【廃線跡】次はシベリア。七尾線末端(穴水~輪島)廃線跡、駅跡巡り

【廃線跡】次はシベリア。七尾線末端(穴水~輪島)廃線跡、駅跡巡り

2025年4月に2001年に廃線になった石川県ののと鉄道 七尾線の末端(穴水~輪島)の駅跡を巡ってきました。元は国鉄、JRの路線でしたが、同じ路線である七尾線の津幡~和倉温泉の電化開業の見返りとして、JR西日本に要求され特定地方交通線でも無い路線(転換の交付金無し)が第三セクターののと鉄道に移管されました。1991年の転換からわずか10年で廃止となり、それなりの規模の街である輪島から鉄路は消えました。2024年の能登半島地震での被災を経て、七尾線の末端の駅跡たちはどうなっているのでしょうか。

動画で使用している過去の航空写真はこちらで閲覧できます。
国土地理院HP:https://www.gsi.go.jp/top.html

43 Comments

  1. 昨年1月の震災直後、被災状況調査の為に珠洲市まで行きましたが、その道中で、穴水駅に立ち寄りました。結局、本社の建物は復旧を断念しちゃったんですね。

  2. お疲れ様です、この度、能登地方の地震災害に、遭われた被災者の方々が、早く平穏な暮らしが、戻ります様に😢のと鉄道も、穴水駅〜輪島駅が、廃止され、しかも、恋路駅も、解体されて、しまったのは、残念ですね?このコメントに対する、うめはち橙と、ゆっくりフラン姉より優れた妹からの、返信等は、お受け出来ません、オッフ〜🐻

  3. 動画どうもありがとうございます。いきなり西岸から始まり、見入ってしまいました。ここから能登鹿島にかけて、C56の貨物列車を撮りに行ってました。駅には桜が健在のようで懐かしいです。

    C56貨物は穴水から先、輪島まで走っていました。能登三井、能登市ノ瀬は勾配区間で小さなC56が短い貨車を必死に牽引してました。

    京都鉄博で活躍するC56160は国内ラストナンバーで一時期七尾線で活躍しました。

    また、この頃金沢から珠洲までC58と七尾からC11による、ふるさと列車おくのと号も走り、大変賑わっていました。

    もう50年以上前の話です。本当に懐かしいのに、震災の悲惨さが重なり、複雑な気持ちで拝見しました。

    因みにのと鉄道本社前に、ぼら待ちの櫓のモニュメントがありますね。

    取り留めのない話でどうもすみません。昔若かった頃に良く行ったところなので、今の変化に驚きつつ、懐かしく拝見させて頂きました。

  4. 不謹慎かもしれませんが、能登線部分の動画のアップも期待しています。

  5. ひろりんさんの動画は何時も「駅」や「路線」の儚い生涯みたいな感じで観ています。
    でも、今回の動画は傾いてる信号すら治せない状態で、何処かでやってる未来の祭典に呆れて、悔しくて、悲しくてしょうがない。と、思う感情でいっぱいです。

  6. 鉄路復活に向けて色々動いたものの、想像以上に過疎化が進んで頓挫し、極め付けは昨年の地震で更に過疎化が進むという悪循環。

    辛いですが、奥能登の今を見た気がします・・・

  7. 2024年1月1日午後4時10分……
    あれから月日が経つのは早いですが、未だ復興道半ばという印象がいたします。
    能登半島の地域の皆様に改めてお見舞いを申し上げるとともに、一日も早い完全復興を心から願ってやみません😔

    輪島駅の列車の画像、あれパネルだったんですね。
    完全にダマされました(汗)😅
    例の「シベリア」の駅名標は付け替えられたのでしょうか?
    全体的に真新しく、「シベリア」の文字フォントもきちんと整えられているかのように見えました。
    昔、VICOMのビデオに現役時代の輪島駅の映像が映っているのを見ましたが、当時も「シベリア」駅名標はあったものの、字体がもう少しラフな手書き風だったかと記憶しています。
    国鉄風の電照式駅名標とともに、いつまでも残しておきたいですよね。
    それから能登市ノ瀬駅(跡)の航空写真、周辺の水田が昔と今とでずいぶん変わったところが強く印象に残っています。

  8. シベリアまで延伸(予定)!
    てかw

    地震だの、水害だの、火事だの

    もぉ日本政腐ではダメだ!
    ☆日本は終了しました☆

    おっふ・・・🐻

  9. 穴水ー輪島間の廃止から穴水ー蛸島間の廃止までの期間に輪島と恋路を訪ねたことがあります。
    その時に能登三井駅跡にも立ち寄り、まだ残っていたホームにも上がりました。地元の子供たちが遊んでいて微笑ましかったですね。
    ホームと線路は撤去されたものの、駅舎や駅名標が今も残っているのは嬉しく感じます。
    もちろん輪島駅跡のモニュメントも見学しましたが、被災から1年以上経った今でも立入禁止なのですね…。能登の復興を心より願います。

  10. ひろりんさん❕️何かこの動画を見て思う事は能登半島も北海道も大差ないと思ってしまいます🚞😔

  11. 途中駅無くていいから
    輪島まで鉄道を残してほしかった

  12. 輪島駅のレプリカ?の手前の、左にトイレのある広めのスペースには今回の震災前は、
    2006年ごろ5月に発生した地震の記録が展示されてました。
    その時の被害はほとんど輪島と門前に留まり、犠牲者もたまたま倒れた石灯篭の下敷きになった大変間の悪い1名のみで、
    こう言っては失礼だが大都市でなかったのが幸いしたと正直思ってました。
    それでも山崩れが起きたり仮設住宅が建てられたり外浦の道路がルート変更を強いられたり、
    局地的とはいえ結構な被害がありました。
    正月の震災前の初夏にも珠洲や正院、鵜飼で古い木造住宅や神社の鳥居が全壊するレベルの地震があり、
    その後も毎日のように震度2~3の地震が続き、後は昨年の元日。
    こんな事になるなんて、と今でも思います。

  13. 取材·編集·動画配信ありがとうございました。
    学生時代 東京の医療系の短大にいたのですが、3年次に修学旅行があり
    石川·福井に行きました。
    能登半島にも行き、確か珠洲市では
    遊覧船にも乗りました。
    今でも時々そのときのことを思い出し
    今回被災した方々のことを思うと…😢
    今となっては遠く、なかなか行くことのできない場所になってしまいました…😥
    被災された方々が以前のような日常生活を取り戻せるよう祈るばかりです。
    ひろりんさんもお疲れさまでした。

  14. 能登市ノ瀬駅跡の穴水寄りにせんろにはいってはいけませんの看板ありましたが、見ましたか?

  15. 能登遠征お疲れさまでした。今回はおっふがないのかなと思いきや、まさかの旧輪島駅施設だったとは。
    穴水駅も震災後に切り欠きホームが立ち入り禁止になったみたいですね(2021年には普通に入れました)。とはいえ、既存区間だけでもなんとか残ってほしい、という願いはあります。穴水蛸島編も期待しています。

  16. 穴水の0番線ホームは出発した所ですぐに車停めにぶち当たるのが悲し過ぎますね…
    赤字なのに線路使用料を取るJR西日本は阿漕だと思っていましたが、そのおかげで今回の震災での復旧費用はJR持ちになったのは不幸中の幸いだったと思います🎉

  17. 去年の10月にぼんぼり祭り目当てで初めて石川県を訪問し、観光列車の急行ゆのさぎで七尾から西岸(湯乃鷺)含め穴水まで乗車しました。その時に穴水駅に停車してた運休中の里山里海号が試運転なのか動いてる姿を見れて感動したのを覚えてます。穴水駅周辺も見ましたが、所々に震災の爪跡が見られて胸を痛めましたが輪島方面はそれ以上なのに言葉を失いました…より早い復興を祈ってます。

  18. 七尾線は残しておいても良かったのでは、と思いました。
    被災した建物や傾いた電柱などが残っているところを見ると復興はまだまだのようですね…

  19. もし可能のようでしたら、リクエストとして仙台市の沿岸部の光景を取り上げて下さると幸いです。
    震災前と震災から14ヶ年経過の違いについて、10分ちょい弱の尺で御願い致します。
    仙台方面へ行きたくても、東京23区を経由するだけでも命がけですし(コロナを移されるかもしれないし)。

  20. 11:42
    確か線路があった所を埋めてあるだけで、ホームはまだ残ってたはず…
    確かホームの縁石がまだ見えたような…

  21. おや、サムネ等変わったようですね
    輪島ってそこそこ名が通った街なので人口もそれなりと思ったら2万切ってて留萌や下田くらいなんですねぇ…
    能登地方の最大都市は七尾市の4.5万。これはきついですね。
    過疎地は車が混まないから車も鉄道も必要とはならないんでしょうね。

  22. コメント失礼します*(^o^)/*
    こういう事は、あまり言いたく無いけど…
    能登半島の復旧が進まない要因が鉄道を廃止した事だと思います。 貨物線で残していれば

  23. 昭和49年に家族で能登へ旅行に行きました。金沢から輪島までそのまま七尾線を通して乗りました。後で知った話、途中羽咋から出ていた北陸鉄道能登線(羽咋〜三明)が廃止になったのはその2,3年前の事。輪島で宿泊してから奥能登を観光バスで巡り九十九湾へ。そこで宿泊してから能登小木にて能登線に乗り金沢へというルート。鉄路が無くなり、一緒に旅した両親も既に他界。自分も人生終える前にもう一度能登に行きたいと思っています。

  24. まずは、北陸の地にようこそいらっしゃったことに鯖江の民として歓迎の意を表します。北陸の鉄路はほとんどが第三セクターに移管され、かつての特急街道の面影も薄れ、寂しくなってしまいました。叶うならばもう一度、金沢から大阪までサンダーバードを通してほしい……。

  25. 自分も10日前に訪れて倒壊した建物や斜めってる信号や標識に衝撃を受けて帰ってきましたよ。
    少しでもと思い道の駅や食べ物屋で買い物したり食事したりしてきました・・・輪島駅の構内、
    自分も全く同じ構図で写真撮ってました、と言うかその構図でしか撮れませんよね・・・

  26. JR西は氷見線、城端線をあいの風とやま鉄道に移管で来たんで、次のターゲットは七尾線の移管でしょう。
    大糸北線、越美北線は廃止、高山本線はできればあいの風とやま鉄道に移管、のと鉄道は近い将来に廃線でしょう。
    保存車両を修復できないのも、いかに経営が苦しいのかを表していますよね!!

  27. 鉄道がなくなって高規格道路ができたって言っても、ドライブではなく、列車から見たかった景色がそこにあったんだよな…。その風景も地震でめちゃくちゃになってしまった…。穴水で一時期過ごしてたのもあって、失われた能登の人たちの日常や風景を思うととても悲しい…。

  28. 昔、上野駅から金沢駅まで夜行急行「能登」が走っていました。季節により臨時で輪島駅まで延長運転しており、それに乗って輪島まで旅行した思い出があります。
    直角椅子ではなく、機関車がけん引する14系客車でしたので、とても快適でした。
    乗り換えなしで朝輪島に着いて、大き目な民宿でしたが、朝から部屋で休ませてくれました。
    翌日、蛸島までバスで行って、蛸島から列車で穴水まで戻り、列車を1本見送って、穴水駅前のイタリアンレストランに入りましたが、時間が無くなって慌てて持ち帰りにしてもらい、列車に飛び乗って、無事上り急行「能登」に間に合ったのでした。
    その能登半島が大地震と大雨で被災して、しかも復興があまり進まず、とても悲しいです。全く力になれないけれど、今度旅行して応援したいと思います。

    現在の様子、伝えて下さりありがとうございます。能登三井駅、駅舎が健在で、三井基幹集落センター前の駅名標には屋根がかけてあって、愛を感じて嬉しかったです。

  29. 穴水駅の2.3番線は現在旅客用には未使用で屋根が地震の際に損傷した後、何故か簡易的ながらも再建されたんですよね
    地震後に手入れをしていないホームの先端側と0番線は倒壊の危険性があるので立ち入り禁止になってしまいましたが…

    他にはこの動画には映っていない旧能登線区間も被災した場所があったようで、恋路駅はホームが倒壊して撤去されてしまいましたね、、、

  30. もしも輪島まで鉄路が残っていたら、それを基軸に人や資材の輸送が成り、震災からの回復を加速させる原動力になったのではないか。
    それとも、いずれ不通区間→復旧を断念して廃線…の運命からは逃れられなかったのか。
    複雑な思いです😟

  31. 震災発生から1週間後に、(向かいの神社の崩壊や、校舎の外の爪痕も生々しい)穴水小学校校庭に入りました。近くに穴水駅が在る事を知りましたが、出歩く事は禁じられていたので…
     一度地元に戻り、次は珠洲市役所近くの飯田小学校敷地内に入りましたが、学校に続く上り坂の途中に路線跡とコンクリートで施工された土手を見つけました。
     珠洲市営球場に向かう途中で蛸島駅と残されている線路と車両も確認しました。珠洲市への往復の時に、穴水駅より先の路線跡も見つけました。

     災害派遣で七尾線跡を見る事が出来たのは、複雑な気持ちです…

  32. 1年前に仕事で石川県にいったとき、移動する車内から鉄道跡をチラ見して妄想していたことを思い出しました。ありがとうございます^^

  33. 大阪から直通特急も走らせられないのに、JR西はなぜ七尾線を放さないんですかね?

  34. 北海道に鍛えられすぎて周辺が消えてないどころか新しい建物が建ってることに驚き

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