
【台湾恆春】南国🏝️な雰囲気の裏で…実は日本が初めて攻めた街?なぜ清朝の遺跡が…
皆さんこんにちは今回私は台湾のヘチ日本 語で香春と言いますが今回はそちらの町に 来ていますここはですね太平洋台湾海峡 バシ海峡に囲まれた熱帯性機構の地域でし てちょっと古い街並それからあビーチ リゾートといった自然環境があ残っている 場所ですここで今回は街歩きをちょっとし てみたいなと思いますそれでは行ってみ ましょう私は今歩いてますけども中はです ね基本的にこのような感じでサイクルが たくさんあるんでこれに乗って移動するの が一番確実ですね早いです半中の中心街 から少し歩いて東門方面に歩いています 一気になんていうかすごい朝都市というか うんあんまり賑やかじゃない感じになり ましたよねヘチはですね台湾災難タの町と 言われておりまして太平洋台湾海峡馬海峡 に囲生れた熱帯性の気候となっています街 の名前なんですが永遠の春という意味なん ですねこれはま気候が温かいことに由来し てるんですが気温を生かしたビーチ リゾートそれから少し古い街並が残って いる場所なので観光業が盛ですでかつては 玉ねぎ栽培やえサザ朝のえ生産で栄えてい ました交通もとても良くて空港もあります しでバスでえ高を塔から来ることもでき ますで特産品もえ多くありまして天中サバ をっていう3つの特産品がありますそれが マグロそれから桜エビえバラムツの卵と いったものがねこの地域では有名なんです で独自の文化をなしているっていうのが この場所の魅力ですはい目の前にあるのが ヘチチェンです昔原住民と長がた民族それ からヨーロッパ列強日本などとえま土地と 資源を巡る争いが起こっていましたそうし た時代背景から真が台湾の防衛と治安維持 を目的にこのねえ白囲いを作ったと言われ ておりましてでこれは台湾で唯一の軍事 目的で作られた防御都市であるとで 1875年に建設が開始されて 1879年にえ完成しました上にある通り 今も壁は残っているんですがま代表的にえ 西門東門南門北門っていうのは今も残って いますでこの壁のね長さを全長2.6km 幅約6m外壁の高さは4.4mとえ言われ ておりますたどり着きましたこちらがです ね東門でございます大体500mほどある らしいですねこんな感じですね結構大きい のが分かると思います上歩いてみると こんな感じになっています東門の上から見 た景色はこんな感じになってい ますこちらが市内方面ですねえ東門の近く にはもうほとんど何にもないっていう感じ ですねただただえ門が佇むっていう感じな んでまチェンマの吸街とかと比べると すごい寂しい感じがしますでも一件ね カラオケ屋があるようですねと市街地を背 にして7800mぐらいですかねそれ ぐらい歩いていくとえ火が出てるところて いうのがあるんですよねで何のことやね んっていう話なんですが今ちょっとね工事 中っていう噂を聞いたんですがどう でしょうちょっと行ってみましょうかえー 歩いていくとすぐにもう大草原になります ねこれは大草原不日でございますうんでま 墓地ていうのかな結構この中華式のねお墓 が見受けられるわけですよベトナムとかで もよくあった形のお墓だねこれえ地下から 天然ガスが出ていてでそこに火をつけて ずっと燃えているっていう場所なんですが 案の定今はこんな感じでねえ工事中らしい ですこんな感じでえま火が出る公園って いう感じで書いてますえ今は本当立ち入り 禁止になってるみたいなんですが燃えた後 はちょっとだけ確認できますね今さすがに 燃えてるわけじゃないと思うけどちなみに 燃えてる時はその日を使って焼き芋を作っ たおばちゃんとかあのやってくるらしい ですそれではちょっと東門から半時計周り にぐるっと回ってみましょう北門方面に 行ってみましょう意外にねおしゃれな通り になってるんですよねうんびっくりする ぐらいなんか沖縄感があるんだよなまここ もあの台風が多いはずなんですがまそれに も負けずね結構魅力的な南国チックな 街並みになってますねこういう家とか見る ともう日本なんですよねさあもう5分程度 で到着いたしましたこちらが北門ですね虎 頭山フトシんって言うんですけども多分 あれじゃないとは思うんですけどもま山に 面していてここはですね戦車が近くにあ るっていたんですこの辺りは昔ランジをっ てちょっと発音が分からないんですけども まそういう風に呼ばれていましたこの辺り は元々パワ族っていう方々が住んでいてで パワ語のえランの音訳に由来してランジオ と呼ばれていたそうですえまこの地域がね 温暖な気候であるため小長卵という花が ありますけどもまそれがあ大量に生えてい たことからまま名前がつけられたと言われ ておりますこちらはですねアメリカ軍が 1950年代初頭からえ使用していたM 41というえ経線車ですま走行が薄いので ま偵察任務等に向いていたという特徴が あるんですがレプリカにしてはすごい作ら れ作り込んでありますねさあそれではまた 名門を離れて今度は西門方面に行って みようかなと思いますじゃあ歩きながら ちょっと説明したいんですが先ほどえこの 辺の昔のの名前を作り出したと言われて いる台湾族ですねこれは台湾の近現代史に とても大きなインパクトを残しました ちょっとそれを説明します1874年に ボタ車事件というのが起こりますこれは新 統地下の台湾と日本との間で発生した事件 なんですがま台湾原住民と日本人が衝突し たんですねその背景としては19世紀後半 は台湾は身長の領土でした がしかしその台湾原住民と韓民族間移民 民族の間では激しく対立があったと言われ ておりますそして1871年琉球つまり今 の沖縄県ですねまその魚民が台湾南部の ボタ者ま今のこのヘチの近くなんですが 台湾原住民によって殺害される事件が 起こるわけですこの魚民は琉球王国の人々 であり琉球王国はは当時日本のさ班今の 鹿児島県ですねの当地下にえ支配下にあり ましたでそれで日本政府は魚民へ魚民の 遺族への保証とま犯人への処罰を求めて真 に交渉を迫りましたで新政府は台湾原住民 が未の民としてみなしていたんですねだ からえ中央政府の管理家にないという ロジックを使って責任を否定したとこの 回答に不満を持った日本が1874年に 台湾遠征軍を派遣してボタ者で台湾原住民 との間で衝突をま起こすということですで この衝突は日本軍のえ技術的な優位性に よって日本が極地的な勝利を納めることに なりましたしかし国際的な圧力それから 外交的な配慮から日本はえ同年中に撤退し ますで新政府は日本に対して賠償金を払っ て日本は遠征にかかった費用の一部を回収 したと言われておりますまその事件があっ てから新は台湾の支配を強めます特に台湾 原住民への統治権拡大をえ狙いました一方 で日本にとってはえ台湾や中国大陸に 対する関心を高めて後の日進戦争への布石 になるえ事件でもあったとえ言われており ますつまりえ東アジアにおける国際関係に 長期的な影響を与えた事件でもあります はいこちらがですね西門でございますま 法学的にはちょっと北にあるのかな今も なおあの 交通は問題なく通れてることが分かります よねちょっと上また登ってみますかでボタ 車事件が直接関係があるわけではないん ですが当時の国際関係を考えると台湾の 住民との民族との圧それからヨーロッパ列 そしてえ日本がま台湾を狙っているという ことででえそういった複雑な環境を考えて 真はこの壁の建設を急いだとも言われて おりますはいこちらがですね西門から見る 風景ですこっちはなんかすごい住宅街って いう感じがあしますねこっち側がえ市街に なりますうんでちょっとあそこにね説明が さっき書いてありましたけどもま日本統治 時代を経て城壁の一部っていうのがこれか どうか分かんないですけどもえ破壊され たりしてま道路や学校建設ためのえ一部と なったという歴史がありますしかし 1935年台湾相徳によって主席に指定さ れました1983年に大規模な修復作業が 行われまして国民統制権の時ですそして 1985年に台湾政府によって2級国定 戸籍に指定されましたでま現在は台湾の古 歴史を知れるスポットとしてま多くの観光 客を引きつける場所になっていますこれ ですねここにま日本統治時代にえ建築物と して使ったと書いてありますこちらの西門 は特にですね近くにま寺が多い場所と言わ れておりますちょっと抜けてみましょう 市街地に入り ます入ってみるとすぐに広いま広場みたい なところがありましてえ目の前に見えます かね中華式のお寺がありますちょっと公園 みたいになってるみたいですねえ本当に来 てみると見事な公園が広がっていましたえ 公園をですねさらに奥まで進んでいくと また違うねお寺が大きなお寺が出てき ますそしてこの辺りは夜はえナイト マーケットになります今は昼のお店が出て いますが夜も盛り上がるのでちょっと夜 またあの撮影に来 ますで大平とかの地に比べると絶対に安い と思います ねもうすでに準備が始まっていますがこれ からどうなるのか楽しみですねちょっと ヘチの市街地を歩いてみましょうと言って もヘチの市街地は本当に狭くてギュっと コンパクトにまとまっている感じなんです ねでこの辺りがなんていうかまいろんな 日常品とか売られているスポットになって いますこの辺りの通りが市場っていう感じ ですか ねはいでここの通りが1番の大通りです この辺りにチェーンテとかまワトソンとが 集まってるわけです がまいわゆるカルフールみたいな大型の ショッピングセンターって言んですかね ああいうのはないです一応メインの交通が えバスになりますでバスはあそこに全部 ターミナルがあって止まるわけで でこっち側もね反対側のバス停があります ちょっとラジエを取ってみましょうかこの 辺りがラジエて言われていてま古いを残し た影があるかつえ飲食店がたくさん 立ち並んでるっていう感じですね うんでなぜかベトナムの飲食店が多いって いうのもまた1つ特徴です向こうがさっき のお寺ですねでま昔ながらの街並とま リノベーションしたようなカフェ等が多く 見受けられるといった感じですねあれはこ かな天然のなんか身がなってるんですがた ずっとですね歩いてると南門にたどり着き ましたすごいねえこんな感じで公園があっ てでこの中心にある南門なんですがこう なんて言うのかな交差点のサークル上 の交通分岐店みたいになってるんですよ ねらですね一応正面から見た南門がこちら ですすごいここだけなんか切り取られた感 があってなかなか興味深いですねちょっと 南門の真下に行ってみますかすごい不思議 な絵になってますねあ足元に現れて びっくりした [音楽] ぞあ無視されてる おいええ うちちちかんでなあのこうした海外ロケを やってると一番怖いのは野良犬なんです ほいてくるし追いかけてくるからでも猫は 全然です ねまこちらの南もね通り抜けるとくんディ ンって言ってビーチリゾートがあるんです がそちらに続くえ道になっていますで日本 統治時代にはまこの辺中から港南ワコって いうところがあるんですけどもそこの輸送 路にもえなっていたとわれております うわあこれはすごいな2006年に自信が あったそうなんですけどそん時すごい被害 があったということが書かれております うんすごいさというわけでですね今回の 動画はヘチの街歩きということでボタ車 事件からこちらの昔の街並までご紹介し ました是非この動画が良かったなと思う方 はえチャンネル登録と高評価をよろしくお 願いしますそれではまたお会いしましょう バイ バイうわあこれはすごい ぞ今日は半中の街 にやってき た以上難問でしたそれでは日が暮れてきた ので夜一に行ってみましょうえよ一にやっ てまいりましたここですね ここがまなんて言うんですかね昼間あま オールドのえ市場として機能していた場所 が 全てナイトマーケットになるっていう感じ ですあのま観光客の人もえたくさんいると 思いますがえこのちのねえ人々が全部 集まってるんじゃないのかっていうぐらい のえ人の多さになってますここもあれです ねお寺がありまして価格調査をしてみます か大体ですねこれホットドッグがあります ホットドッグがえ100タワンドルなんで え結構高いっちゃ高いですね100 タンドル500円ぐらいですえパパイヤ ミルクとかなんですがああ40円ぐらいか いっぱいなんでま肌感覚として はとそのなんだろうな普通のお店に比べて 露店に比べて10元ぐらい高いかなって いう感じでこちらがあれですね昼間通った お寺がある方です ね うんお寺の前 もかなりの人でござい ますま夜はですね夜でなんかコンサート的 なもんをやってるあとは通信販売じゃない やダイレクト販売みたいな すごいなまあなかなかのカオスですねこれ はありがちな唐揚げを作る場面ですはい 与一の定番射撃でござい ます密度で言えばかなり人工密度は高いか なと思いますはい確かにえリアとしては 狭いんですがかなりお店がたくさんある 印象です
0:00 オープニング
0:52 恆春とは?
1:52 恆春古城
2:50 東門
4:09 出火特別景觀區
5:18 北門
5:31 恆春の歴史
6:27 牡丹社事件とは?
9:07 西門
12:02 恆春の市街地
13:37 南門
15:16 エンディング
15:54 夜市
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