町史に載ってる幻の隧道は存在するのか/羽幌線もやります

町史に載ってる幻の隧道は存在するのか/羽幌線もやります

皆さんこんばんは。ゾです。今回は旧国鉄 パボロ線の水道や国道232号の急などに 行っています。国道232号を走っている と旧国鉄羽ボロ線の配線跡をチアと面し ます。以前から気になっておりましたが 今回は帯町と町にあるイコを見に行く他 国道232号の球道もります。ということ で扉町の市街地を走っておりますけど、 この先に国道の扉トネルがありまして、 それと並ぶように羽線の水道があるよう です。扉駅の後を無視して水道からやる あたりこの湯の本省を見破ったりである。 本件は鉄道ファンではないと繰り返し 申しようですが経緯もないよな。さてこの 辺で車を降りましょう。 国道の扉トンネルが前方にありまして、刃 線はあっちです。道路を渡ってしみに 踏み込みます 。うん。配線から40年近く経過しており 、ロバー後は消えているようだ。しかし あっちに鉄道があった証拠であるブラック ホールが見える 。夏場は破いなっているであろうロバとは 水浸たしです。雨が降っていたからな。今 も怪しい天気が続いております。随道手前 には溶液と落石止め。私は濡れていない 場所で落せてもらいます 。で、随道の方は遠巻きでも分かった通り 開光状態です。ただ小口に黄色い バリケードがあります。綺麗なポーとバテ の随道です。バイジードが不勢を注いで いるけどとかくいう立場にはありません。 シンプルに立ち入り禁止と表記されてい ます。元は木星のバイチェイドがあった ようですが口ています 。カーブしており反対まで見通すことは できません。写真を撮ってみたらかなり 不気味な仕上がりになってしまいました。 奥でエフロがつ編みたくなっています 。お次は国道の方ですが、現道の扉トネル が開通する以前は1970年進行の旧扉 トネルが使われていました 。今歩いてる道は球道廃し後につけられた もので道は現在の帯び丸広場を突っきる ように旧トンネルへと伸びており広場の 整備に伴い大部分が消えています。え、道 はそのまま進むとキャンプ場に繋がります が手前のゆ層という看板の脇を見てみます とこのように怪しすぎる途切れ舗装があり ます。言う間でもなくこれは球道ローバで この先に旧帯トネルがありました 。すっかり埋められていますね。ん、なん かえているぞ。上に登ってみますと、草の 中に荒らしげなコンクリートが。これは旧 トンネルの肛門で間違いないでしょう。 さっき見えたコンクリートも肛門の一部 ですね。では反対側はどうなっているのか 見に行ってみます。車に戻りまして、海岸 側の道を通ります 。こちらは温泉屋とゆったり間、右手に おい丸広場が広がいます。海岸の道は実は 旧道場であり、今でも普通に通行可能です 。夏場に来た時は釣りや後落の車が たくさん駐車していました。景官はいいの ですが、当然高みを被るリスクがある道 です。昔の地図で見ると山越の藤堂が表記 されており、海が荒れた時はそちらの道を 使っていたのでと想像します。キャンプ場 につがる道はその現在のでもいいべきか 。山川には崖崩れの対策がかなり施されて いるのが分かります。長を読むと通称山と 呼ばれていたらしく、昔は現在ほど草が 生えていなかったのかもしれません。岩板 が南弱らしく旧脅屋トンネルの帯トンネル ともに屈策に相当苦労したようです 。さて反対側に来ましたので球道探索の 通気やりましょう 。電動の帯トンネル北側小口がありまして 右手に球道があるはずです。あ、これだな 。 明らかに直定になっていますが、少し印が 狭くないか主線分あったでしょうから後年 に削られたと思われます。 ちょっとこれは進むのが辛いぞ。番から 座れてクリアしました。で、こちらが旧 トンネルのあった場所。残念ながら南側と 同様に埋められています。の一部が露出し ており、動かぬ証拠となっている。お上に 登ります 。一何もなさそうですが、近づくとやはり 肛門の跡が見えています。 扉調子に昼トンネルの姿が乗っており、 写真はおそらくひ側を撮影したもと思われ ます。で、扉調子を読むと気になる休、 国道232号の限動は扉トンネルが唯一の トンネルですが、かつてはもう1つ トンネルが存在したようで、こちらがその 姿です。段外をつなく小さな水道、奥には 車両の姿が見えシ道として使われていた ことが分かります。名称は真実の真に砂 読みはマサあるいは魔車でしょうか。 とりあえずここではマサ道と読むことにし ます。国道を北上してマサ道があった場所 に向かいます。この辺りは段外下の海岸 道路となっており昭和39年から49年に かけ旧トネルを含む1連の改良工事が行い ました。その際にマサ道は廃止になった ようですが、何らかの痕跡はあるのだろう か 。この辺りにあったようなのだが、 ちょっと車りましょう 。はい、ここが水道のあった場所でして、 山川を見てみますと、フリーの脇に何やら 古びたコンクリートが見えますね。どう やらこれがマサドの小口だと。 乗り面工事で半分型撤去されているもの 変額もちゃんと残っています。しかし達筆 すぎてマサ道とは読めないんだが、調子に は廃止後の姿も乗っており見にくいですが この当時はもっと随道の姿が残っていた ようです 。マサ道のなったのは明治17年頃に掘作 されたバジリ随道で明治21円に改良され て神馬の通行が可能になりました。しかし 前後の区間は段外絶壁の真下を通る砂浜で メガネ岩と呼ばれる天然のトンネルがあっ たための警っています。波によってさらわ れるなどの危険が多く水道でもガ板に挟ま れて亡くなった方がいたそうです。この ため明治45年から対象にかけてさあなる 改良工事が行われ、海岸線に念願の車道が 整備されました。この時ワ尻水道もシ道 トンネルとして回収され、名称もマサ水道 と解消されました。さて、続いてはまた刃 線の水道を見に行きます。国道をさらに 北上して東前町に向かいます。ハボロ線は ルモイからへを結んだ旧国鉄の線で、 ルモイ線の視線として昭和2年に開業。 羽ボの単鉱開発と2の輸送を主な目的とし 、沿線町の交通手段としても重要な役割を 果たしました。北側の辺円別は手線として 建設され、後に羽ボ線に統合された経緯が あります。海岸線を走る鉄道は観光線とし ても人気がありましたが収益としては赤字 で炭鉱の車用化新の不良人口減少加えて 国道232号の整備といった情勢の変化で 存在を失い昭和62年に開始となりました 。 小屋町から遠前町の長域に入ってもなく 目的のトネルが見えてきます。それでは雲 を降ります 。はい。あそこにトンネルが見えます。 国道を走ってる時にいつも気になってい ました。棒からロ場に上がっても面白く ないので反対側がどうなっているのか 確かめています。ということで竿沿いを 歩いております。前方に鉄の恐竜が見え ますね 。コンクリートの小さなア教です。水道の ようにも見えます。ちなみに国道の方は 旧端橋の兄大が残っています 。序盤に上がりますと、国道から見えた トンネルの反対側に出ます。こちらの トンネルは両側とも金網でいます。 黄色いものは断熱剤でしょうか ?トンネル手前の路板が豪快に放落してい ます。食崩れたのはだいぶ前でしょう。 どうやらこの先にもトンネルがあるような のでロを歩いて見に行っています 。ロは中央部から抜かるんでおり、向こう から水が流れてきているようです。歩き にくいんで端っこを進んでいます。にして も風が強いな。高量とした周囲の景色もっ て赤感の漂う映像となっています。撮影し ている胃の方は寒くてたまらんのですが、 進んでいきますと奥にトネルの姿がえいき ました。堀りの地形がよく分かります 。トンネル手前には火が何本も生えてい ます。配線からの月日を感じますね 。おっと、こいつはまったな。ふさかれて いない。これは行ってみるしかないか。 中央部はぬるみがひどいので端っこを 歩こう。それでもちょっと危ないな 。いやあ、怖いな。急ぎ足になっているの がお分かりでしょうか?いわゆる心霊的な コースというよりはひグとか野生動物が やってこないかという心配から来る恐怖の 方が大きいです 。なんか今物音がしたような子は早く抜け てしまいたい。幸い光が見えるので延長は 短いようです。 とうとう走り始めたぞ、こいつ。ここまで ビっているのが露骨だとちょっと笑えるな 。こっちの小口も誘付近がかなり抜かんで います。おいな撮影となりましたが、 通り抜けることはできました。トンネル からしばらくから行くとトマ町リキビルの 集落に出ます。 ということで今回は帯町東町で随道探しを しました。羽ボ線は今後もちょこちょこ 取り上げていきたいと思います。では以上 です。ありがとうございました。

今回は羽幌線や国道232号の隧道を探索します。

X(旧ツイッター)

BGM、効果音素材

DOVA-SYNDROME 様
https://dova-s.jp/

PANICPUMPKIN 様
http://pansound.com/panicpumpkin/

MusMus 様
https://musmus.main.jp/

甘茶の音楽工房 様
https://amachamusic.chagasi.com/

30 Comments

  1. 羽幌線 ありがとうございました。
    夏場だと草が茂りトンネルまで
    行くのが大変そうですね。
    こんなにトンネルが残っているとは知りませんでした。

  2. 他の方もコメントされていますが、トンネルの名前は「まさご」だと思います。
    函館の函館山近辺に、かつて「真砂町(まさごちょう)」という町が存在したので、おそらく同じ読みでよいのではないかと。
    また、「真砂隧道」で検索すると北海道トンネルwikiなるページがヒットし、そこでも「まさご」とルビが振られていました。

  3. 地元民です。皆さんもおっしゃっていますが「真砂=まさご」と言います。現に留萌側から小平に入り小平蘂川までの間左側の日本海側を真砂海岸と申します。海岸工事に従事しておりましたので間違いないです。

  4. ゾヌさんお疲れ様です😃✌️
    今回は見事に埋め立てられていましたね😂😂😂
    この辺の法面は蕨が滅茶苦茶生えてます👌
    まだ早いかな⁉️
    337号線の当別町では何時もの蕨収穫ポイントに既に人影が🙈🙈🙈
    もう収穫時期ですね👌
    ゾヌさんは序でに山菜採りはしないのでしょうか⁉️
    ヤバい物発見しちゃいましたね😅😅😅
    これは行くしかないけど羆の巣だったらヤバいね😂😂😂
    神がゾヌさんの為に塞がなかったな👍

  5. 真砂は「まさご」と読むようです。国土地理院地図の地質図に真砂トンネルの表記があり、そのトンネル付近に『真砂トンネル断層』もあります。

  6. 最近、吉村昭の小説「赤い人」を読んだのですが、ヒグマの他にも「マムシに噛まれて・・・」というような記述が多く出てきます。草むらを歩くシーンが多いので、いつも気にしています。足元にも気を付けて下さい。

  7. こういうのが、まだ残っていたのですね。まさごは他にコメントされてるとおりなんですが、羽幌線と言えば聖地金駒内跨道橋。あのしたの道は気になります。と、背中を押しておきます。😅

  8. 残念ながら羽幌線廃止後に国道の拡幅工事や法面工事が行われ遺構も大分消えてしまいました。
    それでもところどころ橋梁や隧道が国道からでも視認出来るだけマシと言わざるを得ないでしょうね。
    個人的に232号線沿線最大のポイントは初山別村大沢の旧小学校校舎ですね。昭和44年に閉校し民家へ転用され、数年前に住民が出ていって空家となりましたがよくもまあ60年近くその姿を保っていると思います。

    なんとか保存して欲しいところではありますが如何せん古い建物ですし自治体では厳しいでしょうねえ。

  9. お疲れ様です。
    小平町に50数年前の小学4年から数年間
    住んでいました。最初に映る小平町の街中の映像に、その頃住んでいた家がまだありました!なんかありがとう❤という気持ちです😂
    他の方も言ってますが真砂は「まさご」と読み、真砂町と言う区域があったのを記憶しております。全て懐かしいです☺️余談ですが、その後の転居先がゾヌさん縁の「芝桜」の街なんです🤭

  10. このチャンネル特有のロケサイドに対して他人事の如く振る舞う編集で笑ってしまいます

  11. ゾヌさん取り上げて頂きありがとうございます🙇
    あの辺は仕事でたまに通るから隧道跡も横目で見てました。
    旧小平トンネルも現役時代よく通ってましたが、現トンネルよりも入口の坂が険しく冬は怖かったです😱
    で、旧トンネルは『100キロババア』が出没したとかいう有名な都市伝説があります😂

  12. まさしく子供の頃日本海側沿いの国道と並走する羽幌線の風情が堪らなく好きで稚内からオロロンラインを通って旭川や札幌に遠征に行く際の楽しみでした!
    羽幌線はおらワクワクすっぞ笑

  13. ホークスにも真砂(まさご)という力強いスイングをする野球選手いましたね。
    トンネルは久々に怖い映像。緊張感が伝わります。
    全然フワフワじゃないヤバい方の狐に襲われたことあるけれど、足音も立てず真後ろまで近づいて、首筋狙ってくるので注意が必要。こいつらいざという時こうやって熊と戦ってるんだなって・・・

    俺、徹夜で戦ったんですよw他に誰もいない山中のキャンプ場で、テントに避難した人ら守るのにひとりで。真正面で睨み合いもして、噛まれれば終わりの取っ組み合いもして。30年前だけど今でも夢見るくらい。
    マーージでヤバいのでゾヌさんも気をつけてくださいね。

  14. 平成15年に通った時は、小平トンネルは旧道の方で、真砂隧道は法面工事が行われる前で、削られる前の抗口の形がしっかり残っていました。

  15. 恐らく、国道側が第一力昼トンネル、奥側が第二力昼トンネルだと思います。
    懐かしいです。昔よく、急行はぼろ号に乗っていましたので。

  16. 扁額は変体仮名で『まさことんねる』であると書いてあるサイトがありますね。たぶん左の4文字を右から『等◯祢留』でトンネルの様な感じ。『ん』に何を当てているのかよくわからないのですが『无』ではないように見えるのでなんでしょう?『有』で『とうねる』かな?さっぱりですわ。

  17. 廃線跡のあのトンネルゾヌさんよく通り抜けましたね😱他の隧道は中に入れなくて残念でしたけどどれも興味深い隧道ばかりでじっくり観させて貰いました!ありがとうございました👍
    真砂・は「まさご」では?違ってたらごめんなさい(_ _;)

  18. ゾヌさん今回もお疲れさまでした。鉄道の馬蹄形トンネルって形が好きなんですよね 北海道は廃線トンネルはコンクリで固められているイメージでしたが開いてるのもあるんですね

  19. いつも週末楽しみにしてます。
    毎週ありがとうございます✨
    にしても…どうやらゾヌ犬は熊狩犬には向かないらしい…笑

  20. 力昼~古丹別区間にもトンネルありますよ(*´ω`*)九重力昼線通ると見えていつも気になってます

  21. 1975~77年頃、232号線をよく往来してました。旧小平トンネルがが竣工間もない頃だったのでそこだけ道路が真新しく照明も明るかったのを覚えています。あれが今や埋まってるとは隔世の感です。当時子供だったので国道と並走する羽幌線に列車が来ないかワクワクしてましたが確か一度も遭遇した記憶が無いです。ローカル線だったので小一時間位海岸線を走ったところで出会う確率は低かったんでしょうね。

  22. 旧国鉄羽幌線を取り上げて頂きありがとうございます🙏
    北海道で廃線になった旧国鉄の路線の多くが炭鉱の閉山・ニシンの不漁・利用者減少などの理由がメインですね😔
    JR北海道になっても相変わらず厳しいですしね😔

  23. 塞がれていないむき出しのトンネルがあるなら私も入ったでしょう。
    ドキドキしますね😅
    お疲れさまでした

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