沖縄一周車中泊旅行記17【88歳館長の情熱!沖縄名護「民俗資料博物館」昭和レトロと戦争の記憶】シニア夫婦と犬1匹が自作キャンピングシェルで行く
ヤッホーいるかです。 民俗資料博物館に行きました。 「すみません」「はーい」 「はい、どうぞ」 「資料館はこちらで」「はいどうぞ」 「資料館?」「はい」 「はい、どうぞ」 館長の眞嘉比朝政(まかびちょうせい)さんです。 名護市の消防長をされて定年退職後、 退職金など私財を投じて、 古道具のコレクションをはじめ、 自分で建物を建てて、 2005年、当時68歳の時に私設博物館を開館しました。 入館料は大人500円です。子供200円です。 博物館は、名護市の中心部から少し北の、 親川(おやかわ)というところにあります。 「撮影してもいいですか?」「いいですよ」 アジマックワというもので、 木を組み合わせて作られた枕(まくら)です。 三線を弾くとき椅子としても使われました。 折りたたみ式で、たたむと一枚の板になります。 「この音楽」「うーん」 奥の赤いものは空き缶で作ったカンカラ三線です。 「ああ、このレコードプレーヤーは小学校にあった」 電気ではなくゼンマイ式です。 アンプも何もないけど、 針の振動が振動版を震わせて、 結構大きい音が出た記憶があります。 「78回転」 1分間に78回転します。 「これ、家にあったよな、この辺はLPで」 「あったあった」 「修理頼まれた」 「印刷?」 「謄写版のやつや」 「親父がようやっとったわ、家で、これ」 「わら半紙で」 ガリ版印刷機です。 我々も小学生の頃のプリントはこれで印刷したものばかりでした。 「VICTOR」 「レジみたいな感じやな」 「ほんまや」 ビクターの電気機械式計算機です。 計算自体は機械的な仕組みで行って、 結果の印刷は電気的なモーターでやる仕組みです。 「これなに?医療器具?」 「歯医者さん」「そうやな」 「歯医者さんでこんなん使ってたんや、やっとこみたいな」 「こわいな」 「くすり?」 「薬やな、これ」 「薬の調合やな」 薬剤をすりつぶして調合する乳鉢と乳棒です。 「この写真の人のTシャツがオシャレ」 「製氷」 「これクジラ?イルカ?」 「イルカ」「イルカや」 かつて名護湾でイルカやゴンドウクジラの追い込み漁が盛んでした。 「昔のかご、こんなんやった竹みたいなんな」 「これ、豆腐屋さんのペポペポ。あ、違うか」 「これあの、赤ちゃんの心音聞くやつ」 「あっ、心音」「私の時もこれで聞いたはった」 「心音聞くやつか。聴診器やな」 「これ何や」「船?」 「さわってええんかいな」「かまへんやろ」 船長がレバーを動かして指示すると、 機関室にある同じ装置に信号が送られて、 ベルが鳴って指示が表示されます。 「うちのミシンはこれ。足踏み式」 「シンガーミシンやな」「うん」 「コーラの1リットルてあったんや」 「これ、1リットルは見たことないな、ビンの」 「500は?」「500は見たことある。これは」 「これ上の、中身全部入っとんねん」 「どんなんやろな、飲んだら」「ふふふ」 「これ、セブンアップ」 「バヤリース」 「バヤリース、これ飲んだら大変やろな」 「オレンジ色やったんや」 「森永サイダー?知らんなあ」 昔の沖縄の小学校で使われていた二人掛けの机と椅子、 机の上に置かれているのは方言札です。 方言を使った児童生徒は、 罰としてこの札を首から下げさせられました。 次に方言を使った生徒を見つけるまで、 下げ続けなければならなかったということです。 軍事政権下では、全国民統制のために、 地方文化の多様性を排除する政策でした。 芭蕉布(ばしょうふ)の着物です。 芭蕉布は、バナナの仲間である、 「糸芭蕉(いとばしょう)」という植物から採れる繊維を用いて、 非常に手間をかけて織られる、 沖縄に伝わる伝統的な織物です。 軽くて着心地もさわやかで、 沖縄の気候に最適で広く利用されていました。 「ナンバーが、」「沖や、沖縄とちゃう」 Yは在日米軍車両です。 「ヤンキー」とちがって「ヤンキー」のYです。 「こばた」 「あー、タバコが右から読みと左から読みで」 「以外にええ音してんな」 「パイオニアのスピーカー」 「昔のアイロンやけど、私はこれは見たことないわ」 「木炭入れんのか?そやな、木炭」 「ビクターのこの犬」 「あー」 「首傾げてるん」 「カメラ」 「こういうのあったよな」 「ああー、ストロボ」 「パーンて、マグネシウムのフィラメント」 「これは映画の撮影のやつやろ」 「そろばんな」 「これは五つだまやん」 「店に有ったわ」 「家にあった」 「これも電子計算機か」 「蚊がいるわ」 「機械式計算機か。」 「かご」 「こんな自転車昔あった」 「これペダル、三輪車方式でこぐやつや」 「これは昔の家の再現」 「昔の家や」 「沖縄も囲炉裏があったんか」 「上に、乾燥させるために薪が置いてあんにゃ」 「これかまど」 「ちゃんと赤い火が」 「土間と、こういう上がるとこなんちゅうたっけ」 小上がりです。 「神棚か」 「三線みたいなんが置いたあっで」 「缶やで、あれ」 「缶、あのな、缶三線?なんかそんなん」 カンカラ三線です。 「あゅ、欄間やね、これ」 「ジュークボックス」 「これ誰や」 裏庭です。 「すごい崖に松が生えてるよ」 多分この赤土は無料提供されているようです。 「燃料タンクのボート」 これは「タンク船」と呼ばれ、 戦後、沖縄でよく見られました。 タンクは、飛行機の航続距離を延ばすために、 機体の下に取り付ける、 ジュラルミンだけれども使い捨ての燃料タンクで、 帰りには捨てられていました。 当時の沖縄では資材が不足しており、 人々は手に入る物資を工夫して生活に役立てました。 タンク船は軽量で喫水が浅いため、 サンゴ礁の浅い場所でも使いやすかったらしいです。 当時の人々のたくましい暮らしぶりがわかります。 眞嘉比さんは古いものが好きなのだろうと思いますが、 この博物館は単に昔を懐かしむ、 ノスタルジックな淡い感情だけで作られたものではないと感じました。 例えば、木を組み合わせて作られた枕(まくら)にしても、 芭蕉布(ばしょうふ)の着物にしても、 カンカラ三線にしても、タンク船にしても、 一般の庶民の人々が手に入る材料や工具を使って、 創意と工夫で素材の特徴を生かしながら、 何とか暮らしやすいように、 少しでも豊かな生活ができるように、 生活の知恵を搾って、アイデアを搾り出して、 手間暇はかかるけれども自分達の手で作って生み出してきた。 そういう手作りの素晴らしさを訴えているものが多いです。 今はアマゾンでポチればなんでも安く手に入るかもしれないし、 そんな苦労をする必要はない。 けれどもどんなものであっても、 その開発段階においては、 様々な試行錯誤や考察や手間暇をかけた、 カットアンドトライがあったはずです。 それは忘れてはならない普遍的なことです。 この博物館の建物自体も、 眞嘉比さん御自身が手間暇をかけて材料を集め、 それらを一つ一つ寸法を合わせながら切って、 一本一本くぎを打ってつなぎ合わせて完成させたものです。 私財を投じて手間暇をかけて一つの形にしたことに、 大きな意味があるし、 我々はそれに込められた情熱を強く感じ取ることができます。 例えば有名な建築家のデザインした鉄筋コンクリートの建物で、 空調も効いて蚊の一匹も居ないような展示室に、 これらの道具が並べられるよりも、 手作りの建物の中に、 一見雑然と置かれた、 これらの古道具から語りかけられるメッセージは、 より一層の説得力で、 その存在意義を訴えかけているように思いました。 この博物館で「未来のために過去を伝える」、 真嘉比さんの熱い気持ちを感じました。 「天井に」 「ランプが」 「山ほどある」 「シャンデリア」 「これ、すごいな」 「どうやってこんなん集めんの」 「精米機をオムロンが作っていた」 「オムロン精米機」 別館 戦争反対資料館です。 米軍機に搭載されていたバルカン砲です。 6本の銃身を高速回転させて20mm弾薬を発射します。 毎分およそ6,000発で高速連射します。 那覇空港の前身である小禄(おろく)飛行場から出た、 米軍の30mm機関砲です。 日本軍の九二式重機関銃です。 糸満市の与座岳(よざだけ)の壕から出てきたという事です。 日本軍の四一式山砲(さんぽう)です。 同じ豪から5人で2日ががりで掘り出したものです。 分解可能で戦争当時、馬で与座岳に持って上がったという事です。 九六式高角機関砲です。 日本海軍の戦艦にも積まれていましたが、 沖縄戦では地上に配備されました。 この機関砲も、 豊見城(とみぐすく)市の山で実際に使われたものです。 米軍が押収した後、小禄飛行場、 現在の那覇空港に運ばれました。 戦後、スクラップブームで払い下げになったものを、 真嘉比さんが保管しています。 爆弾はもともとさびさびでしたが、 錆を落として塗装して復元したものです。 昭和19年10月10日の空襲で、 南部のあちこちに落とされた、 750ポンド、約340㎏の爆弾です。 これらの爆弾が那覇を中心に541トンも落とされ、 那覇市の90%が焼失しました。 私もカミさんも祖父こそ戦死していますが、 二人とも京都という事もあり、 親の世代は幸い激しい空襲にも見舞われませんでした。 とは言っても戦中、戦後と物のない時代に暮らしたことで、 事あるごとに、 「モノを大切にしなさい。食べ物を粗末にするな、戦争中はこんなもんなかった…」 そういう事を耳にタコができるくらい言われました。 そういうことに反発するわけではないけれども、 我々の世代は戦争を知らない子供たちであって、 平和な歌を歌うことしかできないと思っているし、 我々の子や孫に対して、 戦争のことを語ることはほとんどありません。 今の我々の生活は平和で、 それが当たり前になっていてあまり意識していないです。 そして、そのようにして戦争は風化していくのではないかと思います。 多くの資料館では実際に使われた武器や弾薬の展示は、 それほど多くありません。 沖縄戦を目の当たりにした世代の人からすれば、 あまりに生々しく、 忌まわしい記憶がよみがえるからかも知れません。 真嘉比さんが別館の戦争反対資料館作って、 武器や弾薬を展示しているのは、 そのことに対する問題意識があるのだと思います。 そこには、「戦争を語らずして平和は語れない」、 という事が一貫してあります。 とんでもない苦労をして、土に埋もれた大砲を掘り起こし、 爆弾を集め、機関銃を運び、 数限りない悲惨な写真や映像を集めて見やすいように整える。 一人の民間人の目線で戦争を語らなければならないという情熱は、 敢えてはっきりと戦争という文字を使って、 それをわざと逆さまに書き記すことで、 平和を語っているのだと感じます。 戦争を知る最後の世代が去りゆく今、 我々は、この資料館から、 多くのことを学べるのではないかと思います。 真嘉比さんは物静かな方でした。 しかし、これらの展示を見れば、 語らずとも伝わる強いメッセージがありました。 この資料館には、その“静かな迫力”が、確かにあります。 どうか、一人でも多くの方がこの場所を訪れ、 それぞれの心で、 そのメッセージを受け取っていただければと思います。 今日も最後までお付き合いありがとうございました。
沖縄県名護市にある「民俗資料博物館」を訪れました。この博物館は、元消防長である眞嘉比朝政さん(88歳)が、退職金や私財を投じ、ご自身で建物を建て、古道具を集めて2005年に開館された私設博物館です。
ホームページは
▼民俗資料博物館 茶話乃屋 さわのや▼
https://www.mco.ne.jp/~sawanoya/
館内には、昭和を中心とした沖縄の庶民の暮らしを物語る古道具が所狭しと並んでいます。木を組み合わせた枕「アジマックワ」、空き缶で作ったカンカラ三線、ゼンマイ式レコードプレーヤー、ガリ版印刷機、足踏みミシン、古い瓶、方言札、芭蕉布、タンク船…など、当時の人々の創意工夫や生活の知恵を感じさせる手作りの品々が多く展示されています。
そして、別館にある「戦争反対資料館」では、米軍や日本軍が沖縄戦で実際に使用したバルカン砲、機関砲、爆弾といった生々しい戦争遺物が展示されています。眞嘉比館長が
「戦争を語らずして平和は語れない」
という強い思いを持って集め、修復されたこれらの展示は、戦争の現実を静かに、しかし力強く訴えかけてきます。
この博物館は、単に昔を懐かしむ場所ではなく、手仕事の価値、困難な時代を生き抜いた人々のたくましさ、そして戦争の悲惨さと平和の尊さを未来に伝えるための場所だと感じました。眞嘉比館長の情熱と、展示品一つ一つから伝わる“静かな迫力”に、胸を打たれました。
入館料は大人500円、子供200円です。名護市の親川地区にあります。
※訪問時の情報です
ぜひ多くの方に訪れていただき、それぞれの心で何かを感じ取ってほしいと思います。
ご視聴ありがとうございました!
#Vlog #シニアライフ #沖縄
7 Comments
これだけの歴史的な物品を個人で収集し保存すると共に公開まで!
ホント頭が下がります。
蓄音機ですね
子供のころ家にもあり、レコード盤はけっこう厚みがあり、100枚くらいありました
ネジを巻きゼンマイで動いていました
音も聞けましたが、いつの間にか無くなってしまいました
父親が、ガリ版印刷機のロウ紙をヤスリ盤の上に置いて鉄筆でカリカリ書いていた記憶あります
コカコーラのホームサイズを部活のあと飲んでいました
おはようございます🌄
戦争を知らない世代でも、今どこかで起きている戦争に心が痛みますが、それでも悲しいかな他国のことになってしまっているいやーな自分がいます。
もう若くないので毎日を楽しく過ごしていければと思う気持ちが強くなってしまいます。
頑張って次世代にも繋げていければと思いますが、この貴重な全てをどなたかが繋いで行ってくれるのかな?と拝見しながら思ってしまいました🙇
いろんな意味での価値のわかる方がいてくれたらいいなと願わずにはいられません。
手作りの資料館、ものすごく興味あります。もっと近くにあったら…なんて思います。昔の道具など、見てみたいです😊戦争の資料館も、たくさんの人たちに見てもらいたいですよね。
今回は、また、マニアックな所ですね。
どれもこれも、懐かしい物がいっぱいで、何時間も見ていられそうです。ジュークboxの所で、「これ、誰?」って言っておられますが、
映画「フラッシュダンスの主人公を演じた、ジェニファー・ビールス」ですね。大好きな映画で、何回も見ました。
8:46 キックボードの右側に、ローラースルーゴーゴーがありますね。
「科学が生んだ新しい乗り物」という触れ込みで大人気でした。
私も赤いローラースルーを持っていました。幼稚園児でしたのでこれの何処が " テコの原理 " なのか解かりませんでした。
自分でここまで⋯ってのが凄いのよ❣
以前 老人ホームに 私設で博物館を作られたって人がいて
野球がわからないのだけど 凄かったらしい
もう亡くなってしまったので 取り壊されてしまったけど 吉澤野球記念博物館
だったかな
このおじさまのように優しい方だったのを思い出しました💕