令和七年元旦 東京都あきる野市二宮神社

令和七年元旦 東京都あきる野市二宮神社

あきる野市 二宮神社

国常立尊 (くにとこたちのみこと)
歴史
創立年代は不詳。『和名抄』に記されている武蔵国多摩郡小川郷の鎮守であり「小河大明神」とも称された。
当社は武蔵国の二宮であったとされ、『神道集』『私案抄』にみられる「武州六大明神」の一角に数えられている。この六社のうち唯一、式内社ではない。現在も武蔵国総社・六所宮(現・大國魂神社)の一座に祀られているほか、周辺の地名は「二宮」と称されている。
古記録によると、藤原秀郷が生国の山王二十一社中の二宮を崇敬する縁故をもって特に当社を崇敬し、天慶の乱に際し戦勝祈願をこめ、乱平定の奉賽として社殿玉垣を造営した。
源頼朝、北条氏政も崇敬篤く、ことに北条氏照は滝山城主となって、同氏の祈願所とした。のち、神殿・神宮宅は罹災し、記録の大半が焼失した。
一方、鎌倉時代には当地付近に大石氏中興の祖とされる信重が城館を構え、5代にわたって居城としたとの記録がある。この「二宮城」の所在を探るため、昭和47年(1972年)に二宮神社境内の一角が発掘調査されたが、関係する資料を得ることはできず否定された。しかし、この発掘調査では、寺院に関係する小型の金銅製薬師如来像や中世の瓦が発見され、新たな謎を呼んでいる。特に、薬師如来像は小河大明神の御正体と推測されている。
天正19年(1591年)、徳川家康より朱印15石を受け、以後、代々継承されてきた。現在の本殿は、江戸時代に建立されたといわれる。
明治3年(1870年-1871年)、現社名に改称した。

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