【被災運休路線】2027年春に廃止を目途に協議中。津軽線(蟹田~三厩)被災運休区間の駅巡り
2024年10月に青森県の津軽線(青森~三厩)を巡ってきました。津軽線の蟹田駅から三厩駅は2022年の豪雨災害で被災して、現在も運休しています。既にこの区間の復旧は断念しており、つい先日には2027年春を目途に廃線の手続きを行っているとの報道がありました。被災から2年以上も放置され線路は荒れるに任せた状態でしたが、駅は意外にも綺麗な状態を保っている所が多かったです。今回は被災運休区間でもあり、廃線が決まった津軽線の蟹田駅から三厩駅の各駅を巡ります。
動画で使用している過去の航空写真はこちらで閲覧できます。
国土地理院HP:https://www.gsi.go.jp/top.html
49 Comments
かつて、連絡船から遠巻きに眺めるだけだった最果てのローカル線、哀愁が有りますね…
駅舎周辺は手入れが行き届き、人の往来や賑わいとは無縁の地ですが、静かな人々の暮らし向きが伝わってくる様です。津軽線の今を伝えて頂き、有り難うございます。
お疲れ様です、2027年を目処に、廃止😢駅が立派なのに、悲しいですね😢このコメントに対する余りにも長すぎる返信等は、お受け出来ません、オッフ〜🐻
廃止が2年半後ということは、それまで列車の運行はあるんでしょうかね?
被災した線路は修復できたんでしょうか?
そこのところがちょっと引っかかります🤔
あと2年後廃止後の蟹田駅の駅名標には中小国の駅名は消えて終着駅と同じになりますね。線路は北海道方面には繋がっているのに、旅客上は終着駅。何か不思議な感じがしますね。JR北海道と東日本の境界駅も蟹田駅に変わってしまうんでしょう。新中小国信号場の津軽線赤信号が切なく感じます。
今でも三厩に行けなかったのは心残り・・・。蟹田から先は本数が少なくてスケジュール的に無理だったんですよー。行ける時に無理してでも行く、教訓です。あー、行きたかったなー
快速海峡と青いはつかりの思い出が蘇ります。懐かしい
少子化やししゃあない
今蟹田でも9往復しか列車来ないんですね…
位置関係の問題があるとは言え、特急を失うと厳しいよなあ…
1999年頃の中小国駅を取材した本を持っていますが、当時から通過列車は数多くあれど駅自体は荒涼とした雰囲気の、でも何故か分岐駅で(実際は新中小国が駅になる計画もあったが頓挫)って不思議な駅だと紹介されていました
当時はそんな物寂しい駅でも、北海道への大動脈を運賃計算上分離する重要な結節点として、どことなくロマンが持てる駅だと思っていましたが、実際に止まる列車が1本も無くなってしまうと、別の気持ちがこみ上げてきます
正直、稚内駅から宗谷岬へ行くより
三厩駅から竜飛岬へ行ったときのほうが、遥かに最果て感がありました。
なんか、いいとこ取りして食えないところは災害を口実に切り捨てました…みたいな印象です😗
現役の時に行っておけばよかったなあ。三厩駅の先に青函トンネル関連の施設もあるみたいで、鉄道利用で行ってみたかったです😞
大畑線の動画を思いだしました…。
輸送人員考えたら第3セクター化は夢物語ですね。しかし第2青函トンネル着工の際は工事列車の為に線路敷き直すのかな?
農地が全くなくなっているのが、恐怖ですね。
地場産業が失われた事を示しており、10年くらいで廃線どころか無住地になりそうですね。
10月の3連休に青森に行った時、道の駅のスタンプを集めるために奥津軽いまべつ駅に行ったけども動画に出てた通り草がもじゃもじゃになっていて、完全にやる気0なんだなというのを感じた🤔
そもそもが人間がいないし空気運んでるのと同じだから、ある意味これでは仕方ないのかもしれないと思った
あと踏切等も知らない間にマニアに盗まれたりしそうなきもしました
もはや被災した路線はそのまま廃線になるのが世の流れみたいになってますね😢
復旧した名松線は奇跡的だったのか…
ひろりんさん❕待ちに待った動画です。ありがとう御座います🙇この路線は大湊線とセットで乗車する予定でした🛤️。未だに悔しいです❕
子供時代は蟹田と大川平に住んでいたよ
特に大川平では豪雪の冬はスキーで盛夏は大川で泳ぎ駅近くの神社ではチャンバラ遊びに興じてたわ
当時の駅は花壇と砂利で敷き詰められ今より高台の様な感じだったけどまあ子供の目だからね
因みに今別へは歩いて20分ほどで子供は閑静な砂利道を大人は線路をよく歩いてたわ
まあ色々楽しかった思い出が蘇るけど元々採算が取れない路線でも廃線はほんと残念無念に尽きるわな
蟹田~三厩はまだ廃線になってないのに、廃止路線の雰囲気が漂いますね。
なんと!奥津軽いまべつ駅の入場券買ったんですね(笑)
津軽二股駅の線路はだいぶ荒れてますね。
自分が奥津軽いまべつ駅に行ったのは12月、雪に埋もれていたので全くわかりませんでした。
まあ、ホームまでの階段も雪で埋もれてましたが…
それにしてもそれぞれの駅周りにそれなりに街があるのにこんなに鉄道が使われないとは、地元民が車に依存し、鉄道を捨てたかがわかりますね…
次にこうなるのはおそらく米坂線と山田線ですね。
津軽二股までは頑張れば出来そうなのに‥復活はともかく西からキハ40を仕入れて展示してほしい
新幹線木古内駅もこんな感じのホームでした。
前ヨンマル引退ギリギリに乗ったのが懐かしい
被災したら廃線って、よく考えましたね。しかし並行在来線とかで廃止にしなかっただけマシなのかもしれません。救いなのは、新幹線の駅ときれいに駅舎を整備している地元の方々ですね。
地元自治体の議員さんは「JRは廃止ありきでしか説明しなかった。復旧して運行し採算がどうしても厳しいというなら理解できるが」「BRT(宮城)の視察に行ったが、あれは降雪がなく温暖な地域でなければ無理な話。線路を撤去しアスファルトを一度敷けば良い訳ではない。融雪剤とショベルローダーの重量で傷むので維持費が線路よりかかり大変だと言っていたよ」とのこと。今後はオンデマンドタクシーか乗り合いタクシーが現実的かも知れません。
三厩駅は太宰治の『津軽』の中で「ここは本州の極地である。この部落を過ぎて路はない…」と記された竜飛岬への最寄り駅(といっても岬までは結構距離がありますけどね)ですね。
宗谷岬や襟裳岬にしてもすぐ近く迄は鉄道が敷設されなかったのは、まとまった集落がなくて普段の旅客需要が望めなかったからでしょうから、仕方なかったんでしょうねぇ?
まあ一言で言えば「時代の流れ」ですね、その通りです。
少子高齢化による地方の過疎化で利用者数が減少し
毎年5~7億円の赤字路線を6億円もかけて
復旧するなんて馬鹿げた話です。
「観光業に差し障る」「帰省する際に不便だ」
「通院が不便になる」「通学が大変になる」等々
具体的な数字を示す訳でもなく金も出さずに口しか出さない
沿線自治体にも呆れるしかありません。
運休中にJR東日本はバスで代替輸送を行い「冬季間は峠(県道14号)を越えるのに不安がある」なんて
自治体の声があったものの無事故という形で安全性を証明した上にバス輸送を本格化するために
施設整備や当面の運行経費として30~40億円という破格の支援を表明しました。
ちなみにこのバス輸送ですら年間に3億6600万円の赤字です、にも拘らず
今別町町長は「それだけ投資するのであれば、津軽線を復旧できるのではないか」等と言う
赤字無視の寝言を仰っております。(ある意味尊敬に値しますね)
仕事で津軽半島へ何度も行っている青森県民として
沿線自治体の態度に腹が立つのと同時に
JR東日本は神か仏かと言う思いもあり
長々と書き込んでしまいました、ご容赦下さい。
本州最果ての地… それでなくても寂寥感がある場所柄ですが、災害後は列車が来なくなり、今後の廃線予定が定まり、ますます寂しくなりますね。
三厩駅は終着駅らしい佇まいで好きです。
蟹田以北の経営がJR北海道ですからねえ。これが東日本ならワンチャン復旧してくれたんですが。
遠征お疲れ様でした。
荒涼としたものを感じますが、手入れがされた駅舎を見るとホッとします。ありがたいことです。
赤さびた線路と茂った草は終わりが来ることを物語っているように感じます。
蛇足ですが信号付きではない踏切の場合は列車が通過しない事が分かっていても、踏切が撤去されるまで車両には一時停止と安全確認の義務があるそうです。
現状のレポお疲れ様でした。
てっきり2025年春に廃止かと思ってましたが、JR北さんと残存区間の調整があるのでしょうね。
昭和が終わる頃青森住まいでしたが、津軽線末端は乗らず終いでした。
市内から龍飛岬までクルマやバイクで2時間チョイだし、時間に束縛される交通機関は使わなくなっちゃうんですよ。
現在はどうだかわかりませんが深夜ドライブした時には、平舘〜今別の集落に青森市内某教習所の送迎ワゴン車が置いてあり驚いた記憶があります。
そこへ向かうにもいつの間にか新しいバイパスができたり、今別付近も新しい道がぶち抜かれています。
三厩村(と呼びたい)は駅周辺の農地が無くなったのなら、海沿いのいくつかの港で細々と漁業と観光だけで繋いでいくのでしょうね。
龍飛灯台に至るには漁港沿いの洞門だらけのバス道と、三厩駅前から伸びた青函トンネル工事道路転用の高い所を通る道があります。
ワタシはそれぞれを下道・上の道と勝手に呼んでいました。
津軽線も必要な路線なのに。ひどい。
どの駅も一応現役の駅なのにすでに廃駅の様相を呈していますね…
廃線になった場合JR東日本とJR北海道の境界をどうするのかが気になりました。
地方交通線は、赤字を抱えている路線が多く、災害で不通になると、例え復旧出来ても赤字が更に増えるだけ。その為、三セク化やバス転換になるか、最悪の場合には廃止になる運命。いつか、寒い季節を避けて乗りに行くか。
18きっぷの北海道新幹線オプション券も、指定の乗降駅が奥津軽いまべつ駅から新青森駅になり、この区間の廃止へ向けて着々と準備が進んでいるようですね。
蟹田~新中小国の在来線に乗りたければ、四季島の北海道往復ツアーに乗るしかなさそうです。超ローカル線とは別の意味で、乗車困難な区間になってしまいました。
今青森蟹田間を運行する旅客列車は電車ですが、GV-E400系気動車でいいと思いますね。9往復しかないし。ただし架線は北海道と首都圏を結ぶ大動脈なので貨物列車用で残すべき。
お疲れ様です。
米坂線も現在、今泉駅~坂町駅間も2022年8月の記録的な大雨で橋梁崩落や線路流出があるため復旧の見通しはまだたっていません。復旧金額が86億円で工事期間が5年でJR単独での復旧は難しいそうです…
2年も列車が来ないとなると線路は錆、草が生い茂って駄目なりますね。
できれば鉄路で戻って欲しいですね。
2年以上運休していますが、駅舎は綺麗に保たれているんですね。地元の方々が復旧の日を待ちながら清掃していたのでしょうか。
おそらくこの沿線も過疎化が進んでいるでしょうから廃線も仕方ないことですが、その方々の思いを想像すると寂しいですね。
奥津軽いまべつ駅は新幹線開業から8年以上経っているのに、一向に周辺は開発されませんね。
停車本数も津軽線の非電化区間よりは多いとは言え、蟹田駅よりも少ないとは…。ただ、そういう駅こそ、むしろ行ってみたくなります。
残念だけど…無理だったと思う。まあ蟹田とか行くとき乗っていた人はそこそこいたとは思うが、奥羽本線や五能線が復旧出来たのは前者が貨物列車や特急列車の他に秋田や青森といった大きい街を結んでること、後者は世界遺産レベルの観光地白神山地を抱えていることだったと見ている。
代替えとして竜飛海底駅を普通の駅に昇格したらいいのでは
被災路線そのまま廃線ってこの流れ何とかならないのでしょうかね。久大本線みたいに観光路線は、さっさと復旧させるのにね。儲からない路線は、廃線になるってなんか寂しいですね。
/"(  ̄△ ̄)"\ノ路線が廃止されると代行のバスやタクシーもなくなってしまうのかね。何としてでも休止駅にできる限り立ち寄りつつ青函トンネル記念館と竜飛崎灯台などに行っておきたいところ。
それとも現実は車がないと厳しいかね。
津軽線のディーゼルカーを中小国で降り、蟹田まで歩いたことがあります。海峡線に属する両海底駅や知内駅を含め、全駅乗降した瞬間でした。
キハ40時代の平日に乗った時は自分含めほぼマニアかつ蟹田以北で地元の利用者と思しき人はご夫婦1組。それでも2両に10人以下だったから、正直先は長くないなとは思っていた
高校卒業記念として全線走破したのが最初で最後でした。久しぶりの竜飛崎や奥津軽いまべつ駅を訪問したり車内で18きっぱーと思われるおじさんと話したりなど充実した旅でしたが、まさか被災して廃止に至ってしまうとは… 欲を言えばキハ40時代に走破すればよかったなと一生の後悔です。しかも岩泉線や根室本線の富良野〜新得間、日高本線の鵡川〜様似間に次いで4例目の復旧なし→廃止となった他GV-E400による津軽線末端区間の運用は短命でしたね。それと未だに復旧されていない米坂線はどうなるのでしょうか。
やはり国鉄の分割民営化は誤りでした。国民の移動権を保障する国民鉄道としての国鉄にするしかないですね。民主連合政府の明るい日本を築くしかないです。
こんばんは初コメントです😊私は昔鉄道関係の仕事をしていたのでこんな廃線になる映像を見ていると寂しい気持ちになります😢残念ですね~!残して欲しいけどねー
青函トンネルの犠牲路線になるのは寂しいです
豪雨災害で日高本線の鵡川~様似間の廃線みたいな感じがしてしまうのは私だけでしょうか
「竜飛岬への観光の足として必要!」とか言ってる人達がいますが
観光客は青森から直接バスで行くのでは…
(青森→蟹田→三厩、更に結局バスが必要なルートをとる奇特な人が何人いることやら)