井樋之尾観音堂|長崎街道|いびのおかんのんどう|井樋ノ尾観世音|シュガーロード

井樋之尾観音堂|長崎街道|いびのおかんのんどう|井樋ノ尾観世音|シュガーロード

【井樋之尾観音堂】いびのおかんのんどう
1637年の「島原・天草一揆」において、有馬村の観己寺の永誉教含庵主は、原城・三ノ丸に安置されていた聖観音像を持ち出した。喜々津村の正法寺に逃避する道中、豊かな清水が湧き出る井桶之尾御手洗の地に、持ち出した観音を祀ることが相応しいと思い、当初目指した喜々津村の正法寺の末庵として建立したのが井桶之尾観世音である、と記念碑の由緒書に表示されている。

【井樋ノ尾観世音】いびのおかんぜおん
肥前国高来郡有馬村、観巳寺の僧永誉教含庵主が、寛永14年(1637)島原の乱の折、一揆軍の神社仏閣の焼き討ちを避けるため、原城北三の丸に安置されていた聖観音像を持ってきて、この地に観音堂を建立したのが始まりといわれている

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