【日本地理】思わず二度見する?東京のヘンな地名10選【ゆっくり解説】

【日本地理】思わず二度見する?東京のヘンな地名10選【ゆっくり解説】

思わず二度見してしまう東京の地名を紹介しております。
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24 Comments

  1. 世田谷区の等々力は入ってなかったか・・。洗足・砧があるから絶対入ってると思ったんだがな

  2. 「せめて縦に干しておいてくれればよかったのに」
    こういうところがイイんですよ。

  3. 甲賀町と伊賀町と言われていてそれを纏める時に笄町になったと聞いたな。

  4. 17:46 飛田氏の給田こと京王線飛田給駅から東へ約6km、京王線仙川駅と千歳烏山駅との間に世田谷区給田(旧 多摩郡給田村)が在ります

  5. 麻布狸穴坂を下りたところには有名なSMホテルの「アルファ・イン」がありますね。

  6. 8:44直臣(ちょくしん)では無く、今回は直臣(じきしん)が正解でしょう!
    あと中央区「日本橋蛎殻町(にほんばししかきがらちょう)」、葛飾区「新宿(にいじゅく)」、渋谷区「松濤(しょうとう)」、目黒区「碑文谷(ひもんや)」など。

  7. 横綱と思いきや横網の肩透かし感が相撲の決まり手みたいで良い。
    多摩エリアだと「人里」が最強。先ず読めない。

  8. 洗足池は日蓮上人が足を洗った為に名前が解明された。
    確か千束は台東区にも存在している。
    千束の由来は秋田に伝わる錦木塚伝説に登場する千束の錦木から引用されている。
    目黒区の蛇崩が出るかと思っていたが出なかったか…
    また東京の難読地名を遣るなら蛇崩や衾(目黒区旧地名)を取り上げてほしい

  9. 目白や目黒など読み方にひねりが無くても、由来を紐解くと江戸幕府の考えが解って面白いですよね。

  10. 住居表示法の抜本的改定を望む
    伝統ある地名が消えるのが余りにもしのびない
    「消して作る」ではなく「全て残す」方向に舵を切って貰いたいと思う

  11. 京王線の千歳烏山と仙川の間の旧甲州街道に給田って交差点あるけどこれも飛田給と関係あるのかな?

  12. たぬき鍋が美味いというがこのたぬきはアナグマのことだと聞いたことがあります

  13. 狸穴なら茨城県つくばみらい市にもある、読み方は同じまみあな。港区のこの辺りは住所表記の変更が激しくS30年代とはまるで変ってしまった。足立区入谷の源証寺って住職が練炭殺人された事件が起きたお寺?、砧が古代朝鮮からの帰化人と関係すると言う事と共に狛江も古代朝鮮からの帰化人が痛そうで高麗江の表記が変わったものだそうです。鹿骨の近くの鹿元や鹿浜は関係あるのだろうか。横網町は現国技館とは反対の南側にも旧国技館も存在していたので余計に横綱に見えてしまう。

  14. 歴史や由来のある地名が消え、○○何丁目とか新○○になってしまうのはとても残念だと思います。
    せめて住所表示とは別の町名としてでも残してもらいたいと思います。

  15. 鹿骨は以前障害者就労施設に勤務中は頻繫に行き交ってましたが、今は滅多に通りませんですよねぇ・・・。只偶に清砂橋を介して稀に通る事も有るので、サイクリングがてらもしかすると使わざるを得ない用事が出て来るとは思いますね!
    ウチは葛飾区ですが、旧地名が未だに解りませんので、出来れば調査依頼も行って頂きたい処では有りますね!

  16. ウイリアムアダムスとヤンヨーステン。リーフデ号で豊後、今の大分に漂着した。二人とも新教だからスペインポルトガルを敵視し始めていた家康のはもってこいの外交顧問。
    二人とも家康から優遇され、このまま日本に永住しろと勧めたところ、アダムスは三浦按針の日本名で永住したが、ヤンヨーステンは故郷に帰りたがり、家康の誘いに対しこういったそうだ。
    「いやん、(故郷は)よーすてん」
    お後がよろしいようで。

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