【廃線跡】羽幌線で過疎化が著しい地域へ。羽幌線 後編(遠別~幌延)廃線跡、駅跡巡り
2023年7月と2024年7月に1987年に廃線になった北海道の羽幌線(留萌~幌延)の駅跡を巡ってきました。羽幌線は日本海側から最北を目指す路線でした。冬場は暴風雪でバス停が吹っ飛ぶこともある、過酷な環境の中を走っていた羽幌線。そんな過酷な環境ゆえ駅跡はほとんど残っていませんが、わずかな痕跡を求め巡ってきました。長大路線のため駅数も多かったので、前中後編の3回に分けてお届けいたします。後編の今回は遠別~幌延です。廃線時の全駅跡収録(仮乗降場を含む)。廃線から37年、羽幌線の駅跡たちはどうなっているのでしょうか。
動画で使用している過去の航空写真はこちらで閲覧できます。
国土地理院HP:https://www.gsi.go.jp/top.html
羽幌線 前編(留萌~苫前)の動画は↓
羽幌線 中編(苫前~羽幌~遠別)の動画は↓
39 Comments
羽幌線シリーズ、お疲れ様です。
あれから、37年。 今の JRになる直前の廃止でしたね。
国鉄チック な駅舎も列車も少なくなって、何か寂しいです。 😥
ついさっき、奥羽本線の大沢駅が冬季休業するなんて聞きましたけど何か雪が酷い所ばかり不便になっていきますね😅
幌延駅手前まで廃線跡がバイパス道路化…。
旧・羽幌線は、既に駅舎が解体され、後に残されたのは、ソーラーシステムだけに、なってしまいました〜このコメントに対する余りにも長すぎる返信等は、お受け出来ません、オッフ〜🐻
街が消えたら、太陽光パネルが生まれる。おっふですねぇ。
よっ!本家手塩!www
今や『手塩』言うと天塩中川?
特急列車でも精々乗り降りは
1人2人程度(泣)
あと、◯◯口(くち・ぐち)!
な!w
榊原温泉『口』駅www
徒歩50分???
『口』って何処まで
名乗れるんやろね?w
農地が残っとる?
と言うか、森林化ぢゃね?
おっふ・・・🐻
1977年の時点で閑散としていた所がほとんどですね…。
仮乗降場だった所はまだしも、正式な駅だった所でもあんな状況とは…。
ひろりんさんへ
今晩は。羽幌線の跡を回られた後編の動画を全編通して拝見しました。遠別の小学校の跡に干拓などの駅名標や除雪用車両が保存も更岸では原野になり幌延駅に近付くにつれて無住や数多なソーラーパネルの設置から私は過疎の深刻さを垣間見た気がしました。幌延駅が属する宗谷本線も存続が危ぶまれましょうね。あなたが作られたこの有意義な一本は地方交通の在り方を考えさせられました。ひろりんさんも寒さや健康に注意し過ごされますよう祈ります。
2024.11.17
ひろりんさん、お晩です😊
元から人口希薄な地域の路線だったこともあって、羽幌線現役当時のエピソードを語れる地元の方は少なそうな雰囲気ですね・・😌
オロローーン🕊️🕊️
電車から海が見られたりしたんですかね…🌊
この路線も乗ってみたかったなぁ…😟
こんばんは〜今年 抜海等の為 行きました なんか 列車で通るより 車でいくと 早いけど 見落としが 多いのが オロロンライン。
丸松の委託販売所は無人化(自販機のみの営業)されてもまだ一応は残っているのですね😮
付近の旧国道が廃道になっているのも気になります🚧
家族で夕張から帰る1年前に乗車しましたね〜確か急行羽幌🚆
1982年夏だった気がします。なんとなく記憶があります。
現在52歳👶
幌延駅~天塩駅間の途中駅は当時でも設置する必要があるのかレベルですな。
23:37 で幌延駅での宗谷本線との合流の形を紹介してくださってますが、なんでUターンする様な形で合流していたんでしょうね?
当該路線を敷設した際に市街地がネックになった…ってわけでもないでしょうにねぇ?
こんばんは。たまに見に来ています。幌延駅の転車台と車庫が在った辺りの広場に道路からの入り口があると思いますが「留萌機関区~」の木製看板が風雪の為かかなりの角度で傾いてきていまして・・・もうひっくり返っているかもです。
ひろりんさん❕新千歳発稚内行と利尻行の🛬は羽幌線の遺構沿った航路ですね❕❓因みに、丘珠発利尻行(HAC)は不明です😂
やはり稲作の北限である遠別町より北は一気に人口が減りますよね
今まで紹介された路線の中でも一二を争う閑散とした風景ですが、昭和中後期にはもう
過疎が始まっているので、兎に角水田を拡げる時代だった昭和ですらこの地帯はかなり
発展が厳しかったのだと思います
しかし、オホーツク海側と比べてオロロンラインの日本海側は本当に荒涼としていますね
厳しい寒さと潮風にやられては遺構が残らないのは仕方ないとはいえ本当に寂寞としてます
幌延ってこんなに街だっけってなるくらい何にもないですね…
もう留萌ー羽幌までで名羽線出良かったんじゃ…w
まあ名羽線もなくなったでしょうけども…
今や秘境駅を観光化する幌延町
その観光用秘境駅が廃止になると
集客要素は何に変わるんでしょうか
僕の母の実家が遠別でした。
僕が小さい頃に国鉄羽幌線がなくなったので鉄道跡の今どうなってるのか気になりました。
昭和から僻地でしたが沿線の過疎化に拍車がかかってましたね。
母から
ニシンなど海産物が大量に採れた。数の子がおやつ代わり。
羽幌町炭鉱があり母の実家とは比べ物にならないほど裕福な地域だった。
そういうエピソード聞きました。
今後更に人口減少するでしょうね。
…北海道の廃線跡、ほぼ99.99%、原野と廃墟…(涙)
前から気になってるんですけど「西崎さいき様」って一体どんだけ過去の北海道の駅の写真お持ちなんですか
こんばんわ。
初めまして…
おふー、楽しみにしてました♪
先ほど北海道から帰ってきました。毎年妻の生まれ故郷の尺別炭鉱の新尺別駅跡に行きました。駅付近に給水タンクの支柱が残っており、初めて見ました。尺別の信号場の前の郵便ポストはまだありました。通りがかりの業者に聞いたらもうここにはだれも住んでいないといわれましたね。 小さな町の資料館などを訪ねていますが、誰もお客はいないです。いずれ廃止になるような、、、今後も動画をお待ちしております。
いやぁ、ここまで永かったですね。
羽幌線は海沿いを走る路線というイメージでしたが、ここまで来れば海から離れ、付近に山もないので見渡す限りの草地ばかり。
しかも街の中心地を除けば、どこもかしこもそんな風景で、正直見ていて単調な気分になります😑
そしてそこからさらに北へ進めば、広大なサロベツ原野へと続くわけですね。
まるで日本じゃないみたいな光景です。
ラストの幌延駅手前の急カーブ、なかなかえげつないですね。
右側遠くに幌延の市街地が見えてきた後で右に大きく曲がる際の車窓の変化が容易に想像できます。
今シリーズを通して、遺構がとても少ないという印象を受けましたが、そこに少なくとも数十年は確かに存在した、その証である数少ない羽幌線の鉄道遺産はいつまでも大切に残してほしいと願うばかりです😌
長期にわたる取材誠にお疲れ様でした。
upしてくれてありがとう😉
Sugoooooooii
線路はもはや「無かったもの」みたいな扱いを受け、車も走らぬ道路のみが肥え太る。
鉄道経営の厳しさを通り越して、交通行政の歪みみたいなものまで垣間見えてしまいました😕
期待どおり幌延と天塩以外はオッフでしたね。
世田谷区の経堂の美味しいフランスパン屋さんの店先に、天塩産Opera、という小麦粉の袋が置いてありました。
人々が去り、駅が無くなっても、近隣の農家の方々が高品質の小麦を育ててくれてて、感謝です。
後編お疲れ様です
ホントにオッフでした
遠別町立郷土資料館の除雪用モーターカーの安堵感がありますよね
街も人も消えた。何もなかったごとくに。
駅の周辺や線路跡は、廃止後植林とかしなければ寂しい原野になるので悲しいですね。
北海道でも人口希薄な地域、宗谷留萌地区を走っていた羽幌線😌今思うと鉄道が施設されていたのが奇跡の様ですよね😲
ひろりんさんの動画は現役時代と今の現状の対比が絶妙で、毎回寂寥感を噛み締めながら観ています😃いつも丁寧でノスタルジックな動画をありがとうございます🙇
駅が無くなれば周辺も寂れる方程式は何とも侘しいねえ
まあでも当時線路を敷き設工事に従事した方々は
廃線の運命が訪れるとは想像だにしなかっただろうな
途中の風雪が強い地域は、植生も変化しているのが興味深いですね…
環境の為と称して、巨大風車や巨大板切れが立ち並ぶ姿は皮肉ですね…
正味のところ羽幌から北方面は、利用機会が極端に少なかったと記憶しています。
作返仮乗降場は道路になったのですねぇ、荒野になっているよりは良いかな?
三部作の後編、お疲れさまでした。
このエリアは昭和の時代から人口希薄で、私が乗車した1980年でも既に寂寞とした景色が続いていました。
殆ど遺構がないのも寂しいですが、気候も厳しいので仕方ないのかもしれません。
終点の幌延駅も周辺駅が廃止となっていく状況ですし、厳しいものがあります。
「天塩」の地名に遠い記憶が残っていました。調べてみたら、天塩川は日本で4番目に長い川なのですね。多分、小学生の時に長い順に憶えたのでしょう。訪ねてみたいですね。