法隆寺西円堂 鬼追い式 20250203

法隆寺西円堂 鬼追い式 20250203

2025/02/03
奈良県/斑鳩町/法隆寺西院伽藍/西円堂

日本の仏教寺院の多くは、毎年2月に「修二会(しゅにえ)」と呼ばれる、人々の代わりにあらゆる罪を懺悔して、国家の安泰や五穀豊穣などを祈る法会が行われます。

奈良県斑鳩町の法隆寺の修二会は、2月1日から3日間行われ、境内の西にある西円堂では、本尊の薬師如来坐像の前で「薬師悔過(けか)」の行法が行われます。

最終日、2月3日の仕上げの法要は「結願(けちがん)」と呼ばれ、西円堂では17時から約2時間半にわたって僧侶が本尊前で読経を続け、途中でホラ貝の音も響きます。
19時頃から鉦(かね)と太鼓で強弱をつけて5分ほど打ち鳴らすのを1回とし、これが7回半繰り返されます。

やがて「結願」を終えたことを知らしめるように、
近隣住民や行事愛好者らが見守る中、「追儺(ついな)式」が行われます。
鬼追い式とも言われ、鬼3匹が登場して荒ぶり、最後は毘沙門天に追い払われます。

午後7時半すぎから黒鬼、青鬼、赤鬼の順に、それぞれ斧、宝棒、剣を手にして登場します。
鬼を追い払う毘沙門天が続きます。

ちなみに黒鬼は「愚痴」、青鬼は「怒り」、赤鬼は「貪欲」を表し、愚痴・怒り・貪欲は「三毒(さんどく)」と呼ばれます。

仏教のいいまわしでは、有益でない、好ましくない行為を「毒」と表現するようです。

鬼達は、お堂の基壇(外面軒下)を時計方向にまわり、お堂の東/南/西の3面で所作(パフォーマンス)するとともに荒ぶる様子を強調するかのように燃え盛る松明を見物人の方に投げつけます。
これを3周行います。

法隆寺の追儺式は弘長元年(鎌倉時代/1261年)に始まったとされています。

当初は、鬼と毘沙門天の役は同寺の僧の役目だったものの、江戸時代後期から法隆寺北東の鬼門の方角に位置する斑鳩町岡本の住民が務めています。

松明を持って鬼を補佐する算主(さず)役は同寺近隣の人たちが担っています。

この行事は1960年代なかばに見物人に当たる事故が起き、以後は鉄パイプを組んで金網を張り巡らす安全策が取られています。

鬼達とそれを追う毘沙門天が3周まわって「追儺式」が終わり、やがてあたりに静寂が戻ります。

尚、西円堂は建長2年(鎌倉時代/1250年)に再建されたお堂です。
当初のお堂は養老2年(奈良時代/718年)に建立されたと伝わっています。

八角形のお堂ですが、壁が八面もあれば十分に丸いことから円形のお堂と扱われているようです。

境内の少し小高い場所に建てられていることと、本尊が薬師如来坐像であることから「峯の薬師さん」と親しまれ、
やがて「峯」が「眼」に転じて「眼の薬師さん」と呼ばれるようにも。

「眼の薬師さん」で、衰えた視力を復活させたい、針に糸を通しやすくなりたい。
また、耳が遠くなった人は、通しが良くなる薬師さんなのなら、訪ねて衰えた聴力の通しを改善したい、、、と。

すがる思いから針や穴をあけるキリを奉納に訪れる人々、そんな人々の信仰で賑っていた時期もあったようです。

いまでも、お堂の内側には、奉納のキリを刺す板が設置されています。

※この動画をアップしたあと、お寺の行事の日程は、実は中国起源の二十四節気を基準にしているのかも知れないと気づきましたが、まだ確かめることが出来ていません。

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