錦織神社秋祭り屋台(焼きそば)

錦織神社秋祭り屋台(焼きそば)

2024年10月12日
2024年10月12日 大阪府の神社
大阪府富田林市宮甲田町にある神社。旧社格は郷社。地元では錦織を「にしこり」「にしこおり」「にしごり」等と呼んでいる。当社は建水分神社(上水分社、千早赤阪村)、美具久留御魂神社(下水分社、富田林市)とともに「河内国の三水分(みくまり)社」と呼ばれている。
当社のある地域は、太古は「錦部(にしごり)部」と呼ばれていたようで、織物の技術を持つ人々が百済より渡来し住みついていた場所とされている。当社はそもそもの名称を水郡(にごり)神社といい、錦部部(錦部氏)の氏神であった。
創建年代は不明であるが、1935年(昭和10年)の本殿修理の際に地中から平安時代中期の丸瓦・平瓦が発見され、その頃かそれ以前に創建されたと推定されている[1]。また、爾吾利天王(にごりてんのう)、水郡天王宮とも呼ばれていた。平安時代には神宮寺として金輪寺が建立され、神仏習合が行われていた。
当社は大和川支流である石川の谷に位置することから、千早赤阪村の建水分神社や富田林市宮町にある美具久留御魂神社とともに、古くから河内国の三水分(みくまり)社として広く信仰を集めていた。
重要文化財である本殿は、正平18年(1363年)に三善貞行によって再建されたものである。
明治時代になると神仏分離、廃仏毀釈が行われて神宮寺の金輪寺が廃寺となった。

1872年(明治5年)に郷社に列せられている。1907年(明治40年)に神饌幣帛料供進社に指定された際に錦織神社に改称している。

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