【街道】明治期に実際あった?「桃源郷」!山の根の道をさんぽ。#12【散歩】
大阪府交野市をぶらりと散歩。
寝屋川から津田へ延びる道、「山の根の道」を散策します。
前回の続きで「とんど場地蔵」から北東方向に歩きます。
関西創価中学校・高等学校は、いわゆる中高一貫校です。
1973(昭和48)年に開校し、はじめの9年間は女子校でした。
敷地周辺は「高塚」という地域でした。
名前の由来は諸説あります。
55代天皇・文徳天皇の第一皇子、惟喬親王が来たためという説、鷹の首を埋めた場所という説。
このあたりにはぶどう畑があります。
この先にも、ずらりと畑や販売店が続いています。
6月から8月にかけては、ぶどうを求めて朝から多くの方でにぎわいます。
また、ぶどう畑だけではなくホップ畑もあります。
交野おりひめ大学が管理していて、夏に収穫が行われます。
ここを左に進めば私部共同墓地、右に進むと寺共同墓地と倉治墓地があります。
昔はここが3地区の境界であり、谷のわき水を取り合っていたそうです。
また、昔は田畑に不向きな地域で、そのため墓地として土地が活用されたと考えられています。
このあたりは明治なかごろまで官有地の松林でした。
その後、交野村のものになってからは桃畑として開墾されました。
しかし、台風や戦争中の人手不足により桃の収穫量は低下。
代わりにぶどう畑となったのは昭和24年ごろからです。
畑を抜けると神宮寺の集落。
ぶどうの販売店が点在します。
少し見落としやすいですが、この右手の電柱に「石仏の道」の案内があります。
その向かい側の足元には、2体の石仏があります。
「塞の神」と呼ばれるもので、神宮寺の村の入口に鎮座して悪魔の侵入を防ぐ神とされてきました。
少しでもありのままの交野を感じていただくために、あえて編集は施していません。
本当に散歩をしている気持ちで見ていただけると幸いです。
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