八幡大神が降臨した八幡信仰の総本宮:大分県・宇佐神宮 (Usa Jingū | One of the most important Shinto shrines in Japan)

八幡大神が降臨した八幡信仰の総本宮:大分県・宇佐神宮 (Usa Jingū | One of the most important Shinto shrines in Japan)

▼チャプターリスト(目次)
0:00 オープニング
0:20 夕日に照らされた勅使参道と、正面参道
0:39 神橋、寄藻川
0:58 大鳥居、初沢池
1:52 下宮(御炊宮)
2:43 祓所、春宮神社周辺
3:24 上宮参道、上宮社殿
5:58 若宮神社、亀山神社周辺
6:26 菱形池周辺
7:52 呉橋、頓宮
8:37 大尾神社、護皇神社
9:25 大元神社(奥宮)

どうも管理人のヒロリンです。

今回は大分県宇佐市に鎮座する八幡信仰の総本宮、宇佐神宮(うさじんぐう)を紹介します。

豊の国・大分。その異名に相応しい、緑豊かな山と田園地帯が広がる国東半島の付け根にある御許山(おもとさん)。宇佐神宮の神苑は、標高647mの御許山の麓に広がっています。

現在、全国に4万社以上あるといわれる八幡神社の総本宮であり、伊勢神宮に次ぐ「第二の宗廟(そうびょう)」として篤い崇敬を受けてきた格式高い神社、それが宇佐神宮です。

宇佐神宮の主祭神である八幡大神が初めてこの地に顕現したとされるのは西暦571年頃。その後、比売大神、神功皇后が御祭神となり、八幡信仰は全国に広がることになります。

皇室を深い関係を持つ宇佐神宮は全国で16社しかない「勅祭社」の一つに指定されていて、10年に一度の勅使祭の際には、天皇から勅使が遣わされます。そのため、参道や門、橋、社殿などに皇族または勅使専用のものが用意されていて、特別な日を除き、一般の参拝客が利用することは出来ません。特に、西参道にある豪華な屋根のついた「呉橋」や、南中楼門は一見の価値があるといえるでしょう。

古来から地主神と天皇のご神霊、さらに渡来した仏教までもが一つに溶け合う「八幡信仰」始まりの地に鎮まる本殿は国宝の指定。

本殿は、八幡大神、比売大神、神功神宮の三柱のご祭神をそれぞれ祀る3つの御殿で構成されているのが特徴。

本殿は、皇族・勅使しか通ることが出来ない南中楼門を中心に廻廊で囲まれ、楼門に向かって左から一之御殿(八幡大神)、二之御殿(比売大神)、三之御殿(神功皇后)とならびます。御殿はいずれも八幡造と呼ばれる建築様式。三つの御殿の真ん中にある二之御殿の前に祝詞をあげるための「申殿」があり、その各御殿の手前が「外院」、奥が「内院」と呼ばれています。神様の御座所は昼夜で分かれていて、昼は外院に置かれた御椅子、夜は内院に置かれた御帳台であると考えられ、三柱の神々は昼夜で座を移すという全国の神社でも珍しい特徴を有しています。

さて、そんな宇佐神宮ですが、八幡大神の顕現から百数十年の間、朝廷のある都と、中央から遠く離れた地にあった宇佐神宮との交流と言えば、天皇が病の際、医術や巫術を施すことと、戦いに赴く武人が戦勝を祈願することくらいでした。

宇佐神宮を何の予備知識を持たない状態で参拝する人は「何でこんな辺鄙(へんぴ)な場所に立派な神社(うさじんぐう)が鎮座しているのだ」と思うに違いありません。宇佐神宮が今日のように日本を代表する神社にまで大きな力を持ったきっかけは宇佐神宮の八幡大神が発した『二つの御神託』によるものです。

一つ目の御神託は東大寺の大仏造立に関わる御神託。747年、聖武天皇が大仏造立を行う祈願を立てた時に、すぐに二所の宗廟とされていた伊勢神宮、宇佐神宮に勅使が派遣されます。その際、八幡大神は

「われ、天神地祇(てんしんちぎ)を率い、必ず成し奉る。銅の湯を水となし、我が身を草木に交えて障ることなくなさん」

という御神託を答えます。天神地祇とはすべての神々のことで、八幡大神がそれらを率いて、何の障害もなく、必ず大仏を完成させると請け負ったのです。やがて、この国家的事業が御神託の通りに完成すると東大寺の守護神として近くの手向山に八幡大神が勧請されました。宇佐という一地方の神が、当時の都の奈良に進出し、国家鎮護の神となった瞬間でした。

そして、二つ目の御神託は皇位に関する御神託。766年に女帝・称徳天皇の寵愛を受け、しばしば政治に介入していた像・道教が弟の弓削浄人らを通じて「道教を皇位に就かせたならば国は安泰である」とするお告げが八幡大神より下されたと、朝廷に対して嘘の奏上を行います。道教は皇位を希望しましたが、称徳天皇は和気清麻呂を勅使として宇佐へ派遣し、神意を確かめさせます。

宇佐神宮に参拝した和気清麻呂に対して八幡大神は次のように告げます

「我が国が始まって以来、君臣の区別ははっきりしている。臣下が君主となることはない。天皇を継ぐものには、必ず皇族の長子を立てよ。その道を守れないものは直ちに排除すべきである」

このような御神託で八幡大神は嘘の神託を一喝しました。こうして正統な皇位守られたことに、皇室、朝廷は深く感謝し、八幡大神への崇敬をより篤くすることになりました。

この深い崇敬は「広大な境内」でもって今日でも見ることが出来ます。宇佐神宮を訪れた人は、まずその規模に圧倒され、参拝者の多さに圧倒され、楠・楓などで作られる宇佐神宮の社叢に圧倒されることでしょう。

ほとんどの参拝客は八幡大神が祀られる上宮(動画内では3:24~)と、神前に供する食事を調理する場:下宮(動画内では1:52~)を参拝すると帰られる方が多いと思いますが、時間をかけてでも行っていただきたい場所が、宇佐神宮の奥宮である大元神社です(動画内では9:25~)。標高647mの御許山の9合目に位置するため、参拝するのはかなりハードです。しかし、この場所は誰が来ても「The 聖地」と感じられるほどのパワーに満ち溢れていて、八幡信仰の総本宮たる神秘的な空気を肌で感じられるのは麓の宇佐神宮ではなく、奥宮なんだと気づかされます。

大元神社の拝殿の裏には「奥宮」と書かれた鳥居があり、何人たりともここより奥に進むことは許されません。御許山の9合目より上は禁足地で、神様しか足を踏み入れてはいけないのです。人と神の世界とを分ける鳥居の前に立った瞬間、人の形をした僕と言う存在のなんとちっぽけなことかと気づかされたのは仕様です。

宇佐神宮は奥宮まで参拝しようと思うと丸一日はかかるだろう壮大な参拝となります。その宇佐神宮の神秘的な雰囲気をこの動画から少しでも感じとっていただけると幸甚です。

Usa Jingū is a Shinto shrine in the city of Usa in Ōita Prefecture in Japan.

Emperor Ojin, who was deified as Hachiman-jin (the tutelary god of warriors), is said to be enshrined in all the sites dedicated to him; and the first and earliest of these was at Usa in the early 8th century. The Usa Jingū has long been the recipient of Imperial patronage; and its prestige is considered second only to that of Ise.

The shrine was founded in Kyushu during the Nara period. Ancient records place the foundation of Usa Jingū in the Wadō era (708-714). A temple called Miroku-ji was built next to it in 779, making it what is believed to be the first shrine-temple (jingū-ji) ever. The resulting mixed complex, called Usa Hachimangu-ji, lasted over a millennium until 1868, when the Buddhist part was removed to comply with the Kami and Buddhas Separation Act. It is today the center from which over 40,000 branch Hachiman shrines have grown. Usa’s Hachiman shrine first appears in the chronicles of Imperial history during the reign of Empress Shōtoku. The empress allegedly had an affair with a Buddhist monk named Dōkyō. An oracle was said to have proclaimed that the monk should be made emperor; and the kami Hachiman at Usa was consulted for verification. The empress died before anything further could develop.

From 1871 through 1946, Usa was officially designated one of the Kanpei-taisha, meaning that it stood in the first rank of government supported shrines. Other similarly honored Hachiman shrines were Iwashimizu Hachimangū of Yawata in Kyoto Prefecture and Hakozaki-gū of Fukuoka in Fukuoka Prefecture.

4 Comments

  1. いつも拝見させて頂いてます     本当に素晴らしい撮影ですね ご苦労もおありだと思いますがお身体に気をつけて下さい  応援してます🎉

  2. 3本の指に入る美麗な神社ですね。真ん中の社殿は誰が祀られているか?という謎が有るようですが、八幡様より尊い姫神様って興味有ります。

  3. 深い緑が印象的でした✨

    今日も、ヒロリンさんと、他の視聴者様と感動を共有できて、満たされた気持ちです😊

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