江戸時代の面影を残す犬の像=東京都中野区(黒沢潤撮影)
「八つ裂きにされ、狂犬病にかかって命を落とすのか」
目が血走り、牙剝(む)き出しの野良犬7匹が筆者に向かって走ってきたとき、観念した。
36年前、アサド独裁政権下の中東シリアにある「パルミラ遺跡」近く。数十分間、小石を拾って投げ続け、荒れ狂う犬たちを辛くも撃退した。
散々な目に遭い「犬嫌い」になったか-。否、である。犬は以前から身近で、愛犬と今も都内を散歩する日々だ。
犬好きゆえ徳川5代将軍綱吉の「生類憐(あわ)れみの令」に関心を抱いてきた。綱吉は「暴君」、憐れみの令は「天下の悪法」と教わった。本当か。
中野区立歴史民俗資料館に展示された犬駕籠(復元)=東京都中野区(黒沢潤撮影)
江戸時代、10万匹の犬が収容された御囲(おかこい)跡地に足を運んだ。JR中央線・中野駅に近い中野区役所一帯(東京ドーム約20個分)。役所の傍(そば)に犬5匹の像、区立歴史民俗資料館には犬駕籠(かご)(復元)が置かれ当時の様子を伝えていた。
幕府による刑罰は苛烈だったようだ。犬を傷付ければ、遠島。溝口元・立正大名誉教授(生命倫理)は「切腹や晒(さら)し首もあった」と指摘する。厳罰は庶民の怨嗟(えんさ)の対象となった。綱吉が没し、法令が失効すると、庶民は狂喜した。
<追腹(おいばら)切るべきはお犬様(さま)>
死去した主君を追って、殉死する風習に倣った風刺だ。
徳川綱吉政権の「生類憐みの令」の関連文書=東京・神田の明治大博物館(黒沢潤撮影)
ただ、憐れみの令は「悪法」で片付くシロモノだったか。敵を殺(あや)め他領を収奪すれば英雄とされた戦国時代の終焉(しゅうえん)から約80年。豊臣家を打倒した大坂夏の陣が終わり、平和な世が訪れてから約70年。東京・神田の明治大博物館を訪れると、憐れみの令の文書(縦50センチ、横60センチ)に興味深い解説文が添えられていた。
<戦国の遺風を仏教や儒教の考え方を通じ、払拭する政治的意図もあった>
大石学・東京学芸大名誉教授もこう強調する。「綱吉は犬を食べたり、動物をいじめたりするのを何とも思わぬ時代から、慈しむ時代に変えたかった。そこに強い意志があった。憐れみの令は『脱戦国の総仕上げ』の意味も持つ」
続けて「厳しかろうが、何だろうが、動物とともに生きていく。(一連の法令で定めた)老人や子供、行き倒れの人らへの配慮というヒューマニズムが動物に及んでいるイメージがある。綱吉は何も、人を苦しめようとか、懲罰しようというのではない」。憐れみの令が人に苛烈だった一方、動物の命も大切だとの意識が近代日本人の精神に刷り込まれたのは間違いない。
その日本で300年後の今、犬たちはどう扱われているか。秋風そよぐ都内を歩く犬たちは、実に幸せそうだ。
ただ、虐待事件も相次ぐ。俳優の坂上忍さんらがテレビ番組で哀れな犬の境遇を取り上げるたび、胸が痛む。東京23区で初めて「動物政策監」職を新設するなど動物行政に熱心な清家愛(せいけあい)・東京都港区長は執務室で「(動物虐待は)許せない」と力を込めた。
清家愛・東京都港区長=東京都港区役所(黒沢潤撮影)
「犬先進国」と称されるドイツの首都ベルリン。筆者が約20年前に住んでいたとき、幸せそうな犬たちを見て、社会の在り方を羨(うらや)ましく思ったものだ。飲食店の机の下では犬が飼い主の傍で行儀よく伏せていた。入店OKだった。
電車にも犬が飼い主と乗り込んできた。犬の切符代は数百円。社会全体で犬と共生しようという精神を垣間見た。
ドイツ動物愛護協会のナディア・ワタド氏はメール取材に「独憲法では、動物保護は国家が追求すべき目標の一つだ」と強調した。「犬同伴が職場で認められる例もある」と驚くべきことも指摘した。
ドイツでは、年間約2万円の「犬税」を課し、犬環境向上に努める街もある。「税導入は中世時代に遡(さかのぼ)る」(独財務省のダビド・リュル氏)
日本でドイツ人女性と暮らすリューバちゃん(5歳)
日本でドイツ社会の再現を望むべくもない。ただ、日本を侮ってはならぬとも思う。
医薬品や動物薬開発を行う「日本ベーリンガーインゲルハイム」(東京・大崎)は今夏、家の犬猫の死に伴う「忌引休暇」を導入した。動物との別れに際し、社員に心身を整えてもらう配慮という。泣ける話だ。岡本佐知子人事本部長は「犬などが亡くなれば仕事は無理、との素直な考えで導入した」と語った。同居する動物だって「家族」の一員、との信念が底流にある。
日本ベーリンガーインゲルハイムの岡本佐知子氏(黒沢潤撮影)
虐待や殺処分。日本の犬を巡る環境は十分でないが、犬に向ける思いが深まっているのも事実だろう。綱吉は今の日本とドイツをどう見るか。(黒沢潤)

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