北海道 2024-09-28 誰も触れないXXXの痕跡/直別共栄線/厚内トンネル 誰も触れないXXXの痕跡/直別共栄線/厚内トンネル 今回は道道1038号直別共栄線を走ります。 ついでに旧道探索もしたらいいもの見っけました。 X(旧ツイッター) See more BGM、効果音素材 DOVA-SYNDROME 様 https://dova-s.jp/ PANICPUMPKIN 様 http://pansound.com/panicpumpkin/ MusMus 様 https://musmus.main.jp/ 甘茶の音楽工房 様 https://amachamusic.chagasi.com/ 乙部町北海道北海道ツアー北海道観光厚内浦幌 40 Comments @くるみらくる 12か月 ago 目の付け所w @和之米坂 12か月 ago 30年くらい前道東住みでした。あえて38号を通らずにこっちを通ることもありました。昆布刈石展望台からの景色が好きでした。ロラン局?だったかの大きなアンテナがあったのを覚えてます。 @furusoma 12か月 ago ここの窓岩はちょっと調べたくらいではどんな感じだったのかよくわかりませんね、あまり崩れるような位置では無いようにも見えますが、海側に伸びてたのかな?調べていると釧路の興津海岸の方の窓岩が出てきちゃって、その写真を見てしまう。 @温度体感 12か月 ago 地形がそれ程急峻ではないのに、道が大きく迂回している変わった場所ですね…。 @Rally_J3R 12か月 ago 動画中2分30秒程の所で紹介されている根室本線ですが、石勝線経由で列車が走っているため富良野新得間廃線の影響は無いと思われます。ただし石勝線も今後どうなるのか分かりませんので先行き明るい状況では無いようです。今回の路線の途中昆布刈から左折する国道336号ですが、十勝河橋までの区間が奇麗に改修されてます。海岸線区間から望む太平洋の眺望は見事ですので、機会が有りましたら一度お立ち寄りください。 @uniuni6223 12か月 ago おもしろいですよねぇ、、こちらのチャンネルは。イメージ力が在る人向けなのでしょうけど、日本人はイメージ力持ってる人多いっすからね、小説、マンガ、アニメが世界一盛んなので、イメージ力は世界一なのは確実ですし。海外だと大昔とか大戦時とか、なんかイベントとか大いにそそる理由なけりゃ海外の人々は気にしないみたいですが、こちらのチャンネル登録6.5万。やっぱにっぽんだわww。明治大正昭和、日本は激動の時代。世界でもここまで一挙にってのは珍しいくらいでしょう。その遺構を見て無意識にその時代に思いを馳せてるのでしょう我々は。まぁ、ここまで探索できる方、他に居ないっすけどw。 何よりセンスが重要だからねー。いつも良い動画ありがとうございます!! @ザッハトルテ-y7w 12か月 ago 6年前のドラレコの映像を見返して感慨に浸りました。釧路から、襟裳岬へ抜ける時に利用しました。トンネルの脇はあのような光景が広がっていたのですね。ありがとうございました。 @DoraReco_20XX 12か月 ago 高評価(定期) @77CB400FOUR 12か月 ago 1995年(だったかな)頃、旧厚内トンネルと霧止峠旧道を通りましたが、旧厚内トンネルの記憶が一切無くなってしまって・・・霧止峠旧道はダートだった記憶峠まで霧が掛かっていましたが峠を過ぎ十勝側に入った途端、霧が晴れて名の通りの峠でした @3小柳 12か月 ago 日高や十勝の海岸線って浸食で戦時トーチカとか転がってる位ですし、これは良く残ってましたね汗 @浩二塚田-z6h 12か月 ago 昔はトラックでは厳しいと言われてたから近付きませんでしたが新しい道路が開通してから5回位通ってます😃✌️冬ならたまに丹頂鶴が見れます👍結構気に入ってる道路の1つです😃✌️ @marestin 12か月 ago 3:35 ヘッドホンで聴いてたら波の音が良すぎ @さんちゃん-d7f 12か月 ago ゾヌさん、風邪引いた?喉風邪気をつけて下さい❗ @ololonline 12か月 ago この道路は釧路への往復で利用しています。海岸がきれいですよね。来年夏、またツーリングで通ると思います。 @北海北斗 12か月 ago 厚内市街地の旧道も一部走行されたんですね。現道は数年前に開通しています。旧トンネルは数回走行しています。対向車の有無を確認して通過していました。 @明弘人見 12か月 ago 窓岩のことです。1990年発行の浦幌町郷土博物館報告に「竜神神社」と掲載されていました。1983年に私が撮影したモノクロ写真を拡大したところ、四角く穿たれた洞の中に「竜神大神」の紙札を囲った祠が祀っており、木製の鳥居もありました。2001年の写真では、祠は無くなり洞に中にはカップ酒が一つ、鳥居も朽ちてしまい残骸の木柱が一本に変わっていました。同時期に撮影した本別町の幽仙境の写真には、「大山神社」と書かれた木柱が映っていました。ゾヌさんの探求心と調査力、そして体力には毎回感服しております。私は、最近急に体力と気力が衰えたのと熊に出没に危険を感じ、外出を控える日々です。廃道探索の際には、住居跡等だけでなく信仰(私自身は無宗教ですが)の痕跡も探して頂ければ、より歴史の深堀に繋がると思います。(釧路市在住) @maxaniki 12か月 ago 厚内トンネルは学生時代にレンタカーで旧トンネルと新トンネルの双方を走ったのはいい思い出ですね。旧トンネルは本当に狭くて対向車が来ないか、サイドミラーを擦らないかビビり散らして通った覚えがあります。 因みに昭和52年まで霧止峠の共栄側には静内小学校がありました。 @adgjm1758 12か月 ago 冒頭に紹介されたドライブインたしかまだ人住んでるはずです @nioe8 12か月 ago 地理院地図で過去の空中写真から道筋が見えるのと岬突端で切れてる(隧道がある?)ように見えますね・・・ @ねずみ色の猫 12か月 ago 心がさっぱり、とは言い得て妙。快適な走行映像かと思いきや岬で旧旧道を探すとは、さすがです。 @92takechin 12か月 ago 冒頭のミッキーハウスさんに泊めて貰った事があります。昭和の末期、相部屋素泊まり確か2000円とかで、清潔な布団と風呂に入れました。優しそうなご主人の下、大学生かプのお兄さん、お姉さんが住み込みでバイトしてましたね。 当時の道内は、採算度外視でライダーチャリダーをお世話してくれる人や店が多かったんですよね。あの時の借りはまだ返しきれていないなと、ふと反省。 @kikennapassword 12か月 ago ゾヌさんの動画はドライブ映像としても見られるから、つい何度も観てしまうんですよね。北海道を出てから20年くらいまともに帰省していないので、最近の街の様子も伺えてありがたいです。 @inlet_intel 12か月 ago 心がさっぱりする…いい表現ですねなんかわかります @飛燕-f4y 12か月 ago 今回は道東なんですね、日帰りでも自分は見に行ける所ですので、機会があれば自分も見てみます 米軍の1947年の空中写真では、いまちわかりませんが1963/10/3整理番号MHO6313X空中写真ではゾヌさんが見たところから途切れていますが、旧旧道らしき石垣の続きがあり、岬に続いているように見えますね。 ORRの道路調査報告書様のHPで、現役の頃の厚内隧道の画像がありまして拝見しましたが、かなり狭いですね。 いや~色々考えると実に面白い、道東の取材ありがとうございます。 @evergreen9627 12か月 ago 「自根室至苫小牧道」と見るとすぐに堀淳一先生が思い浮かぶパブロフの犬w昆布刈石の沿線風景は秀逸で旧トンネル時代に走って以来、寂寥感ある風景が忘れられません。遠いけどまた行ってみたいですね。 @キジトラ40 12か月 ago 5:20厚内駅前の『山本商店』で売ってる鮭トバは安くて美味しいので本当にオススメです。浦幌の道の駅や、浦幌町内でも売っている所があるので見かけたら是非 @Nagoyaguide 12か月 ago こんにちは。この映像では、結構雪が残っていますが、だいたい何月頃の様子でしょうか?冬場の北海道にも行きたいと思っていますが、これくらいの残雪なら、そんなに不安が無いかと思いまして、お聞きしました。 @nairinnaitoro9599 12か月 ago 懐かしい(ΦωΦ)にゃー 旧厚内トンネル真っ暗で その辺りで工事してた(ΦωΦ)にゃー @タカユウ-u9o 12か月 ago 道道933号も取り上げてください。 @skzLeo 12か月 ago まさか厚内に旧道だけでなく旧旧道の存在を証明しうる遺構があったとは思いませんでした、これは大功績ですね @エイプリル-w9h 12か月 ago 阿寒方面に高速出来て、そっち方面行かなくなりましたね😅 @杉山達雄-h7n 12か月 ago 旧トンネル閉鎖されてたんですね、夜中トンネルを抜けると車体に手形が付いているなんて怪談話もあったんですけどねぇ。 @nathyxyb52 12か月 ago 海岸線から336号、夏行ったサイクリングコースでしたー。厚内トンネルが気になって、近づける方へ行ってみました。ただのコンクリ壁…閉塞の本気度… @南杜助 12か月 ago これだけ広大な北海道を舗装路が長々と続いていて、どうやって維持しているのでしょうか。という疑問をゾヌさんの動画をいつも見てて常々感じます。 @asahiyamakumasan999 12か月 ago 橋の幅が狭いと言う話がありましたが、かつて道路を工事する部局と橋を建設する部局があり、それぞれ幅員の基準が違っていたため橋の部分が狭いと言う話を聞いたような・・・間違っていたらすいません。昔いた建設会社の会長さんが言っていた記憶です。 @2222seron 12か月 ago 旧旧道の部分であろうところの海岸線の石ころ、もしや石垣の名残…? @トゥールビヨン-g9e 12か月 ago あの狭くて暗いトンネル、通れなくなってたのか… 冒頭のドライブイン、昔は軒数も多くて賑わっていた記憶があります。廃れた後でも寺島進の映画撮影に使われていました。 @jiroumaruS 12か月 ago 私の大好きな道路です。この海岸の一部で素晴らしい石が拾えるのです。今は工事によってその石たちに出会うことは難しくなってしまいました。それでも、大好きな道です。 @cf4ea456 12か月 ago 冒頭のミッキーハウスは泊まった事はないけど豚丼は何回か食べに行った事があります結構美味しくてご飯の量🍚が凄かったです🎉 @juto710 12か月 ago さすが北海道!道も4桁か! Write A Commentコメントを投稿するにはログインしてください。
@和之米坂 12か月 ago 30年くらい前道東住みでした。あえて38号を通らずにこっちを通ることもありました。昆布刈石展望台からの景色が好きでした。ロラン局?だったかの大きなアンテナがあったのを覚えてます。
@furusoma 12か月 ago ここの窓岩はちょっと調べたくらいではどんな感じだったのかよくわかりませんね、あまり崩れるような位置では無いようにも見えますが、海側に伸びてたのかな?調べていると釧路の興津海岸の方の窓岩が出てきちゃって、その写真を見てしまう。
@Rally_J3R 12か月 ago 動画中2分30秒程の所で紹介されている根室本線ですが、石勝線経由で列車が走っているため富良野新得間廃線の影響は無いと思われます。ただし石勝線も今後どうなるのか分かりませんので先行き明るい状況では無いようです。今回の路線の途中昆布刈から左折する国道336号ですが、十勝河橋までの区間が奇麗に改修されてます。海岸線区間から望む太平洋の眺望は見事ですので、機会が有りましたら一度お立ち寄りください。
@uniuni6223 12か月 ago おもしろいですよねぇ、、こちらのチャンネルは。イメージ力が在る人向けなのでしょうけど、日本人はイメージ力持ってる人多いっすからね、小説、マンガ、アニメが世界一盛んなので、イメージ力は世界一なのは確実ですし。海外だと大昔とか大戦時とか、なんかイベントとか大いにそそる理由なけりゃ海外の人々は気にしないみたいですが、こちらのチャンネル登録6.5万。やっぱにっぽんだわww。明治大正昭和、日本は激動の時代。世界でもここまで一挙にってのは珍しいくらいでしょう。その遺構を見て無意識にその時代に思いを馳せてるのでしょう我々は。まぁ、ここまで探索できる方、他に居ないっすけどw。 何よりセンスが重要だからねー。いつも良い動画ありがとうございます!!
@ザッハトルテ-y7w 12か月 ago 6年前のドラレコの映像を見返して感慨に浸りました。釧路から、襟裳岬へ抜ける時に利用しました。トンネルの脇はあのような光景が広がっていたのですね。ありがとうございました。
@77CB400FOUR 12か月 ago 1995年(だったかな)頃、旧厚内トンネルと霧止峠旧道を通りましたが、旧厚内トンネルの記憶が一切無くなってしまって・・・霧止峠旧道はダートだった記憶峠まで霧が掛かっていましたが峠を過ぎ十勝側に入った途端、霧が晴れて名の通りの峠でした
@浩二塚田-z6h 12か月 ago 昔はトラックでは厳しいと言われてたから近付きませんでしたが新しい道路が開通してから5回位通ってます😃✌️冬ならたまに丹頂鶴が見れます👍結構気に入ってる道路の1つです😃✌️
@明弘人見 12か月 ago 窓岩のことです。1990年発行の浦幌町郷土博物館報告に「竜神神社」と掲載されていました。1983年に私が撮影したモノクロ写真を拡大したところ、四角く穿たれた洞の中に「竜神大神」の紙札を囲った祠が祀っており、木製の鳥居もありました。2001年の写真では、祠は無くなり洞に中にはカップ酒が一つ、鳥居も朽ちてしまい残骸の木柱が一本に変わっていました。同時期に撮影した本別町の幽仙境の写真には、「大山神社」と書かれた木柱が映っていました。ゾヌさんの探求心と調査力、そして体力には毎回感服しております。私は、最近急に体力と気力が衰えたのと熊に出没に危険を感じ、外出を控える日々です。廃道探索の際には、住居跡等だけでなく信仰(私自身は無宗教ですが)の痕跡も探して頂ければ、より歴史の深堀に繋がると思います。(釧路市在住)
@maxaniki 12か月 ago 厚内トンネルは学生時代にレンタカーで旧トンネルと新トンネルの双方を走ったのはいい思い出ですね。旧トンネルは本当に狭くて対向車が来ないか、サイドミラーを擦らないかビビり散らして通った覚えがあります。 因みに昭和52年まで霧止峠の共栄側には静内小学校がありました。
@92takechin 12か月 ago 冒頭のミッキーハウスさんに泊めて貰った事があります。昭和の末期、相部屋素泊まり確か2000円とかで、清潔な布団と風呂に入れました。優しそうなご主人の下、大学生かプのお兄さん、お姉さんが住み込みでバイトしてましたね。 当時の道内は、採算度外視でライダーチャリダーをお世話してくれる人や店が多かったんですよね。あの時の借りはまだ返しきれていないなと、ふと反省。
@kikennapassword 12か月 ago ゾヌさんの動画はドライブ映像としても見られるから、つい何度も観てしまうんですよね。北海道を出てから20年くらいまともに帰省していないので、最近の街の様子も伺えてありがたいです。
@飛燕-f4y 12か月 ago 今回は道東なんですね、日帰りでも自分は見に行ける所ですので、機会があれば自分も見てみます 米軍の1947年の空中写真では、いまちわかりませんが1963/10/3整理番号MHO6313X空中写真ではゾヌさんが見たところから途切れていますが、旧旧道らしき石垣の続きがあり、岬に続いているように見えますね。 ORRの道路調査報告書様のHPで、現役の頃の厚内隧道の画像がありまして拝見しましたが、かなり狭いですね。 いや~色々考えると実に面白い、道東の取材ありがとうございます。
@evergreen9627 12か月 ago 「自根室至苫小牧道」と見るとすぐに堀淳一先生が思い浮かぶパブロフの犬w昆布刈石の沿線風景は秀逸で旧トンネル時代に走って以来、寂寥感ある風景が忘れられません。遠いけどまた行ってみたいですね。
@Nagoyaguide 12か月 ago こんにちは。この映像では、結構雪が残っていますが、だいたい何月頃の様子でしょうか?冬場の北海道にも行きたいと思っていますが、これくらいの残雪なら、そんなに不安が無いかと思いまして、お聞きしました。
@asahiyamakumasan999 12か月 ago 橋の幅が狭いと言う話がありましたが、かつて道路を工事する部局と橋を建設する部局があり、それぞれ幅員の基準が違っていたため橋の部分が狭いと言う話を聞いたような・・・間違っていたらすいません。昔いた建設会社の会長さんが言っていた記憶です。
@トゥールビヨン-g9e 12か月 ago あの狭くて暗いトンネル、通れなくなってたのか… 冒頭のドライブイン、昔は軒数も多くて賑わっていた記憶があります。廃れた後でも寺島進の映画撮影に使われていました。
40 Comments
目の付け所w
30年くらい前道東住みでした。あえて38号を通らずにこっちを通ることもありました。昆布刈石展望台からの景色が好きでした。ロラン局?だったかの大きなアンテナがあったのを覚えてます。
ここの窓岩はちょっと調べたくらいではどんな感じだったのかよくわかりませんね、あまり崩れるような位置では無いようにも見えますが、海側に伸びてたのかな?調べていると釧路の興津海岸の方の窓岩が出てきちゃって、その写真を見てしまう。
地形がそれ程急峻ではないのに、道が大きく迂回している
変わった場所ですね…。
動画中2分30秒程の所で紹介されている根室本線ですが、石勝線経由で列車が走っているため富良野新得間廃線の影響は無いと思われます。
ただし石勝線も今後どうなるのか分かりませんので先行き明るい状況では無いようです。
今回の路線の途中昆布刈から左折する国道336号ですが、十勝河橋までの区間が奇麗に改修されてます。
海岸線区間から望む太平洋の眺望は見事ですので、機会が有りましたら一度お立ち寄りください。
おもしろいですよねぇ、、こちらのチャンネルは。
イメージ力が在る人向けなのでしょうけど、日本人はイメージ力持ってる人多いっすからね、小説、マンガ、アニメが世界一盛んなので、イメージ力は世界一なのは確実ですし。
海外だと大昔とか大戦時とか、なんかイベントとか大いにそそる理由なけりゃ海外の人々は気にしないみたいですが、こちらのチャンネル登録6.5万。やっぱにっぽんだわww。
明治大正昭和、日本は激動の時代。世界でもここまで一挙にってのは珍しいくらいでしょう。その遺構を見て無意識にその時代に思いを馳せてるのでしょう我々は。
まぁ、
ここまで探索できる方、他に居ないっすけどw。 何よりセンスが重要だからねー。
いつも良い動画ありがとうございます!!
6年前のドラレコの映像を見返して感慨に浸りました。
釧路から、襟裳岬へ抜ける時に利用しました。
トンネルの脇はあのような光景が広がっていたのですね。
ありがとうございました。
高評価(定期)
1995年(だったかな)頃、旧厚内トンネルと霧止峠旧道を通りましたが、旧厚内トンネルの記憶が一切無くなってしまって・・・
霧止峠旧道はダートだった記憶
峠まで霧が掛かっていましたが峠を過ぎ十勝側に入った途端、霧が晴れて名の通りの峠でした
日高や十勝の海岸線って浸食で戦時トーチカとか転がってる位ですし、これは良く残ってましたね汗
昔はトラックでは厳しいと言われてたから近付きませんでしたが新しい道路が開通してから5回位通ってます😃✌️
冬ならたまに丹頂鶴が見れます👍
結構気に入ってる道路の1つです😃✌️
3:35 ヘッドホンで聴いてたら波の音が良すぎ
ゾヌさん、風邪引いた?喉風邪気をつけて下さい❗
この道路は釧路への往復で利用しています。海岸がきれいですよね。
来年夏、またツーリングで通ると思います。
厚内市街地の旧道も一部走行されたんですね。
現道は数年前に開通しています。
旧トンネルは数回走行しています。
対向車の有無を確認して通過していました。
窓岩のことです。1990年発行の浦幌町郷土博物館報告に「竜神神社」と掲載されていました。1983年に私が撮影したモノクロ写真を拡大したところ、四角く穿たれた洞の中に「竜神大神」の紙札を囲った祠が祀っており、木製の鳥居もありました。2001年の写真では、祠は無くなり洞に中にはカップ酒が一つ、鳥居も朽ちてしまい残骸の木柱が一本に変わっていました。
同時期に撮影した本別町の幽仙境の写真には、「大山神社」と書かれた木柱が映っていました。ゾヌさんの探求心と調査力、そして体力には毎回感服しております。私は、最近急に体力と気力が衰えたのと熊に出没に危険を感じ、外出を控える日々です。廃道探索の際には、住居跡等だけでなく信仰(私自身は無宗教ですが)の痕跡も探して頂ければ、より歴史の深堀に繋がると思います。(釧路市在住)
厚内トンネルは学生時代にレンタカーで旧トンネルと新トンネルの双方を走ったのはいい思い出ですね。旧トンネルは本当に狭くて対向車が来ないか、サイドミラーを擦らないかビビり散らして通った覚えがあります。
因みに昭和52年まで霧止峠の共栄側には静内小学校がありました。
冒頭に紹介されたドライブイン
たしかまだ人住んでるはずです
地理院地図で過去の空中写真から道筋が見えるのと岬突端で切れてる(隧道がある?)ように見えますね・・・
心がさっぱり、とは言い得て妙。
快適な走行映像かと思いきや岬で旧旧道を探すとは、さすがです。
冒頭のミッキーハウスさんに泊めて貰った事があります。昭和の末期、相部屋素泊まり確か2000円とかで、清潔な布団と風呂に入れました。優しそうなご主人の下、大学生かプのお兄さん、お姉さんが住み込みでバイトしてましたね。
当時の道内は、採算度外視でライダーチャリダーをお世話してくれる人や店が多かったんですよね。
あの時の借りはまだ返しきれていないなと、ふと反省。
ゾヌさんの動画はドライブ映像としても見られるから、つい何度も観てしまうんですよね。
北海道を出てから20年くらいまともに帰省していないので、最近の街の様子も伺えてありがたいです。
心がさっぱりする…いい表現ですね
なんかわかります
今回は道東なんですね、日帰りでも自分は見に行ける所ですので、機会があれば自分も見てみます
米軍の1947年の空中写真では、いまちわかりませんが1963/10/3整理番号MHO6313X空中写真では
ゾヌさんが見たところから途切れていますが、旧旧道らしき石垣の続きがあり、岬に続いているように見えますね。
ORRの道路調査報告書様のHPで、現役の頃の厚内隧道の画像がありまして拝見しましたが、かなり狭いですね。
いや~色々考えると実に面白い、道東の取材ありがとうございます。
「自根室至苫小牧道」と見るとすぐに堀淳一先生が思い浮かぶパブロフの犬w昆布刈石の沿線風景は秀逸で旧トンネル時代に走って以来、寂寥感ある風景が忘れられません。遠いけどまた行ってみたいですね。
5:20厚内駅前の『山本商店』で売ってる鮭トバは安くて美味しいので本当にオススメです。
浦幌の道の駅や、浦幌町内でも売っている所があるので見かけたら是非
こんにちは。
この映像では、結構雪が残っていますが、だいたい何月頃の様子でしょうか?
冬場の北海道にも行きたいと思っていますが、これくらいの残雪なら、そんなに不安が無いかと思いまして、お聞きしました。
懐かしい(ΦωΦ)にゃー 旧厚内トンネル真っ暗で その辺りで工事してた(ΦωΦ)にゃー
道道933号も取り上げてください。
まさか厚内に旧道だけでなく旧旧道の存在を証明しうる遺構があったとは思いませんでした、これは大功績ですね
阿寒方面に高速出来て、そっち方面行かなくなりましたね😅
旧トンネル閉鎖されてたんですね、夜中トンネルを抜けると車体に手形が付いているなんて怪談話もあったんですけどねぇ。
海岸線から336号、夏行ったサイクリングコースでしたー。
厚内トンネルが気になって、近づける方へ行ってみました。
ただのコンクリ壁…閉塞の本気度…
これだけ広大な北海道を舗装路が長々と続いていて、どうやって維持しているのでしょうか。
という疑問をゾヌさんの動画をいつも見てて常々感じます。
橋の幅が狭いと言う話がありましたが、かつて道路を工事する部局と橋を建設する部局があり、それぞれ幅員の基準が違っていたため橋の部分が狭いと言う話を聞いたような・・・間違っていたらすいません。昔いた建設会社の会長さんが言っていた記憶です。
旧旧道の部分であろうところの海岸線の石ころ、もしや石垣の名残…?
あの狭くて暗いトンネル、通れなくなってたのか…
冒頭のドライブイン、昔は軒数も多くて賑わっていた記憶があります。
廃れた後でも寺島進の映画撮影に使われていました。
私の大好きな道路です。
この海岸の一部で素晴らしい石が拾えるのです。
今は工事によってその石たちに出会うことは難しくなってしまいました。
それでも、大好きな道です。
冒頭のミッキーハウスは泊まった事はないけど豚丼は何回か食べに行った事があります
結構美味しくてご飯の量🍚が凄かったです🎉
さすが北海道!道も4桁か!