総合電機メーカーとして140年を超える歴史を誇る、東芝は12日、日本の大企業で初めて、会社を分割する方針を発表しました。
東芝・綱川智社長:「本日、東芝グループは、未来に向かってさらなる飛躍を遂げるため、会社の形を大きく見直すことを決定した。東芝から2つの事業会社をスピンオフ(独立)し、独立した3つの会社とする戦略的再編を行うことを決定した」
東芝は1875年、日本初の電信設備メーカーとして創業しました。東芝の歴史には、この「日本初」がついて回ります。
白熱電球から電気冷蔵庫、電気洗濯機、電気掃除機、そして、カラーテレビに至るまで、未知の体験を日本の人々に届けてきました。
身近な家電にとどまりません。原発をはじめとする発電所や鉄道車両、エレベーターなど、社会の隅々にインフラを整えてきました。
ワープロやノートパソコンの開発拠点となっていた東京・青梅市の工場。90年代には天皇陛下が視察されたこともありました。しかし、時は移ろい、この工場は2017年に閉鎖を余儀なくされました。
工場閉鎖のきっかけとなったのが、2015年に発覚した不正会計です。当時の社長らが辞任に追い込まれました。さらに、アメリカの原発事業での巨額損失が明らかになり、経営危機に。事業売却を進め、建て直しを図るなかで出てきたのが、3分割という道でした。
1つは、発電所や再生可能エネルギー、鉄道などを扱う「インフラサービス」の会社。もう一つは、半導体やハードディスクを手掛ける「デバイス」の会社。この2つを新たに設立し、東芝本体は半導体メモリー大手『キオクシア』などの株を管理する会社として残ります。
株主総会で承認されれば、2年後をめどに再編完了を目指すといいます。
東芝は「シンプルな構造による大きな価値の顕在化」との表現を使いました。
テレビ朝日経済部・進藤潤耶記者:「これはどういうことか言い換えると、東芝はたくさんの事業を持ち、複雑で価値がよく分からない。そのなかで、スリムになって何が良いかというと、その事業に専門的な知識なり、経験を持った人がトップに立つ。そうすると、意思決定が早くなる。そうなると、業績が上がるのではないかと投資家は思う」
ただ、経営の改善につながるかは未知数です。
テレビ朝日経済部・進藤潤耶記者:「今まで、たくさんの事業を持っていたから、どこかの事業が悪くても、良い事業がカバーできる。完全に分かれてしまうと、もし大きな損を出した時に、他の事業がカバーしてくれない」
埼玉県深谷市には、2カ月前まで東芝の工場がありました。国内初のカラーテレビ専門工場として生まれ、その規模は東洋一とも言われたといいます。街の発展にも貢献したものの、生産は徐々に縮小され、9年前にはテレビ生産から撤退していました。
20年ほど前まで工場で働いていた、梶山實さん(79)はこう話します。
東芝元エンジニア・梶山實さん:「(Q.今回、3つに分割されると聞いてどう感じた)またかと。変革のために、まずは家電関係を全部切り捨てた。全部切り捨てたわけではなく、株の一部は持っているんだろうけど。寂しいですね。こんなはずじゃなかったという感じ。我々は、それなりに自負して仕事をしていたから」
世界に名をはせた総合電機メーカーの分割。これは、事実上の解体ということなのでしょうか。
東芝・綱川智社長:「テレビも家電もパソコンもないわけで、総合電機メーカーという感覚がない。解体ではなく、進化と捉えているので、未来に向かって進んでいきたい」
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp
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