1560年(永禄3年)桶狭間の戦いで織田信長は清洲城から出陣 信長は天下統一への一歩をここから踏み出しました

1560年(永禄3年)桶狭間の戦いで織田信長は清洲城から出陣 信長は天下統一への一歩をここから踏み出しました

(岐阜県 海津市・愛知県 清須市)道の駅 月見の里・南濃・清洲城
本能寺の変後 城主は織田家から豊臣秀次(関白) 福島正則
と移り天下分け目の関ヶ原の戦いでは 東軍の最前線の城として
重要な軍事拠点となります 関ヶ原以後 城の主は松平忠吉
(家康四男) 徳川義直(家康九男)と変遷しますが
この頃の清洲城下は 人口6万人を数える賑わいを見せ 朝鮮
通信使の記録にも「関東の巨鎮」と称され また 清洲城は
「天下の名城」と讃えられました 慶長15年(1610年)徳川家康は
清洲城廃城と名古屋城築城を命じ 町の建物 町の機能全てが
移転する「清須越」が行われました

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    と 「甘茶の音楽工房」  を使用しています

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