたんです。後に現在僕がいるこの丘が 岡山という風に呼ばれるようになりまして それが転じまして現在都道府県の名前が 岡山となっています。さて上まで登ってき ました。こちらが岡山城です。正面から見 ますと左右対象でかっこいい形に見えて ますね。しかしこの岡山城は見る場所に よって印象が全然変わっていくということ で有名なお城です。こちらにあります。橋 の上から岡山城を眺めてみましょう。する とこのようにさっきはね、左右対象に見え ていた岡山城というのが左右非大将に見え ていきます。というのも岡山城というのは ですね、なかなか珍しい形をしていまして 、五角形の土台の上に立ってるんですよ。 よってこのように正面から見たら左右対象 に見えるんですが、ちょっと角度を変えて 見てみるとなんだか縦長のお城に見えたり 、こっちから見たら、ま、左右対象という よりはなんか右側に出っ張りがあるような お城に見えたりという風に、ま、色々と 面白いお城なわけです。ちょっと歩き疲れ ましたので飲み物もらいましょう。 ということでやってきましたのが後ろにあります園の後楽園です。先ほど岡山班の阪州というのはどんどん映り変わっていったという話を少しだけしましたが、最後の半州というのがですね、池田さんだったと思います。その方が、え、池田正という人物なんですけれども、家臣に命じて作らせたというのがこちらの後楽園です。 後楽園という名称については占落という 言葉の精神でこのお庭が作られたという ことに由来しています。異性者が天下の ことを人よりも先に売れ、人よりも遅れて 楽しむこと。しかし岡山城の川を挟んだ 後ろにある庭園ということもありまして、 後ろの円と書いて公園という風に呼ばれて いたこともあります。大体庭園と言います と、コケがいっぱい生えているそんな イメージを持っている方多いと思いますが 、この後楽園は違うんですね。ご覧の通り コケではなく芝フがいっぱい広がってい ます。それはこの後楽園がある場所の自盤 に関係しているんですが、砂が多いんです ねという風になりますと、湿度が足りず コケが生えて成長するということはない ため、このように芝フの広がっている光景 が出来上がったと言われております。と なっては芝フを使った庭園というのはもう 普通のものになってしまいましたが、この 庭が作られた当時のことを考えてみますと 、お庭というのはもうコケと決まっている と言ってもいいくらいのものだったので、 芝フを使うというのはすごく斬新な発想 でした。楽園においての主役というのは このような林とこのような泉でありと泉を 歩いて回ってつまり海遊して回って楽しむ 庭園ということで臨線海遊式庭園と言われ ています。またこの庭園には向こうの奥の 方に合成な建物も見えています。こちらは 遠用艇という建物でして、戦後になって 復現されたものではありますが、かつて ここを訪れた阪種が今として使っていた 建物になっています。他にも新客がやって きた場合、例えば明治天皇とかですね、 そういった場合にはこの建物を使ったと 言われています。海有式庭園ですから正面 はどこという風に決まっているわけでは ないんですが、当然ね、いろんな人がやっ てくる遠用艇ですから、この沿用艇から見 た景色というのは意識されて作られてい ます。沢の池や有神山、そして借景には 三尾山が見えている岡山らしい光景です 。それでは岡山を出発して姫路へ向かって いきます。まだ日本の夏のすっげえ暑い みたいな。そういう状態にはないんですが 、やっぱり車を1時置いておくと車内が 熱くなってしまっています。梅が来たら雨 が降って撮影がしにくくなるし、梅が開け たら暑くなって撮影に行きたくなくな るっていうね、なかなか嫌な季節がやって きます。岡山インターから高速に乗ります 。おお、ついに神戸という文字が見えてき ました。中国地の南側山陽道を通って神戸 方面に向かっていきます。 岡山県から兵庫県に入るということはそれ はすなわち中国地方から近畿地方に入ると いうことです。中国地方も瀬戸内会に面し ている方、つまり山陽地方の方を今回は 通ってきましたが、その反対側、日本海側 に面している山陰地方はまだ通っていませ ん。こちらに関しては帰り道に通るつもり です。よって中国地方とはここで長いこと をお別れ、今から向かっていく近畿地方は 京都やらといった日本の中心だった場所が たくさんある地域。日本の歴史をテーマに する旅行では密度の濃い地域となっていき ます。岡山と兵庫の県境会が近づいてき てるんですが、ちょっとね、1時になって お腹が減ってきましたので、一旦手前で ご飯食べよう。パーキングエリアがあり ます。 [音楽] 昼ご飯を終えてパーキングエリアを出発。 すぐに会が見えていきます。岡山から兵庫 県に入りました。山陽地方編はこれにて 終了。近畿地方編もよろしくお願いします 。 [音楽]
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#旅行 #日本史 #日本一周修学旅行
6 Comments
いつかは(讃岐)高松城もやって欲しいです
古地図の見方の解説、面白かったです。見る角度によって姿を変える岡山城、当時としては斬新だった芝生を使った後楽園、見応えがありました
いつもありがとうございます。来週は萩・下関、門司エリアを旅行するので、YouTube高校の動画とともに熱心に見ています。来週から近畿地方ということですね。私は生まれ故郷は大阪です。住吉大社には毎年初詣に行っていました。行って欲しいなぁ、思っています。
空襲で全部焼けてしまいましたからね古地図とは合わないかもしれませんね
朝ドラ「カムカムエヴリバディ」の聖地岡山ですね!
ドラマには岡山大空襲や商店街も登場しており、つい先週まで再放送されていたので、商店街歩きのところでテンション上がりました!
古地図の見方の解説も面白かったです。
街自体は現代的な建物しかなかったとしても、お寺は変わらなかったり、かつての堀の部分は地盤が脆弱だったり、面影が残っているところも多いですね。
城下町巡り面白かったです。私自身福岡の城下町で育ったので町の様子を比較しながら視聴いたしました。これからも色々なお城の紹介をしていただけそうなので勉強をさせていただきたいと思います。
次回からの近畿地方も楽しみにしてます。