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廃線跡シリーズです。標津線本線の跡を巡ります。色々と残っていました。
22 Comments
廃止跡はまさに「夏草や兵どもが夢の跡」ですね
泉川駅は?
12:32 その目印動くからw
名寄本線を1992年に全区間廃線にしたことに驚き
当幌のそこは、よく警察が速度取締りしてて有名ですね
線路跡は映像の林を少し入った所にあった気がしましたが
標津線跡って、林に少し入った所にある場所が結構あるので
パッと見、分からないですよ
農家同士の敷地の境にあったりするので
別海の農家やってる友達の家の隣にも線路跡があって、地震の時に線路跡を脱走した牛達が走ってたと言ってましたね
標茶はまだ釧路方面からので使われてて、たまに標茶を抜けて直ぐの踏切のポールが下がってる時がありますね
標津線、こんなに残っている路線もここだけですよね。
そのあとどうなった編は地味にいいですねいろいろ残してるんですね
別海町地域おこし協力隊が上春別のホームに駅名標を設置したようです
私もいつまでも大切に地域の遺産を守りたいです
今夏、別海町内の某国有地に3週間近く閉じ込められていました…スマホ+Googleマップのお陰で町内の跡地や簡易軌道の保存について知ったので、尚更悔しかったです。Wikipediaを検索していたら、山田洋次監督の「家族」で、炭鉱の廃止により北海道へ移住する家族が最後に利用した路線が標津線と知りました
北海道内乗り継ぎの旅で訪れたことを思い出しました。滞在時間は短かたったです。この線の大きな駅は中標津、西春別、別海かな。
jr北海道カラーのJRマーク珍しい!本来は白なんやけど黄緑に塗り替えたんやね
泉川駅周辺の廃屋は日通の支店跡で撤退後は○○さんが倉庫として使っていたようです
駅舎や職員住宅などの関連施設は道路を通す為にきれいさっぱり撤去されています
標茶駅懐かしいです。まだSLが走っていた頃に夜、駅で野宿しましたが、当時の雰囲気が残ってますねー。その時は、駅員さんが駅舎の方は寒いからホームの待合室で寝ても良いよって言ってくれて助かりました。当時はすぐ横に機関区がありました。
懐かしい 根室標津駅
復活して欲しい
横から失礼いたします。各地に走っている C11207、C11227、C11113が走っていいましたよ。まだ国鉄時代に。
かつて根室標津から帯広まで繋がっていた標津線。十勝三股って駅名も知ってる。
なんか懐かしい。途中の橋脚なども見たかったなぁ。
廃駅跡、便所になりがち?
4:58の商店で切符売っていました。
既に他界した 父が別海町上春別出発ですが、計根別駅が近かったと聞いた事がありました。母が50年以上前に、札幌から滝川・帯広経由で釧路で乗り換えし、標茶で再度乗り換えし計根別まで行ったそうです。
厚床〜標茶の支線?の映像でもコメントしましたが、私は廃止の少し前になるのでしょうか、3月の雪が残るときに、往復しています。一面の雪景色で、駅の記憶はありませんが、終着の根室標津は覚えています。ここからバスで白鳥台へ行って、氷点下の寒い中、白鳥を見てきました。車で回れるようになってから、再び根室標津を訪れ、サーモン館で食事をしました。尾岱沼も行きました。別なときに中標津も宿泊したことがあり、ミルクロード、開陽台と回りました。しかし、駅跡はいずれのときも立ち寄ったことがなく、今回の映像はとても良かったです。駅によって、保存状態がまちまちで、西春別は見応えがありますね。線路跡は道内の他の線と同じく、発見は難しいもので、長い時の流れを感じます。自然と一体となったところが多く、徐々に鉄道があったことが忘れ去られてしまうのでしょうね。