【水口城】豊臣の城を破壊したのは「徳川?」持ちさられた石垣の行方

【水口城】豊臣の城を破壊したのは「徳川?」持ちさられた石垣の行方

小田原城の堀の紹介動画はこちら➤https://youtu.be/G7KoXIh-0UY
滋賀県の南に広がる甲賀市。忍者が住んでいそうな山奥というイメージがありますが、意外にも国道一号線・新名神などの大きな道が通っています。昔は東海道の宿場町として、たいそう賑わっていたそうです。甲賀で有名な城といえば水口城。市街地に見える堀と石垣。白い櫓がカッコいいですね。この水口城は、江戸時代(寛永11年1634年)に徳川将軍の館として築かれたもの。城というより御殿です。現在グラウンドとなっているこの場所が中心部で、京都二条城と同じ建物構成の御殿が建っていたと言われています。徳川の水口城ですね。水口にはもう一つ城がありました。それは水口岡山城。徳川の水口城から東に約1キロ、古城山と呼ばれる山がそれで、戦国時代の終わりごろに豊臣秀吉が築かせたものです。現在は眺めの良い公園となっているのですが、調べてみるとなかなかすごい城であったことがわかりました。堅固な備えもそうですが、かなり豪華なつくりだったとのこと。歴代城主も豊臣の重臣が務めていたようなのです。不思議なのはこの豊臣の城の痕跡が現在ほとんど残っていないこと。建物はもちろん石垣さえも消えているのです。これはいったいどういうことでしょうか。消えた豊臣の城、水口岡山城を訪れていろいろ考えてみます。

11 Comments

  1. 詳しい説明有難い。上ったこともありますが破却されて寂しいものです。確か信仰の山と聞いていましたが地元甲賀の人には大事なお山であったと思います。水口は要衝の地ではありますが現代では余り知られていない場所です。

  2. 水口は隣町で昨日も買い物に行ってきました。水口城の脇の道は良く通ります。
    知らない事ばかりで大変勉強になりました。穏やかな語り口が聞きやすくまた
    分かりやすい説明で本当に楽しめました。今度水口岡山城にも行ってみたいです。
    ありがとうございました。

  3. 城を築く前はお寺(大岡寺だいこうじ)があったと聞いています。
    現在は麓にあります。おそらく秀吉が立ち退かせたのでしょう。
    この寺は鴨長明や松尾芭蕉との関係もあり当時は有力な寺だったみたいです。

  4. 取材とUPお疲れ様です。
    水口城はなんとなく知ってましたが水口岡山城は全く知りませんでした。こういう城跡は大好きです(妄想が広がるのでw)
    主郭部が石垣だったら東海道から見上げると威風堂々としていたことでしょう。「街道を見下ろす山の上」という立地は佐和山城と似ていますね。近江(というか畿内)を守る関門だったのでしょう。
    動画5:00ごろの枡形も素晴らしいですね。動画を見ていて思わず「おぉ!」と声が出ましたw
    花粉が収まったら行ってみたいです。
    ありがとうございました。

  5. 動画ありがとうございます。
    いつも楽しみにして視聴させていただいております。
    今回の水口岡山城は、知らないことも多く一緒に探訪している気分で楽しく拝見させていただきました!
    個人的には、かいのすけさんの取材から得た切り口や推測、お話の仕方が好きです。
    次回も楽しみにしています。
    ありがとうございました!

  6. 以前に水口岡山城に行ったことがありますが、色々見落していたのでこの動画をみてまた行きたくなりました!詳しい解説ありがとうございます☺️

  7. 時代の転換期の中心となる、中部にお住まいの方々が羨ましいです。
    ウチの方はもっと古い鎌倉時代で、三浦一族の名残は沢山ありますが
    私の興味のある時代は戦国~なので...(小田原は県内ですが、東西の端~端とチト遠いです)
    虚無の場所では、こうではなかったのかな?と思いに馳せる事が出来るので
    楽しいでしょうね。(夏場は暑さと虫らで見学に集中出来そうもないですが...)

  8. 水口岡山城、イベントやってるときはバルーンの天守建ててたなー
    水口城も高校の校庭脇の櫓跡に登れて楽しかった
    距離が近いから城巡りにはお得だな!

  9. 水口岡山城の動画を作成して頂きありがとうございます。
    城山の登り口に下に見えた水口小学校出身で現在も徒歩で5分ほどの所に住んでいます。
    現在は西の丸のすぐ下まで車で登ることが可能ですが、以前はご紹介頂いた忠魂碑のある広場経由で登るのがメジャーでして小学生でも軽いピクニック気分でよく登っていました。

    参考までにGoogleMapですと水口小学校の南に隣接した水路が確認できると思いますが これは 水口岡山城の堀(の一部)です。
    1:55の「近江鉄道の踏切」「不思議な分岐」の映像は注意しないとわからない「石橋」の上で撮影されていますが ここは堀の真上です😁

    あとは時代考証みたいなもので 03:00 ~の「岡山城大手に続く道(市道大岡寺線)ですが、この道幅になったのは昭和58年頃で 終戦までは 大岡寺から南の筋までを結ぶ 幅 3m程度の参道でした。
    戦後まもなく旧国道1号線が開通して 鉄道省営バスを通すために国道から大岡寺の下までの区間と 撮影地(本水口バス停)までの間が 少し拡幅されて開通しています(白いミニバンが下ってくる道幅です)

  10. 増田長盛、長束正家の尾張側の生誕地といわれている地に住んでいる者です。
    二名の城主を輩出している地に住んでいる縁を感じ水口には何度も訪れています。
    しかし、水口岡山城趾は本丸、西の丸のみで二の丸、三の丸は廻っていませんでした。また、本丸に東西2つの櫓があることは気が付きませんでした。
    詳しい案内ありがとうございます😊

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