#奥州藤原氏 #奥州合戦 #鎌倉殿の13人

※概要
朝廷から中止依頼が来ても決行された奥州討伐。頼朝にとって奥州合戦とは何だったのか、また藤原泰衡の最期、礼節を知る畠山重忠のエピソードなどを紹介しています。

2022年、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」解説動画です。

【関連動画】
前九年の役・後三年の役について
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30 Comments

  1. 歴史好きの面倒くささ(褒め言葉)が出ててとっても良きです!

  2. 毎回楽しみで仕方ないです。歴史初心者は何もかもがわからないことだらけで字幕の大切さを重く感じ感謝しています。字幕入れるの大変ですようね~ありがとうございます。こちらで字幕の大切さを感じたので今では録画してある鎌倉殿を字幕付きで見返しています。私もイケメン贔屓派です😊

  3. きりゅう先生がお仲間にグラフィックデザイナーを選んだ点がたいへん良い方向にいっていると思います

  4. この時代に現代の警察の取り調べ飴とムチテク?が本当にあったら面白いですね😄
     豪華絢爛な平泉、、見てみたかったです🥺

  5. 平泉の歴史的遺物を焼いたことに怒った、きりゅう先生が、畠山重忠のイケメンエピソードを語る時は急にニコニコしていた🤣この振り幅に驚きました。
    しかし、滅亡してしまうと寂しいものですね。まさに『兵どもが夢の跡』です。

  6. むむむ…中国古典…。他のチャンネルには無いその博識。さすがでございます。紫式部の大河では いっぱい出て来ますよね。

  7. 藤原氏、こんな簡単に滅びてしまったのは、やはり泰衡に4代目の器量がなかったからなんでしょうか。信玄⇒勝頼と重なります。

  8. もし奥州征伐が失敗してたらイギリスみたいに日本にも複数の国家が出来たのかな…

  9. 泰衡も流石に金色堂は燃やせなかったから、今も残っているのかな?
    あと少し秀衡が生きてたら。。。

  10. 歴女の最高峰に居る
    先生の解説楽しく拝見しています。
    元々奥州攻めをしたかったんてすね。
    ドラマでは義経が逃げるのに疲れて奥州に、逃れたと思っていましたが
    史実では、義経が奥州に
    逃げ込んだのは、渡りに船だったのか、それとも
    奥州に逃げるように仕向けたのか、いずれにしても
    義経が可哀相!!に想えてしょうがない。

  11. 事実上の決戦地となった阿津賀志山は私の父方の実家がある町内。

  12. 本当に毎回毎回、楽しく学ばせて頂いてます!皆さんのおしゃべりに参加してる気分で…なんと楽しい歴史談義!

  13. く~ さん。鋭い指摘。景時、悪役説。あるなぁ。あるある。

  14. 歴史好きにとっては文書こそ宝なんですね もしかしたらまだ残っていたのかもしれないけれど鎌倉武士たちは気づかなかったのかも

  15. ホンマに歴史好きなんやねぇ😍きりゅうさんの生い立ちが知りたい。どこで歴史習ったの?

  16. 歴史好きでなくても記録の書は大事!と痛感している現代ニッポンのワタシ。
    ところでこのドラマで度々大きな書棚が登場し、なんか新鮮に感じます。頼朝が源氏の頭領となって幕府を開けたのは、こういう官僚的な仕事を大事にしたのもあったんだろうなと。最初の頃、義時がまさにパシ…、いや官僚的な働きしていたし。

  17. 由利八郎さんを取り上げてくれてありがとうございます。
    子供の頃、奥州の歴史を書いた本を読んだのですが、その本の中で「北の最後の勇者」という副題で書かれてました。
    頼朝が「主人のために一人で頑張るお主は天晴れな男だ。」と褒める姿は何かグッとくるものがありました。

  18. 焚書といい記録を消す行為は(現代人の感覚なのはわかるが)本当に止めて欲しい。漢の蕭何はホントにナイスプレーですよね。(それも後の漢の為を思っての面もあると思うが)

  19. >>デモンストレーション
    頼朝は奥州合戦では、わざわざ前九年合戦で安倍貞任の首級を掛けた武士の子孫を選んで泰衡の首級を掛けさせていますしね。

  20. 奥州合戦解説まってました!

    景時のエピソードとしては、たしか頼朝と白河の関で歌を交わしたりしてましたよね。

    前九年合戦の踏襲で抑えておきたいのは、前九年合戦の終結が「康平五年九月十七日、厨川の柵陥落」あることになぞらえて、「文治五年九月十七日に厨川の柵陥落」で終わる予定にしていたというのもありますね。宣旨なしで攻め込んだのもこの予定を守るため、という理由もあったと理解しています。

  21. コメント失礼します、いつも楽しく拝見しています。
    何よりも吾妻鏡に対しての博識ぶりと流れる様な話しぶりに感嘆しています。
    ドラマの中で阿津加志山の戦いを是非ともやって欲しかった。
    わが先祖がこの戦いで手柄を立てて頼朝公から褒美に岩手県盛岡市の近辺に領土を拝領した河村四郎千鶴丸だからなのです(現在でも山北町にある河村城址で毎年河村城址祭りが有り私を含め全国から河村氏の末裔が招待を受けます。一族の中には麻生内閣で官房長官を務めた河村健夫さんや名古屋市長の河村たかしさんもいらっしゃり本丸跡で酒を酌み交わします)。
    河村氏は中臣氏を始祖としする藤原秀郷の末裔・波多野氏の直系で神奈川県足柄上郡山北町を中心に納めていた豪族、流鏑馬神事の発祥の一族です。
    河村氏は大庭景義の計らいで頼朝公の御家人になりました。
    手柄を立てた四郎千鶴丸はこの時若干13歳の元服前。夜陰に乗じて敵陣に乗り込み弓で武功を立て認められ、頼朝公の命で加々美長清を烏帽子親として元服し河村四郎秀清と名乗ったのです。
    前の大河ドラマ「青天を衝け」で平岡円四郎のボディーガードをしていた剣の達人の川村恵十郎もわが一族ですし、葛飾北斎も一族です。

    すいません長くなりました、これからも楽しみにしております。

  22. 小学館の歴史漫画では大庭のお兄ちゃんは初期からいる御家人の筆頭みたいなキャラクターでこの進言シーンもあるので、歴史好きは知ってる人が多いと思います!

  23. 力関係でいえば、既に頼朝>後白河なんでしょうね。後鳥羽のチャレンジも失敗、後醍醐の復興も一時的。以後は空気。まさに朝廷の黄昏