愛知県のほぼ中央に位置し、面積50.39㎢、人口は152,673人(2021.4.1)。江戸時代は刈谷城の城下町として栄え、明治4年の廃藩置県で刈谷県、その後に額田県、翌年には愛知県の管轄となった。明治22年(1889年)の町村制施行で碧海郡刈谷町が成立し、大正末期から昭和のはじめにかけてはトヨタ系企業の工場が進出し、新興工業都市へと発展した。昭和25年(1950年)に県下11番目の市となる人口30,868人(1950.4.1)の刈谷市が誕生し、1955年には碧海郡富士松村と依佐美村の一部を編入して現在の市域となった。昭和52年(1977年)に人口10万人、2017年には15万人を突破し、デンソーやアイシン精機の本社などを有する自動車関連産業の集積地としても成長している。
静岡県からのアクセスは、東海道新幹線で三河安城まで行き、東海道本線に乗り換え、三河安城から刈谷まで約8分。
中心市街地は、刈谷駅の周辺と名鉄刈谷市駅の西側付近のエリア。
東海道の知立宿と刈谷城を結ぶ刈谷道、それに沿って刈谷駅と刈谷市駅の二つの駅を核とする中心市街地が形成され、その中間には商業施設や公共施設が配置されている。比較的新しいビルが建つ刈谷駅周辺は、橋上駅化によるペデストリアンデッキの整備で、駅を挟んだ南北の回遊性が生まれた。名鉄刈谷市駅から刈谷城にかけては城下町の面影が残る密集市街地で、銀座地区の高層ビルがランドマークとなっている。亀城公園は、櫓の復元を含めた再整備が計画されているようだが、公園の整備だけにとどまらず、旧城下町を含めた市街地の仕掛けにも大いに期待したいと思う。

【JR刈谷駅・名鉄刈谷駅】02:05
JR刈谷駅は東海道本線が乗り入れ、1日当たりの乗車人員は36,528人(2019年度)。駅は2面4線の地上駅の橋上駅舎で、南北自由通路が北口と南口を結び、その自由通路の中央付近に改札口や切符売り場などの駅施設のほか、JR東海ツアーズ刈谷支店、南側には名鉄刈谷駅の改札口がある。名鉄刈谷駅は三河線が乗り入れ、1日当たりの乗降人員は28,123人(2018年度)、駅はJR線と並行する1面2線の地上駅の橋上駅舎。
南口を出るとペデストリアンデッキに降り立ち、ビジネスホテルの名鉄イン刈谷が隣接し、駅前広場のロータリーにはタクシー乗り場と一般乗降用スペースが配置されている。北口を出ると、駅前広場の東側には路線バスとタクシー乗り場、西側に一般乗降用スペースが配置され、周辺には飲食店が集まっている。

【AKARIYA(アカリヤ)】03:40
地上23階建て、高さ77.5m、延床面積19,000㎡の複合ビルで、2016年6月に完成した。1階と2階の店舗区画には、飲食店、コメダ珈琲店や美容室、3階と4階にはオフィスが入り、5階以上のフロアは総戸数129戸のマンションとなっている。

【みなくる刈谷】04:12
店舗面積9,378㎡、地上1階と2階を営業フロアとする商業施設で、2008年12月にオープンした。店舗は、核テナントのスーパーマーケットのバロー刈谷店のほか、書店や旅行代理店、スポーツクラブなどが入っている。

【アイリス(刈谷市総合文化センター)】04:41
地下1階、地上5階建て、延床面積22,785㎡、大ホール、小ホール、展示ギャラリー、音楽室や研修室などが入る文化施設で、2010年4月にオープンした。

【刈谷市美術館】05:09

【刈谷市中央図書館】05:14

【アドバンス・スクエア刈谷】06:03
地上8階建て、延床面積12,329㎡のオフィスビルで、2010年1月に完成した。ビルには、アイシン精機のほか、三井住友銀行や東京海上日動火災保険などの金融機関も入っている。

【刈谷駅北地区整備事業】06:32
地上20階建て、高さ71.25m、延床面積14,300㎡の複合ビルを建設する事業で、令和3年(2021年)5月の完成に向けて建設工事が進められている(2021年4月現在)。ビルの1階と2階には商業区画と公共施設、3階から6階に事務所、7階以上のフロアは総戸数81戸のマンションとなり、北側には立体駐車場が設置される。当事業は、アイシン精機の関連会社のアイシン開発が事業主体で、敷地面積2,804㎡の内、半分以上の1,573㎡が刈谷市の市有地。その市有地は一般定期借地権を設定して事業者に賃貸され、それにより市が取得することになる借地権は、建物、広場、駐車場の一部へと姿を変え、公共区画として等価交換される仕組みとなっている。

【刈谷市産業振興センター】07:47

【アクアモール】07:54
東西約700m続く遊歩道で、主に飲食店が集まり、その遊歩道の下には明治時代に開削された明治用水が流れている。

【刈谷駅前商店街(歓楽街)】08:14
東西約170m、南北約180m続く商店街で、主に飲食店や風俗店が集まる歓楽街。

【グリーンモール】08:32
東西約460m続く商店街で、飲食店やサービス業のほか、書店などが集まっている。

【デンソー】08:48
1949年に設立された自動車部品メーカーで、連結従業員数は168,391人、2021年3月期の連結売上高は4兆9,367億円。

【アピタ刈谷店】09:20
店舗面積20,845㎡、地上1階から3階までを営業フロアとする商業施設で、2000年10月にオープンした。

【刈谷市役所】09:40

【刈谷商工会議所】09:45

【名鉄刈谷市駅】10:04
三河線が乗り入れ、1日当たりの乗降人員は6,461人(2018年度)。駅は1面2線の高架駅で、2階がホーム、1階に改札口や切符売り場などの駅施設がある。
駅を出ると、駅舎の東側は住宅街、西側にはタクシー乗り場と一般乗降用スペースのある駅前広場、周辺には商店街のほか、小規模のビルが点在している。

【刈谷市駅前商店街】10:55
南北約140m続く商店街で、主に日用品を扱う店舗が集まっている。

【於大通り商店街】11:13
南北約170m続く商店街で、徳川家康の母の於大の方が住んでいた椎の木屋敷へ通じる道であることから、於大通りと名付けられている。

【銀座ツリープラス】11:35
地上28階建て、高さ95.1m、延床面積15,813.43㎡の複合ビルで、2020年2月に完成した。ビルの1階と2階には、生鮮食品スーパー、カフェ、保育園、クリニックなどが入り、3階以上のフロアは総戸数81戸の分譲マンション。

【刈谷市城町図書館】12:22

【刈谷市郷土資料館】12:27

【椎の木屋敷跡】12:32
徳川家康の母の於大の方が、松平広忠に離縁されて刈谷に戻された際、一時住んでいたといわれる場所。

【亀城公園】12:47
刈谷城の本丸と二の丸の一部に当たる公園で、大正5年に刈谷士族会の集いの場として建築された十朋亭のほか、刈谷球場や体育館などの運動施設もある。刈谷城は、天文2年(1533年)に水野忠政によって築城された平城で、明治4年の廃藩まで存続していた。

【刈谷球場】13:21

14 Comments

  1. 刈谷市もいいところですね。やはり南海トラフ巨大地震などは心配ですので日頃からの備えが必要です。北上市の隣の金ケ崎町にもトヨタ自動車東日本の工場が立地していて北上市の周辺は自動車関連の企業も多いです。デンソーやアイシン東北なども立地しています。愛知県内のナンバーの車もよく見かけますね。愛知県にも興味があるので今の状況が変わって機会がありましたら東北新幹線や東海道新幹線などを乗り継いで刈谷市にも訪れてみたいです。

  2. おー刈谷!
    幼い頃に交通公園や刈谷のハイウェイオアシスに連れて行ってもらった懐かしい所です。
    市が金持ちっていうイメージです

  3. 子どもがこちらのシリーズが大好きで まさか 刈谷市もやって頂けるとは! 興奮して見てます。

  4. うp乙です。
    トヨタグループの城下企業都市【刈谷】ですね。
    なにもない日は市街地エリアに人通りは少なく歩いても面白味も欠けますが、イベントが行われる時は、かなりの人で賑わいます。
    ただ、昔日の面影を感じる【刈谷市駅】と未来を感じる街並み【刈谷駅】を2つの街並みをコンセプトにやっていけば面白いのではないかと思います。
    この動画では紹介されていませんが、亀城公園の片隅には【豊田佐吉像】が鎮座しています。また訪れた時は是非ご覧下さい。

  5. ひかり号のダイヤ次第だけど三河安城で乗り換えより
    豊橋から新快速で来た方がラクかも。

  6. 愛知県中部(西三河)地区は、刈谷市を筆頭に、安城市や知立市などが元気なので今後の発展が楽しみですね。

  7. 20年前にトヨタの期間工に行った時に刈谷に寮があったので懐かしい。もっとも寮は刈谷市駅の方だった。刈谷駅北口にある鈴木屋という定食屋さんは、よく行きました。隣にパチ屋あったけど無くなったのね?並びに旅館を兼ねた定食屋あったけど在りますか?刈谷市駅にある愛三というパチ屋で映画観ました。客はオレとカップル3人(因みに見た映画はブラックホークダウン)。20年も経つと変わりますね。刈谷市駅周辺の寂れた感じは全く変わってない。

  8. 人口15万規模の町だけど、都会的。これだけ見ても愛知県と静岡県の格差を感じる。

  9. 刈谷はハイウェイオアシス刈谷までの無料のバスがあるからありがたい

  10. 40年前の刈谷市と比べると綺麗になりましたな。流石に法人税がガッポリ入る刈谷市だけあります。トヨタグループに感謝せいよ、刈谷市。

  11. JR東海 乗降者数ランキングで検索 人口15万人程度の地方都市なのですが、、

  12. 静岡県がらみでいうと、刈谷市に本社のある(株)豊田自動織機を作ったのは湖西市出身の豊田佐吉氏です。豊田自動織機の豊田は、昭和の頃は「トヨダ」と言っていましたが、いまは「トヨタ」のようです。なお、この会社の昭和初期の自動車部門が今のトヨタ自動車(株)です。また、刈谷市にはトヨタ紡織(株)の本社もありますが、創設者は豊田佐吉氏です。両社とも元々は紡織機製造会社です。

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