中津祇園 【 下祇園 】 令和8年 (2026) 7月12日 「 お汐井取り 」(汐かき) 神事 / 周防灘を一望 【 4K 】
大分県中津市 闇無濱神社
大分県指定無形民俗文化財「中津祇園」(下祇園)
令和8年(2026)7月12日(日)
7月12日(日)午前6時00分より、三百間濱で斎行された「お汐井取り」(汐かき)神事の様子です。
令和8年度年番である三番組(姫路町)が進行しました。
「汐かき」は、心身を清める意味があり、水飢饉のときの風習として中津藩内で広く行われていました。
中津祇園においても、祇園祭準備の開始を告げる行事として慣習化したようです。
「汐かき」では、祇園祭に参加する青年が御祓を受けてから海に入って汐を取ります。
そのときの真砂は玄関先に小さく盛って清めに用い、海水は祭典の朝に、笹で御神輿の担ぎ手や祇園車の曳き手に振り掛けられます。
下祇園の神事としては戦後一時的に途絶えていましたが、平成11年に復活しました。
++++++++ 豊前国に分布する芸能舞台付きの「だんじり」++++++++
・舞台の上で芸能を披露する
・大人数で曳き回す
かつて、この2つの特性を持った「だんじり」が江戸期の大坂三郷で多数見られたといいます。
しかし、このような「だんじり」は、いつしか近畿圏の祭から徐々に姿を消し、曳行と彫物に特化した「だんじり」へと変化していきました。
一方で、御神輿と作り物の車が中心だった中津祇園(大分県中津市)では、1683年、栄華を好む中津藩主が大坂に祇園車を注文して、中津城下の代表であった豊後町に与え、後に各町が舞台付きの踊車を出すようになりました。
それが現在の中津祇園の基礎となった他、豊前地域一帯の曳車の出る各祭にも影響を及ぼしました。
豊前国における祇園車(踊車)は、江戸期の大坂型地車(だんじり)今に伝える、貴重な曳車と表現してもよいかもしれません。
参考:森田玲「日本だんじり文化論」(創元社)
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