3月の地震で大きな被害を受けた山元町唯一の総合病院・宮城病院。一部の病棟は3週間が経った今も立ち入りができない状態となっています。そうした厳しい中でも現場では病院の復旧作業と並行し、地域医療の最後の砦として、医療体制を守り抜く戦いが続いています。

県内で最大震度6強を観測した地震から3週間。山元町の唯一の総合病院・宮城病院には4月5日も朝から多くの人が訪れていました。

町内の男性
「病院はなくてはならないところ。仙台とか岩沼まで行くのは大変」

鳴子から来た夫婦
「夫が難病のパーキンソン病で18年間ここに通い続けているから、ないと困りますね。助かってます」

宮城病院は地震翌日に診療を再開。しかし、診察室のすぐそばでは地震で傷ついた建物の修復作業が続いています。
行われていたのは柱の健全な部分を残してもろくなった部分を削り取る作業。宮城病院は去年2月の地震でも病院のいたる所に亀裂が入るなど大きな被害が出ました。

工事担当者
「修復用の樹脂を注入予定だったところ」
Q去年2月の地震のところ?
「そうですね。ここら辺は新たにひびが出てきたところ」

修復作業を年明けから始めた矢先の今回の地震。病院内部の被害も深刻です。地震から3週間たった今も。

宮城病院 若佐孝男 事務部長
「まだ片付いていないけど…行くところがないから片付けられない」

14の診療科のうち救急外来などが入っていた病棟は耐震性の問題から立ち入りを禁止としました。

宮城病院 若佐孝男 事務部長
「小児科、アレルギー科、形成外科、脳神経外科、総合診療外科。6つくらい入ってたんだよ」
Q.それが全部違う病棟に?
「そうです」

6つの診療科は被害の少なかった病棟を間借りすることに。脳神経外科の安藤医師は脳神経内科の一室で診療を続けています。

脳神経外科 安藤肇史 医師
「明らかに狭いですよね。車イスの移動も大変ですし、診察で患者の歩いている姿を確認するときも非常に狭いです」

さまざまな制約のなか、外来の受け入れ態勢は地震前と同じ状態にまで戻りました。しかし、まだまだ課題は山積みです。

宮城病院 永野功 院長
「(去年2月の地震で)補修中の建物ももう一度補修のやり方を見直して、被害の状況をしっかり見極め、新たな工程で早く損壊した部分を補修したいと思っています」

WACOCA: People, Life, Style.

Exit mobile version